黒の少年と吸血鬼の姫
絶叫屋敷を出た後。
急な呼び出しがあったと言って、夏美と木葉は楓たちと別れた。
夕馬はずっと仁美にべったりで、仁美はぶら下がっていたこんにゃくを食べようとしたらしい。夕姫は真っ赤になっているだけで会話にならないし、涼は笑ってばかりで役に立たない。楓は骸骨を殺しかけ、光希が必死で止めたとかなんとか。
そんな話を別れ際に聞いたが、一体何があったのやら。夏美にはあまり想像がつかない。特に、こんにゃくを食べる件とか。あと、骸骨はもう死んでいる。
閑話休題。
夏美は意識を現在に戻した。隣の黒髪の美少女は、夢の国の中でも人目を惹きつけてやまない微笑みを湛えて歩いている。もちろん夏美の方はそんな余裕はないのだが。
楽しそうに歩く木葉。明るい表情の家族。笑い合う同じくらいの年頃の男女。
その空間の中で笑えていないのは夏美だけ。
それはこの世界の住人ではないような疎外感を夏美に与えていた。
メリーゴーランドと観覧車を通り過ぎ、さらに進む。木葉はテーマパークを出る気配を見せず、かと言って足を止めることもない。
「どこに行くつもりなの?」
「ここ、ホテルがあるでしょ?」
白い人差し指で木葉は斜め上の方向を指し示す。その方向に顔を向けると、品の良いホテルが確かに存在している。このテーマパーク内にある中でも一番高級なホテルだ。
「そこに、木葉の仕えている人がいるんだね」
「ええ、楽しみね」
ご機嫌な笑みで木葉は答えた。今日の木葉はどこか浮かれているような気がする。今まで見たことのない彼女の姿に、言いようのない不吉さを感じてしまうのだ。
秋になり、日が傾くのが早くなっている。
空は橙色に染まり始め、夕方の気配が感じられる。
突然強い風が吹いた。
風は夏美の短めの髪を舞い上げ、木葉の長い黒髪を躍らせる。誰かの帽子が朱の空に高く飛んだ。
心の準備をしなければ。
これから会う人間がどんな者なのか。
何を知っているのか。
なぜ、自分を呼んだのか。
何一つ相手について知らない。
それは当主になってから初めてくらいの経験だ。誰かとこうして会う時は、いつだって相手のことを調べ尽くしてから行った。
不安だったから。
それもあっただろう。
だが、一番の理由は相手を利用するためだった。当主として、使えるものは何でも使わなければ損だ。
夏美にとって当主の座は絶対に手放せないもの。あの日の事を封じるための地位と権力だ。
ふっ、と口元に弱い笑みを浮かべる。
そうして来たのに、どうしてこうなったのやら。
「夏美、そろそろ着くわよ」
木葉の声に我に帰った。気づけばここはホテルの前で、ガラス扉が人の姿を検知して開いていた。
遊び帰りの人たちと共に中に入る。着ている服も一目で良さそうな物と分かる代物で、金持ちそうだ。術の気配もなく、普通にこのホテルの利用客なのだろう。
夏美は周囲を警戒して見渡した。結界の類いも無し、と。
だが、油断はできない。ここからが本番だ。
木葉に連れられて最上階へと続くエレベーターに乗り、そこでやっと木葉は足を止めた。
最上階の部屋、つまりこのホテルで一番高級な部屋。それはこの階に二つしかない。
木葉は2801と書かれたプレートがある扉の前で、くるりと振り返った。
「準備は良いかしら?」
顔を覗き込まれた夏美は、木葉の瞳に鋭い視線で答える。
「うん」
微笑んで木葉は扉を軽やかにノックした。中から返事は聞こえなかったが、木葉は構わずドアノブを捻る。
ぷらん、と何の抵抗もなく扉が開いた。
その向こうには明かりが無い。本当に誰かいるのだろうか。
暗い空間が自分を招いたような気がして、夏美は無意識に中へと踏み込んだ。ひやりとした空気に背筋が嫌な感覚を訴え、震えが身体中を走り抜けていく。
後に続いた木葉は後ろ手で扉を閉める。
射し込んでいた明かりが消えた。真っ暗な部屋に、遅れてランプの光が灯る。薄暗いのに目が慣れてきた頃、夏美は自分の前の人影に気がついた。
「やあ、こんにちは。荒木夏美さん。こうして会うのは初めてだね」
「っ……」
穏やかな少年の声だった。それなのに途方もない圧力を感じて膝を折りそうになる。
顔を上げれば、綺麗な黒髪に漆黒の瞳の少年が微笑んで立っていた。この世の者とは思えない浮世離れした存在に見える。光希よりも背は低いくらいで、精巧な人形のような印象があった。
まるで、それは人間を完璧に再現し過ぎてしまった紛い物のようで――。
人間の皮を被った正真正銘のバケモノ。
ヒトではない何か。
少年の見た目には釣り合わない強大すぎる力の気配。
気を抜けばすぐに跪いてしまいそうだ。
そう、夏美の本能は高らかに告げている。
これは自分よりも遥かに高位の存在だ、と。
そして同時に思う。
――この人に従わなければ、と。
「まあ、とにかく座ったら良いよ」
少年の言葉にハッとする。泳ぎかけていた意識を捕まえ直す。
「……はい」
夏美は少年が案内するまま、窓際の椅子に座った。カーテンは半端に閉められ、光が部屋の中を程よく照らしている。少年はテーブルを挟んで夏美の前に座り、木葉は彼の後ろに付き従う陰のように移動した。
「まずは自己紹介した方が良いかな?」
少年はにこりと笑う。夏美は返事もできずに小さく頷くので精一杯だ。その様子にも少年は気にした素振りを見せない。というよりも、相手が自分に畏怖することに少年は慣れているように思えた。
「僕に名前は無い。……呼ぶなら、ハルト、と呼んで欲しい。この姿だって仮初のものでしかないしね」
"ハルト"が嘘をついているようには見えない。その感覚さえ当てにはならないのだが、たぶん彼に名前が無いことは事実なのだろう。
「……あなたは何者ですか?」
夏美は慎重に声を出して質問する。待ってましたとばかりに"ハルト"は頷いた。
「僕は、そうだね……、分かりやすく言うと魔族の王、だよ」
「魔族の王……」
「うん。つまり僕は今の天宮家の敵ってことになる」
それはつまり、夏美にとってもこの少年が敵であることを意味する。荒木夏美は天宮家に仕える十の家の当主の一人。その忠誠は天宮家にある。
「……それならあなたは私の敵です。私は十本家に名を連ねる当主ですから」
精神力を総動員して言う。少年の前では自分の行動全てが見定められ、裁定されているような感覚がしていた。
「うんうん。身分上、君はそう言うしかない。でも、君は違う」
少年の眼光が鋭くなった。浮かべられた冷たい光に、それが本来の少年の姿であると分かる。
「君は僕らの同族だよ」
夏美は目を細め、少年に懐疑の目を向ける。
「……どうしてそう言えるんですか? あなたが私のことを知っているとは思えません」
「――分かるさ。それが君が同族であることの証明になる」
瞳の奥に得体の知れないものを感じ、夏美は息を呑んだ。どこまでも落ちていく底なしの暗闇に引き摺り込まれそうな瞳だった。奈落をその眼に宿したような、無垢な少年の顔にはあってはならない淀みがそこに存在している。
魔族の王とはこうも恐ろしいものなのか。
「魔族にとって、名前は己の存在を規定する重要なものなんだ。君は本当の名前を知らない。だから今まで人として生きて来ることができたんだよ」
止めて。
知りたくない。
教えないで。
そう痛いくらいに思うのに、夏美の耳はその続きを求める。耳を塞ぎたいのに、手が動かない。少年の口が動く。
「荒木夏美。君の名前を教えよう――
君の名前は、
ラミア・ノイ・ドラキュリア。
――吸血鬼の『王』の正統なる後継者だよ」
夏美の秘密が明らかに……。
"ハルト"は一度どこかに登場してます。
木葉はとてもご機嫌です。




