新しい日常
「相川! 魔獣、そっち行った!」
「了解! 天宮は反対側を頼む!」
「おっけー!」
楓は刀を振るい、黒い魔獣を斬り飛ばす。真っ二つになった獣は霧散して空気に溶けた。
魔獣が炎に呑まれる。音のない苦悶の咆哮が空気を震わせる。蒼炎が揺れ、残光が光希の刀の辿った道筋を遅れて示す。
「行くよ! 二人とも!」
涼の術式が展開され、紫電が一斉に放たれる。間髪入れずに『かまいたち』の鋭利な刃が痺れた魔獣の頭部を刈っていく。
「後、最後! あれ!」
楓の眼に写っているのは一際大きな魔獣だ。赤い目が血に飢えた光を放ち、さっきまでの雑魚魔獣とはケタ違いの殺気を纏っている。
「俺が斬る。涼、フォローは頼んだ」
「任せて」
光希が刀を真っ直ぐ伸ばす。涼は術式を展開し始める。
楓は今回は手を出さないことにした。珍しく光希がやる気だし、光希がやる気を出したということは、つまりその辺が派手に吹き飛ぶということだ。ヘタに近づけば、お陀仏しかねない。
「『縛』」
霊力の鎖が涼の手から放出、魔獣の足を捕らえる。だが、さすがは格違いの魔獣。爪で鎖を引きちぎり、簡単には拘束されてくれない。
「なら、これならどうかな!」
ぼこり、と土が盛り上がった。ちょうどそこに足を掛けようとしていた魔獣のバランスが崩れる。すかさず涼は魔獣の足を凍結して拘束する。
「光希っ!」
光希は跳んだ。蒼い炎が激しく燃え上がり、空気を焦がす。構わず刀を振り下ろし、『烈火爆散』を発動させる。
魔獣の内部で爆発が起きた。
「これで終わりだ」
四散した魔獣の残骸が爆風に煽られて霧散していく。
楓は光希が魔獣を倒しきったことを確認すると、刀を納めた。
「これで全部だよね?」
「ああ、おそらく」
同じく刀を鞘に納めた光希が鋭い視線を周囲に向けつつ、頷いた。
「本当に、五星に入る魔獣が多くなってきたね」
「うんうん。かれこれ一週間に一回はボク達戦ってるんじゃないかな?」
涼の呟きに同意して楓は言う。
本来なら風紀委員会で定められた班で行動しなければいけないのだが、今回は特別だ。魔獣が強力な霊力反応を放っていたため、Sランクだけで出撃させられたのだが……。
「会長、戦わなくて良かったんですかー?」
楓は座り込んで熱心にノートパソコンを操作する清治に尋ねた。清治は顔を画面から上げずに適当に答える。
「相川も神林も貴様もいるんだ。私が出る必要もなかろう。それよりも私は別件で忙しいのだよ」
という清治の声は確かに疲れ切っていて、チラリとこちらを見た目元には立派なクマがあった。
「……それは、その、お疲れ様です」
「本当に誰のせいだ。会長業務に五星結界防衛業務まで付け加えたのは」
チッ、と舌打ちも聞こえた。
「あー、つまらん」
クシャクシャと頭をかいて、清治はゆっくりと立ち上がる。
「帰るぞ、相川、神林、天宮楓」
楓だけフルネームで呼んだのは、おそらく天宮だけだと自分の名前を呼んでいるような感覚に陥るのを嫌ったからだ。
「了解です。会長」
義務的な返事を光希が返し、楓たちは青波学園の生徒会本部に向かう。
「……魔獣の数、増えてますよね?」
涼の質問に清治が頷く。
「信じたくないがな。風紀委員会の人数を増やして正解だった。11月に入って、魔獣はさらに増えている」
「五星の結界が軋んでいるというのは本当のようですね」
結界の限界が近いのは、この現状を見れば火を見るよりも明らかだ。
「崩壊したら、どうなるんでしょうね?」
最悪の想定を言ってみる。
「……学生が戦場に駆り出され、生活圏防衛のために昼夜問わずのブラックな労働状況の元、延々と戦わされるだろうな。不味い食事の上に、風呂にも十分に入れないでな」
「おぅ……」
無駄にリアルな崩壊後の生活が楓の頭に描かれる。清治もヤケクソな感じで言っている気がするので、そこまで酷くないと楽観的に考えたい。
「うーん、五星結界は本気で守らないといけないですね……」
涼も引きつった顔でコメントし、光希は沈黙。
そうして、楓たちは学校に戻り、生徒会本部にたどり着いた。
「ふん、今日の任務はこれで終わりだ。貴様たちは適当に帰れ。私はまだここに残る」
帰ってくるなり部屋の椅子に座って、山積みになった書類に顔を微かにしかめた清治は、しっしっという手振りをした。
「会長もほどほどに頑張ってください」
楓も涼に倣って頭を下げる。遅れて光希も軽く頭を下げて、楓たちは部屋を後にした。
「会長、大変そうだな」
「あの書類の山を見ちゃうとね……」
遠い目をして涼は楓の言葉に同意する。下校時刻も迫り、校舎には人はほとんど残っていない。微妙な静けさの中、とにかく楓は足を動かした。
ふと隣を見たら光希が姿がなくて、振り返る。
「相川? どうかした?」
光希は少し離れた所で一人、立ち止まっていた。
「あ、いや、何でもない。……その、五星が崩壊したら、俺たちはどうなるのか、気になって」
歯切れの悪い言葉が返ってくる。涼はそっと光希の肩をポンと叩いて微笑んだ。
「楓のこと、気にしてるんでしょ」
「はあっ!?」
光希が突然大声を上げたが、理由が分からない。楓はキョトンとして一人で首を捻る。
「何話してるんだろ? まあ、見てればいっか」
楽観的な思考の元、珍しく動揺した顔を見せる光希を静かに観察する。
「ごめんごめん、楓」
と、一人でポツンと立っている楓に気づいた涼は即座に始めようとしていた話をやめた。二人は慌てて楓の隣に並ぶ。
「なんかあったのか?」
「ううん、ちょっと僕が光希をからかっただけ」
「ふぅーん」
チラッと光希を見ると、目をそらされてしまった。
「それじゃあ、またね」
「またな」
「夕食で会おーな!」
寮の近くで光希と涼にぶんぶんと手を振り、楓は女子寮の自分の部屋に向かう。
そこまで上の階ではないので階段を使って、軽やかに登る。そして、今までの木葉と自分の部屋を真っ直ぐ通り過ぎ、さらに廊下を進んでいく。この階の端部屋が楓たちの新しい部屋だ。
「ただいま〜」
一言叫んで中に入ると、中にあった靴は一人分だけだった。
「おかえり〜」
夕姫の声が奥から響く。楓は靴を適当に脱ぎ散らかして、夕姫のいる居間に滑り込んだ。
「魔獣討伐おつかれさま。今日はSランクだけで出たって? やばい魔獣が出たとかなんとかって私、聞いたけど」
「そうなんだよ。なのに会長はパソコンにへばりついてるしさ」
「うそぉー」
ケラケラと明るい笑い声を上げる夕姫に、楓はそっと緊張気味だった心を緩めた。
夏美がいなくなって、楓たちの生活は少し変わった。
夏美と相部屋だった夕姫は一人になってしまったため、先生たちの配慮によって楓たちと同じ部屋、つまり三人部屋になったのだ。
友達が死んだことを気の毒に思ったのか、友達が裏切ったことを哀れに思ったのか。どちらだったかはわからない。それにどちらでもいい。
なぜなら、この天宮家が支配する霊能力者の世界では、荒木夏美という少女は天宮に歯向かった愚かな当主だとされているからだ。そして、結局天宮家に殺された可哀想な女の子。誰一人として彼女に同情する者はいなかった。
春日井家の意向で夏美は死んだことになってはいるが、魔族として生きていると知れたら終わり。春日井家も無事では済まされないだろう。
ただ、傲慢と言われるかもしれないけれど、楓は夏美を理解してあげたいと思うのだ。バケモノとしての同情、と言われてしまいそうだけど。
荒木夏美は、楓にとってとても眩しい少女だったから。その輝きは汚してはいけないものだ。
「夏美、どうしてるかな……」
夕姫は居間のちゃぶ台のような小さなテーブルに頰を付けた。
「そうだね……。きっと夏美は頑張ってるよ」
「うーん、しかも案外、魔族の王とかまで成り上がってそう」
「確かに! 夏美、当主としての才能があったって木葉も言ってた!」
と、冗談のつもりで空元気に塗れた会話をする二人だが、夏美が本当に魔族の『王』の資格を持つことは知らないのだった。
「そういえば、最近木葉遅いよな」
ふと、楓はもう一人の部屋の住人を思い出す。夕姫はテーブルから顔を上げてコクコクと首を動かした。
「天宮家の方で何かあるんだろうけど……、ね?」
夕姫の無言の問いかけは、楓にはよく伝わった。
あんなことがあれば、天宮家を完全に信用できなくなるのも当然だ。
「天宮は、一体何をしようとしてるんだろう」
その問いに、答えは出ない。
7章スタートです。
章タイトルは『五星の破砕音』。
この章でこの物語のターニングポイントになります。




