番外編 暗殺者の忠誠
今回は番外編です
時系列的には一応五星学園交流の前になります
「カレン、終業式の後の1週間、私に付き合いなさい」
突然亜美はそう言った。カレンは目を瞬き、即座に頷く。
「もちろんです!亜美様!」
何をするのかまるで分からないが、亜美と1週間どこかへ行けるのが嬉しすぎてそれどころでは無い。
いつになく亜美が神々しく見えた。明るい茶髪がふわりと優雅な動きをする。吊り上がった目が満足そうに細められた。
「それは良かったですわ。では、今からお爺様にその節をお伝えして来ますわ。貴女はそこで待っていて」
「はい、分かりました」
青い瞳を興奮で潤ませ、カレンは頭を下げた。
***
桜木カレンが霞浦亜美という少女と出会ったのは、入学式当日のことだった。
カレンがこの学校にやって来たのは『ベガ』の暗殺者として、『神』と呼ばれる存在に近いとされている相川光希を殺す為だ。
相川光希は本家一族のどれよりも恐ろしい相川家の正統な血を引いている。その実力たるや中学生にして最高のSランク保持者になったというバケモノじみたものであり、カレンが集めた情報によればまだ強力な手札を隠し持っているらしい。つまり、『ベガ』に育てられた暗殺者であるカレンにも、真っ向から戦って相川光希を殺すのは不可能。
そういう相手はその人の大事な人間を人質にして実力を封じるのが定石だが……。
カレンは溜息を吐いた。
残念ながら相川光希が大事にしている人間がいるという情報はない。幼馴染としては、荒木家当主、荒木夏美と神林家のSランク、神林涼が挙げられる。そこまでくると当主クラスになってくるので、まずこの二人を人質にすることはできないのだ。
どう考えても現状では不可能。
もう一度深い溜息を吐き出した。誰にも目をつけられないようにと低めにしたツインテールが暖かい風に揺れる。日本の春の名物風景の中にいるのに、カレンの気持ちは沈んでいた。
「貴女も新入生ですの?」
カレンは顔を上げる。隣に並んだ少女は光に照らされて金髪に見える髪を手で払いながら、カレンの顔を覗き込む。
「あ、は、はい、そっちもそうですか?」
大人しい生徒を演じる予定だったので、自然とそういう口調になった。まるで俗に言う悪役令嬢のようなキツい顔立ちが緩む。
「ええ、私は霞浦亜美。1年B組ですわ」
同じクラスだ。それに霞浦といえば10本家ではないものの、相当高位の本家の名前だった。強気な性格とお嬢様らしい華やかさ、それから名前の知名度。その存在感は今この瞬間でさえ人目を惹きつける程のものだ。この任務を遂行する上で、彼女を隠れ蓑にするのはちょうど良い。そう判断したカレンは柔らかく笑顔を作った。
「私も、同じくっ、クラスです。もし良ければ、これから、な、仲良くしてくださると嬉しいですっ」
亜美の目が細められ、彼女は唇を吊り上げた。
「貴女、私の従者になる気はなくて?」
ポカンとカレンは口を開ける。唐突な誘いに呆気に取られ、しばらく目をパチパチさせた。もちろん、内心ではニヤニヤ笑うところなのだが。
「あ、え、いえ、違うのですわっ⁉︎つ、つい……。ああ、もうっ!貴女!名前、教えなさいっ!」
「は、はいぃ!さっ、桜木カレンです!」
頭をぶんぶん振っていた亜美の思わぬ質問に慌てて答える。
「カレン、私の従者になりなさいっ!」
それがカレンと亜美の初めての出会いだった。
今なら亜美が言いたかったことが分かる。従者になる気はなくて? 、というセリフを意訳すると、『私のお友達になってくださいませんか?』という意味になるのだ。
ええ、実に分かりにくいです、亜美様。
亜美は素直では無いのだ。本当はとても優しくて面倒見が良いのに、その意思とは真逆の行動をしてしまう。つまり、ツンデレの一種だろう、とカレンは思う。
とにかく、それからというものカレンは亜美の従者として生活するようになったのだ。相川光希暗殺の隠れ蓑として。その時は亜美をそんな風にしか見ていなかった。
今思うと、恥ずかしさのあまり自殺でもしてしまいそうなほど無礼な考えだ。正直、カレンはその頃の自分を絞め殺したい衝動に駆られている。それができるのなら、今すぐ殺ろう。
亜美様はとても優しい方だ。
それに気づいたのは、カレンが任務に失敗し、天宮楓に倒された後の事である。
自然と溜息が口から漏れる。
気づくのがあまりに遅すぎる。我ながら信じられない。あの分かりにくい優しさこそがカレンにとっては救いなのに。
まあ、それはさて置き、話を戻そう。
霞浦家の長女である亜美が、カレンが暗殺組織から相川光希を殺す為に送り込まれた刺客だということを知らないはずがなかった。
死を覚悟し、失敗すれば死ぬつもりだったカレンは、死ねないまま捕らえられていた。『ベガ』が殺そうとした『神』という存在とは何か、と拷問官に問われる。
「知りません。ただ、相川光希がその可能性が最も高いと判断されただけです」
そう答えた。それ以上カレンから引き出しようがなく、そもそも何も知らない人間を拷問しても意味がない。無駄な時間と体力を消費するのみだ。すぐに用無しと判断され、ほとんど傷を負わずに尋問は終わる。
放り出されるようにカレンは外へ出された。
行く当てなんてどこにも無い。任務に失敗し、捕まったカレンを組織は許さない。
絶望感に呑まれ、ふらふらと歩き出した。夕方の斜めから差し込む光が俯いたカレンには眩しい。陰の中を選んで足を進めるが、どこに向かおうとしているのかは、自分でも分からなかった。
「カレン……」
ばったりと天宮楓に出会した。相川光希が鋭い視線をこちらへ向ける。胸に大きな穴が空いたような虚無感に、カレンは壁に寄り掛かりずるずると座り込んだ。
そうして血を吐くように言葉を吐く。危機感もなく笑う天宮楓にどうしようなく腹が立った。
だから亜美が叫んでくれたのが、救いだったのだ。
「カレンっ!」
その時の亜美をカレンはよく覚えている。息を咳切らしてこちらに走ってくる少女を。いつも気を使って整えている綺麗な髪が乱れるのもお構いなしで、必死な顔でこちらを見つめていた少女を。
そんな亜美をカレンは追いかけた。その背中はとても眩しくて、頼もしかった。
***
宝物の記憶を思い起こすカレンの頰はだらしなく緩む。まだ亜美が戻ってくるまで時間がありそうだ。なので、カレンは再び思考を過去に沈めた。静かな部屋で時計の針がチクタクと時を刻む音が響いている。
***
カレンの名前を亜美が叫んだ、次の日。
亜美に連れられ、カレンは霞浦家本家を訪れた。それはとても豪奢な屋敷だった。霞浦家は幻術の大家であるだけでなく、霞浦財閥として財力を持つ一族でもある。要するに亜美は生粋の温室育ちのお嬢様なのだ。
旧大阪府の中心から少し離れた場所に立つ西洋風の館は、異様な存在感を放っていた。
手入れが行き届き色彩豊かな花が咲き乱れる庭園に、水を高く噴き上げている噴水に……。そして、何よりもその先にそびえる豪奢な建物。
思わずここは本当にニホンですか⁉︎ と叫び出したくなるような場所だった。
亜美は何食わぬ顔で道のど真ん中を歩き始める。気が引けたが、置いていかれても困るので慌てて追いかけた。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
メイドがスッと滑らかに扉を開く。亜美は満足そうに頷くと、カレンを手招いた。
「ここが私の家ですわ、カレン」
「素晴らしいです、亜美様。こんな屋敷は見た事がありません」
キョロキョロと辺りを見渡しながらカレンは感嘆の声を上げる。言うまでもなくお世辞では無い。
廊下には赤い絨毯が敷き詰められていて、壁にかけられた絵画や彫刻、彫像はどれも一級品だ。亜美を見ていても思うが、霞浦家の人間は派手好きなのだろう。この屋敷も趣味全開。カレンの組織の総帥の趣味とはあまり合わなさそうだ。
亜美に連れられてどんどん先へ進む。どこもかしこも似たような豪奢な飾り付けが成されており、亜美がいなければ迷子になりそうだ。
「カレンはここで待っていなさい」
今まで通り過ぎて来たものとは一風異なる重々しいドアの前で、亜美はカレンの顔を見ずにそう言った。
その様子でカレンは判断する。この部屋こそが霞浦家当主の過ごす部屋なのだ、と。
「はい」
短く返事をし、カレンは亜美を部屋へと促した。亜美は緊張した面持ちでドアを押し、中へと消える。
「――久しぶりです、お爺様。お元気でしたか?」
「ああ。お前こそ風邪を引いたりなんかしなかったか?愛しい孫娘よ」
「ええ、もちろんですわ」
妙に会話がきれいに聞こえてくると思えば、亜美がドアを閉め損ねていた。カレンはそれを直さず、話に耳を傾ける。
「ところでお爺様、私、たっての願い、聞いてくださいませんか?」
「ああ、ああ、もちろんだとも。言ってみなさい」
聞くだけで亜美の祖父が亜美を溺愛しているのが目に浮かぶ。
「お爺様は、私の通う青波学園で起こった誘拐事件、そしてその事の顛末をご存知ですね?」
確認するように亜美が問いかける。
「無論だ。英国の暗殺組織の刺客が送り込まれていたのだろう?そして、刺客は既に捕縛された」
「ええ。私からの願いはそのことに関してですの」
ドア越しに部屋の中の空気が変化したのを感じ取り、カレンは身体に力を入れた。
「桜木カレン、彼女を私の従者に雇いたいのです」
バンッ、と硬い物を叩く大きな音が響いた。どうやら亜美の祖父、霞浦総一郎が机を叩いた音だったようだ。
「桜木カレン? それは刺客の名ではないかっ! いくらお前の願いとて、それは断じて許さん!」
「……っ!」
亜美が唇を引き結ぶ。見えてはいなかったが、そんな風に感じた。
「……彼女はもう組織に属しておりません。元暗殺者ならば、私の護衛としても十分ですわ。彼女なら、私の良き従者となることは間違いありません」
毅然とした口調と固い意思に、総一郎が息を呑んだ。亜美の瞳にはいつになく強い光が浮かんでいたに違いなかった。
気づけばカレンの目尻から暖かいものが溢れていた。嗚咽を殺してカレンは泣く。
人に大切にされたことなんて無かった。亜美はこんな自分を、当主に突っかかるほど大切に思ってくださっていたのだと気づいて、胸がどうにかなりそうだった。
「……っ、あ、み、さま……」
もしも亜美の願いが聞き入れられなくて追い出されることになったとしても、この気持ちだけは絶対に忘れない。胸に刻みつけ、やがて死ぬその時まで大事にしようと思った。
しばらく、静寂がその場を支配する。
物音が聞こえ、カレンは我に帰った。涙は止まらないまま、顔をくしゃくしゃにして答えを待つ。きっとここにはいられないのだろうな、と虚しく思った。
「私は譲りません。お爺様が良いと言ってくれるまでここにいます」
亜美の凛とした声が心地良くカレンの耳に溶け込んだ。
もう良いです。私にはあなたに仕える資格はありません。
そう言って亜美を止めよう。自分は誰かに大事にされる価値なんてやはり無いのだから。
カレンは覚悟を決めてドアに手を掛けた。
「……もう良い。分かった。儂が手を回そう。代わりに桜木カレンが不審な行動を取ればすぐにこちらに連絡しなさい」
「……はい。感謝します、お爺様。私の無理をお聞きくださって」
ふぅ、と亜美が息を吐き出す音が聞こえた。足音は真っ直ぐドアの方へ向かっている。カレンはドアに手を掛けたまま固まっていたので、出てきた亜美と顔を突き合わせてしまった。
「カレン? どうして泣いているんですの?」
「い、いえ……、これは」
言い淀むカレンの手前、亜美は得意げに悪役令嬢顔を笑顔にしてみせた。
「これでカレンは正式な私の従者ですわ」
「……あ、りがとう、ございます、亜美様……」
嗚咽混じりでまともに言葉を発音できず、カレンは濡れた顔を更に歪める。亜美はふっと柔らかい微笑みを浮かべた。
「私にかかればこんなこと、朝飯前なのですわ!」
ドヤッと胸を張っているが、朝飯前でなかったのは知っていた。
本当はとんでもない無理をしたのに、当主に真っ向から逆らうのは怖かったはずなのに。それなのに亜美は、カレンを心配させないようにと得意げな顔をしていた。
ドアが開いていたのに気がつかないのは、亜美らしいというか、なんというか。余計にその抜けているところを見ると、この人から離れたくないと思うのだ。
カレンは鼻を啜り、涙でぐしゃぐしゃの顔を少しでもしゃんとさせる。ゆっくりと片膝を床に下ろし、カレンは跪いた。
「これより我が忠誠はあなたのものに。この身をあなたの為に捧げると誓いましょう。この命に変えてもあなたをお守りします」
亜美は目を見開き、それから微笑む。
「許しますわ、桜木カレン。貴女は私のもの。その身はこれより私の一部ですわ」
「はい、ありがたき幸せ」
亜美はカレンに手を差し出した。カレンはその手を両手で包み込む。
それはまるで貴族と騎士の契約のようだった。
たとえ、この命が短いものだとしても。
この忠誠、この心は裏切らない。
この命がある限り、亜美の為に全てを捧げよう。
***
コンコン。
ドアを叩く音が響いた。カレンはハッとしてそちらを向く。いつもの意地の悪そうな、でもとても優しい亜美の顔がそこにあった。亜美はカレンを見て目を見張る。
「カレン、貴女どうして泣いているんですの?」
驚いてカレンは目を拭った。あの日のことを思い出していたら、いつの間にか泣いていたのだろう。
誤魔化すように笑い、カレンは亜美に問いかける。
「それで、来週からは何があるのですか?」
「五星学園交流会ですわっ!」
なぜか眩い笑顔で亜美はフフンと笑った。カレンはそれが何を意味するか分からず、首を捻る。
「約1週間、楓さんと同じ空間……」
ウットリと夢見心地な瞳で亜美の視線が宙を彷徨う。カレンの身体からどんな猛獣でも尻尾を巻いて逃げ出しそうなほど濃密な殺気が放たれた。
幸か不幸か、それは夢見心地な亜美には全く効果がなかった。
何となく主従関係っていいな、と思います。
こうして見ると、亜美とカレンがとても可愛く思えてきます。
 




