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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第8章〜紅蓮の魔女〜

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来訪者

「任務は無事完了しました」


 光希は単調な声で報告する。床に膝を着いた状態では自分のコートと床の色しか見えず、自分を見下ろしているはずの老人の表情を知る術はない。


 季節は冬。雪は積もってはいないものの、冷たい空気は足元に溜まる。普通なら悴んでもおかしくはないだろうが、光希にはその感覚さえもおぼろげだった。


「ご苦労。しばらく任務は無い。きちんと休養するように」


「はい」


 答えるが、安らぎなどどうせ訪れない。灰色の世界で生きるのは、ただ泥水の中でもがくのと同じだ。


 光希が立ち上がろうとした時、ドンッと地面が大きく揺れた。


 老人の眉が微かに額の中央に寄る。しわの刻まれた顔が光希を見た。鋭く尖った視線は光希の虚ろな瞳を射抜く。


「……見てきなさい」


 それは命令だった。了解しました、という短い返答の後、軽く天宮家当主に頭を下げる。そして光希は煙が立ち昇っている天宮本家の外れに向かった。廊下を行くよりも外から迂回した方が速いと即座に判断し、縁側から降りて靴を履く。


「光希くんっ」


 屋敷伝いに走り出そうとした光希を女の声が引き留める。光希は煙の方向から走ってきた女を無表情で見た。


「何か用ですか、藤峰さん」


 感情を忘れて冷え切った声にも動じず、天宮家に仕える藤峰良子は顔を引き締めた。


 天宮楓が死んだ、という話を聞いた時、良子は絶望を瞳に浮かべて泣き崩れた。光希の目にもその顔は焼き付いている。なぜならば、良子に天宮楓の死を伝えたのは他ならぬ光希だったからだ。そして楓の死をまだ受け入れていないのだろう。光希はもう……いや、そんな感情は忘れた。


 一瞬の回想を止め、光希は今の良子に意識を向ける。荒い息をしているのはあの煙の立ち昇る現場から駆けてきたからだろうが、何か重大な事件でも起きたのだろうか。


「早く来てくれませんか。というか、その……。まあ、来てもらえばすぐに分かりますから」


 慌ただしい良子を追いかける形で向かったのは、裏庭の蔵だった。正確には伝統的な日本様式の蔵の残骸だ。空中に残っている霊力の濃度からして霊力の暴走によって吹き飛んだに違いない。


 そして、爆発の中心で倒れている人影が二つ。舞い上がった塵や灰でくすんではいるものの桃色よりも少し赤みの強い薄薔薇色の髪と金髪が見えた。


「女の子と男の子が倒れているんです。私が女の子を運びますから、光希くんは男の子の方をお願いできますか?」


 普段は敬称をつけて呼ばれるが、慌てているのか昔の呼び方のままだ。光希にはどうでもいいことなので、指摘はしない。そもそも指摘できる立場でもなかった。


「分かりました」


 軽く頷いて、光希は瓦礫の中に足を踏み入れる。散乱した石片が靴裏に刺さる。顔色を変えないまま、良子に続いて倒れた2人に近づいた。


 遠くからでも見て取れたが、日本人ではない。金髪に整った顔をした青年とあどけない顔立ちの少女の手は繋がれていた。良子がしゃがみ、優しい手つきで2人の手を解く。ピクリと少女の繊細なまつ毛が動いた気がした。


「ここの転移陣を使ったようですね。つまり2人は英国からの客人ということなのでしょうか? ……ともかく、運びましょう。ここは冷えますから」


 独り言のように呟かれた言葉は光希に向けたものだった。それを知りながら光希は言葉を返さない。静かに顎を動かして、ぐったりとしている青年を担ぎ上げた。隣の良子も少女を背負うのを確認すると、光希は歩き出す。


「部屋は一緒が良いですよね。見知らぬ土地で独りになるのは、とても心細いはずです」


 そう言った良子に従って2人を洋風の部屋のベッドに寝かせた後、光希はその見張りを命じられた。起きた時にパニックにならないように、という予防も兼ねて。


 壁際の椅子に座り目を閉じる。重い暗闇に引きずり込まれるような気がした。


 次に目を開けたのは、微かに誰かが動いた気配がした時だった。疲れが溜まっていたのかもしれない。くらくらする頭を動かし、光希は窓からこぼれる月の光に目を細める。


 鋭い視線が闇を切り裂いた。


「……君は誰ですか」


 凛とした声が響く。抜き身の銀の刃を向けられているようだった。丸い月のこぼす光は眩しくて、こちらを警戒して睨みつける青年の顔は青白く照らし出される。金色、というよりも星の色と呼んだ方がいいような色合いの髪が揺れた。深い緑色の瞳をさらに細め、青年は光希に答えを催促する。


「相川光希。天宮の兵器だ」


 簡潔に答えると、戸惑ったような気配が起こった。アイカワミツキ、とたどたどしく反芻した後、青年はゆっくりと頷いた。


「ミツキ、それが君の名前ですか?」


 確認のようだ。光希は軽く頷く。


「アマミヤの兵器、ということは、ここは本当にアマミヤの国なんですね?」


「ああ」


 青年の深緑の瞳に浮かぶ感情は安堵と、そしてひどく寒々しい何か。青年はそっと隣で眠る少女を見やった。今度瞳に浮かんだのは柔らかい感情だった。


「アマミヤの兵器とは何ですか?」


 光希は目を青年から逸らす。


「そのままの意味だ。俺は天宮の命じるまま戦う。……それだけだ」


 沈黙が帰ってきた。光希は逆に青年に問いかける。


「お前こそ何者だ?」


 青年は冷たく微笑む。


「オレの名前はイザヤ・ステオラシア。ここで寝ていらっしゃるお嬢様の護衛をしています。どうかよろしくお願いします、ミツキ」


 護衛。その言葉に無表情だった光希の顔はピクリと動く。そんな風に自分も言い張ったこともあったな、と。もはやそれは過去のことだ。この青年にも守るものがあって、譲れないものがある。そして光希は全てを失くした。ただそれだけ。


「……んんん」


 もぞり、と毛布のカタマリが動いた。次に薄薔薇色の髪がぴょこりと現れる。それから最後に小柄な少女の身体がころんと毛布から転がり出る。その瞬間、イザヤが放っていた冷気は嘘のように消え失せた。


「ふにゃ……ぁ、イザヤ? ここ、どこなのです?」


 寝ぼけ眼で目をこすり、とろんとしたアクアマリンの瞳が部屋を見回す。光希と目が合って、しゃぼん玉が弾けるように眠気が覚める。


「あなたは誰なのですか?」


 光希が答えようとする前に、イザヤが優しく少女に言う。


「彼はミツキです。ミツキ・アイカワ。アマミヤの方だそうですよ、お嬢様」


 少女は大きな宝石の瞳を見開く。彼女はベッドから滑り降り、自分の身嗜みだしなみをできるだけ整える。もっとも、良子が楽な服装に着替えさせていたため、白い寝巻き姿ではあったのだが。


「初めまして、ミツキ・アイカワ。ワタシはセルティリカ・ローゼ・ライフェルノ。マゼルトリータから来ました。以後お見知り置きを」


 ぶかぶかで余っていた服の裾をつまんで、少女は優雅にお辞儀をする。少女の額で澄んだ水色の宝石が月の光を帯びてきらりと光った。


 光希は頭の片隅で少し思い出す。『崩壊』後の世界で生き残ったのは、霊力が発達していた日本の辺りと英国の辺りだっただろうか。そして、英国の方では魔術学院を中心とした“学院国家”のような形で人々は暮らしているのだとか。交流はほぼ無いも同然なので、光希もぼんやりとしか覚えていなかった。


「……あの、ワタシ、挨拶したのです。返事、聞いてないのです」


 さっきまでの優雅な所作はどこへやら、セルティリカはむすっと頬を膨らませて光希を見上げていた。しょうがないので光希はぶっきらぼうに一言返す。


「よろしく」


「はいなのです!」


 単純に綺麗な瞳を輝かせて頷いてくれる所を見れば、とても素直な性格をしていることがよく分かる。しかしもちろん、光希の無表情は全く揺らがない。むしろいつもよりも無表情は固かった。……それはこの仲の良さそうな少女と青年の関係を知ったからだろう。


「早速、聞きたいことがあるのです。良いですか?」


 セルティリカは精一杯に瞳を見開く。真っ直ぐな視線に光希は目を逸らしたくなった。


「アマミヤの姫はどこにいますか?」


「……っ!」


 息が詰まる。止まる。呼吸機能がおかしくなる。その呼び方を、ここで。

 やめてほしい、聞かないでほしい、思い出させるな──。

 光希の瞳は色を失くす。唇を噛んだ。血の味が口の中に広がる。楓の身体から噴き出す鮮血が、満足そうに笑って崩れていく楓の姿が、頭を過ぎる。何度も何度も現れて、頭にこびりついて離れない記憶。


「その反応、知っているんですね?」


 イザヤの言葉は光希を貫く。本人がその気で無くとも、ただそれだけで光希を壊す。


「……天宮の姫はもういない」


 絞り出すように答えた。セルティリカの瞳に動揺が走る。


「それはどういうこと、なのです?」


「天宮はもういない。天宮は死んだんだ」


 虚ろな言葉を光希は紡ぐ。深緑の視線とアクアマリンの視線に耐えきれなくなって、逃げるように光希は部屋を出た。それでずるずると壁に背を預けて座り込む。


 もう一度、会いたい。


 叶わないこと知りながら、願わずにはいられなかった。

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