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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第7章〜五星の破砕音〜

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願いの果て

 楓は刀を握る手に力を込めた。夕姫たちの気配はあっという間に遠ざかり、この荒れ果てた地に立っているのは楓とあの黒い人影のみ。


 その人は、前に遊園地で出会ったあの少年のような、そして百足女といた鬼の少女のような、そんな雰囲気を纏っている。さらに、楓が苦戦していた魔獣をたった一閃で倒してのけた。


 楓が実力に劣るのは明白な事実だった。


 ぶるりと身体が震える。恐怖からのではなく、これは武者震いだ。全力を出し切って、それでも届かない相手。アレだけは絶対に夕姫たちの場所まで辿り着かせてはいけない。その時点で全てが終わる。楓の本能はそう告げていた。


 伝い落ちる冷たい汗を感じながら、楓は決意を胸に刻む。


 ここだけは絶対に通さない。

 たとえ、ここが最期の場所になるとしても。


 楓は刀の鞘を捨てた。からん、と軽い音が響く。そしてそれが戦いの開始を告げる合図になった。


 黒い着物のような不思議な服装をした影の姿は霞む。楓は刀を構え、感覚を最大限に研ぎ澄ます。頭上から気配を感じたと同時に楓の刀は跳ね上がり、振り下ろされる刃を受け止めた。


「ぐっ……」


 攻撃の重さが楓の膝を震わせる。歯を食いしばり、無理やり振るう。布で顔を隠した相手は軽やかに距離を一旦離すと、再び間髪入れずに走り出す。


 楓は攻撃を受けるばかりでは勝機が無いと判断し、真っ直ぐ敵に向かって駆け出した。耳元で冷たい風が唸り、ポニーテールがたなびく。


「はあああっ!」


 叫び声と共に刀を一閃させた。それは敵の首元に巻かれた黒いスカーフの端を断つ。ほぼ同時に放たれた攻撃は楓の髪の毛を一房、さらっていった。


「お前は何者だっ!」


 刀を振るう手は一切止めることなく問いかける。


「……」


 黒い敵は何も答えず、淡々とした動作のまま楓を追い詰めていく。楓の頰から赤い血が散った。首を捻っていなかったら、血管を、いや、首自体を持っていかれていたかもしれない。


 それでも、生きて帰ることを完全に諦めたわけではない。光希とした約束を守る為に……。


 楓の瞳は金色を帯びる。世界から色が消えていく。時間はゆっくりと流れ始め、感覚はさらに鋭敏になる。


 金色の瞳をした黒髪の少女はフッと息を吐いた。意識は既に戦闘に特化し、身体の能力は上がる。これが、楓の全身全霊、全力だ。


 楓の纏う空気の変化を感じ取り、黒い人は日本刀を構え直す。無駄の一切ない流麗な立ち姿にはもちろん隙などどこにもない。


 もう一度、楓は息を吸って吐いた。


 金色の瞳は真っ直ぐに倒すべき相手を見つめる。黒布で隠された先の瞳と目が合ったような気がした。


 相手の音のない踏み込みで、間合いが一気に縮まる。楓は足を動かさずに迎え撃つ。


 ぎぃん、と金属同士がぶつかり合い、火花が散った。


 楓は足を引き、滑り込むようにして相手の首を狙う。


 手加減などできない。狙うのは、相手を殺すことのみだ。


 ギリギリで敵は頭をずらして斬撃を避けた。だが、代わりに顔を隠していた布が風に乗って飛ぶ。


 白髪が揺れた。紫色の美しい瞳が楓の金色の瞳を覗き込んだ。


 ――鬼。


 楓の本能は彼の正体を鬼だと告げる。紫眼はあの時の鬼の少女と同じ……。


 端正な顔立ちをした少年は、顔が暴かれたことにも無表情で戦闘を続けた。


 血が散る。


 今度は楓の腕だ。鋭い痛みを無視し、楓はさらに前へと踏み込む。ゼロ距離から刀を突き出すが、白髪紫眼の少年は刀を手放して回避する。刀まだ宙にある内にその手は柄を掴み、楓の懐に潜り込んだ。


「っ!」


 少年の心臓に向かう刀の軌道を力任せに捻じ曲げ、つばで刃を逸らす。が、放たれる蹴りを防御する術を楓は持たなかった。


「ぐぁっ!」


 地面に叩きつけられ、肺から息が抜ける。だが、まだ終わるわけにはいかない。


 あと少し。あと少しなのだ。

 夕姫たちが術式を完成させるまで、あと少し。楓が倒れて良いのはその後だ。


 力を失いかけた足を叱咤する。震えながら、それでも立ち上がる。


 紫眼が意外だとばかりに微かに見開かれた。楓は刀を掴み、斬りかかる。


 人の認識を超える速さでの戦いが始まった。刃を交えていることを伝えているのは、空気を揺らす衝撃と荒々しい金属音。


「お前の目的は何だっ! なぜボクらを狙う! なぜ、人間を殺すっ!?」


 叫ぶ。少年は後ろに跳んで距離を離した。


「僕の目的は、天宮楓」


 感情の薄い声で少年は呟く。


「天宮楓を殺すことのみ。その他の人間に興味はない」


 驚きが楓の顔を彩った。しかし、それは一瞬のこと。その言葉に楓は安堵の息を吐き出した。


 楓の中で、()()()()()という選択肢が切り捨てられる。ならば、ここで楓が選ぶのは、この鬼の少年を道連れにすることだけだ。


 とうに覚悟はできている。


 今度こそ、楓の金色の目は凪いで静かになった。震える足に力を入れる。そして、強く強く地面を蹴った。


「ああああっ!」


 激しい衝撃が楓と少年を襲う。ほんの僅かに少年の身体が下に押し込まれる。楓は力を抜き、後ろに跳ぶ。下から襲ってきた斬撃をそれで避けると上段から刀を振り下ろす。2人は離れて、また刃を交える。楓の髪を結えていた紐が千切れた。長い髪が広がる。


 身体のあちこちはもう傷だらけだ。少年の黒い服も破け、白い頬に一瞬血が伝い、傷は消える。


 何かがおかしい。


 少年の傷が消えるのを見て楓は思った。


 楓の傷は一切治っていない。


 疑問を頭から追い出す。そんなことはどうでもいい。動けるなら、戦えるなら、それで良い。


 ふと、少年の眼を見た。ぼう、と紫眼が怪しい光を放つ。楓の身体が感覚を失くした。瞬きするほどの短い時間だった。だが、同時にそれは致命的な時間になる。


 少年の刃が真っ直ぐとこちらに向かってくる。楓は寸前で刀を間に合わせ、受け止める。


 とどめを刺しに来ているのだ。ここで、楓が力負けすれば終わり。


 静止しているように見える2人の刀は凄まじい力でぶつかり合う。


 ピシッ、と終わりの音は楓の刀から響いた。


 楓は目を見開く。赤みがかった楓の霊剣は砕け散る。


「がっ……!」


 砕けた刀を越え、少年の握る刃が楓の胸を貫いた。目を合わせた少年の瞳は恐ろしいほど静かだった。


 完全に刀は楓の胸を貫通している。間違いなく、この傷は致命傷だ。





 ああ、やっと気がついた。


 天宮楓が強くなりたかった本当の理由。それは誰かに認めてもらう為などではない。


 ただ、誰かを守って死にたかった故に求めた強さだったのだ。


 楓には何の力もない。天宮の名を持つ『無能』それが楓だ。代わりにバケモノのような身体があって、誰も側にいようとはしてくれなかった。


 何をしても、何を頑張っても、誰かが自分を認めてくれることなどあり得ない。初めから、気づいていた。


 それでも、楓は自分を騙した。まだ、希望はある、きっと誰かが認めてくれるはずだ、と。その期待もいつか裏切られて、楓には何も残らなかった。


 だから望んだ。


 何もできない自分だから。

 何の意味も為せない自分だから。


 せめて、誰かを守って死んで、誰かに憶えていて欲しかった。


 昔、自分を救ってくれた人がいたなあ、とそれくらいの記憶で良かったから。


 ああ、でも――。


 壊れたボロボロの校舎の跡地に思う。


 青波学園に入ってから、変わった。友達ができて、護衛なんて御免だが、護衛も2人できた。『無能』の自分を認めてもらえた。


 何よりも、自分が変わった。光希に会って、憧れて。自分には無いものを持つ光希は誰よりも何よりも眩しかった。


 もう独りじゃないと、教えてもらったから。


 その居場所を守りたい。楓が帰る場所で無くても、幸せを知った初めての場所を。


 そう、バケモノの『無能』には身の丈以上の幸せをもらった。生きる意味を知った。うん、天宮楓は幸せだ。


 だからこそ、この命はここで棄てる価値がある。


 ――初めから、それが望みだったじゃないか。


 なのにどうして、少しだけ嫌なのだろう。


 口から血を吐き出す。刀が胸から引き抜かれる。感覚が消えつつある身体が地面に向かって崩れていく。


「天宮ーっ!」


 聞こえるはずの無い声を聴いた。


 少し、思い出す。


 約束をしたな、と。


 怪我をしないで無事に帰ってくる、だっただろうか。


 ごめん、約束は守れそうにないや。


 心の中で謝る。微かな後悔が胸を刺した。


 あの言葉の続きを聞きたかった。

 叶うことなら、もう少し側に居たかった。


 もしも、光希が側にいるのなら、なんて言おうか。




 ただ一言、


 ……ありがとう、と。




 楓の意識は途切れ、沈黙が訪れる。直後、閃光が全てを吹き飛ばした。

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