新しい出会い
「……一体、何があったのでしょうか」
無表情のまま部屋を出て行った光希は、確かに静かに怒っていた。セルティリカには分からない。クルクルと淡い薔薇色の髪を弄ぶ。クセで巻いている髪はびょんと解けて元に戻った。
「アマミヤの姫が死んだ、というのが本当なのか、そこから調べなければなりませんね」
「うん……。イザヤ、もし本当にアマミヤの姫がいなかったら、どうすれば良いなのですか? ワタシたちはただ、故郷を捨てただけになりませんか?」
イザヤは幼い主人の顔を覗き込んだ。アクアマリンの瞳はふらふらと不安に揺れて、無意識に伸ばされたか細い手は震えている。セルティリカの手を取って、イザヤはそっと壊れものに触れるように抱きしめた。
「大丈夫です。もしもアマミヤの姫がいなければ、俺が帰り道を探します。だから、お嬢様は心配しなくていい」
「その言葉、信じても良いのですね?」
イザヤの服を掴む手に力が籠もる。
「ええ。俺がお嬢様との約束を違えたことがあったでしょうか?」
「……ワタシのクッキー、勝手に食べたのです」
不満な声でセルティリカは文句を言ってみた。イザヤはぴくりと動く。
「その、それは、すみません。あれはですね、勘違いしてただけで、その……」
露骨に慌て始めた従者に、セルティリカは忍び笑いを漏らした。
「そんなこと、どうでも良いのです。イザヤの心に偽りがないのは、ワタシ、よく知ってるのです」
「それは嬉しいですね、お嬢様」
もう大丈夫、そう判断したイザヤはセルティリカから手を離す。完全に温もりが離れてしまう前にセルティリカはイザヤの手を両手で捕まえた。
「お嬢様?」
「……もうちょっとだけなのです。もうちょっとだけ、手を繋いでいてもいいですか?」
微かに震えている手を見れば、イザヤから振り解くという選択肢が消滅する。セルティリカはまだイザヤより4つ歳下の14歳の少女だ。どれだけ強い精霊を従えていても、見知らぬ土地に2人だけでぽいっと投げ出された不安と恐怖は隠しきれない。
「もちろん、いつまででも」
イザヤは優しくそう言った。
「……あのね、イザヤ。さっきの人、ミツキは精霊使いなのですよ。あの強さはたぶんフィーと同じくらい」
繋がれた手の感触に目を細めて、セルティリカは呟く。イザヤは目を見開いた。思わずセルティリカの顔をまじまじと見つめてしまう。
「本当ですか、あの少年がお嬢様と同じ最高位の精霊を従えているというのは?」
「本当なのです。イザヤも知ってると思いますが、ワタシの魔眼は精霊が見えるのです」
少し得意げに、ふふんと胸を張って、セルティリカは瞬きをした。
「アマミヤにも、お嬢様のフェニックスと同等の精霊がいる……。だから、あの少年は『アマミヤの兵器』と名乗ったのでしょうか」
「アマミヤの兵器? そんなことをミツキは言ったのですか?」
「はい。確かに纏う気配はそんな所がありましたが、詳しくはよく分かりません」
「……なるほどなのです」
「ですが、警戒はしておくべきです。オレも調べてみます」
セルティリカの口からあくびが漏れた。瞳はとろんとして、こてりとイザヤの肩に頭が乗る。疲れているのに気を張ったせいだろう。
「おやすみなさい、お嬢様」
まだ朝まで時間はある。イザヤはセルティリカをベッドに寝かせると、隣に座って目を閉じた。
***
次の日。
光希はセルティリカとイザヤについて天宮家当主に報告したのち、なぜか涼たちに紹介しろとの命令を賜わった。
理由については考えない。どうせ光希には関係のないことだ。だが、歳の近い霊能力者とともにいる方が2人にとっては良いのかもしれない。故郷から遠く離れた異国の地、さらに探していた天宮の姫はもういない。落ち込まずにはいられないだろう。
しばらく涼たちの顔を見ていない。ひっきりなしに任務に駆り出されていた、というのもそうだが、会わないようにしていたというのが正しい理由だった。
会ってももう自分は前の自分ではない。楓がいなくなってから何かが壊れたのは、知っていた。
「ミツキ、どこに行くのです?」
トコトコと可愛らしい歩みで後ろをついてくる薄薔薇色の髪の少女は、光希に問いかける。さらにセルティリカの後ろに控えているのは彼女の護衛、イザヤ。
「青波学園の跡地だ」
「セイハガクエン? 何ですか? 跡地、ということはもうないのですか?」
質問を連発するセルティリカに珍しく少しうんざりしてくるが、機械的に返事をする。無視しようものなら、イザヤに背後から刺されそうだ。
「青波学園は、少し前までこの地を守っていた五星結界の五つの起点の内のひとつだ。学園ごと破壊されて、もうただの更地だ。霊能力者たちの訓練場になっている」
「……なるほど、マゼルトリータ魔術学院と似たような仕組みだったのですね」
そうしてしばらく歩くと、目的地に辿り着く。多くの黒い戦闘服を纏った元生徒たちが行き交い、賑わっている。もうここに広大な敷地を誇った学校があったことは、言われても信じられないだろう。
視界に映る建物は簡易的な宿舎だ。木っ端微塵になった生徒たちの生活の場は急造された。その割には白い壁は丈夫そうで、住み心地も悪くはないはず。生徒たちも実家に戻るよりも、宿舎での生活が推奨されている。その上、学校のような役割もここにはあるのだ。実技中心の戦闘に特化した訓練、それを青波学園の教師が引き継いでいた。光希は天宮家の方で生活しているので訓練は受けたことがないが、涼たちは出ているのだろう。
「うわぁ、すごいのです! 人がたくさんなのです! みなさん、カッコいいのですよ!」
敷地に入るなり、セルティリカはアクアマリンの瞳を丸くして感嘆の声を上げている。イザヤも興味深げに深緑の瞳をしきりに周囲に向けていた。
「こんな風に霊能力者の方は訓練をするんですね。オレたちのいた場所とは違う……」
光希は涼たちを探そうともせずに適当に足を動かす。こちらから何もしなくても勝手に見つけてくれるはずだ。何しろ、ここにいるのはキョロキョロと小動物じみた動きをする西洋の可愛らしいお人形さんが1名、立ち姿の麗しい金髪イケメン護衛が1名、さらにただでさえ名前と顔が知られている光希。これでもかとばかりに目立ちまくっているのだから、見つけられないわけがない。
「あ、光希!」
振り返ると、ぶんぶんと手がちぎれそうなくらいに手を振る夕姫の姿があった。光希は無表情で軽く手を振り返した。本当は笑おうとしたのだが、頬がぴくりと引きつっただけで不発に終わってしまった。しかし、夕姫は顔を輝かせて隣の涼にしきりに話しかける。
「ね、見た見た? 光希が私に手、振ってくれたよ! いいでしょー」
「いいなぁ、僕もやろうかな」
と聞こえて、にこにこしながら涼が手を振ってくる。……とりあえず光希は手を下ろしておいた。涼がなんとなく肩を落とし、仁美と夕馬はそれを見て苦笑いを浮かべる。
「何かあったのですか?」
「私たちも混ぜていただけませんこと?」
なぜかカレンと亜美まで夕姫たちについてきて、賑やかな面々が固まる。そのまま訓練場のど真ん中にいるのも邪魔になるので、脇に移動した。
「ででで! 何かあったの?」
セルティリカとイザヤをまじまじと見つめながら夕姫は尋ねる。
「天宮家御当主様から、この2人を紹介するようにと仰せつかった。こっちが──」
「──セルティリカ・ローゼ・ライフェルノなのです。マゼルトリータから、いえ、英国の方から来たのです。よろしくなのです」
セルティリカは優雅にスカートの裾をつまんでお辞儀を披露する。しずく型の澄んだ水色の石がしゃらんと前髪の上で揺れた。
「オレはイザヤ・ステオラシアです。お嬢様の護衛をしています。よろしくお願いします、皆さん」
続いてイザヤが胸に手を当てて綺麗な礼をする。次に頭を上げた時、深緑の瞳はなぜかカレンの方を向いていた。カレンの身体が一瞬硬直する。
「あ、亜美様。私、少し用事を思い出しましたので、外させてもらいます」
脱兎のごとく駆け出してしまった姿に一瞬ポカンとして、それから亜美は走り出す。
「カレン!? 待ちなさいーっ! 何かありましたのっ!?」
 




