こわれるせかい
溜息がこぼれる。今日の授業は全て、上の空で受けていた気がする。
光希は意味もなく頭を軽く振ってみた。この胸の中でわだかまる感情が鎮まってくれることを期待して。
「光希、どしたの? なんか昨日から、元気ないんじゃないかな? 楓の退院日なのに」
涼が光希の机に寄りかかってそう言った。
「……なんでもない、本当に」
「うわー、すごく悩んでるね、それ。昨日、相川さんに会った時に何か言われたの?」
そういえば涼にはみのるに会いに行くことを言ったのだ。
「言えないんだ」
「え?」
ボソリとした声を聞き逃し、涼はキョトンとして目を少しだけ見開く。
「言えない。あいつに言われたことは、お前には言えない」
涼の目を見ずに光希は二度同じことを繰り返した。
「口止めされてるのかー、それは残念。でも、それってつまり、天宮家しか知り得ない情報を知らされた、そういうことだよね?」
「察しがいいな、相変わらず」
呆れ半分で苦笑する。涼は首を傾けて光希を見ると、嬉しそうに頷いた。
「そりゃあ僕は光希の親友だからね、少なくとも僕はそのつもりだから」
譲らないよ、と笑う涼が光希には眩しかった。
親友か……。
そんなこと、考えたこともなかった。幼なじみだった涼と夏美は光希にとって大事な人ではあったが、友達や親友という括りで考えてこなかったのだ。
「すまない、いつも」
「ん?」
わざと涼は光希が何に対して謝っているのか、分からないフリをした。その中に無言の、謝らなくていい、というメッセージが込められているのに気づかない光希でもない。
「……やっぱり、聞いてほしい、かもしれない。親父には言ってはいけないとも言われていないし」
「いいの?」
涼の顔が目に見えて明るくなる。普段はただニコニコしているだけのくせに、こういう時には本心をさらけ出す。狙ってやっているのか、どうなのか、とにかく少しずるいのだ。
ああ、と光希は頷いた。
「他の人には言わないでほしい。それだけ約束してくれ」
「もちろんだよ。任せて」
快い返事を聞き、光希は昨日のことを話し始める。陣内のこと、天宮家がやろうとしていること。
「……つまり、楓は、その……、20歳までくらいしか生きられないってこと?」
だがやはり、涼が激しいショックを受けて蒼白になったのは、天宮の『姫』の寿命の話だった。
「おそらくは」
感情の薄い声で光希は肯定する。涼は頭をくしゃくしゃとかき混ぜ、冷えた窓に頭をつけた。
「天宮の姫君は、長く生きられない……か。どこまでもこの世界は不平等にできてるんだね」
涼に釣られて光希は灰色の空を見た。
「持てる者と持たざる者。誰かは戦いたくても土俵に立てなくて、誰かは戦いたくないのに戦場に駆り出されて過酷な運命を背負わされる」
それを不平等と言わずして何と言うのだろうか。
「僕も、楓や光希の重荷を少しでも背負ってあげかった。そうすれば、2人が苦しむところも、見なくても済んだのかもしれないのに……」
涼がそんなことを思っていたとは、ずっと近くいても気がつかなかった。いや、知ろうとしなかったのだ。
「ありがとう、涼。話して正解だった」
良かった、と涼の顔に温かい笑みが浮かんだ。だが、その表情はふと薄れていく。代わりに問いを一つ投げかける。
「それで……、光希は楓に話すの?」
「どうすればいいか、分からないんだ。俺がもし本人だったら、知りたいとも思うし、知りたくないとも思う。天宮は、どっちだと思う?」
光希が楓に話すとしたら、それはもはや余命宣告と同じことになる。余命があと幾ばくもないと知った時、楓はどんな反応をするだろう。
言葉を失くす?
絶望に崩れ落ちる?
泣き出す?
それとも、憤りを見せる?
光希にはなぜか楓の反応を予想できる。
天宮楓はその運命も笑って受け入れるのだろう、と。
そして光希は、生きることをそうやって諦める楓を見たくはない。
「光希がそう思うなら、楓もきっとそうなんだと思うよ。だから、光希の好きな方でいいんじゃないかな? 僕はその選択を責めたりしない」
その言葉で、決めた。楓に話すのは陣内のことだけで良い。
余命の話はしたくない。
「楓の話?」
突然飛び込んできた夕姫の声に光希と涼は固まった。
「……あ、うん、そうだよ。楓の話」
涼は素早く表情を切り替え、夕姫に向かって微笑む。光希は遅れてただ頷く。
「今日、退院なんだって? もう3日目かー、楓と会えなくなってから」
軽い言葉面とは違い、夕姫は沈んだ気持ちを懸命に堪えていた。
この中で楓と面会を許されているのは、護衛である光希のみ。毒を受け、弱っている楓に安易に人を近づけないようにするために、出入りできるのは数人に絞られている。とはいえ、天宮家当主が直々に訪れるわけもないので、実質たった1人だけだ。
「光希が羨ましいよー。私もお見舞い行きたかったし、リンゴむいてあげたかったし」
クルクルと手を動かして、夕姫はリンゴの皮むきをする手振りをする。
「夕姫はリンゴを血塗れにするのがオチだろ。お前、料理、壊滅的にヘタだからなー」
「はあ? そ、そんなことないしー? いざとなれば、スクランブルエッグだって作れるんだから!」
後からやってきた夕馬の痛い指摘に、夕姫は苦し紛れに反論した。夕馬はかわいそうなものを見る目つきで言う。
「あー、あの黒い炭ね。ありゃ、食いもんじゃねぇ……ッフゴ!?」
「そのうるさい口を閉じろあほばかおたんこなすー!」
思いつく限りの罵詈雑言を並べ立てて夕姫は夕馬の頭をベシベシ叩く。夕馬は必死で頭を庇いながら、姉の暴力に耐える。
「やめろやめろやめろ! 俺バカになるぅー!?」
「最初からバカでしょ! 悪くはなっても良くはならないのだぁぁあ!」
と、ボカスカと物理的な喧嘩を始めた2人に、涼と光希は苦笑いをした。
「相変わらずだね、2人とも」
「ああ、見ていて飽きない」
そうしているうちに、休み時間はもう終わりに近づいていた。
「退院ってさ、何時なの?」
ふと、手を止めた夕姫が光希を見る。
「今日、学校が終わったら、俺が迎えに行くことになっている。それが……何か?」
「じゃあさ! じゃあさ! 退院祝いしようよ!」
目をキラキラと輝かせた夕姫は名案とばかりに大きな笑みを浮かべた。期待に満ちた邪気のない瞳を見れば、反対する気も起こらない。
「いいね、それ。僕は賛成ー」
真っ先に涼が賛成してから、10秒後にはすでに計画は始動していた。
「どこでやるのがいいんだろうなー?」
「食堂?」
「うーん、意外と外もありかもしれないね。少し寒いかもしれないけど……」
「テラスはどうだ? 見晴らしもいいし、人も少ないだろう」
光希の提案に、夕姫が大きく頷いた。
「テラスにしよ!」
おやつも買ってこなきゃいけないしー、ジュースもいるでしょー、ゲームとかもいるかなー、と夕姫はやりたいことを指折り数えて緩んだ顔をする。その様子を微笑ましげに見た涼の隣に黒いカラスが舞い降りた。
「ヨル?」
カァカァ、と何かを訴えるように窓をつつく。ヨルから伝わってきたのは、強い不安だった。
「どうした? 涼」
突然現れたヨルと、怪訝な表情を浮かべる涼に光希は異変を感じ取る。
「僕にも、分からなーっ!」
ずん、という下から響く音とともに視界がブレる。
揺れが地面を揺らしたような気がした。
***
『ねぇ、コノハ、ここがコウチョウ室で良かったー?』
黒いローブで顔と身体を隠した人影は、茶色の扉の前でそんな問いを発した。確かにそこに存在しているはずが、存在感は異常に希薄だ。じっと見ていれば身体に壊れかけたテレビ画面のようにノイズが走っていることに気がつくかもしれない。
『ええ。校長がこの学園の守護術式に関わっているわ。ハルト様からの御加護はどうかしら? 上手く働いている?』
ここにはいない木葉の声が人影に訊く。
『うん、もちろんー。あのお方の術式を疑うなんて命知らずなこと、ぼくはしないもんねー』
軽い言葉に木葉がどこかでクスリと笑う。
『んじゃ、ぼくの仕事はコウチョウを殺して色々訊くことだよね。あとは……、ここの霊脈を狂わせればいいんでしょー?』
『ええ、任せたわ』
人影は校長室、教室棟からは離れた場所の事務手続き等を行う建物に入っている、のドアを押し倒した。開けるのではなく、破壊して。
「な、なんだ!? なんだ貴様は!?」
執務机で書類を片付ける校長は顔を真っ青に変えつつも、術式を展開して反撃の準備を整える。
「『雷電幻火』っ」
鋭い紫電の矢が四方八方から人影を穿つ。いくら毎日書類仕事に追われているとはいえ、霊能力者としての実力は健在だった。
だが――。
「うーん、イマイチかなぁー。キミほんとに弱いね。ぼくが来て正解だったよ。ぼく以外だったら、色々訊く前に死んじゃってたよ?」
紫電を虫ケラの抵抗としか人影は捉えない。無論、彼には傷一つついていなかった。校長は青い顔をさらに青ざめさせて、真っ白になる。
「……な、な、な、何が望みだ?」
人影はフードの下でニヤリと笑った。
「ここを守る結界と障壁について、洗いざらい教えてほしいなぁ」
「そ、それはできん」
その言葉は、追い詰められた彼にとって最大で最後の抵抗になった。
「そっかぁ、それは残念だよー。じゃあ、頭の中、覗かせてねー」
「!?」
黒いナイフが放たれる。簡素な造りの真っ黒な刃が、男の肩に突き刺さる。無音の苦悶の叫びを上げて腰を抜かした男の頭を、人影は鷲掴みにした。
「ぎゃぁあああっ!」
脳内を弄られる痛みに絶叫する人間に、人影は顔をしかめる。
「……ふむふむ、コノハの予想は正しかったわけだ」
情報を読み取り、空っぽになった頭を離す。ゴトッと傾いだ頭は絨毯に落ち、身体も同時に崩れた。その死骸を人影は一瞥し、呟く。
「あーあ、もう壊れちゃったのかぁ。つまんないなぁ、ニンゲンは。弱すぎるし、脆すぎるし、ほんと、どうしてこんな種族が生き残ってるのかなぁ?」
『情報の解析は完了したわ。校舎全体の術式解除にはあと1時間くらい必要だけど、その事務棟くらいは壊しても良いわよ』
魔力を介して繋げたパスから流した情報は、木葉の元にきちんと届いたらしい。楽しそうな許可もいただけたことだしやってみるか、と満面の笑みを人影は浮かべた。
「じゃ、サヨナラ」
事務棟を出た人影の真後ろで、あらゆる光を吸い込む黒球が生まれる。
程なくして、地面を揺さぶる衝撃と共に、跡形もなく建物は消失した。




