また会う日まで
かしゃん、といったのは楓の刀が手から滑り落ちた音。涼が膝を地面につけて茫然とした顔を、かつての仲間が飛び降りた虚空に向ける。
「……うそ」
黒い感情を瞳に浮かべ、夕姫は立ち尽くす。夕馬はただ静かに下を向いた。
荒木夏美は、ここで死んだのだ。
血の味が口の中に広がる。噛み締めた唇をいつのまにか噛み切っていたらしい。楓はゆっくりと歩いて、さっきまで彼女が立っていた場所から眩しいばかりの夜景を見つめる。
白髪が見えた気がした。
鳥のような何かの影に乗った少女は飛び去る。夜を置いて、明かりを置いて、飛ぶ。
「夏美は、いや、ラミアは生きてるよ」
そっと呟くと、立ち上がった涼は頷いた。
「あの子は意味もなく飛び降りるような子じゃない。でも、何を選んでそうしたのかを、僕は知りたくないような気がする」
「……うん。ボクも知りたいけど、知ったら何かが終わっちゃう気がするんだ。でも、また会えるかな?」
恐る恐るそんな問いを発すると、夕姫の声がした。
「きっと、会えるよ。そうじゃなきゃ、許さないからね!」
最後の半分は、空へと放った叫びだった。
バタバタと大人数が階段を駆け上がる音が聞こえ、楓たちは振り返る。獣が消え、夏美を追ってきた春日井家だ。
「御当主様は、どこに?」
当主はぐるりと周囲を見回しながら問いかける。
「夏美は……、もういません。おそらくもう、ここには戻ってこないと思います」
感情を鎮め、楓は静かに答えた。
「そう、ですか。天宮家には、御当主様はお亡くなりになった、と伝えておきます」
「いいんですか? 真実を語らなくて」
涼が尋ねるが、その声色には彼を気遣うような響きがあった。真実を偽るということは、それ自体が天宮に対する反逆と捉えられてしまう可能性がある。
「いいのです。御当主様を、最後くらい臣下としてお守りしたいのです。たとえ、あの方が荒木を滅ぼしたのだとしても、崩壊しかけた荒木の秩序を取り戻し、本家に残したこと、それはあのお方の功績です」
夜を遠い瞳で見つめ、彼は言う。
「その重責を全てたった一人の幼い少女に押しつけ、甘んじた我らを、荒木夏美様は導いてくれた。私はその恩を決して忘れません。ですから、この程度、造作もないのです。あの少女が棄てたものを、その痛みを、贖うことなど、私たちにはできないのですから」
ああ、この人は夏美の忠臣だったのだな、と楓は理解する。夏美は冷徹に荒木家の当主として在ったのだ。
「そうですか……。良かったです、夏美がそんな風に思われていたなんて。ボクには、最後まで彼女を理解できなかった。……後悔してます。もっと、一緒に居たかった」
「ええ、きっとあの方もそう思っていらっしゃると思いますよ。仲間を、とても大事にされていらっしゃいましたから」
楓たちは言葉を発することなく頷いた。
「……天宮」
ふと、風に乗って声が耳に届く。振り返り、屋上の扉の方に視線を向けると、金属の扉に寄りかかる光希の姿があった。
「相川! 大丈夫なのか!?」
こちらに歩いて来る光希の足取りは元気と呼べるものではなくて、こうして歩くのさえ億劫な様子だ。
「……俺は、大丈夫だ。夏美は?」
楓は思わず黙り込む。それは涼たちも同じだったようで、沈黙が降りた。
「夏美は、もう、いない」
光希の目が揺れる。顔を直視できずに楓は俯く。
「……ごめん。夏美を連れ戻せなかった。ボクは負けちゃった、夏美に」
「天宮が負けた?」
「うん。僕は夏美の動きにもついて行けなかったんだ」
涼はとても悔しそうな顔をしていた。夕姫が口を挟む。
「私と夕馬も即行でやられちゃって、その……、夏美はほんとに強かったよ」
「俺、話せば分かる、なんてこと言ったけどさ、何も届かなかったんだ。俺はまだ弱すぎて」
光希の視線が空を彷徨い、やっと一言呟いた。
「そうか」
春日井家の人間は気づけば居なくなっていた。その気配に気づかないなんて、動揺しすぎている。
楓の胸に、みのるの言葉が蘇った。
自分たちはこのままでいられるだろうか、という問いにみのるはこう答えた。
――このままの君達の関係でいられるか、それはきっととても難しい事だよ。でも、できるのなら、このままでいて欲しい。
――君達には誰も失って欲しくないんだ。
それなのに一人、失くしてしまった。
「夏美……」
ぽん、と肩に重みが加わる。楓は上を見上げた。やっぱり顔色があまり良くない光希がそこにいた。
「……お前のせいじゃない。俺にだって、責任はある」
「……次に会う時は、ボクたちは夏美と戦わなきゃいけないんだよね?」
夏美は言い切った、天宮の敵だ、と。
「ああ、会えない方がいいのかもしれない。もしも会うとしたら、そこには説得の余地も存在しないのだと思う」
「夏美とは、殺し合いになるのかな……?」
楓はまだ人を殺そうとして刀を振るったことはない。その最初が夏美になってしまうのだろうか。
「……それは」
夏美の言った言葉が光希の胸に引っかかる。天宮楓を殺す、というのが夏美の最終目的ならば、いずれ夏美は楓の前に姿を現す。
「……そんなことは、させない」
いくら夏美であっても、その願いだけは叶えさせてはいけない。天宮楓を守るのが光希の使命だから。
「大丈夫だ。俺がそうはさせないから」
楓は微笑んだ。少し、力なく。
「……ありがとう、相川」
透明な風は通り過ぎる。三日月にしては眩しすぎる月の残光を運んで。哀しみと決意、後悔。様々な感情を運ぶ。
もう誰も、失いたくはないから。
楓は胸に誓う。
誰も、これ以上、失くさない、と。
***
その後、天宮家から全てに通達があった。
荒木夏美は死亡し、春日井家が本家を継ぐ、と。
春日井舞奈と芦屋慧の婚約も、荒木夏美の死を払拭するように発表された。
そして同時に、世界は終わりへとまた一歩足を踏み出したのだ。
6章、いかがだったでしょうか。
結構踏み込んだ気がします。
感想等、教えていただけると嬉しいです。
次は番外編です。
 




