魔獣の王
「コッチはあたしが片付ける!」
一言叫び、燈黄学園生徒会長、光神茜は指で銃のような形を作って動きを止めた魔獣を照準する。魔獣を地面に縛り付けているのは、天宮清治の『重力操作』だ。強力な重力が魔獣の足を地面に沈め、動きを止めている。
茜の指先から光球が放たれた。ジュウッと肉が焼ける音がして、魔獣の身体から力が抜ける。それが清治の重力操作で地面に押し潰された。疲労を滲ませ、茜と清治は魔獣を狩り続ける。
「くっ!」
風間隼人は顔を歪めた。疲労で鈍った足を魔獣の爪が掠め、血が飛ぶ。荒い息を吐き出して隼人の放った魔弾は魔獣の眉間を貫いた。血を噴き出して倒れる魔獣を無感情に眺める。魔獣を一匹駆除した程度では喜べない。
「大丈夫、ですか……?」
か細い声で葉隠桐果が声をかける。だが、桐果の片眼鏡はひび割れ、片目は閉じられていた。その表情は苦痛を噛み殺しているようで、とても大丈夫そうには見えない。
「葉隠さんも、だいぶ人のこと心配、してる余裕は無さそうですよ……」
「……え、ええ。すみません。……ここの霊力濃度の高さに魔眼がやられました」
桐果の片目、緑色の瞳は霊力を可視光で捉えることのできる魔眼だ。この結界と魔獣達の持つ霊力に目を潰されてしまったようだった。普段は見え過ぎてしまう霊力を遮断する片眼鏡のレンズもここの霊力濃度には耐え切れず、半壊している。
今にも倒れそうな桐果を背中に庇い、隼人は顔を歪めながらも魔獣を魔弾で射抜いていく。
「……僕も、手伝うよ。風間、キミもだいぶ消耗してる、よね?」
音もなく隣に現れたのは綾瀬渉だ。ぼろぼろの制服姿で、血に塗れている。それは誰しも同じで、この場にいる人間は皆、ぼろぼろだった。渉は既に血に染まり切って斬れ味の落ちた短めの刀を振る。
「お父さま達は、やっぱり出てこないわね……」
足を引きずる茜が建物の方角を乾いた瞳で見つめた。
「当然、だろう。御当主様方を失えば、五星が崩壊した後……、立ち行かない」
口調はいつもの傲慢さを隠さないものではあるが、霊力の限界も身体の限界もそろそろという天宮清治だ。
「僕達もちょっと、限界ですかね……」
結局五人で固まり、魔獣に包囲されてしまった現状に、隼人は諦めとも聞こえる呟きを漏らした。
遠くで羽柴の霊鳥が淡い光となって霧散する。術者の霊力が尽きたのだろう。
「まずいです、ね……。生徒の霊力も、もう保ちません……」
喉が乾き切ったような息の音を漏らし、桐果は言う。
「あー、別にこんなとこで死にたくないんだけど」
茜の指先に灯る霊力がふつりと掻き消えた。
「弱気な光神など初めて見たぞ」
なぜかしみじみと清治が呟く。未だ重力操作で魔獣達の身体に負荷を掛け続けてはいるが、だんだんと魔獣の動きは滑らかになっている。
「……うるさい、あんたに言われたくないわ」
「……そこ、いちゃいちゃ、しない」
渉は溜息を吐き出した。そんな冗談が出て来るのも死という文字が間近に迫っているからか。明らかに全員強がっていた。
「っ……、済まない。もう、霊力が持たん」
フラリと清治の身体が揺らぎ、術式を維持していたなけなしの霊力が途切れる。その瞬間、魔獣の動きが活発化した。獰猛に、そして爛々と輝く魔獣の目が一斉に疲弊しまくった生徒会長達に向かう。
「……これはちょっと……、死にますね」
辛うじて口角を上げ、隼人は笑った。
「だね」
同じように諦めの笑顔を浮かべて渉が頷く。
そして、魔獣が飛びかかってきたその時、声が響いた。
「そっちの魔獣、任せたぞ、相川!」
「そっちこそ、殺し損ねるなよ、天宮!」
「別にそんなヘマしないし!相川こそ殺し損ねるなよ!」
「当たり前だ!」
そんな軽い会話が暗闇を飛び交う。蒼い炎を纏った刀が空間を薙ぎ払った。魔獣達の苦悶の叫びが空気を震わせる。その後にはゴッソリと魔獣の居なくなった空間がぽっかりと顔を出した。
五人の生徒会長を囲む魔獣のもう片側、魔獣が斬り刻まれて肉塊に変わり、地面に転がる鈍い音が幾度となく聞こえた。ぐしゃり、と肉塊の山を築き上げ、魔獣を掃討する。宙を舞うように剣撃を放った人影が地面に軽やかに降り立った。その人影は一つに束ねた長い髪を靡かせ、風を切る音を立てて刀の血を振り払う。
「えっと、会長さん達、大丈夫ですか?」
楓はそう声を掛けた。清治達は一瞬呆気に取られた表情で沈黙する。広範囲に一気に魔獣を殲滅したお陰で、今はこの近くに魔獣はいない。
「……助かったよ、天宮さん、相川君」
渉が呟く。いつの間にか楓の隣に光希が立っていた。
「まさか助けられてしまうとは、ね」
やれやれと首を振って隼人が微笑む。その表情はもう死を覚悟した人のものではなかった。
「……ありがとう。あんた達が来なかったら、死んでたわ、あたし達」
口を尖らせ視線をそらしながら言った茜が清治の腕を小突く。
「あんたも一応礼くらい言ったら?」
「……別に私が言わなくてもな……」
などと言い逃れしようとする清治をジトッとした目つきで睨む。それでも無視しようとする清治を、今度は隼人が突っついた。
「あー、まあ、感謝する。助かった」
その甲斐あって棒読みではあったが、清治はその重い口を開いた。そもそも、清治からお礼の言葉など期待していなかった身からしては驚きだった。
魔獣の死骸があちらこちらに散らばり、野晒しになった平原に冷たい風が吹き荒ぶ。その風に乗って魔獣の咆哮があまり遠くはない所から流れてきた。
「早く、魔獣が集まって来ない内に離脱して下さい。今ならまだこの範囲に魔獣は居ません」
光希は遥か彼方の闇を睨み、静かに告げる。これだけ魔獣が減ったのは他でもないこの五人の生徒会長による功績だった。もちろん、こんな所で死なせて良い人材などでは無い。
「ボク達はまだまだ戦えますから、戦闘を続けます。会長さん達は安心して休息を取って下さいね」
にこり、と努めて笑ってみるが、楓の顔は所々血が飛んでいて、人を安心させられるような笑顔を浮かべるのには失敗したようだった。桐果が引きつった顔をしたのはたぶんその所為である。
「ええ……、情けないですが、そうさせてもらいます」
ゆっくりと頷いて桐果はペコリと頭を下げた。
「……それにしても、君たち、ほんと、人間辞めた強さだね……。対軍兵器、って感じだ……」
渉が広々とした空間に目をやり、呟いた。楓はあはは、と頬をかく。と、その時、楓の身体をぞわりと嫌な感覚が走り抜けた。
「っ!」
弾かれたようにその大きな気配の方に顔を向け、睨む。感じた事のない程の威圧感だった。
「……これは」
光希が緊張した声を発する。楓と同じ方向を険しい表情で見る。
ザッザッ、と地面を歩く音が聞こえた。歩いているのを隠しもしない。そして今更ながら楓は気付く。魔獣が全く寄って来ないのだ。緊張し切った空気のまま、動けないまま、楓達は立ち尽くす。異質な威圧感と力の気配に晒され、時間がゆっくりに感じられた。
「いや〜、こりゃあなかなかハデだな」
暗い夜の闇から突然声が飛んで来る。若い男の声のように聞こえた。呑気な、血の気の多そうな喋り方は、この荒れた大地にはまるでそぐわない。
足音が止まった。
視界に赤髪の青年の姿が映る。長めの癖毛の下に猛獣を思わせる鋭い双眸が覗く。整った顔立ちの青年は勝気な光を瞳に浮かべていた。こんな人をここで見た覚えは無い。
――それならこの男は一体何者だ?
ゴクリと楓は口内に溜まった唾を呑み込んだ。握った刀にそっと力を入れる。
「アンタがあのお方がご執心ってゆー、『姫君』か」
青年の視線が上から下へ楓を眺め回す。居心地悪さに楓は身体を強張らせた。
「んー、『姫君』っつーからどんなキレーな女なのかと思ってたんだが……、こりゃ女じゃなくてガキだな」
パタパタと右手を動かし、珍妙なものでも見るかのような目つきで青年は楓をまじまじと見ていた。
「が、ガキ、だとっ⁉︎」
未知の脅威に晒されているという事実を忘れ、思わず叫ぶ。その反応に周りが度肝を抜かれた顔をした。青年は楓の叫びに気を悪くした様子も無く、鷹揚に頷く。
「ああ、そうだ。オマエのソレは絶壁ってヤツだな」
青年の視線が向いた場所を楓は慌てて両腕を交差させ、目に映らないようにする努力をする。その際、刀を握った腕が物凄い勢いで動き、甚大な被害を及ぼしかけたことは言うまでもない。ちなみに抜身の刀は光希が一歩下がって避けた。
「ぜ、絶壁だと⁉︎き、気にしてるのにっ⁉︎」
楓の血の叫びは鼻で一笑された。
突然楓は肩を震わせて静かに笑い出す。光希達がギョッとして楓を見たが、お構いなしで楓は呟く。
「一回殺してやる……」
「ば、ばか、よせ!」
覚悟を決め、光希が最後の手段とばかりに楓の肩を掴んだ。ハッと楓は我に帰る。ここでアレに挑んだ所で勝てない。
「……何が目的だ」
低い声で光希が問う。さっきまでとは違う緊張が空気に走った。
「残念ながら、オレの口からは言えないんだがー、でも、まあ、オマエらを殺すのはオレ達の目的じゃねぇってコトだな」
「……?」
その発言の意図が読めず、全員言葉を失い立ち尽くす。
「あー、まー、なんつーか?オレがここに来たのは単なる興味だ」
「……それで、ボクらに何を求める?」
楓は押し殺したような声で尋ね、青年を睨んだ。青年の口元がニヤリと動く。尖った犬歯が覗いて見えた。
「――ちょっとしたヒマつぶしを」
青年の纏う気配が変わった。冷水を背中に流し込まれたような死の気配に、楓は恐怖というものを感じてしまう。だが、このまま引き下がることは出来ない。
……覚悟を決めるしかないか。
ゆっくりと刀を構える。楓の覚悟を感じ取ったらしく、光希も隣で戦闘体勢を整える。
「お手並拝見させてもらうぜっ!」
青年の姿が霞んだ。一陣の風が駆け抜ける。
「速いっ⁉︎」
楓はギリギリで青年の放った拳を刀で受け止めた。術か何かで強化しているようで、鋭利な刃と真正面からぶつかっているにも関わらず、拳から鮮血が噴き出すことはない。
「くっ……ぅ……」
あまりの重みに楓の手が震える。
「人間にオレの拳が受けれるヤツがいるなんてな……!面白い!」
笑いながら青年は背後からの光希の攻撃を蹴りで弾き飛ばした。簡単に光希の身体が宙を飛び、地面に叩きつけられる寸前で身体を捻って受け身を取る。
刀から拳が離れたその瞬間から楓は攻撃を放つ。幾度となく重ねられた剣線が全て容易く避けられた。一瞬視線を光希と交わす。楓が跳ぶ。代わりに光希が前に現れたと同時に『刃羽斬り』の嵐が吹き荒れた。
「おっと。アイツの後ろで術式を組んでたのか」
そう言いながらもその表情は余裕そのもので、『刃羽斬り』を全く脅威と感じていないように見えた。白い羽は簡単に握り潰され、風に還る。
「っ……」
楓は顔を歪める。全く攻撃が通用しない。この青年は紛れもなく今まで戦った事のない、格上の相手だった。
「あの二人が……、全く歯が立たない……⁉︎」
茜が驚きを漏らす。あの青年がどう動くか分からず、戦場を離脱したくとも出来ない生徒会長達は茫然とその戦闘を眺めていた。
「光希!楓!一旦退けっ!そいつは君たちの手には負えないっ!」
楓はその声に反応し、蹴りを躱して飛び退る。光希も反射的に後ろに下がった。誰かの背中が楓と光希の目に映る。
「君は、魔族の中の優越種。その強さ、……貴族だね?」
そう問いかけたのは、相川みのるだった。青年が微かに表情を変える。
魔族?優越種?貴族?
聞いたことのない単語が楓の脳内をぐるぐる回る。
「オマエは他とは違うな……。戦い甲斐がありそうだぜ」
青年の殺気が膨れ上がった。今までも十分楓や光希を圧倒する圧力だったが、これは最早次元が違った。
「……私の質問には、答えてくれないのかい?」
「オレを楽しませてくれたら答えるかもな!」
みのるの質問に答えず、突然青年は蹴りを放った。みのるは軽くそれを刀で受け、術式で衝撃を反転させる。青年が自身の蹴りの威力で飛ばされ、体勢を整える前にみのるが攻める。拳と蹴りを完璧に見切り、それに合わせた斬撃を放つ。そして容赦なく青年に『烈火爆散』をぶつける。間髪入れず、鋭利な氷の破片が青年を襲った。氷と炎から生み出された煙が視界を奪う。それでもみのるの動きは止まらない。
煙が晴れた時、両者は離れた場所で静かに立っていた。みのるの腕が血に染まり、青年の肩が斬られている。互角、といって良い実力だろう。
青年がフッと笑った。既に傷は服ごと治っている。
「このオレに傷をつけるとはな……。オマエの質問には答えてやろう。オレは『魔獣の王』。確かに魔族の中でも上位に位置する『王』の資格を持つ者だ」
「……やはり、ね」
みのるが小さく呟く。が、この場にはその発言の意味を理解できる人間はいない。
「んで、それを理解できるオマエは何者だ?ただの魔法使いってわけじゃ無いだろ?」
訝しげな視線がみのるに向かう。みのるはそっと自嘲の笑みを浮かべた。
「私はただの兵器だ。それが分からない君では無いだろう?」
「あー、例の『アイカワ』ってヤツか?ホント、これだから人間はおっかねぇんだ」
青年の姿がサラサラと闇に溶けていく。それと同様に咆哮を闇に響かせていた魔獣達も消えていく。
「そろそろ時間だとよ。オレはトンズラさせてもらうぜ」
みのるは青年の消えた場所をいつになく厳しい顔付きで眺めていた。
新キャラ登場!
『王』を名乗る謎の青年です。
一瞬でしたがみのるの戦闘シーンは初めて書きました。




