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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第6章〜緋色の吸血姫〜

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紅の少女への誘い

 どくん、と夏美の心臓が強い鼓動を打った。夏美は胸を手で押さえ、顔を歪める。


 違う自分が目を覚ます。心の奥に封じ込めていたもう一人の自分。荒木家を滅ぼしたバケモノが目を覚ましかけている。


 心の隅で人としての荒木夏美が叫ぶ。


 嫌だ。違う。これは自分じゃない。

 こんなモノにはなりたくない。


 紅く染まった瞳を微笑んでいる少年に向ける。


「くっ……うっ、」


 夏美は爪を自分の手の甲に突き立てた。痛みで意識を繋ぎ止める。


「すごいすごい。理性を保っていられるとは思わなかったよ」


 ペチペチというやる気のない拍手と薄っぺらい言葉が前から聞こえる。夏美は汗を顔に滲ませながら少年を睨みつけた。


「……私は、バケモノにはならない」

「そうだね」


 絞り出した言葉も全く意に介さず、少年は冷たい瞳を夏美に向けて話を続ける。


「まあ、それくらい君なら造作も無いと思ってた。逆に簡単に持って行かれてたら、殺してたよ」


 命を何とも思っていない淡々とした声。まだ身体から離れないバケモノの気配に怯えながらも夏美は平静を保とうと努力する。


「それじゃあ、君のことをもう少し話そうか。君は荒木夏美であると同時にラミアでもある。つまりはどっちつかずの半端者だよ。人でもなければ吸血鬼でも無い。普通の魔族ならば、半人の魔族は忌み嫌われ、そして排除される側のものでしかない。――魔族の中でも最強種と呼ばれる吸血鬼を除いては、ね」


 黒の瞳が夏美の、明るい茶色に紅が揺れる瞳を捉えた。


「吸血鬼は最強種であるが故に、多くの弱点を持つ。君たちの世界でも有名だよね?」

「はい」


 答えながら考える。


 吸血鬼の伝説は多く残されている。有名なのは銀や神聖な物に弱く、日光によって滅ぼされる、といったところだろう。確かに、それは高い身体能力と再生能力、眷属を操る力など、最強と呼ばれる所以の能力の代償と考えるのは不思議ではない。


 だとしたら。


 その弱点を克服した半人の吸血鬼は――。


「そう、半分人であることによってその弱点を克服した吸血鬼こそ、最強種の王になる者として相応しい。僕が保証するよ、君は今までの王よりもずっと優れた王になれる。君にはその素質がある」

「……だから私にあなたたちへくだれ、と?」


 天宮家を裏切ってこちらへ来い、と彼は言っているのだ。


「うん、そういうこと。物分かりが良くて良いね」

「……私を舐めないで。私は、そんな地位の為に全てを投げ出したりなんかしない」


 紅い瞳で強く、黒い少年を睨む。


 少年は白い手を顔に当て、肩を震わせた。その隙間から覗いた表情にゾッとした寒気を覚え、夏美は顔を強張らせる。


 少年はわらっていた。悍ましささえも感じられるあざけり嗤い。


「ふふっ、笑わせてくれるね。そんな眼で、そんな身体で、まだ人間のつもりなの?」

「何を……」

「知ってるかな? 吸血鬼は人間みたいな感情は持たないんだよ」


 夏美の瞳が見開かれる。


「だから、君がそんな風に感情を手に入れられたのは奇跡だね。でも、それが不完全でとても脆いものであることを君は知っている」


 心の奥を見透かされているようだった。


 楓たちと接する荒木夏美という人格はとても不安定だ。笑ったり、怒ったり、楽しんだり。いつもどこかで、冷たく凍りついた心にその感情を殺されてしまいそうになる。


 荒木家当主としての荒木夏美の方がずっと、自分に馴染む。荒木夏美の一番自然な形、それはやっぱり光希に出会う前の自分なのだ。


 ……こんな風に心を知ることができたのは、奇跡。


「君を変えた相川光希に執着するのはよく分かるよ」


 自分は君の理解者だと言わんばかりに、少年はにこりと微笑む。


「相川光希。君は彼を救いたい」


 はい、と気づけばそう答えていた。


「それなら、君の敵は天宮家。そして天宮楓こそが君の最大の障害だ」

「どういう意味……?」


 少し間を置いて、彼は続ける。荒木夏美の敵が天宮であることを彼女にはっきりと理解させる(きざみつける)ために。


「天宮楓はその存在を、未来を規定されている。彼女はいずれ、世界を壊すバケモノに成り果てる。それは変えようのない未来だよ」


 目を細めた少年の瞳には物憂げな光が揺れていた。


「それを制御しきれると信じている天宮家は、彼女に掛けられた封印を解こうとしているんだ。もちろん、聡い君なら分かるよね?」


 少年の問いは答えを求めるものではなく、確認のようなものだ。


 ただ、この流れから言うと、彼が言わんとしているのは……。


「相川光希は確実に命を落とすよ。天宮に利用され尽くして、ね」


 夏美が思い描く最悪の結末。それが目の前の全てを知り尽くしているような彼が語った、その意味を理解できない夏美ではない。


「……っ」


 少年は顔を歪める夏美に向かって微笑んだ。


「僕たちの目的は天宮を潰すことなんだ。天宮楓を殺すこともそう。これは君の望みとも一致しているはずだよ」

「……」


 楓と天宮家を倒さなければ、光希が死ぬ。


 光希は夏美に大事なものをくれた大切な人。


 楓を殺さなければ、大切な人が死ぬ。


 でも、それをやってしまえば自分は永遠に光希の心を失うだろう。


 黒い感情が渦巻き、心の中身がぐちゃぐちゃにかき乱されていく。苦痛に夏美は頭を掻きむしった。


 それでも、楓を殺さなければ……。


 どう足掻いても夏美の出せる結論は変わらない。


 その葛藤を知ってか、少年は言った。


「君がやろうとしているのは、神殺しだよ。天宮楓は不完全ではあるけど、間違いなく神の領域に属する者。彼女が神である限り、誰にも天宮楓を殺せない。()()()()()()()()()()()()()


 だから、こちらの誘いに乗れ、と。


 荒木夏美では、天宮には対抗できない。だが、吸血鬼ラミアならば。


「うう……、でも私は……」


 荒木夏美を信頼してくれている楓たちを裏切りたくない。


「それからあと一つ。良いことを教えてあげよう」


 少年は細い人差し指をスッと立てて、夏美の前で揺らした。


「天宮はもう君を排除する手段を整えているよ」

「――!? どうして、そんな、ことに……?」


 一体自分が何をしたと言うのだろうか。


 荒木を滅ぼしたことは完璧に隠蔽した。それ以外のことなんて、天宮に逆らおうとしたことなんてただの一度もない。排除されるいわれはどこにも……。


「木葉が五星の礎を壊したよね? その時、君はそこにいた」

「っ!」


 そこで夏美は全てを理解した。木葉があそこで、夏美に何も要求しなかった理由を。


 木葉はそれで良かったのだ。


 荒木夏美があの時あの場所にいるという状況を作り出すことさえ出来れば。


 むしろ、それだけが理由だった。


「初めから、私は罠に嵌められてたんだね……」


 笑いがこみ上げてくる。罠にはまって動けなくなっていたことにさえ気づかない、愚かな自分がどうしようもなくて。


「そうだよ。明日になればもう君の居場所はこの世界から消えている。天宮に殺されるのを受け入れて、相川光希を諦めるのならそれでも良い」


 少年の姿が解けて再び編まれる。あの人の姿に。


「夏美、俺を助けて欲しい」


 光希が悲痛な表情で、夏美を見る。瞳の深い青に哀しみの色が映り込んでいる。


「……止めて」


 光希の顔で、光希の声でそれを言わないで。


 少年もそれ以上悪ふざけをする気は無かったようで、黒い綺麗な少年の姿が目の前に現れる。少年は手を組み直し、問いかけた。


「君はどうする? 何を選ぶ? ――まあ、答えは急かさないよ。ゆっくり決めると良い。……最後の答えは決まりきっているけどね」


 少年は出会ってから一番楽しそうに笑った。


「良い返事を期待しているよ、ラミア・ノイ・ドラキュリア」


 夏美の視界がグニャリと歪んだ。黒い少年と彼に付き従う黒い少女の姿が遠ざかって、闇に呑まれていく。


「まって……っ!」


 叫びは誰にも届かずに霧散する。


 次に目を開けた夏美が立っていたのは、昼前に通ったはずのテーマパークの門だった。暗い夜空が雲間から切れ切れに見え、肌寒い風が肌を撫でていく。閉園時間はとうに過ぎて、門は硬く閉ざされていた。


「ぐっ、ぅぅ……」


 胸を押さえ、夏美はその場で座り込む。紅い瞳が揺れて虚空を彷徨う。


 血。血が欲しい。


 湧き出す渇き。


 今、人がここにいなくて良かった。もし誰か居たら、欲望のままに血をむさぼっていたかもしれない。


 私はどうすれば良い?


 人ではない私は?






 ***


「今、ここで、ハルト様へ忠誠を誓わせなくて良かったのですか?」


 椅子に深く座ったまま気怠い溜息を吐き出したハルトに、木葉は尋ねた。


「うん。タイムリミットなら、もう存在するからね。荒木夏美が自我を保てるのは、うーんそうだね、あと5日くらいかな。それを超えたら、あの子は暴走して使い物にならなくなるよ」


 吸血鬼は血を吸わなければ生きていけない。それは当然の真理である。本来の姿を暴かれた夏美も、もうほとんど吸血鬼へと変じている。


 例え荒木夏美がこちらに着くことを選ばなかったとしても、天宮に消されてしまうのだから。


 結局は一方通行の、一つしか選択肢のない選択なのだ。


「なぜ魔族の王と?」


 木葉は訊く。


 この方は魔族の王なんかでは収まりきれない。


 もっと、いや遥かに偉大な存在だ。


「確かに魔族の王と仰っても不思議はありませんが……」

「なぜ、『神』と名乗らなかったかってことだね?」

「はい」

「だって、荒木夏美に神殺しを勧めておいて僕も同じような存在だとは言いにくいじゃない。同族を許せない、嫉妬みたいだし。えっと、こういうのをなんて言うんだっけ? 同担拒否?」


 朗らかに話す少年に、木葉は微笑みながら突っ込みを入れる。


「……ちょっと違うと思いますよ、ハルト様。強いて言うならば、同族嫌悪ではないかと」

「そっかー。木葉はよく知っているね。さすが、数百年間人間をやってるだけあるね」


 ハルトは感心の声を上げる。木葉は史上の喜びとばかりに頭を下げた。


「しかし、天宮楓を殺すなんていうホラを吹いて良かったのですか? 聡いあの子なら気づくかもしれませんよ」


 ニヤッと少年の唇が笑みを作る。


「大丈夫。天宮楓は僕たちにとっても大事な人間だ。でも、僕を置いて他には彼女を殺せる者はいない。ラミアだって無理だね」

「初めからそのつもりでしたか」


 少年は鷹揚と頷いた。


「でも、木葉も荒木夏美に言わなかったんだね。荒木夏美が荒木を滅ぼした真実を」

「はい。言う必要を感じませんでしたから」


 荒木夏美が荒木を滅ぼしたこと。

 その出来事は事故と言ってもいいようなものだった。


 荒木夏美は霊力の欠乏状態で瀕死の重傷を負った。それは、眠っていた吸血鬼の生存本能を目覚めさせるのに十分なショックであり、その場の生きるもの全ての殺戮をするには十分だった。


 だから、荒木夏美が今生きているのは、偶然の重なりで、奇跡。


「天宮桜が生きていたらもっと面白かっただろうに。残念だよ」


 ハルトの視線が窓の外へ向けられる。


「ハルト様は天宮桜の方がお好みですか……。私は要りませんね」


 拗ねたように木葉は呟く。すると、ハルトは視線を木葉に引き戻して、手を掴む。木葉はその瞳の黒に見つめられて顔を綻ばせた。


「何言ってるの。君は僕の物だよ、イロハ」


 木葉はその名前を噛みしめるように目を細め、微笑んだ。


「その名前を呼ぶのはもう、あなただけですよ、ハルト様」


 ハルトは笑う。


「どうやら外も面白いことになっているみたいだよ」

謎多き黒の陣営。


イロハ、とは……。

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