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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第6章〜緋色の吸血姫〜

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檻の中の獣

 楓は光希と共に暗闇をただ黙々と歩いていた。


 二人だけで。


 もちろん、ここは絶叫屋敷とやらの中だ。


 薄暗い中を冷たい空気が足を撫でていく。雰囲気は夜の墓場のような感じで、しんと不気味に静まり返っている。


 コンクリート剥き出しの地面には、ガラスの破片のような物や壊れた人形が落ちていたりしていた。横は、洋館を模した古びた部屋が。そうと思えば、畳張りのボロボロの日本屋敷が。世界観が無茶苦茶なのは言うまでもないだろう。

 だが、それでいて精巧に作られていている。例えば、今通り過ぎた部屋の血溜まりに倒れている女は本物のようだ。黒いパサついた髪が放射状に広がり、白い服は見事に鮮血に染まっている。


 だが、残念ながら怖くない。


 女子としては怖がっておきたいものだが、叫びたくなったりはしないのである。……叫びたくて叫ぶものでもないか。

 血も見慣れた楓にとってはそんなものは怖くもないのだ。


「お化けっていうと、あの時の肝試しを思い出すな」


 楓はふと、呟いた。平然とした表情のままの光希は楓の方を見る。光希も楓と同じで、幽霊みたいなものには恐怖を覚えない人なのだろう。

 せっかくお化け屋敷という恋愛イベントには欠かせない場所に来ているというのに、全く残念なことだ、と自分のことは棚に上げて楓は思う。


「ああ、あの校外教室のやつか。肝試しっていう名前の」

「うんうん、ボクと相川で最速ゴール叩き出したやつ!」


 ニッと笑って、くるりと方向転換する。光希の顔が真正面に来た。そのまま後ろ向きで歩きながら会話を続ける。


「肝試しというか、あれは特別試験だったもんな。天宮が頑張ってくれたお陰で、俺はほとんど何もしていないが」

「いやいや。相川がペアじゃなかったらボク、手、出せなかったぞ? 一応、隠してたんだし」


 フッと光希の口元が笑みに変わった。少し、笑いを堪えるような顔をしているように見えるが、何か面白いことでも言っただろうか。

 ひょいひょいと、足元のガラスの破片もどきや古びた時計を避けながら楓は光希が話すのを待ってみる。


「だが、お前の努力もタコのせいで台無しだったな」


 その言い様に思わず噴き出してしまった。確かに、タコのような魔獣を倒すために全力で戦ってしまったような気がする。今思えば、少し恥ずかしい。


「いやー、懐かしいなー。そんなこともあったけなー」

「天宮後ろっ!」


 呑気に後ろを向いてふらふらしていたら、光希が鋭い声を出して何やら慌て始めた。楓は首を傾げる。


 後ろ?


 考えるよりも先に手足が動いた。目にも留まらぬ速さで高い殺傷力を秘めた手刀が背後の気配に向かって飛ぶ。


 だが、極めて危険な攻撃は目に見えない硬い壁にぶつかる。予想外の障害物に阻まれ、顔をしかめたのは楓の方だった。


「……お前ならやると思った」


 気づかぬ内に止めていた呼吸を再開した光希は、安堵の溜息と共に言葉を吐き出す。そして、展開していた物理障壁を突き出した右手を下げつつ解除する。


「むぅ、痛かったんだぞ、相川」

「はいはい」


 口を尖らせて抗議したら、あっさりと流された。光希は楓の横を通り過ぎてしゃがみ込む。


「すみません。大丈夫ですか?」


 光希が声をかけたのは、暗闇の中で薄ぼんやりと発光している骸骨に向かってだった。しかも、骸骨は腰が抜けているようだ。


「相川、どうしてホネに謝ってるんだ?」

「バカ、キャストの人に決まってるだろ。……それで、大丈夫ですか?」


 楓の間の抜けた質問を一蹴する。光希はせめて骸骨さんを安心させようと、綺麗な笑顔を浮かべて見せた。


「……あ、あ、……ぎゃぁあああっ!?」


 バネでも入っていたのではないかと疑うほど勢いよく骸骨さんは跳ね起き、絶叫しながら暗がりの向こうへ脇目も振らずに走り去っていく。


 取り残された二人の空間には、しばらくその全力の絶叫の残響が響いていた。


「……」

「……」


 微妙な沈黙が続く。


「行っちゃったな、相川」

「ああ、……とても申し訳ない」

「……」

「……」


 再びの沈黙。


「あ、だから絶叫屋敷なんだ!」


 突然楓は名案を思いついて目を輝かせた。

 もはや呆れを通り越した引きつり笑いで光希は返す。


「そんなわけないだろ……」


 ただ、それ以来、楓と光希に姿を見せようとする勇者なお化けはだいぶ減ってしまった。


 ……残念なことである。






 ***


 ……何が悲しくてこんな女狐と一緒にお化け屋敷のペアなんて組んでいるのだろう。


 夏美は目を細めてバレないように小さく溜息を吐いた。木葉と夏美は他人以上友達未満の距離を保って歩いている。


 もう幾らかの時間はこうしているのだが。


 古ぼけて干からびた草がぼうぼうとあちこちから飛び出している庵を通り過ぎようとする。すると、背後に白い人影が現れ、夏美と木葉に手を伸ばした。


「あら、あなたは、噂に聞くお岩さんかしら?」


 くるりと、何の気負いもなく木葉は振り返り、白装束の女をまじまじと見つめる。


 青白い肌と痩けた頰。そして、何らかの技術によって身体はぼんやりと光っていた。いかにも幽霊のようで、素晴らしい再現度だ。


「なかなかよく出来てるね。本物みたいだよ」


 夏美も感心した声を出す。


 これには戸惑ったのはお岩さんの方だった。

 普通のお客なら、間違いなく絶叫していたタイミングだ。それなのに、この二人の少女は顔色一つ変えないどころか、感心までしてしまっている。


「……そのぉ……なんか、すみません……」


 自信を失くしてしまったお岩さんは、消え入りそうな声で謝る。


「夏美、どうしてこの人謝ってるのかしら?」

「さあ? うーん、そういう設定なんだと思う」


 この場に立っていられないくらい、お岩さんのメンタルは粉々に砕かれた。

 私、才能無いのかも、と内心思ってしまっただろうことは否めない。


 不思議そうに眺める二つの視線に耐えきれず、お岩さんは走って逃げ出す。


「……逃げちゃったね。残念」

「ええ、理由が全く見えないわ」


 夏美と木葉は冷静にその背中を見送った。

 後には静寂が再び訪れる。順路の向こうに視線をやっても未だ闇は深い。最後までだいぶ道のりはあるらしい。


 ――それなら好都合。


 夏美は自分の中のスイッチを切り替えた。すっと頭が冷えてくる。荒木家当主の性格が現れる。


「……木葉。そろそろ、どうして私たちをここに連れてきたのか教えてくれないかな?」


 隣を歩く木葉の赤い唇が笑みを作った。


「やっと訊いてくれたのね。私、待ってたのよ」


 嬉しそうに黒髪の少女は笑い声を漏らす。夏美はその姿に鋭い視線を突き刺すように向ける。


「私をわざわざペアに指名したのにも意味があるんだよね?」

「あら、楓と光希をくっつける為、とは考えなかったの?」


 楽しそうな声ですぐにからかおうとしているのが分かった。当然、そんな誘いには乗らない。


「確かにそれもあるとは思う。でも、それだけじゃない。……そもそも、あなたが私たちをテーマパークに誘うこと自体がおかしいんだよ」


 厳しい言い様にからかうのを諦めたのか、木葉はニヤニヤ笑いを消した。


「ええ、もちろん意味があるに決まっているじゃない。……あなたに誘いがあるのよ」


 捕食者の目が夏美を捉えていた。初めからそれだけが狙いだったようだ。


 夏美をこういう場所に、楓たちと一緒に連れ出せば、木葉の言葉に従わざるを得ない。楓たちという()()が存在する以上、ボロは出せない。故に、逃げ場は存在しないのだ。


 一瞬の間に自分の置かれた状況を理解する。だが、動揺は隠せなかった。問題は、木葉が自分に何を要求するのか。


「……っ。それで、誘いっていうのは?」


 木葉は軽やかに埃が積もった金の額縁に触れた。灰色の粉が僅かな光を受けながらふわりと舞う。


「簡単なことよ」


 微笑む。


 しかし、夏美は知っている。その微笑みこそが何よりも一番怖いということに。


 ゴクリと生唾を呑み込んで夏美は、美しい造形の唇が動くのを待った。


「私の仕える主に会って欲しいの」

「……っ」


 目を見開く。衝撃、というよりは、やっと来たか、という感覚があった。それでも動揺は隠しきれずに顔に出る。意図して心を落ち着け、夏美は冷たい瞳で木葉を見た。


「……私に、何の用があるのかな、木葉の主は?」


 ふふっ、と木葉は楽しそうに笑う。芸術作品のような精巧で美しい指の先が夏美に向けられる。天使の微笑みを綺麗な顔に浮かべて少女は言った。


「あなたに、あなたの秘密を教えてあげるわ」


 震えが夏美の身体に走る。


 甘い甘い囁き。


 それはずっと知りたかったこと。


 どうして自分はこんな風なのか、その答えをずっと求めていた。


 口を閉ざして返事をしない夏美に向かって、さらに木葉は饒舌に、言葉を重ねる。


「知りたいでしょう? それに、あのお方の命令は絶対よ。あなたは、あのお方の誘いからは逃れられないわ」

「……」


 夏美の顔に陰が落ちた。完全に夏美の様子を無視して木葉の話は続く。


「この後、私たちは楓たちと分かれるわよ。場所は私が連れて行く」

「……分かったよ。口裏は合わせれば良いんだよね」


 ええ、と嬉しそうに木葉は顔を輝かせる。


「物分かりが良くて嬉しいわ! さすが夏美ね」


 褒められているんだか。夏美はそっぽを向いて小さな抵抗を示した。それくらいしか夏美にはできない。


 もう全て、遅すぎるのだ。


 あの時、あの場所でああして会わなければ良かったのに。


 いや、初めから彼女に目をつけられた時点で終わっていたのだろう。


 真綿で首を絞められていくように、じわじわと少しずつ確実に。毒を盛られて少しずつ弱らされていく獣のように。もうほとんど、身動きができない。


 夏美は既に彼女たちの術中にあるのだから。

楓が危険人物…。


そろそろ夏美の秘密に触れられそうです。

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