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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第5章〜五星学園交流〜

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秘密

 音も立てず、誰もいない廊下を木葉は歩く。全員外の魔獣を殲滅しに出ているのだ。結界を解く方法はまだ見つかっていないらしい。長引く戦闘で、多くの人間が疲弊している。だが、この建物の地下に存在する五星の礎を守らなければ、遠からず五星結界は崩壊してしまう。


 本当の所を言えば、即座に崩壊するわけでは無い。ただ、結界の強度が僅かに落ちるだけだ。

『五星結界』の術式を組んだのは天宮桜。彼女がたった一ヶ所を壊すだけで全て壊れるような甘い結界を造るなど有り得ない。五星の礎が起動している限り、結界の起点に設定された五つの学園を破壊することはできないようにできていた。

 だが、五星の礎が破壊されれば話は別だ。五星学園の内一つを相応の戦力を以てして落とせば、()()()()()()()()()


 木葉の滑らかな黒髪が躍る。軽い足取りで階段を降りていく。気配はまるでしない。


 木葉は天宮家に長く仕える諜報員。天宮家に敵対する組織の内部に潜入し、情報を探るプロだ。演技はもちろん、見た目を誤魔化すのも気配を遮断するのもその為に必須のスキルだ。……時にはその任務には暗殺すら含まれるのだから。


 階段を降りるにつれて空気が冷えていく。外の戦闘音は一切耳に入らない静かな空間に木葉は足を踏み入れる。五星の礎という名の結界の術式の一部が刻まれた場所は、この近く。たとえ外が大ピンチでも、手練れの見張りは配置されている。


 木葉の唇が笑みを形作った。


 二人の見張り内一人は、最初に青波学園の生徒を迎えた火影の血筋の男だ。もう一人は見たことが無いが、かなりの実力者であるのは見るだけで分かる。


 木葉は動いた。気配の無い彼女に、二人の男は気づかない。手を伸ばせば簡単に触れる距離で背後に立つと、初めて二人は後ろに誰かがいると悟る。だが、ピクリと肩を動かせたのが彼らにできた最期の反応だった。


「――⁉︎」


 至近距離で木葉は直接術式を二人の男の体内に撃ち込んだ。心臓の動きが乱され、即座に術式は男達の命を奪う。ドサリと冷たい床に男の死骸が二つ転がった。それを感情の無い瞳で見下ろすと、扉を開いて中に入った。


「ふぅん、これが桜の刻んだ術式……」


 複雑に積み重なり、幾重にも張り巡らされた術式の数々に感嘆の声を漏らす。今まで多くの術式を見てきたが、こんなにも複雑なものは見たことが無い。よく見ると、その術式は常に変化を続け、陣の形状や色が刻々と移り変わっていく。これだけ複雑で変化し続ける術式を破壊するのは限りなく不可能に近い。


 しばらくその場でそれを眺めていた。美しい術式、無駄のない完璧なそれを破壊する方法を記憶の中から呼び覚ます。


「勿体ないけれど……、壊すしかないわね。……まさか誰もあなたが壊す為に五星結界これを作ったとは思わないでしょうね」


 この術式を壊す術は天宮桜から聞いていた。桜がこの結界を作ったのは、ただの時間稼ぎの為でしかないのだ。時間稼ぎの為でさえ、桜は一切手を抜いていない。だから、五星結界は完璧だった。木葉の知るこの方法でしか破壊できない。


「……だから、誰もあなたを理解できないのよ」


 木葉の瞳にうれいの色が揺れる。


 天宮桜は完璧だった。誰にも理解されず、誰にも悟らせず、ただ目的を果たす為ならばどんな手段でも使う。その為なら、大事なものだって切り捨てられる。彼女が望んだのは『未来』だけだったのに。


 ゆっくりと息を吐き出し、木葉は詠唱を始めた。


「――我が命は花のつゆ

 吹雪く桜は永久とわには有らず、いずれ散りゆく定めなり。燃ゆる花はあかを視る――」


 霊力を乗せた詠唱が術式として起動し始める。陣の中心部が紅い閃光を放った。木葉は白く美しい指先を光に向ける。


「――刺し穿つは我が心臓。砕きて結びを解き放て」


 破砕音がした。ガラスが砕け散るような音と共に紅玉ルビーのような欠片が降り注ぐ。それは五星結界の術式を起動させる触媒の破片だった。天宮桜は彼女自身の血を触媒に使ったのだ。


 術式が解け、眩い光の粒子が霧散していく。後に残ったのは紅い透き通った結晶の破片だけ。十五年に渡ってここを守り続けていた術式は、完璧ではなくなった。


 これで木葉の用は終わり。ここに残る必要は無い。だが、木葉は立ってそこで誰かを待っていた。()()()()、必ずここに来ると思って。



 ***


 心臓の音がうるさい。


 両手に拳銃を携え、夏美は廊下を走っていた。誰もいない廊下に、音のしない部屋。全員、この建物の中にはいなかった。やけに静かすぎるのだ。あの天宮家がこんなにも無防備に五星の礎を晒しているのはおかしい。この状況は明らかに異常だった。


 絨毯張りの廊下を駆け抜け、地下へと向かう階段を探す。この静けさ、この気配の無さ、五星の礎を狙うには絶好のチャンス。夏美には、その場所に敵がいるという確信がある。


 廊下を曲がった所で目当ての階段を見つけた。本家当主には五星の礎の場所は知らされている。それは、こういった緊急時に即座に対応する為だ。全ての当主が魔獣殲滅へと術式を行使している今、学生である夏美が一番動きやすい。


 白い石で造られた階段を気配を殺して降りていく。両手に拳銃を握りしめ、いつでも弾丸を放てるように引金に指を乗せていた。


 涼に魔獣と夕姫達を任せてしまったのは、無責任な行動だった。心の奥がざらついて、夏美の心に微かな揺らぎを生んでいる。


 涼なら全員守ってくれる。


 甘えだとは思うが、夏美はそう信じている。それに涼には彼女と会わせたくなかった。五星の礎の所にいるのは絶対に彼女だ。それは断言できる。


 一抹の後悔を抱えて夏美は階段を降り切った。そこにはまだ少し廊下が続いている。白く硬い床に足を滑らせるように歩き足音を殺す。ひんやりとした空気が嫌に身に染みた。


 ふと、夏美は自分の手を見た。白い空間の中でいつもよりも白く見える手は小刻みに震えていた。何が怖いのだろうか。震えの理由が分からない。


 数回深呼吸をした。心を落ち着かせ、震えを止める。拳銃を握り直すと、夏美は背筋を伸ばして五星の礎の存在する場所へと足を進めた。


「っ⁉︎」


 目に飛び込んで来たのは、倒れた人間。顔を下にして倒れている二つの死体を見るに、二人は背後から一瞬で殺されたのだろう。仮にも五星結界の礎がある場所だ。この二人の実力は夏美よりも上の筈だった。


 これが本当の彼女の実力。


 あの冬の、初めて出会った時に見せた本来の実力で、彼女は彼らの命を奪ったのだ。


 夏美は目の前の扉を睨みつける。ここで見張りが死んでいるのなら、もう五星は……。


 首を振って悪い想像を振り払う。もしかしたら、まだ壊されていないかもしれない。希望的観測に頼り、不安を打ち消した。


 大丈夫、きっと。


 強い覚悟を瞳に宿した夏美は扉を開き、中に身体を滑り込ませた。


「あら、遅かったわね、夏美」


 そう声が飛んで来た。半開きだった扉が閉まる。


「――!」


 夏美の目に入ったのは、術式の残滓とも言える高濃度の霊力と、砕け散った紅い宝石の破片だった。


 間に合わなかった……。


 目を見開き、夏美は目の前で微笑む木葉を凝視する。木葉の顔には一切の罪悪感も曇りもなく、愉しげな表情すら浮かべているようだった。


「……木葉、あなたが裏切り者なんだね」


 その言葉を口から出すのは少しだけ苦しかった。だが、言ってしまうともう何も感じなくなってしまった。


「ええ、」


 木葉の微笑は崩れない。夏美は静かにそう気づいた理由を彼女に告げる。


「あの夜の日、木葉は誰かと話してたね?今日の事について。木葉は天宮健吾様のことを御当主様と呼ぶ。その他の人には敬意を示さない。でも、あの時木葉はその人を様付けで呼んだ」


 木葉はその先を続けろとばかりに頷き、夏美を促す。夏美は自身の立てた推測を、順を追って更に詳しく続けていった。


「よく考えてみると、あなたの行動は常に天宮家の為にあったとは言えないことが多い。だから、私は推測した。……あなたは天宮家に仕えているんじゃない。他の誰かに仕えているんだってね」


 確信を持って話す夏美の声は震えてはいない。はっきりと、二人きりの空間に響く。鋭い視線が刃物のように木葉に突き刺さる。


「あなたが仕えているのは、誰?」


 ふふふっ、と笑い声が聞こえた。夏美の前に立つ黒髪黒目の美しい少女は、肩を揺らして笑っていた。


「何がおかしいの?」


 木葉の行動が理解できず、夏美は問う。この推理に間違いがあったのか、と。


「違うわ。やっぱりあなたは優秀ね……。だって、私の想定と全く同じ答えを口にしたんだもの」

「……どういうこと?」


 黒髪をもてあそび、木葉は言った。


「大ヒントを与えて良かったわ。お陰で予想通りにあなたはここにやって来た……」


 その台詞で夏美の中で引っかかっていたものが全てスルリと解けていく。同時に寒気が襲って来た。


「ま、まさか……、私は全部木葉に誘導されていただけ……?私の答えは、初めから、用意されていたもの……?」

「ええ。そうよ。あなたが一人でここに来るように、ね」


 やけに大きく木葉の声が夏美の鼓膜を震わせた。茫然と夏美は宙を見る。


「だから、この台詞セリフも口にするのは想定通りよ。夏美、あなたの推測には一つだけ、でもとても大きな間違いがある。私は裏切り者じゃないわ」


 その発言がとても信じられず、瞬きをした。それならどういう事だ、という意を視線に込める。


「だって私は最初から、天宮に忠誠など誓っていない。そして、あなた達を仲間だと思った事は()()()()()のだから」


 ゾッとするほど木葉の瞳は綺麗に澄んでいた。彼女の言葉に嘘は無いのだ。


「木葉っ……!最初から私達を騙してたんだんだね?楓や光希を弄んで、ずっと……!」


 激しい怒りに駆られ、夏美は握り締めた拳銃に力を入れる。二つの銃口が真っ直ぐに木葉の心臓を照準した。その手に迷いはない。頭が冷たくなったと錯覚する程に冷静で、あくまでも理性的に、夏美は木葉を殺すことを選択したのだった。


「あら、簡単に仲間に銃口を向けるのね」


 木葉の薄ら笑いを見れば分かる。木葉は夏美をからかっているだけ。だが、夏美は言い返さずにはいられなかった。


「……私達を騙していたあなたに、その言葉を言う資格なんてない」

「そう、残念ね」


 空気のように軽い声だった。感情が伴わない空っぽの言葉に、夏美はただ、木葉を殺すという意志を強める。


「あなたに私を殺せるかしら?」


 木葉を睨む。


「もちろんだよ。荒木家当主の私には、罪を犯した者を断罪する権利がある」


 二つの銃口が火を噴いた。実弾と霊力を最大限に圧縮した魔弾は寸分の狂いもなく木葉の心臓に吸い込まれる。木葉は避ける素振りも見せなかった。間違いなく撃ち抜いた自信がある。


 しかし、二つの弾丸は木葉の姿をすり抜けた。


 木葉の姿が霧散する。夏美は振り返った。


()()あなたに私を殺すことはできないわ」


 いつ、木葉は夏美の背後に立ったのか。さっき銃を向けた時か、それとも初めから?


 夏美の背筋を悪寒が走る。それでも、もう引き下がることなんてできない。驚愕を押し殺し、無表情を貼り付ける。そしてもう一度、木葉の胸に銃口を向けた。


「聞いていなかったの?あなたは私を殺せない。私はあなたの秘密をいつでもばら撒けるのよ、()()()()()?」


 木葉の瞳が真っ直ぐ夏美の瞳を捉えた。夏美はゆっくりと目を閉じ、開く。


「何の話かな?私には秘密なんて無い。木葉にばら撒かれて困るものもないよ」


 誰が聞いても夏美が真実を話しているとしか思えない。それほど完璧に、夏美は惚けてみせた。全く動じた様子のない夏美を見て、木葉は微笑みを深めた。


「本当に演技が上手ね、夏美。それなら、光希や涼、楓や夕姫達に言っても良いかしら?()()()()()()()()()()()()()()、と」


 貼り付けていた何も知らない少女の顔が崩れた。夏美の目が細められ、鋭利な抜身の刃のような瞳に変わる。冷たく無慈悲な荒木夏美が顔を出す。


「どうしてそれをあなたが知ってるの?」


 氷を思わせる冷たい声で問いかける。木葉はその質問を無視した。


「あなたが中学2年生だった頃かしら?荒木家は何者かによって襲撃され、その館にいた全ての人間が血の海に沈んだ。重傷を負ったあなたは奇跡的助け出されたわ。そして、あなたが治療を受けた病院の医者と看護師が何人か殺された。それも夏美がやったのよね?」


 今度は惚けずに頷いた。木葉には何もかもバレている。今や立場は逆転していた。


「そうだよ。……それで、何が目的なの?私はあなたが裏切っていることを黙っていれば良いってこと?」


 そんなまさか。別に夏美が他の当主や霊能力者に木葉が裏切り者だと言って証拠を出しても、木葉が対策を立てていない訳がない。圧倒的に不利なのは秘密を握られている夏美だった。


「ええ、そうよ」


 しかし、予想を裏切り、木葉はその条件で頷いた。夏美は眉を潜める。


「あなたの秘密を私は光希達には話さない。私はあなたに私が天宮ではない誰かに仕えている内通者だという事実を握られた。あなたは、隠し通さなければならない秘密が一つ増えただけ。それの何が不満なの?」


 木葉は天使のような微笑みを浮かべた。これはきっと、見た目よりも色々なものを奪われた、それかこれから奪われる取引。だが、夏美には拒否権など無かった。冷たい瞳と声のまま、夏美は了承する。


「……分かった。その取引に乗るよ」

「そう言ってくれると嬉しいわ。最後に一つ、良いことを教えてあげる」


 踵を返そうとした寸前で動きを止め、木葉の顔を見た。


「天宮は五星を破壊するつもりよ」


 殴られたような衝撃を受けた。

 五星を作った天宮家が自身の手でそれを壊そうとしている……? 理解できない。

 それに、それならば、木葉はどうして五星の礎を破壊した? 

 木葉は天宮に付いていないのではないのか。


 余計に色々な事が分からなくなった。




 木葉は耳に手を当て、そっと呟く。


「用は済んだわ。退いていいわよ『魔獣の王』」

『あいよ』


 そしてそれと同時に楓達の前から魔獣が消え、夜の結界が粉々になって崩壊した。

衝撃的な事実が発覚しました


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