約束の続き
「あは、あは、あはは、あは……」
空々しい笑いをひたすら続ける楓に、光希は微妙な顔をしていた。
「……いつまで笑ってるつもりだ、天宮」
呆れたような声は微かに硬い。楓は無理矢理作っていた笑顔を消した。
声がしなくなった空間に、風に揺れる葉の音だけが響く。陽が落ちるのが早まった空は橙色に染まっている。
「相川、モテるんだねー。ボクは羨ましいぞ」
沈黙に耐えきれなくなった楓はそう言って、今度は嘘っぽくない笑顔を浮かべた。
「そんなことはない。木葉に比べたらこういうのも少ないだろ」
「いやいやいや、木葉と比べちゃダメだろ。あれはそういう次元じゃない」
「そうだな」
ふふっ、と軽く笑って顔を見合わせる。
「それで、なんでお前がここにいる?」
やっぱり忘れていなかったか。地味にそこから話を逸らそうとしていたのだが、光希は忘れてはくれないようだ。
「話さなきゃダメ?」
若干上目遣いで聞いてみる。もちろん珍しくギョッとした顔の光希が見れただけで、なんの効力も発揮しなかった。
「ああ、話せ」
楓はすんなり頷いた。そして、ここまであったことを話し始める。
「今日、ボクは芦屋先輩と風紀委員の当番だったんだ。そこで結構ヤバい事件があった」
「ヤバい? 霊力の不正行使か?」
チッチッチと勿体ぶって人差し指を振る。しかし内容はそんな呑気なものではないのは明白だ。
「違う。校内に魔獣が出た」
光希が瞬きをした。少し遅れて反応をする。
「……。は? ……確かにそれはヤバい事件だが……、どんな魔獣が出た?」
「黒いモヤがかったヤツ。形からしてみると獅子で、妙に殺気立ってたし手負いみたいだった」
思い出しながら説明するが、手負いというのはおそらく間違っていない。あの殺気も生きるために本能的に発したものだった。
「手負いってことは、誰かに傷つけられたっていうことだな……」
「うん。だけどまあ、他の生徒が手を出したっていう可能性がずっと高いと思うけどな」
「ああ、仮に他の人間だった場合、とんでもないことになる」
光希は呟く。実は楓も同じことを思っていた。光希が言おうとしているのは、もしも生徒出ないならば魔獣を放った者が五星の内部に存在する可能性がある、ということだ。
「……五星の崩壊っていうのも冗談じゃなくなってきたみたいだ。まあ、それで、3年生の先輩たちも引退を先送りにして、魔獣に対応できるようにAランクとSランクの人を風紀委員に入れるって言ってたんだよ」
「それが妥当な判断だろうな。俺たちもまだまだ忙しくなりそうだ」
感心したように光希は頷く。楓もそれに同意した。
「先輩たち、結構はっちゃけてたんだけど大丈夫かなー」
「疲れているんだろう、先輩たちも」
光希のコメントも非常に適当だ。とはいえ、その目は話を続けろと促している。観念して、楓は続ける。
「それで、このことを相川に伝えようと思ったわけだよ。早めに知っておきたいだろ?」
光希の相槌を待ち、現在のところ大問題となっている部分の話を始めた。本当に完璧な偶然なのだが、信じてくれるかどうか非常に疑わしい。
「相川を探そうと思って教室棟を出たら、相川がどこかへ行くのが見えて――」
「――ここまでついて来たってわけか」
溜息を吐き出しながら光希は呟いた。その発言で、尾行されているのに気付いていなかったことがはっきりした。つまり、楓の気配遮断は完璧。勝手に変なところで喜んでいるが、やっていることは立派に犯罪である。
……それはさておき。
光希の表情はいつの間にか無表情に変わっていた。
何かまずいことでもしただろうか。
尾行した辺りとか、話を全部聞いていた辺りとか……。
要するに楓のした行動全てが問題なのだ。しかし、光希が無表情になった本当の理由を知る術は今の楓にはない。
「……全部、聞いてたのか?」
しばらくの間があって、光希が問いを口にした。楓は取り留めのない思考を止めて答える。
「聞いてた。相川に好きな人がいるかもっていうのもね」
目の前の黒い瞳が大きくなった。光希の視線が宙を彷徨う。
楓はその反応に確信を得る。それは言うまでもなく、光希には好きかもしれない人が存在している、ということの確信だ。
すうっと身体の感覚が一瞬離れた。脳と身体を繋いでいるものが切れそうになる、そんな感じがした。
そして、楓は思い出す。五星学園交流会の夜会で、酔って寝てしまった光希の寝言を。
『伊織』
それは大事そうに呟かれた名前だった。
それなら光希が好きな人はその人……?
訊くのはそんなに難しいことではない。それは楓もよく分かっている。少し声を出すだけで良い。だが、訊くのはなぜか少し怖かった。
「べ、別にボクが嫉妬した、とか、そんな、ことじゃない。けど、そのー、相川が、好きな人って、あの……、伊織っていう名前の人、だったりする?」
自分でも恥ずかしくなるくらいに下手な質問だった。きちんと伝わっただろうか、恐る恐る顔を上げる。
楓は声を発するのをやめた。
予想していた反応とはまるで違う。光希は本当に呆気に取られたような顔で目を見開いていた。
「あ、相川? 大丈夫?」
逆にこちらが困って、他の場所へ意識を飛ばしている光希に戻って来てもらおうとする。その甲斐あってか、光希はゆっくりと瞬きをしてこちらを見た。
「……どうしてその名前を天宮が知っている?」
鋭い視線を向けられて、萎縮しながらも口を動かす。
「夜会で酔っぱらって倒れた相川が言ってた。……不可抗力なんだぞ」
答えつつ、盗み聞きなどの疚しい行為は一切行なっていないと主張する。これなら光希に責められることもなく、安心安全。
そう思っても、実際にはそうは行かないだろう。
身体を強張らせて返事を待っていたので、全く違う別の言葉が掛けられて虚を突かれた。
「……天宮、場所を変えるぞ」
「え?」
光希はくるりと踵を返して歩き出す。慌てて楓はその後を追った。
***
光希が立ち止まったのは、学校の敷地を網羅している細い遊歩道の先だった。
人の気配は無い森の中の歩道の横、そこには小さなベンチとテーブルが置いてある。上に葉っぱでも載っていそうな雰囲気だが、不思議と木造りのベンチとテーブルは綺麗なままだ。
「ここは? こんなところ、学校にあったんだ」
「良い場所だろ? ここなら誰にも話を聞かれない」
確かに、こんな外れのこじんまりした場所まで来る物好きは少ないだろう。少ないというか、いないと言っても良いはずだ。
それに、この落ち着いた空気は話をするにはもってこい。
「良い場所だな、ボクも気に入った――っ⁉︎」
「伏せろ天宮!」
光希に腕をグイと引っ張られ、そのまま茂みに引きずり込まれる。理解不能でポカンとしていると、光希が耳元で囁いた。
「誰か来る」
光希の声のすぐ後に、高い声が聞こえてきた。
「ココよね⁉︎ まだ落ちてるかな⁉︎ 大事なものだから、失くしたくないの!」
「大丈夫、きっとあるよ。俺も手伝うから」
茂みの隙間からベンチとテーブルの様子が垣間見える。女子生徒と男子生徒は何やら落とし物を探しているようだ。ゴソゴソと二人で何やらテーブル付近を捜索している。
「……あったわっ! 一緒に探してくれてありがとう!」
唐突に女子生徒は満面の笑みを浮かべて男子生徒に思い切り抱きついた。男子生徒は幸せそうな優しい笑顔で女子生徒を抱きしめる。
「見つかって良かったよ。俺も嬉しい」
「〜〜ん! 好き! 大好き!」
「俺もお前のことが大好きだよ」
なんつー甘い会話をしているんだ⁉︎
今すぐ立ち上がって叫びたくなった。
それにしても、隠れようとした光希の判断は正しい。隠れていなければ、あの甘々な空気を直に吸うことになりそうだ。それに、あのカップルも人に見られながらイチャイチャするのは嫌だろう。……そもそもやらないか。
少し身体を動かそうとして楓は気づく。
光希が近い。
光希の手の位置は楓を茂みに引きずり込んだ時から変わっていない。その上、茂みに隠れているため、重度の密着状態だ。しかも光希はその事実に気づいていない。
体温が光希の手と、触れている場所から伝わってくる。楓の心臓は壊れそうなくらい早鐘を打っていた。
早くここからいなくなってくれ、と願いながらゆっくりと流れる時間に耐える。
「もう大丈夫だ」
光希が言って振り返った。そこで光希は初めて楓と頭がぶつかりそうなくらい密着していることに気づく。そして、耳まで真っ赤になって硬直している楓の様子にも。
「あ、相川……、近い」
ばっと立ち上がり、光希は慌てて距離を取る。
「……その、すまない」
視線を楓の顔から逸らして謝罪する。
「い、いや、だ、大丈夫。不可抗力」
ふるふると楓は頭を振って謝罪を流す。さっきの紛れもなく事故だ。だから気にしないことしよう。
楓は気まずくなった空気を変えるために、ベンチに腰掛けながら話を戻そうと口を開いた。
「……ところでボクに話って、何? 伊織っていう子が好きだって所までは分かってるけど……」
「違う」
即答しながら、光希は楓の正面に腰を下ろした。離れた距離が再び縮まる。
「違うっていうのは……どの?」
「伊織は俺の好きな人じゃない」
光希は目を伏せた。そこにある感情は哀しみか、沈んで重い空気は光希を取り巻いている。
「……天宮、前にした約束を覚えているか?」
光希と交わした約束なら、一つしかない。
いつか約束したのは、
二人の間で秘密はなしにすること。
そんな約束だ。楓は自分の過去の話をし、そして光希は黙秘した。
それは『異端の研究』にまつわる何かについてだったはずだ。
あの時の光希はとても危うくて脆そうに見えた。そんな光希の力になりたくて訊いたが、拒絶されて……。
楓は過去に引きずられそうになる感情を抑え、頷いた。
「覚えてるよ。忘れるわけないじゃないか。ボクはまだ、諦めてない」
光希はそっと微笑んだ。儚い表情に息を呑みこむ。硝子細工のような、触れれば壊れてしまいそうな微笑み。光希の黒い瞳は真っ直ぐに楓を見つめていた。
「ずっと、迷っていた。お前に話そうかどうかを。話せばまた何かをお前の肩に載せてしまいそうで……」
言葉が切れる。楓は光希の複雑な色合いを浮かべる瞳から目が離せなくなっていた。
「だが、もうそれは終わりだ。背中を初めて預けて戦って、俺は既にお前に多くを預けてしまっていることに気づいた。……だから、聞いて欲しい。俺が背負っているものも、過去に守れなかったものについても」
「もちろんだよ。聞かせて欲しい。ボクも相川が話してくれるのをずっと待ってたんだから」
楓は笑ってみせた。光希の目に柔らかい光が浮かぶ。
少しだけ肌寒い風が楓と光希の髪を攫って吹いていった。
やっと本題に入れそうです。
(まだ入ってない)
 




