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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第7章〜五星の破砕音〜

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この気持ちに名前をつけるということ

 白い病室。広い部屋の窓際にあるベッドの上で眠るのは楓。真っ赤に頰を火照らせ、苦しそうに顔を歪めて荒い息をしている。


「確かに、毒の症状ね。消えるまで天宮さんはピンピンしていたんでしょう? そして、ひょっこり帰ってきたと思えば、毒かも、と言って倒れた、と」


 ベッドの横で楓の頰と額に手を当て、鳩羽真紀は光希に確認を取る。


「……はい。俺がいながら、見失いました」


 感情を押し殺して淡々と答えた。膝の上で拳を握る。


 まさかあんな人の多いところで狙われるとは……。


 予想外だった。だが、それを楓を守れなかった理由にはできない。完全に光希の落度だった。


 ふう、と真紀は息を深く吐く。


「そんなに自分を責めなくてもいいわ。誰も予想できなかったことだし、それに数日で天宮さんは元気になるわよ」


「そうですか」


 安堵と色々なものが混ざった声。前はこんな短い言葉に感情を滲ませることなんてなかった。感情を殺すのは必要な技術で、兵器である自分に感情はいらなかった。


 いつから――。


 自問しかけて、それよりも先に答えが出る。そっと眠る少女に視線を移した。


 天宮楓に出会ってからだ。


 とても強い少女に出会って、楓がその強さを少し失ったように光希は感情を殺すことが下手になった。


 単純そうで、まるで単純ではない不思議な少女。彼女は誰よりも強くて、暗い孤独を抱えてたった一人で戦ってきたのだ。


 その痛みも苦しみも、光希にはわからない。

 決して同じようには感じることはできない。


 だけど、側にいたい。


 天宮に仕組まれた感情でも、光希の中ではとっくにそれは真実だった。


「相川くん」


 ハッとして顔を上げる。真紀はセミロングの髪を揺らして微笑んだ。


「私、もう行きますね。()()()お見舞いもほどほどに」


 台詞の後半に妙に力がこもっていて、最後に星マークがついていそうな語尾の抑揚だった。


「っ!?」


 思わぬ台詞になぜか激しく動揺する。戸惑ったまま彫像と化した光希に意味ありげにウインクした真紀は、静かに病室から出ていった。


 人の気配が一つ消え、部屋の静けさが身に染みる。


 彼女か……。

 そんな関係ではないのに。


 天宮楓と相川光希の関係は、あくまで護衛と護衛対象だ。それ以上でもそれ以下でもない。


 ……それ以上を望む資格は光希にはないのだから。


 楓の額に触れようとしていた手を抑える。はぁ、と溜息が溢れた。


 自分では楓の隣に立つことはできない。楓は天宮の大事な姫で、光希は従者ですらない兵器。


 近くなればなるほど、その超えられない身分の差が辛くなる。


 側に、いたいのに。守りたいのに。


 いつもこの手は届かなくて、楓はいつも傷ついて。


 こんな仮定をしても意味はないが、もしも楓が特殊な能力を持っていなければ既に、自分の前で楓は……。


 不吉な妄想を頭を振って振り払う。


 自分は兵器、使い捨ての道具だ、と自分自身に言い聞かせる。少しでも、姫の特別になれると錯覚してしまわないように。


 だからこの気持ちに名前を付けては……。






 ***


「……ん、」


 楓は重たい瞼を持ち上げた。まだ、熱と倦怠感は残っている。もう少し寝ていなければならないのだろうが、起きてしまったものは仕方がない。


 眠気が来るまでぼうっとしていよう。


 月明かりが暗い病室に降り注いでいる。窓は閉まっているから風は感じられないが、外に見える木々が揺れていた。


 シーツの上で手を動かす。


 ……髪の毛?


 自分のではない黒髪に触れた。もう少し手を動かすと、温かい体温があって肌がある。


 そっと、視線を落としてみた。


 背もたれのない椅子に座り、ベッドに頭を乗せて少年が眠っている。


 ハッとして窓際の小さな置き時計を見て時刻を確認する。真夜中の1時を回っていた。


 まさか、ずっとここで……?


 そう思った途端、熱が上がったような感覚に襲われた。ぶんぶんと頭を乱暴に振り回し、心を落ち着ける。


 落ち着け自分。


 すうはあ、と息を吸ったり吐いたりして心に湧き上がった感情を忘れていく。


 光希は本来なら、楓の側にいてはいけない人だ。もっと、霊能力者といるべきなのだ。

 護衛に縛りつけておくには勿体なさすぎる。


 ……あくまで、側にいてくれるのは護衛としてなのだから。


 自分が特別だなんて、思うのも不相応だ。


 ギュッと布団を握りしめる。


 いつか離される手なら、縋らない。

 そうやって、割り切らなければいけない。


 ……本当はずっと、こうしていたいのに。


 身の丈に合わない望みを、バケモノの自分が抱いてしまわないように。いつ突き放されても良いように。


 だからこの気持ちに、名前はつけない。






 楓は光希の頭をそっと撫でた。


「でも、ありがとう、心配してくれて」


 柔らかい髪から離そうとした手が、不意に掴まれる。


「!?」


 思わず振り解こうとするが、なかなかしつこい。


「ふんふん」


 ぶんぶんしようとしたら、ゴスッという鈍い音がしてしまった。どうやらヒジがクリティカルヒットしてしまったらしい。


「……いってぇ」


 呻き声が下から聞こえ、楓は腕から力を抜く。


「あ、ごめん、その、起きてた?」


 光希は手を離さずに顔を上げる。


「さっきので、起きた」


「……ちなみに、さっきとは、いつ?」


 頭を無断でポンポンしていた時だろうか、それとも何か口走った時だろうか。いずれにしても、恥ずかしい。


「天宮が、俺の頭に手を載せた時」


 ボッ、と顔から炎が上がった、ような気がした。いや、ここは暗い病室だ、気づかないはず、と自分に言い聞かせて無理矢理落ち着く。


「……そ、そっか」


「ところで身体は、平気なのか?」


 光希は身を乗り出し、顔を近づける。

 繋がれた手とは逆の手が楓の額に触れた。ひんやりとして心地よい他人の手の感触だった。


「熱、上がったんじゃないか?」


 ……それは別の要因です。


 さすがに異性の顔が間近にあって、手まで塞がれて、額に触れられている、というシチュエーションで意識しないのは無理だ。それも、顔が良い光希だし。


「だ、大丈夫だよ、ボクは。数日で良くなるよ」


 けほん、と咳払いをすると、光希も自分が何をしていたのかを自覚したらしく、慌てて顔を遠ざけて額から手を退けた。するりと繋がれた手が解け、光希は下を向く。


「すまない、俺はお前を守るためにここにいるのに……」


「そんなに自分を責めないで良いよ。あれはボクにも対応できなかったから」


「何があったんだ?」


 光希の瞳が楓の瞳を捕らえた。洗いざらい吐け、といっているのがよく分かる。


「信じてくれないかもしれないけど、百足女と美少女な鬼に会った」


 簡潔に言えばそういう出来事だった。光希は頭の中でハテナと戦争しているようで、沈黙している。


「あれはたぶん、亜美の幻術みたいに、別の層?みたいな感じの場所に引きずりこまれたんだと思う」


 光希は理解を放棄して、楓の語る事実を受け入れることにしたらしく、真剣に話に耳を傾けていた。安心して、続きを話す。


「百足女に足を切られて……、その時だと思う、毒に当てられたのは」


「どうして天宮に?」


「聞いたんだけど、よく分からなかったんだよなー、それが。ボクの正体を探るため、とか言ってた気がするけど」


 半妖がどうとか、陣内がどうとか、天宮との混ざりものがどうとか。訳が分からなかったんだ、と楓は続けた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。理解が本気で追いつかなくなった」


 光希が頭を抱えて悲鳴を上げている。楓は途中から全ての現象の理解を放棄しているため、もはや笑って流せる域に入っていた。


「まず、半妖、てことは、お前は妖族とのハーフだってことか?」


「さあ?」


「陣内ってなんだ?」


「さあ?」


「天宮の混ざりもの、っていうのは辛うじて分かるが……」


「正直、それしか分からないな。あの人たちも内輪で話している感じだったから、ボクに理解させる気は毛頭なかったみたい」


 肩を竦めて楓は呆れ笑いをした。光希もやれやれと首を振る。


「今度、親父に聞いてみる。色々と、機密事項に抵触してそうだけど」


「うん、……たの、んだ」


 ぐらりと楓の頭が揺れた。無理矢理話していたせいか、限界が来ているようだ。光希の方へ傾いだ頭を、光希が優しく抱きとめる。


 温かくて、とても安心する。


「大丈夫か?」


 耳元で囁かれた。光希は気づいていないだろうが、その顔には深い恐怖の色が滲んでいる。


「……ん、大丈夫。そんな顔しなくても、ボクは絶対死なないよ」


「ああ」


 光希の頰に手を伸ばす。光希は柔らかく微笑んだ。抱きしめられた感覚があって、そして楓の意識は闇に溶けていく。


 夜の明るい月の光が光希の顔を照らす。


 かつての『孤高の天才』は、もうそこにはいなかった。




 ***


陣内じんないが動きました」


 高いビルの上で、美しい少女は黒髪を躍らせる。月明かりが彼女の白い肌をぼんやりと照らし、髪の黒を際立たせていた。


 その隣に存在感の薄い少年の人影がひとつ。


「陣内かぁ、そろそろ本気で『姫』をお迎えに行くつもりだね」


「はい、いかが致しましょうか? 追手を排除しますか?」


「いや、いいよ」


 少年は即答する。フフフ、と笑い声を漏らして言う。


「だって、『姫』が居なくなって困るのは天宮だけだよ? 別に僕は、あの子が天宮だろうと陣内だろうと構わない。いずれ、あの子の中の『神』は目覚めるのだから」


「はい。それにしても、かなり直接的な接近でしたね」


 木葉は顎に手を当てて呟く。


「うん、それには僕もびっくりだよ。不要な情報もばら撒いていくし」


「陣内も一枚岩ではないということですね」


 木葉の声が微かに尖った。


「そりゃ、天城あまぎもいるしね。それで、木葉の用件はそれじゃないでしょ?」


「……さすがはハルト様。私のことはなんでもお見通しですね」


 思わず木葉の顔に微笑みが咲く。ハルトはニコリと笑った。


「もちろんさ」


 答えながら、ハルトの深い黒の瞳は闇を映す。


「そろそろ五星を終わらせようか」


「はい。五星のかなめ、青波学園の破壊ですね」


「木葉はどうやって壊すつもり?」


「学園施設の徹底的な破壊です」


 迷いのない返事をする。ずっと考えていた、修復不可能なほど徹底的に五星を破壊する方法を。


「楽しみにしてるよ」


 少年の影が解けて消える。木葉はビルの端でくるりと軽やかにスカートを翻した。

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