変わらない夜
正面から逸れた東側。魔獣の強さは正面側程脅威に満ち溢れたものではない。かと言って楽に勝てる程甘くもない。唸り声を上げて暗闇から飛びかかってくる魔獣は十分に危険だった。
あらゆる場所で戦闘が繰り広げられている。魔獣の猛りと爆発音、時折人間の悲鳴が空気を震わせる。戦場の威圧感は、実戦経験の浅い亜美や美鈴の足を竦ませるには容易かった。
不味いな……。
嫌な汗が涼の頰を伝い落ちた。
誰にとってもそうだとは思うが、こんなにも異様な戦場は初めてだ。隣の夏美でさえ顔を強張らせてしまっている。
ここで自分が動揺を顔に出す訳にはいかない。努めていつもと同じ微笑みを顔に貼り付けた。
「霞浦さんと水源さんは下がって。桜木さんはその二人のフォローをお願い。夕姫、夏美は前衛を、僕も前に出るよ」
落ち着いて指示を出す。夏美と夕姫はそっと頷いた。
「で、ですが私も!」
自分は何の役にも立たないのかと不安げに、亜美は胸に手を当て抗弁した。涼は首を振り、その配置にした理由を告げようと口を開く。だが、それよりも僅かに早くカレンが声を発した。
「いえ、それが正しい配置です」
カレンの手が亜美の肩に添えられる。その動作で亜美は話を聞くだけの落ち着きを取り戻す。
「なぜなら亜美様は幻術の大家の血を引いていらっしゃるから。それなら、幻術で魔獣どもの足止めや彼らを錯乱させ、攻撃の支援をするのが妥当です」
「……そう、ですわね。取り乱したこと、お許し下さいませ」
大きく息を吸って吐き、それから亜美は小さく微笑んだ。亜美の不安も緊張も幾分か取り払われたと判断し、涼は首を動かした。
「大丈夫だよ。この辺りを包囲してる魔獣は正面のそれに比べたらだいぶマシだ。僕達なら全然余裕で捌けるよ。だから、安心して。もし何かあったら僕が君達を守るから」
緊張に肩を震わせて下を向いていた美鈴が顔を上げた。その瞳にはそれでも濃い不安が揺蕩っている。もう一押し、それできっと美鈴も戦える。
「水源さんも、強いから。大丈夫だよ。だから僕達に力を貸してほしいんだ」
「……私なんかで良ければ、がんばります」
言葉とは裏腹に声は細く、自信がない。自己主張をあまりしない彼女は、おそらく誰かに頼られた事が殆どないのだろう。自分の意思で戦う事も。
「違うよ、美鈴。『私なんか』じゃない。美鈴だから、私達は力を貸して欲しいんだよ」
「涼も言ってるしさ、大丈夫だよ。美鈴は強いんだから」
夏美が彼女に勇気を与え、夕姫が美鈴の背中を押した。美鈴は大きな瞳を見開く。
「……うん、うん、うん」
コクコクと言葉を噛み締めるように美鈴は頷く。涼は美鈴に笑いかけた。美鈴もそっと笑い返す。
「私も、皆さんの為に戦います」
「それじゃあ、行こうか。僕達の戦いを始めに」
全員の瞳に強い意志の光が宿る。
涼は刀の柄に手を伸ばし、握った。名は『燐閃』。相川みのるから貰った闘う為の刀だ。何度も何度も握ってきた柄の感触を確かめて涼は刀を抜き放つ。白銀の刃が弾いた光に魔獣達の注意が向いた。
「霞浦さん!幻術を!」
「ええ!」
亜美の口元が優雅に、ではなく獰猛にゆるりと弧を描く。
「『幻火』!」
幻の炎が魔獣達を包み込む。絶叫のような咆哮が耳をつんざく。幻痛に悶え苦しむ魔獣達を夕姫が一閃する。
「さすが霞浦の幻術!これならいけるよっ!」
地面に滑るように足を着け、夕姫は叫んだ。得意げに微笑んだ亜美の隣で美鈴が拳をぎゅっと握りしめる。
「私だって!……『凍氷麗華!」
美鈴は両手を広げる。霊力が活性化し、術式が組み上がっていく。冷気が地面の方へ降りる。パキパキと音を立てながら魔獣達の足元が透明な結晶で覆われ、魔獣達の動きを止めた。
「ありがとう、美鈴。最高だよ」
夏美が笑顔を見せた。太腿辺りを撫でるような動作と共に、夏美の両手には拳銃が二丁現れる。夏美の目が細められた。
引金が引かれる。閃光が黒を裂いて飛ぶ。
夏美は自分の齎した結果を確認する事もなく、視界に映る魔獣を片っ端から撃ちまくる。
「涼っ!あの大きいのお願いっ!」
撃ちながら周囲の確認もしていた夏美は、一際大きい魔獣の存在を感知した。それだけは魔弾でも実弾でも倒しきれないと判断する。だから、光希と楓に続く最高レベルの戦闘能力を持つ涼に託す。
「分かった。僕があれを倒してくるよ」
「お願い」
力強く涼は頷き、目の前の魔獣を斬り捨てる。そして、地を蹴って高く跳んだ。
空に身体を躍らせた涼の刀が緑青の炎を纏って閃く。涼の周囲の空気が歪んだ。風の刃、術式は『かまいたち』だ。無詠唱の術式にさらに無詠唱で術式を載せる。風の刃に紫電が絡まった。そのまま『かまいたち』を魔獣の足に向かって放つ。
「グガァッ!」
風の刃が足を切り落とし、紫電が激しい衝撃を魔獣に与える。涼の刀を包む緑青の輝きが強くなった。
「はあああっ!」
身体を引く重力に乗せて刀を振り下ろす。魔獣の体は真っ二つに斬り裂かれ、重たい地響きを立てて崩れ落ちた。
涼は刀を振って血を落とす。そして再び魔獣狩りを始める。まだまだ魔獣は減らない。消耗するのは際限のない防衛を強いられる霊能力者だ。
楓と光希はもっと強い魔獣を片っ端から斬り捨てているのだろう、と唐突に思った。二人なら、二人だけで魔獣の死骸の山を生産しまくっているのだろうな、と。
刀を振るう。魔獣が断末魔の咆哮を上げて地面に沈む。
あの二人に混ざりたいか、と言われれば、あまり混ざりたくないというのが本音だ。楽しそうに魔獣を斬りまくる楓と無表情で魔獣を木っ端微塵にする光希、絵面が凄すぎる。涼がそこに混ざれる気はしない。そもそも、戦闘の指示はからっきしな二人がグループを率いて戦う姿は到底想像出来なかった。だから、このポジションになった事に不服はない。今自分に出来る事をやるだけだ。
「全然敵が減らないよ、涼」
夏美が魔弾をばら撒きながら言う。体力的にはまだ余裕があるようだが、やはり全くもって変化がないという事実に精神がダメージを受ける。
チラリと夏美が後ろを見た。本当に何気ない動作だった。ただ後ろが大丈夫かどうか、確認しただけの動き。しかし、そこで夏美の瞳が揺らいだ。涼はそれに気づく。
「どうかした?夏美」
「……嫌な予感がするの。ちょっとごめん。私、行かなきゃいけない所がある」
もう夏美の心はここにはない。ここではない違う場所を夏美は見ていた。このままここで戦っても何かミスをしてしまいそうだ。それならここは行かせた方が良い。それに、夏美は何の根拠も理由もない行動を取ったりしないのだ。
「行ってきて、夏美」
戦力が減るのは痛いが、夏美が気づいた何かがこの現状の打破に繋がるのなら……。
「良いの?涼」
まさか涼が自分勝手な夏美の行動を許すとは思わなくて、夏美はきょとんとした。涼は魔獣を斬り伏せ、もう一度夏美に向かって叫ぶ。
「行って!夏美!君が気づいたのが何か分からないけど、僕は夏美の直感を信じる!だから—-!」
「分かった!」
夏美は銃を両手に握ったまま正面の方へ走り出す。正面で戦いに行くのか、と一瞬慌てたが、そうではないとすぐに分かる。夏美がおそらく向かったのは建物の中。もしかすると、五星の礎の所へ向かったのかもしれない。
いずれにしても、涼がここを、仲間を守り抜かなければならないのは変わらない。
***
「空の方は少ないみたいだな、魔獣」
空を見上げて夕馬は呟く。その手は狙撃銃の引金に添えられ、魔獣が視界に入ればいつでも撃てるようになっている。
「ええ、あまり警戒してないのだと思うわ。でも、霊能力者達を効率良く殺すのなら、空から急襲を掛けた方が良い」
「なら、何が目的だって言うのさ?」
隣で弓を爪弾く木葉に問いかける。あらゆる事情に通じている木葉なら分かるかもしれないと思ったのだ。
紫色の光が放たれた。夜空から黒い影が落下していく。
「……私には分からないわ。霊能力者達を殲滅するのが目的でないのは分かる。けれど、これがどういう理由で行われたのか、どこから魔獣が侵入しているのか、この結界が何なのか、どれも確定した答えは出せない」
漆黒の髪が緩やかに靡いた。白い陶磁器のような肌が黒に映える。その姿はゾッとする程美しく、この世のものとは思えなかった。
遠くで大きな爆発が起きた。灼熱の炎が地面を焼き尽くし、大量の魔獣を一気に消滅させる。その爆風は、ごうっと強い風を夕馬と木葉のいる場所へと運んだ。
生暖かい風に乱れそうになる髪を木葉が抑える。夕馬は空の魔獣の監視を続けつつも目を細めた。
「さっきのは--」
「ああ、笹本の術式だぜ」
木葉が言いかけたのを夕馬は継いだ。笹本の特性は広範囲干渉。さっきのは『烈火爆散』の更に一つ上の破壊力を持つ広範囲焼却術式なのだ。術者は当然笹本家当主だろう。
視界に黒い影が過ぎった。躊躇いなく引金を引いて撃ち落とす。
「はあ……、ほんと、魔獣が減らないな……。さっきから夕姫もずっと魔獣を斬り続けてるのに」
夕馬のボヤきに木葉が頷いた。
「いくらなんでもシツコ過ぎるのよ。下で戦ってる五星の生徒会長さん達もかなり消耗してるでしょうね……、まあ別に私には関係ないのだけど」
珍しく生徒会長一味を心配したのかと思いきや、私には関係ないと切り捨てる始末。実に木葉らしい、と夕馬は呆れ半分に思う。
「せめて元凶を排除できれば良いんだけどなぁ」
「……暗すぎて元凶の特定がとんでもなく難しくなってるわねぇ。たぶんみのるが元凶探しをさせられてると思うけど、それでもだいぶ時間がかかってる」
元凶、この際限なく沸いて出る魔獣を生み出す原因を突き止め、排除すればちょっとは魔獣狩りも楽になる。探す命令を受けたのが相川みのるなのも当然だ。誰も正体を知らない敵にぶつけるのはこちらの最強の戦力と決まりきっている。そして、その最中に魔獣を大量に始末してもらおうという算段なのだろう。
「……そろそろ頃合いね」
木葉が夕馬に聞こえない程小さく呟いた。隣で弓を下ろす動きに気がつかない筈がなく、怪訝な表情で夕馬は木葉を見る。
「何かあったのか?」
「……何か、嫌な感じがするのよ。夕馬はここで空の魔獣の迎撃を続けて。私は……、ちょっと行ってくる。任せたわよ、」
行き先も告げず、木葉はそう言い残してドアの向こうへ消えた。それは夏美が戦線を離脱するよりも15分程早かった。
「おいおい……、俺、ここでぼっちかよ……」
取り残されて少し寂しくなくもない夕馬だった。
そろそろこの章も終わりです
思いがけず涼は女の子だらけの場所に突っ込まれてます……。
本家の序列をかけて争う高校生バトルは何処へやら……
 




