紅蓮の炎
「どうして……っ!」
炎が爆ぜる音がする。全てを舐め尽くさんとする紅蓮の炎は、夜を異様な明るさで照らしていた。
肺が焼かれてしまいそうなほど熱い空気の中で発された問いに、白髪の少女は振り返る。白髪の端は明るい茶色、血のように紅い瞳をした彼女は冷たく微笑む。
「どうして、なのですかっ! ナツミっ!」
ナツミよりも少しだけ背の低い少女は、淡い薔薇色をした髪を顔から払い除けてナツミを睨んだ。
「ああ、そっか。まだ名乗ってなかったね、セルティリカ」
ナツミは氷のような声で言う。
「私の名前は、ラミア・ノイ・ドラキュリア。吸血種の王だよ。それを聞いてもまだ、同じ愚かな質問を繰り返す?」
セルティリカと呼ばれた少女は声を詰まらせる。
「……初めから、そのためにここにいたのですね。でも、ヴァンパイアなら日光の下で活動はできないはずなのです!」
「うん。だって私は半分だけの吸血鬼。人間と同じ活動ができるのは、当然のことだよ」
「ハーフヴァンパイア……っ!」
小さな悲鳴のように言葉は響く。
「お嬢様、逃げますよ。オレたちに勝ち目はありません」
セルティリカの後ろに立っていた金髪の青年は音もなく前に出ると、小柄な主を軽々と抱き上げて走り出す。セルティリカは従者の身体にぎゅっとしがみついた。
「追って来てますか、イザヤ?」
イザヤは深緑の瞳を炎に包まれつつある背後を向ける。
「いえ。殺すつもりなら、お嬢様もオレも既に殺されているはずです。まさか、王が直々に出て来るとは思いませんでした」
「そうなのです。内部から結界を破壊しに来るなんて、反則なのです!」
むすっと頰を膨らませ、憤慨する。年相応の少女の姿にイザヤは、こんな状況でも思わず柔らかい笑みをこぼした。
「はい、その通りです。お嬢様。スピードを上げますから、しっかりオレに捕まっててください」
「分かったのです。絶対に離しません」
セルティリカは信頼をアクアマリン色の瞳に浮かべ、しがみつく力を少しだけ強める。火の手はすぐ後ろまで迫っていた。少女を抱いた背の高い青年の影が燃え落ちる学院の廊下を駆け抜けていく。
青年はセルティリカを抱く力を強め、無詠唱で術式を窓に向けて撃った。ガラスがフレーム諸共に吹き飛ぶ音が鼓膜を震わす。
「飛びますよっ!」
「はい!」
セルティリカが弾むような返事をした直後、青年は夜の中に飛び出した。月の光が目に入る。青年は減速術式でスピードを殺して静かに着地すると、セルティリカをそっと下ろした。
「ありがとです、イザヤ」
はにかんだ笑顔を見せたセルティリカだったが、目の前に姿を現した女を見て表情を引き締めた。
「……お母様。吸血鬼の王が学院に潜んでました。今代の王は、ハーフヴァンパイアなのです」
深い薔薇色をした髪の女は、視線を娘から燃える学院に移した。暗がりで何色か判別できないドレスの裾が揺れ、女はセルティリカと後ろに控えるイザヤに近づく。普段は柔らかい表情しか浮かべることのない顔の緊張に、セルティリカは不安を覚えた。
「会ったのですね? 吸血鬼の王と」
コクリと頷く。
「……無事で良かった。ありがとう、イザヤ」
「いえ。お嬢様をお守りするのがオレの義務ですから」
首を軽くイザヤは振った。女は真っ直ぐセルティリカの瞳を捉える。その顔には覚悟があった。
「2人に頼みがあります。マゼルトリータを護る結界は既に壊された。霊脈も狂い、いずれ移動術式も機能しなくなるでしょう。屋敷の地下の移動術式でアマミヤの国に行きなさい。アマミヤには『姫』がいる。姫ならば、この世界を変えられるかもしれない。本来なら結界の力を借りる術式ですが、2人の魔力ならギリギリ起動させられるはずです。一度だけの移動手段ですが、2人なら大丈夫ですよ。イザヤ、セルティリカを頼みます」
早口で述べられる言葉にセルティリカは反応を返せない。
「分かりました。オレの命に代えても、お嬢様はお守り致します」
膝を地面に着けてイザヤは頭を垂れた。女は満足そうに笑う。何か言わなければ、そう思って慌ててセルティリカは口を開いた。
「お、お母様は!? どうされるのですか?」
「私はここに残ります。ライフェルノ家としての責務を果たします」
「なら、私も! 私もSランクの精霊術師なのです! イザヤだって……!」
ゆっくりと女の手が動いた。淡い薔薇色の髪を撫でる。
「簡単に滅びるほど、人間は弱くありませんよ。なら、私は世界を救える可能性を取る。誰も無駄死にさせたくないでしょう? 私があなたに託したものの大きさは、賢い私の娘なら分かるはずですよ」
そう言われては、もう何も言えない。セルティリカは顎を引いた。アクアマリンの瞳に強い光を浮かべる。
「分かりました、お母様。必ず、アマミヤの姫を探し出し、全てを救ってみせます」
「ええ。行きなさい、セルティリカ、イザヤ」
セルティリカはイザヤと目を合わせる。イザヤは何も言わずとも彼女の意図を理解し、小柄な少女を抱き上げる。
セルティリカが走るよりも、イザヤの方がずっと速い。本当は負担は掛けたくはないのだが、そんなワガママは言っていられない。イザヤにはそんな葛藤もすっかり見透かされて、その目は心配しなくて良いと語っていた。
「行きましょう、お嬢様」
「はい、イザヤ」
駆け出した影は闇に溶ける。セルティリカは従者の腕の中で身体を強張らせていた。任されたものと、残していかなければならないものの重みを自覚したのだ。
「お嬢様、」
屋敷に向かう途中、イザヤが張り詰めた声を発する。その理由はセルティリカにも分かっていた。
「吸血鬼なのです。フィーっ! 蹴散らすのです!」
セルティリカは両手の塞がったイザヤの代わりに、契約した精霊の名を呼ぶ。
『分かりました。望みに応えましょう』
そう念話が返ってくる。炎のような紅い粒子が鳥を形作る。
目の前から真っ直ぐ飛び込んでくる吸血鬼と紅蓮の鳥は交差した。吸血鬼は燃え上がる。不死者である吸血鬼もセルティリカの精霊の炎の前には無力だ。
そうしてセルティリカは立ち塞がる吸血鬼を全て焼き尽くす。最高位の精霊と契約をしたSランク精霊術師、それが『紅蓮の魔女』と呼ばれるセルティリカ・ローゼ・ライフェルノだ。
人気のない屋敷に駆け込み、そのまま2人で歩いて地下を目指す。明かりはフィーの炎に頼り、冷たい地下室を駆け抜けた先に目的のものはあった。
「ありました。魔力を注げば発動するはずです。準備は良いですか?」
「イザヤとなら、大丈夫なのですよ」
セルティリカは手を伸ばす。イザヤはその手をそっと包み込んだ。
2人は霊力を解放する。強い光が視界を奪う。セルティリカは大量の霊力が流れ出す感覚と共に意識を手放した。
***
「ラミア様、ライフェルノの屋敷に放った同胞を突破した人間がおります」
紅い瞳の男は白のマントをなびかせ、燃え落ちるマゼルトリータ魔術学院を眺める少女に報告する。
「そう。別に構わないよ。私たちの目的は既に果たされた。ここにいる必要はもう無い。引き上げるよ、私はハルト様にご報告に行かなければいけない」
「は、御意に……我らが王よ」
男の姿が掻き消えた。屋根から飛び降りたのだった。屋根の上に一人取り残された吸血種の女王は、悲哀の色を紅い瞳に浮かべる。
「……ごめん、セルティリカ」
ラミアはそして、屋根の上から姿を消した。
新章突入です。
イザヤの名前は初出しではありません。もし良ければ探してみてください。




