タイムリミット
慌てて教えられた場所に向かった楓と光希は、忙しく指示を飛ばしている天宮清治の姿を見つけた。その隣で緊張感を滲ませた顔をしているのは神林空で、清治のサポートに徹していた。
「会長!」
楓は駆け寄りながら声を出す。振り返った清治は目を見張るような反応速度で吠える。
「遅いっ! が、説教は後だ。時間が惜しい。……そうか、天宮楓は今日退院だったな。なら、現在の状況から説明しよう」
未知の危機に曝されているせいか、清治の情報処理能力が飛躍的な進化を遂げている。一を聞いて十を知る、といったところか。少し感心して、楓は話に耳を傾けた。
「まず、現在、戦える生徒は全員魔獣狩りにあたっている。ただその中に4体、Aランク越えの魔獣が紛れて戦線に投入された」
魔獣にもランクはあり、Aランクの戦闘能力を持つ人間が隊列を組んで倒せる魔獣がAランクに相当する。つまり、ほとんどの生徒、教員では対応しきれない。
「投入された、ということは、誰かが意図したということですよね?」
光希が鋭く質問する。清治は満足げに眉を動かし、頷いた。
「ああ。この破壊と魔獣の出現には極めて関係性が強いと私は見ている。何故なら、あまりにもタイミングが良すぎるからだ。初めから何らかの目的を持って青波学園の破壊は計画されていた、そう考えるのが一番妥当だ。まあ、そこまでは誰でも考え付く」
問題は、と清治は顔をしかめ、珍しく話すことを躊躇う素振りを見せた。遠慮など程遠い人間だと思っていたが……、いや、それ以上の何かがあるのかもしれない。
「五星の要である青波学園はそう簡単には落ちない。魔族や妖族だとしても同様だ。破壊に必要な最低条件は、この結界、つまり稀代の天才でいらっしゃった天宮桜様によって組まれた術式を理解し尽くしていることなのだよ」
楓と光希は息を呑んだ。
それなら、この状況は……。
「……そうだ。天宮に近しい霊能力者の中に五星の崩壊を望んでいる者がいる、そういうことだ。まだ天宮から援護が来ていないのも、それが理由かもしれん」
「裏切り、ですか」
楓は否定してほしいと願いながら問いかける。清治の疲労を浮かべる瞳は揺らがない。
「そう、裏切りだ。……そして、私の中で候補に上がったのは1人。もちろん確証はない。だが、限りなく黒に近いグレーだ」
「誰ですか?」
光希が身を僅かに乗り出した。強い眼光が清治に注がれる。
「……下田木葉」
スッと周りの空気の温度が下がった気がした。
「木葉が……? いや、でも、木葉は、天宮に仕える霊能力者で、よく分からない所が多くて、それで……」
木葉を擁護しようとする無意識の抵抗のままに、楓の口から出て行く言葉は木葉への疑いを深めるものばかりだ。光希の顔にも驚きはあまり無いように見えた。確かに木葉が裏切っていたのなら全てに辻褄が合う、合ってしまう。
「……まあ、これはあくまでも例えばの話だ。証拠もない。だが、警戒しておくに越したことはない」
固まる2人を安心させるように清治はぶっきらぼうに言った。
「会長、魔獣が動き始めた! こちらに向かい始めてるよ。止めなければ、ここで背に怪我人を庇いながら戦うことになるかと!」
神林の術式で状況把握に努めていた空が叫ぶ。チッと舌打ちをした清治が顔を引き締め、楓と光希に向き直る。
「ーー」
口を開こうとしたその瞬間、携帯電話の音がけたたましく鳴り響いた。振動しているのは、清治の物と思しき端末だ。
「一体何なんだ! これ以上、処理案件が増えると私が崩壊するわっ!」
清治は怒りを叫び声に変え、乱暴に端末を握りしめる。
「ーーはい、天宮清治です」
叫びとは真逆の落ち着いた声で電話に出る姿が、楓には少しおかしかった。しかし、そうして呑気な気分は電話を受ける清治の顔が青ざめていくのと同時に冷めていく。
「……空っ! 周りの霊力の反応を確認しろ! 今すぐだ!」
端末を下ろすや否や清治は指示を出す。空は頷くと、目を閉じて神林の術式でパスを繋いでいるツバメに意識を飛ばす。
「確認したよ。霊力の揺らぎは五星崩壊の影響により激しいけど、術式の気配は……」
声が途切れる。再度、目を閉じてから開いた空の顔は蒼白だった。
「……まだ微かな揺らぎにすぎないけど、術式の気配が上空に存在する」
「佐藤の言った通りか……」
会話について行けなくなったので、楓はとにかく質問しにいく。
「どういうことですか?」
「さっきの電話は佐藤和宏からだったんだが……、佐藤は青波学園を狙う大規模術式が放たれる可能性があると示唆していた」
「上空の術式はまだどんなものか分からないけど、どの程度の規模か、先生は言ってた?」
清治が一瞬黙り込む。それは不吉な答えが返ってくることを物語る行動だった。
「敵は青波学園全域、霊脈ごと破壊する気だ」
「っ!?」
あまりの衝撃は楓、光希、そして空から言葉を奪った。
「そんなことって……」
「つまり、ここを離れないと危険だということですよね? 早く避難をしないといけないのでは?」
冷静さを失った光希は清治に立て続けに問いを投げかける。
「そんなことは分かっている。空、術式の展開速度はどうだ? これだけの広範囲を焼き尽くす術式ならば、時間がかかるはずだ」
「恐ろしいくらいの展開速度だよ。ただの霊能力者にこんな術式を組む能力はない。たぶん、ヒトじゃない」
「私が訊いているのは展開速度だ!」
「そうだね、ごめん。……予想展開時刻は、今から10分弱。いや、5分強ってところかな」
「5分強……、だと!?」
ばん、と清治が資料を広げていた簡易式の机を乱暴に叩く。パソコンが飛び跳ね、資料が地面に滑り落ちた。
「避難は絶望的……」
楓は黒々とした絶望の感情を噛みしめる。無意識に握りしめた手が痛かった。
「会長! 後はAランクオーバーだけだよ! ザコはほとんど狩り尽くした!」
舞奈と慧が瓦礫の向こうから走ってくる。遠くからでも分かる血の色が服や顔にこびりついていた。
「……どしたの? 会長ー? もしもーし?」
難しい顔のままで固まった清治の目の前で舞奈は手を振る。
「会長、何か良くないことが?」
慧は代わりに問いかける。
「……ああ、最悪だ。この学園全域を破壊する大規模術式の展開を確認した」
「は?」
舞奈がキョトンと目を見開く。
「う、う、ウソだよね? ね?」
「……」
「どうして黙り込むのー!」
まあまあ、と優しく慧が舞奈の肩を叩くと、舞奈は振り上げた両手をパタンと下ろした。
「展開予想は?」
「今から5分強だ」
冷静に状況把握に努めようとした慧もこの返事には口を開ける他なかった。
「避難が間に合わない……。それじゃ、どうすればーー」
呟きを手を叩く音が掻き消した。全員がその主に注目する。
「1年には、笹本の双子がいるよね? あの2人は笹本の秘術を使える」
空が口にした名前は、楓にも激しく聞き覚えがあった。
「笹本秘術……というと、アレだよね? 最大の守護の結界、確か……『絶界』」
「いける! ならば、春日井たちは生徒たちを校舎前の広場に集めろ! 笹本を探し出せ! そして、天宮楓、相川光希の2人は魔獣をギリギリまで押し留めてもらう。なんなら、潰してこい。最終防衛ラインをそこに設定する。5時23分までに離脱、後に校舎前に術式完成前に滑り込め!」
僅か30秒にも満たない時間で方針が定まる。楓と光希は視線を交わし、返事をする。
「「はい!」」
光希は楓の肩にポンと手を乗せた。
「俺は向こうの魔獣を足止めする」
「じゃあ、ボクはあっちだな!」
駆け出そうとする楓の耳に光希は囁く。
「……続き、後で言うから。だから絶対に大怪我なんかしないで帰ってこい」
ニコリと楓は大きな笑みを浮かべて力強く頷いた。
「うん。当たり前だ。相川も無事で帰って来いよ!」
ああ、と満足そうに光希は頷く。お互いに背を向け、違う方向へと走り出した。
楓は足に力を込めて、全力で駆ける。速く、魔獣を倒さないと。
一つに束ねられた黒髪がなびく。魔獣の姿を目視した楓は高く跳躍する。灰色の冷たい空に身体を躍らせ、耳元で響く風の音を感じる。暴れる髪の黒い残像を残して、刀を抜いた楓は重力に身を任せて力いっぱい斬撃を放つ。
がぁああああ……っ!
魔獣の爪が大きく弧を描く。楓の攻撃は魔獣の前脚の肉を抉っただけで、ぶつかった衝撃を相殺しきれずに楓の身体は宙を舞う。
「ぐっ……」
咄嗟に受け身を取り、地面を深く削りながら着地する。
「楓!」
夕姫の声が聞こえた。ハッとして振り返ると、この魔獣と今まで戦っていた様子の夕姫、夕馬、仁美の姿があった。
「夕姫! 笹本! 仁美! 夕姫たち、会長たちに呼ばれてるぞ!」
「私たち何かした?」
恐怖が夕姫の顔を過ぎった。楓は魔獣の攻撃を避け、再び刀で斬りつける。が、効果の程はいまひとつだ。
「……っ!」
魔獣の霊力のこもった一撃は楓の足をかすめていく。細い血の線が足に走った。
「この学校が大規模術式で狙われてるんだ! 2人なら、できるんだろ? みんなを守ることが」
「……『絶界』のことかな?」
魔獣の動きを警戒し、後ろを見ずに答える。
「そう! 早く! 校舎前に向かって! もう準備はできてる! もう時間が無いんだ!」
「ーー!?」
突然、魔獣の首がずれた。遅れてどす黒い血が壊れた噴水のように噴き上がる。おぞましい光景に楓たちはぐっと息を呑んだ。
ドサリと魔獣が倒れたその向こうに、黒い人影が一つ。恐ろしいまでの殺気を纏った黒い人は、真っ直ぐこちらに歩いてくる。
「……行け。夕姫、笹本、仁美、早く。もう時間が無い。全力で校舎前に走って」
背を向けた楓は鋭く言う。
「楓は? どうするの?」
仁美の不安そうな声がした。
「大丈夫、もう少しボクはここで粘る。絶対に間に合わせるから。さあ、早く。行けっ!」
弾かれたように走り出す音が聞こえ、楓はほっと安心する。刀を握り、ゆらりと人影と向き合う楓は呟く。
「ごめん。ここで、さよならだ」




