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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第8章〜紅蓮の魔女〜

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救われた者の矜恃

 澄んだ虫の音が聞こえた。カレンは紐を口にくわえて、髪を結い直す。ぶるりと身震いをすると、気配を消して隣のベッドで寝息を立てている亜美に近づく。


「私を拾ってくださって、ありがとうございました。……今までお世話になりました、本当に。これでお別れです、さようなら」


 亜美はむにゃむにゃと言葉にもならない寝言を言って、寝返りを打った。カレンの言葉は届いていない。


 これはケジメだった。もうここには帰れないし、カレンは死にに行くのだから。暗殺任務はとうの昔に失敗した。そのツケを払うのは今だった。


 カレンは窓から外に飛び出した。冷たい風が頬を叩く。目を細めながら術式で衝撃を緩和、着地した時に微かな風が解けた。


「オレがいない間、随分と楽しかったようだな、カレン」


 黒い人影が闇から現れる。黒いマントはその人の体型を隠し、顔のある場所には銀色の仮面があった。幼いカレンを選び暗殺者として育てた少年は、今や青年としてカレンに冷たい視線を向けている。寒気のような恐怖が身体を縛る。『ベガ』という組織の次期総帥と目されるこの人が、自分の命を握っていることを、カレンは久しぶりに思い出した。


「お久しぶりです、イザヤ様」


 ひざまずき、カレンは深く頭を下げる。人影、イザヤはカレンを一瞥して口を開く。


「では問おうか。お前はアマミヤの姫について、何を知っている?」


「天宮の姫、つまり天宮楓について、ということですね?」


 イザヤが頷くのを確認すると、カレンは淡々と楓について知っていることの報告を始めた。


「天宮楓は、この国で霊能力者を統べる天宮家としては異端で、彼女は霊力を一切使えませんでした。幼い頃は孤児院で、ひどく虐げられて生きてきたそうです」


 カレンは顔を上げる。


「──ところで、報告書には天宮楓をおとりにし相川光希の始末に使った。しかし、私は倒されて失敗した、そう書かれていたと思います」


「そうだな。それはオレも読んだよ」


「はい。ですが、私は相川光希に倒されたのではありません。私をいとも容易く倒したのは、天宮楓です」


 銀色の仮面の奥で深緑の瞳が興味深げに光を放つ。


「無能に倒された、と?」


「はい。天宮楓の持つ純粋な戦闘能力はあの相川光希さえも上回ります。彼女は無能力者でありながら、Sランク保持者でした」


 そんなことが可能なのか、とイザヤは顎に手を当てて呟いた。誰だって目の当たりにするまで、天宮楓の力を信じない。カレンも無能だと侮って掛かったのだ。見事に返り討ちにあったわけだが。


「私に与えられた任務は、『神』が目覚める前に殺せ、というものでした。私は一番の有力候補であった相川光希を殺すことにしました。ですが、『神』は彼ではなかった」


 カレンの青い瞳に月が映る。手を握り締めた。


「天宮楓が、『神』の器です」


 イザヤはフッと息を吐いた。深緑の瞳は感情を失くして無機質なものへと変わる。イザヤがまとう空気も、死の匂いを放つ。


「最後の報告ご苦労だった。……では、これより処分を開始する」


 ひざまずいたままの足が震えているのを、カレンは見ないフリをした。


「──お願いします」


「カレンっ! 何をしているの!?」


 一番この場で聞こえてはならない声が聞こえた。ハッとしてイザヤが亜美に意識を向ける前に亜美の前に走り出す。亜美だけは、亜美だけは、決してこれに巻き込んではいけない。


「そうか。それがお前の今の主か」


「っ……、はい」


 イザヤの姿が掻き消える。カレンは目を見開いて、黒い人影を探す。ドサリ、と重い音が背後で響いた。


「亜美さまっ!」


 かすれた悲鳴がカレンの口を突いて出る。今の一瞬で、カレンと亜美の間は5メートルほど離されていた。亜美は力無く地面に崩れ、綺麗なウェーブがかった茶色の髪が冷たい地面に乱れていた。


「……」


 立ち上がってしまったカレンの腕が震える。拳を握り、感情を殺そうとして唇を噛もうとした動きは不自然に止まる。


 カレンの主はイザヤ。だが、カレンが命を使うと決めたのは亜美だ。


 頭が痛い。


 カレンは罪を犯した。罪は、裁かれなければならない。その時まで、亜美に仕えると誓った。亜美の前から静かに消えよう、そう思っていたはずだった、のに。


「……亜美、さま。私はあなたの側にいたい、です」


 カレンはやっと自分の本当の望みを口にする。認めてはいけないと知って、胸の奥に封じ込めた願い。


『カレン、例えそれがカレンのプライドだとしても、言わせて欲しい。……もうカレンは、組織からは自由だよ。亜美に拾ってもらった命はそんなに軽くない。好きなように、生きれば良いんだよ』


『もしも、カレンがその運命から抗うと決めたなら、ボクは絶対に君の力になるよ』


 カレンの耳にいつかの楓の言葉が蘇る。笑ってそう言って、自分から死ににいったバカな少女。


 あなたには、死んでほしくなかったのに。


 カレンは呟く。


「……何ですか。肝心な時に、いないじゃないですか」


 右手を横に突き出す。手に錬成した黒いナイフが月の光に煌めいた。


「抗うつもりか?」


 仮面の下の口が嘲り笑いを作った。


「はい。決めました。私は、私を救ってくれた亜美さまのために、戦います」


「そうか」


 ぎいん、と黒いナイフから火花が散る。咄嗟に退がり、腕を折らんばかりの衝撃を逃す。深緑の瞳が細められた。


「無駄だぞ」


 カレンの背後に黒いナイフが大量に生成され、浮かび上がる。


「確かに、そうかもしれません……っ!」


 手を前に振り下ろす。その動作で無数の刃は放たれる。風を切る音が夜に響いた。


「ですがっ、私は諦めたくない!」


「『灰は灰に、塵は塵に。全てはやがて無に帰る』」


 イザヤの術式がナイフをことごとく灰に変える。月の光の路が舞い上がる灰で浮かび上がる。カレンは歯を食いしばった。


 イザヤは強い。あの術式は、人体でさえ灰に変える。まだカレンが霊力を身体に残し、抵抗力を持っている今なら、ギリギリ手足の一部だけを犠牲に耐え切れる。


 つまり、カレンが動けなくなる、それが敗北を意味するのだ。


「っ!」


 ツインテールの端が撃ち抜かれる。魔弾銃をイザヤが撃った動作も見えなかった。黒いナイフをイザヤの顔に向かって投げる。もちろん簡単に弾き落とされる。だが、それで構わない。


 パキパキと音を立ててナイフを錬成する。得意術式でカレンに唯一使える高等術式、錬金術。


 さらにカレンは術式を展開した。


「『夢幻むげん』」


 ゆらりとカレンの身体が揺らぐ。亜美に教わった霞浦の初歩術式。相手の認識をかき乱す術式だ。霞浦家の人間ならば、自分の望んだ通りの幻覚を見せることも可能らしいが、カレンにはそこまでの技量はない。


 カレンは音もなくナイフを両手に、イザヤに肉迫する。


「何っ!?」


 ひとつ、銀色の仮面が割れて落ちる。ふたつ、イザヤの頬に浅い血の線が走る。


 カレンは顔をしかめた。本当は首を落とすつもりだった。もう、これ以上の術式の連発は不可能だと、悟ってしまう。


「驚いたな。お前がオレに傷をつける日が来るなんてな」


 イザヤの握る銃が閃く。弾けた光は四度。


「だが、それもそろそろ終わりだ」


「ああああっ!」


 血がカレンの両肩、両太ももから噴き出した。穿うがたれた傷は小さく深い。カレンの身体はぐしゃりと地面に崩れ落ちる。


「……これで、終わりなんて、なんて、惨めなんでしょう」


 伸ばした手で土を握る。身体がまるで動かなかった。


「天宮楓、あなたが居たら、何かは変わっていたでしょうか? ……すみません、亜美さま。どうやら私はもう、あなたの側にはいられ……ない、ようです」


 けほん、と咳をする。血を吐き出した感覚があった。ゆっくりと地面を踏んで、イザヤが歩いてくる音がする。


「『灰は灰に……、塵は塵に……」


 一歩近づいてくるたび、詠唱が一節ずつこぼれる。カレンは浅く呼吸をする。そして諦めて、身体から力を抜く。


 灰になって消えるのは、痛いだろうか。


 イザヤの足がカレンのぼやけた視界の端に映り込む。カレンは目を閉じた。


「イザヤ、そこまでなのです」


 少女の静かな制止の命令が詠唱を遮った。

遅くなりました。


天宮楓について、185部分を読み返してみることをお勧めします。

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