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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第6章〜緋色の吸血姫〜

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亀裂

 翌日、月曜日。


 学校は通常通り、とはいかず、実技多めの日程が相変わらず続いている。


 今は本日最後の授業になる実技だ。楓は見学をすることで実技の単位が取れることになる特例扱いを受けているが、実技増し増しになってからというもの随分と暇な時間が増えた。もちろん、見学をするしかないのだが。


 実戦的な術式、例えば『かまいたち』の術式改変を即座に行うなどという細かい所から『烈火爆散』のような中規模術式まで。

 全力で実戦意識の授業がほぼ毎日続いている。


 慣れていない生徒は、それはそれは大変そうで……。可哀想になってくる。


 それでも、けろっとした顔で術式を撃つ光希たちをさて置いても、付いてこられている生徒がほとんどなのは、やはりここが青波学園のA組だからか。上位二十名は伊達ではないのだと、改めて思わされる。


 今日の授業は、割と地味な障壁を張る実習だ。光希たちは息を吸って吐くように対物障壁などを張るが、実際は均等に術式展開と霊力を放出するなどの色々複雑なものらしい。


 と、楓が分かるのはそこまで。


 そもそも、授業時間40分経過時点で実技に思考を割いたのはどれくらいだっただろうか。


 正直に言おう。


 九割は見ていなかった。


 代わりに楓の頭は、昨日の出来事でいっぱいだったのだ。


 不自然な魔獣、いや霊獣の動き。

 不思議な瞳を持つ二刀流の少年。


 霊獣がなぜ楓たちに寄ってきたのかは気になる。本能しかないあの状態で、どうして。


 でも、一番気になるのはあの少年。


 見た目からしてみれば、楓たちと変わらないように見えた。


 荒んだ冷たい瞳はいつかの光希の瞳にも似ていて、頭に強く焼き付いて離れない。


 違う。


 頭の中で自分の声が響いた。


 光希ではないかもしれない。


 なら、あの瞳はかつての楓自身の……?


 思い出さないようにしてきた過去の生活がふと、記憶のあわいから浮かび上がってくる。


 冷たくて寒くて辛い記憶。


 一人で雨に濡れていた自分の目は、きっとあんな目していたのだろう。


 思い出したくないことだ。もう忘れていいことだ。今の楓は一人じゃないことを知っている。


 ……それなのに幻聴は止まない。


 雨の音も身体をズタズタに引き裂くような冷たさも。『無能』で『バケモノ』の自分を罵倒する声も……。


「……みや、天宮。授業、終わったぞ」


 ぶっきらぼうで、でも確かに暖かい声にハッとした。過去に引きずられて空っぽになりかけていた自分を現実に引き戻す声が聞こえた。


「……あ、あれ? 授業、終わってた?」


 瞬きをして虚になりかけていた目を隠す。もう一度目を開けた時には、いつもの自分に戻っている。光希は怪訝な表情をしたものの、追及することはなかった。


「ごめん、なんかボーッとしてたみたいだ」


 自分専用の椅子から立ち上がって伸びをする。ぼきっと変な音がして、凝り固まっていた関節が伸びる感触があった。いつの間にか、楓の周りに集まっていた涼たちの顔を何気なく眺めて気づく。


 夏美がいない。


 今日の夏美はずっと様子がおかしかった。真っ青、というよりも青白い顔をして気分が悪そうで。


 昼頃から姿を消しており、さすがに最後の授業くらいは戻ってきているかもしれない、と思ったのだが。


 全員、顔には出してはいないけれど、夏美を心配している。頭を辛そうに押さえる姿は、見ているこちらも心苦しい。おそらく今は保健室で休んでいるのだろう。早く良くなってくれるといいな、と思う。


 そう思うのも大事な友達というものができたからなのだ。昔の自分にはあり得なかったことだ、などと、ふとさっき脳裏を過ぎっていった過去を振り返る。


「今日って、あれだよね?」

「あれ、って? 何だっけな? 夕姫?」


 夕馬が呑気に首を傾げる。相手の思考が読めるはずでは? と問いかけたいところだが、本人は普通に忘れているのだろう。高度な術式を扱っていたせいか、夕馬は若干思考が鈍っている。


「あれだよ、あれ。生徒会から色々発表があるとかっていう」

「……実を言うと、僕も忘れてた」


 涼が苦笑する。


「珍しいな、神林が物忘れするなんて」

「いやあ、僕も物忘れくらいするよ」


 今度は涼は照れ笑いと苦笑いを絶妙にブレンドしたような顔をした。


「光希は覚えてた?」


 夕馬の問いに光希は軽く頷く。


「ああ。天宮から、少し経緯を聞いてる」

「え? 経緯って?」


 光希の発言に引っかかりを覚えた涼が聞き返した。


 そこで、楓は先週の出来事を話すことにする。もちろん、その後のイロイロは除外して。


「先週、ボクが風紀委員会の当番だった時、この学校の敷地に昨日みたいな魔獣が一匹現れてさ。芦屋先輩が退治してくれたんだけど、それで生徒会室に直行ってなったんだ。生徒会長さんたちが言うには、風紀委員会の人数をもっと増やして、三年生の任期を引き延ばすらしいよ」


 涼たちのどことなく強張った表情は、全員の脳裏に昨日の出来事が蘇っていることを物語っていた。


「つまり、今日、今からある全校集会はその為にあるんだね?」

「うん、たぶん、夕姫の言う通りだと思う」

「あれ?」


 夕馬が突然声を上げ、楓は意識をそちらに移す。


「木葉はどこに行ったんだ?」


 その言葉にハッとして辺りを見回すと確かにいない。神出鬼没の彼女だから、心配はいらないとは思うが、気にならないわけではない。


「うーん、なんか用事でもあるんじゃないかな?」

「よく居なくなるからな」


 さすがは木葉と付き合いが長い二人。速攻で考えるのを放棄している。


「それじゃあ、行きますか! 講堂に!」


 生徒総会が行われるのは、昔の記憶になるが、入学式をした講堂だ。


 そうして歩くこと十分弱。

 実技棟からは講堂は少し遠い部類に入る。


「あの……さ、すごく言いにくいことなんだけど、みんなは聞いてるよね?」


 講堂に入るギリギリの所で涼はそんなことを言った。楓にはチンプンカンプンでも、明らかに光希たちの空気が変わった。


「あの、こと、だよね? 私もずっと、気になってた」

「場所を変えよう。全校集会には間に合わなくても構わない」

「うん、俺も」


 光希たちの間では暗黙の了解が通じていた。


「一体、何のこと? 何が?」


 尋ねようとすると、代わりに夕姫に腕を引っ張られて人目につきにくい講堂裏へ回らされる。


「……楓はたぶん、聞いてないよね。でも、昨日、本家には通達があったんだ」


 夕姫が静かに呟くように口に出す。全員がこうして動揺するような通達とは、一体……。


「天宮家からの通達は、たった一言だけだった」


 涼は感情を押し殺しているように見えた。そして、最後の言葉を光希が継ぐ。


「荒木夏美の離反、荒木夏美を反逆者と見做す。それが天宮家が出した通達の全てだ」

「……え?」


 理解が追いつかない。衝撃があまりにも大きすぎて、頭を鈍器で殴られたみたいだった。


 どうして夏美がそう言われなければならないのか。


「……え、でも……。でも、夏美は、そんなことしてない、絶対!」


 光希は頷いた。


「もちろん。俺たちもそう思っている。だが……」

「天宮家は荒木家を潰そうとしているんだよ、きっと。だから、夏美から居場所を奪い、排除しようとしてるんだ」


 涼の言うことはもっともなものだ。だが、楓には分からない。なぜ、夏美なのか、が。


「……私と夕馬も理由を考えたよ。もしかしたら、天宮家は夏美を殺すことを初めから考えていて、この時期にそれを選んだのは、五星の礎を守る戦いで、夏美は五星の礎を守りに行った。でも、礎は破壊されていた。その責任を押しつけて、何かを隠そうとしてるんじゃないかって」


 さらりと「殺す」という言葉が夕姫の口から出たことに驚く。そして同時に気づくのだ。天宮家に反逆するとはこういうことなのだ、と。


「夏美がそんなことをするわけがない。俺は、夏美を信じている」

「うん、夏美は良い子だよ。たとえ、そう見える行動があったとしても、それはきっと夏美の信じる何かのためなんだ。決して愉しさでやるような人じゃない」


 幼い頃から夏美のことを知る光希と涼は確信を持って言う。

 楓もやっと、混乱していた脳みそが落ち着いてきて、表情が動かせるようになった。

 全員のどこか不安そうな顔を見て、笑ってみせる。


「大丈夫。ボクも夏美を信じてる。誰にも傷つけさせたりなんかしない。ボクは夏美を守りたい」


 言ってから、自分がそんなことを言えるようになった、という事実に心がじんわりと暖かくなった。この状況で言うのもおかしいかもしれないが、昔の自分には、守る、という言葉を口にする勇気は無かったような気がする。


 思うだけで、言わなかった。

 言いたかったけれど、言えなかった。


 言っても、応えてくれる人なんていなかったから。


 でも、今は違う。


 光希たちは笑って返してくれる。


「ああ」

「夏美は殺させないよ!」

「うん、僕も頑張るよ」

「俺も。俺、役に立てるか分からんけど」


 だから、楓も不敵に笑う。


「ボクたちなら、やれるよ」






 ……胸の奥の、一抹の不安を、楓は無視した。






 ***



 夏美は白い天井を見上げた。


 ここは保健室。ふかふかとは言えないが、ベッドとして最低限の弾力が確保された寝台の上。クリーム色のカーテンで外と切り離された空間が、今の夏美に落ち着きを与えていた。


「……」


 保健医は今はいない。他のベッドにも人はいない。ここは今、夏美だけの空間だ。


 夏美は天井に向かって右手を伸ばした。


 色の白いほっそりとした手が頭上に来て、その血色の悪さに溜息を吐く。それから、手を下ろして顔に当てた。


 きっと、とんでもなくげっそりとした顔を自分はしているのだろう。

 朝、鏡で見た自分も隈やなんやらで酷かったことだし。


 こんな顔は光希たちには到底見せられない。かと言って、ここに長居をするわけにもいかない。


「あら? 人はいないのね」


 思わず顔が引きつった。


 今すぐ出てけ! この女狐っ! 


 ……と、叫び出すのは我慢。


 思考が荒れるのは、心に余裕が無いからだ。


「やっぱり、ここに居たのね、夏美」


 挙げ句の果てに、木葉はカーテンもめくってやって来る。本当に迷惑だ。


「どう? 生成なまなりの気分は?」


 顔をしかめ、夏美は素っ気なく答える。


「最悪だよ。吐きそうでたまらない。血を見たくない」

「そうね、今のあなたが血を見れば、暴走するわね」

「……この発作、もう治らないんだよね?」


 ええ、そうよ、と楽しそうに木葉は頷いた。


 少しずつ、身体が狂っていく。穴の開いた心から大事なものがサラサラと零れ落ちていく。壊れていく自分を怖いと思う気持ちでさえ、すり減ってきた。


「……そろそろ、戻らないと」

「そうね」


 ふらつきそうになる身体を必死で抑え、夏美は木葉と共に保健室を出た。


 講堂に急いで向かう時、講堂の前から逸れる光希たちの姿を見つけて追いかけた。


「……楓はたぶん、聞いてないよね。でも、昨日、本家には通達があったんだ」

「天宮家からの通達は、たった一言だけだった」

「荒木夏美の離反、荒木夏美を反逆者と見做す。それが天宮家が出した通達の全てだ」


 ぐらりと視界が揺れた。真っ暗になっていく。感覚が死んでゆく。


 ――そうか。もうここに、自分の居場所は無いのだ。


 夏美は光希たちに気づかれないように、木葉の制止も振り切って背を向けて走り出した。


 ……ここにはもう、居られない。


静かに崩れていく関係。

……夏美は。





……きっといつか幸せなれるはず。

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