死にたがりの少年と紅蓮の魔女
「それでは行くのですっ!」
セルティリカの声が沈黙を切り裂いた。同時にセルティリカの精霊、朱雀は紅い翼を広げて飛翔する。
「青龍」
光希はボソリと呟く。微かに青龍は頭を動かし、青の燐光を纏った身体をしならせた。
紅い炎と蒼い炎が交差する。それだけで、巨大な霊力は渦を巻いて吹き荒れる。目を焼くほどの眩しい閃光が夜を白く染めた。
「フィー、頼むのです。ミツキの龍をあなたの炎で焼き払ってください!」
セルティリカの指示は容姿に似つかわしくない冷酷なもの。今更言うまでもないが、彼女は本気だ。
『ええ、灰も残さず燃やし尽くしてみせましょう』
物騒なことを柔らかい声音で言うと、朱雀はバサリと力強く羽を伸ばした。星くずのようにこぼれた火の粉は、冷たい地面の上で弾けて消える。
青龍の爪が朱雀の翼をかすめた。霊力の燐光が舞う。青龍はそのまま朱雀の周りを旋回していく。高く鳴いた朱雀が一度翼を扇いだ。
紅い紅い炎は燃え上がる。朱雀の炎は青龍を呑み込んでぐるぐると渦を巻いて、純粋な霊力でできた炎の熱は空気を焦がす。凄まじい霊力量に光希の足は土を削って後ろへと退がった。
『その程度か、朱雀』
紅蓮の中から青龍の声が響いた。光希の霊力と同じ色、蒼があふれて紅を消し飛ばす。
『いいえ、いいえ。それでこそ我ら四神の一柱。これくらい出来なくては話になりません。さて、小手調べはこれで終わり。我が契約者と私の全力をお見せしましょうか』
朱雀の声の調子に変わりはない。だが、光希はその中に朱雀の笑みと高揚を感じ取る。わずか10秒にも満たない戦闘で、十分規格外の力を目にしたはずだった。しかし、どうやらまだまだ先があるらしい。
『セルティリカ、封印を解けますか?』
「分かりました。ワタシたちの全力で叩きのめすのですっ!」
セルティリカの手が前髪の上で輝いていた石へと伸びる。アクアマリンの透き通った石が、鎖がしゃらんと鳴る音と共にセルティリカの手の中に落ちた。
「炎魔封印、限定解除。我は神秘を統べる者。古き理よ、目を覚ませ──」
薄薔薇色の髪をした少女の身体から膨大な霊力が解き放たれる。外した宝石と同じ色をしていた瞳は、今や朱雀と同じ紅に染まり、髪の色は深い紅へと変わる。纏う空気は猛火のごとく熱く激しい。
精霊魔術師としての格は、精霊との相性によって決まる。相性が良ければ良いほど強力な力を引き出すことができ、格の高い精霊と契約を交わせば交わすほど強い力が手に入る、ということだ。光希と青龍の相性も、『異端の研究』によって魂のレベルで同調されているが、セルティリカのこれは違う。
セルティリカは朱雀だ。
どちらかといえば、神降ろしに近い。古くから精霊は神と崇め奉られた。その力を自身に降ろすということ。それは人であることによって制限されていた、人ならざる力を自由に振るうことができるということだ。
楓が神の器であるというのは、こういうことを指すのだろうか。
ふとそう疑問を覚えてしまって、忘れようと努力をしていたところで青龍が答えを返した。
『天宮の姫のそれとは違う。あの娘はそもそも器でさえないのだからな。──まあ、今となっては全て無駄な話かもしれぬが』
紅の炎の中、朱雀が青龍を鋭い眼光で射抜く。どうやら決着を付けるらしい。光希は相変わらずの無表情で燃え盛る紅蓮を見つめる。
動いたのは朱雀が先だった。
一瞬にして距離が縮まる。光希の顔を目掛けた攻撃は寸前で滑り込んだ青龍に防がれる。しかし、いかに同格の精霊であっても全能力を解放した状態の朱雀には及ばない。
『ぐぬっ……、押し切られる。光希、退がるのだっ!』
虚な瞳の中で蒼い炎と紅い炎が揺れていた。
『聞こえておるのかっ!? このままではお主は、死ぬぞ!』
青龍の叫びも光希には届いていなかった。心を殺した少年は煌々と燃え盛る炎に魅入られて、その先に待つ終わりを見てしまう。
このまま炎に呑まれてしまえば、楽にもなれるのかもしれない。天宮楓のいない世界で、生きるよりもずっと、ずっと、ずっと。
疲れた、ふとそう思った。
「フィー! 止めるのです!」
遠くでそんな声がした。紅い炎が掻き消える。残ったのは弱まってしまった青龍の蒼炎だけだった。
「ミツキっ! あなた、死のうとしたですね!? 勝負を投げ出して!」
紅い瞳と髪をした少女はキッと光希を睨みつけ、精一杯の大股で距離を詰める。
「ワタシには詳しいことも何も分かりません。ですが、カエデはあなた方を助けるために命を賭けたのでしょう? 命よりも大切だと信じたから、守ったのでしょう? 生きていて欲しいから、全てを投げ出したのでしょう?」
セルティリカの髪の色は端から薄薔薇色に戻っていく。アクアマリンの澄んだ瞳に浮かぶのは強い意志の光で、光希は目を逸らすことができなかった。
「そんな風に亡霊みたいになって、死を望んで苦しんで欲しくて、死を選んだわけじゃないのでしょう……? ミツキ、何も知らないからこそワタシは言うのです。笑ってくださいなのです。……カエデは、きっとそう望んでるのです」
不意に視界がぼやけた。セルティリカの顔が見えない。こぼれた雫は暗い地面に吸い込まれて消えていく。
そうやって、今まで誰かに叱られるのを待っていたのかもしれない。
顔を歪めて、吐き出すようにして言う。
「……分かってるんだ、そんなことは。だが、俺は、それでも、天宮に生きていてほしかった。……幸せを知らなかったあいつに、幸せをあげたかった。俺は守られてばかりで、何も、返せてない……!」
後悔しかない。後悔以外にあるとしたら、それは何だろう。
「……何も守れなかった俺は、生きていて、良いんだろうか」
セルティリカは前のめりになっていた身体を真っ直ぐ伸ばし、静かに微笑む。
「もちろん。あなたには生きる義務があるのですよ」
その言葉を待っていた。この異国の少女は楓のことも光希のことも何も知らない。だからこそ心の底から思っていることを言えるのだ。
空っぽになった自分でも、生きて良いのだと。
後悔の淵から引きずり上げてくれるような言葉を。
「やっと、あなたの本音が聞けたのです。良ければもう少し、カエデのことを教えてくれませんか? こんなことを言っておいて、何も知らないままでは示しが付かないのです」
セルティリカはいつのまにか光希の隣に立っていた。イザヤは立ち位置を変更して、セルティリカの後ろに控える。
「……なんか、その、すまない。ありがとう、セルティリカ」
流れていた涙を払う。前に泣いたのは、いつのことだっただろうか。伊織を亡くした時も泣くことができなかったのに。
弱くなったな、と思う。
だが、この弱さは心地良い弱さだ。そして、それは人に心を開く強さだ。やっと、思い出した。
「セルティー、です」
戸惑って何も返さずにいると、もう一度今度はもっと強い語調でセルティリカは繰り返した。注がれる視線に耐えかねて、光希は苦し紛れに口にする。
「ありがとう、セルティー」
ひまわりのようなぱっと明るい笑顔を見せて、セルティリカは口を開く。
「──お嬢様、ミツキと距離が近すぎます」
咳払いと共に冷ややかな声が割って入った。光希は思わず苦笑いを浮かべ、頭が胸に着きそうなほど近づいたセルティリカから身体を退く。
「もう、イザヤ、返事くらい良いではないですか。ワタシが好きな人は、変わらないのです!」
反論しながら、後半は赤くなりながら、セルティリカは言い切る。ごほんごほん、と聞こえた二度目の咳払いは動揺を隠すためのものだ。
「……お嬢様、そういうことは、あまり、言わないでください」
「なぜなのですか!?」
頰を膨らませたセルティリカは抗議する。答えを誤魔化そうと視線を逸らそうとしたイザヤをセルティリカの瞳は逃さない。しばらく無言の攻防が続き、とうとうイザヤは折れる。
「……オレが恥ずかしいので。あと、調子に乗ってしまいます」
深緑の瞳を伏せ、ボソッとイザヤは答えた。セルティリカが幸せそうな笑顔をこぼしたのは言うまでもない。




