開戦
遠距離から攻撃できる木葉と夕馬とは別れ、楓も含めたそれ以外のメンバーは建物の正面玄関に向かって走っていた。
『夕馬、もう戦闘は始まってる?』
『ああ、出遅れたぜ』
夕姫は夕馬に状況を確認しつつ、足を進める。
「夕馬はなんて?」
涼が夕姫の方を向く。楓も合わせてその方向に顔を向けた。
「やっぱり、もう戦闘は始まってるみたいだよ」
「私達は出遅れたみたいだね。でも、それなら戦う場所に迷う事はない」
夏美はそう言うが、楓にはよく分からなかった。なので、説明を求めて訊いてみる。
「どういうこと?」
「私達はまだ実戦経験が不足してる。楓とかは別かもしれないけど、それでも多くの戦場を駆けたことのある人達、つまりは当主達クラスには及ばない。だから、私達が何も考えずに突っ込んでも無駄死にするのがオチだよ」
「だから、戦況がもう決まってる方が僕達にはちょうど良いんだ」
夏美の言葉を涼が引き継ぐ。楓は納得の表情を浮かべた。こういう理由で正面玄関を目指しているのだろう。外に出るだけなら他の出口が存在する。だが、戦況をよく理解している人間に指示を仰げるのは正面玄関で間違いない。
「この角を曲がったら正面玄関だ」
光希は皆に注意を促すように口を挟む。楓は腰の刀に手をやって頷いた。
「了解」
正面玄関に着くと、火影照喜が厳しい顔つきをして立っていた。気にしているのは外の事だろうか。楓達が走ってきたのに気づくと、表情を笑顔に変えてこちらに手を振った。
「やあ、やっと来てくれたか〜。これで僕も外の手伝いに行けるってところかな」
その口調は相変わらず軽いものではあったが、微かな緊張感は隠しきれてはいなかった。
「外はどうなっているのですか?」
亜美が訪ねる。照喜は顔を引き締め外の方に視線を向けた。
「簡単に言うと、魔獣が際限なく現れてこの建物を襲おうとしてるって所だけど、君たちならそのくらいは気づいているだろう。もう、殆どの戦力は外に投入されてるんだ。Sランクがうじゃうじゃいるのになかなか魔獣が減らないんだよね〜」
うじゃうじゃって……、と楓は思わず苦笑いしてしまう。それにしても霊能力者最高峰のSランクが何人もいるにも関わらず戦況が硬直状態なのはかなりマズい状況だ。際限なく魔獣が出てくるという出所を潰さなければいけない。吉報、などと言っている場合ではないが、ただ一つ良い事は、敵が魔獣なら楓でも戦えるという事か。
「俺達はどこへ行けばいい?」
光希が照喜の顔を無表情で見た。その顔は学生のものではなく、日頃から命令を受けて戦う事に慣れた者のそれだった。夏美は一瞬光希のその顔を見て悲哀の色を瞳に浮かべる。
「笹本さん、水源さん、霞浦さん、桜木さん、それから神林君と荒木さんは東側に向かって下さい。そのグループで陣形を組み、確実に魔獣を仕留めてください。神林君、君がそのリーダーです。誰も死なせないでくださいね」
照喜の口調が『九神』のメンバーとしてのものへと変わる。涼と夏美がいれば、チームとして上手く機能するはずだ。こういう戦いに慣れた照喜が指示した場所だ、おそらく危険度はそこまで高くはない。もちろん、気を抜いて当たれるほど甘くはないだろうが、実力相応の配置と考えていいだろう。
涼は瞳に強い意志を映して頷いた。涼も『九神』の一端を成す者。五星の維持はその任務の際たるものだ。
誰一人として失わないように全力を尽くす。
決意を胸に刻み、涼は夕姫達の顔を見た。夏美が力強く首を縦に振る。
「行くよ、」
「うん、光希達も気をつけて」
夏美が微笑む。楓と光希は頷いて応えた。
「大丈夫、ここにいる皆なら勝てるよ」
「そうだね!楓もムダに傷を作らないよーに!」
夕姫がバイバイしながら言い残す。前回はあまりにも切り刻まれすぎたからなー、と楓は少し反省した。亜美はいつになく緊張し切った顔をして、楓にお辞儀をすると涼達の後を追って行く。
「死なないでくださいね、天宮楓、相川光希」
「ああ」
「カレンも亜美をしっかり守ってやるんだぞ〜」
「はい、もちろん」
カレンの姿が外へ消え、楓と光希だけが照喜の前に残された。
「楓ちゃんと光希君には二人で正面を頼みます。正直、正面を狙う魔獣の強さは他とはかなり違う。二人なら一人ずつでも勝てなくはないだろうけど、ここはペアで頼むよ。二人に死なれたら僕が殺されるし……」
「先生、目が泳いでます」
楓の指摘に照喜があはは、と笑って表情を直す。
「青龍は本当にヤバくなったら使って良いけど……」
「大丈夫です、父からも許可は降りてませんので」
「なら僕が言うまでも無かったか。楓ちゃんも無茶しないでよ、今回は魔獣だからまだ良いと思うけどね」
光希は淡々と受け流し、楓もさらっと忠告を流す。
光希と一緒に戦えるなら、大丈夫だ。根拠はないが、楓にとってそれは真実。それに、これは本当の意味で光希との初めての共闘だった。
「ボク達なら絶対に大丈夫ですよ、先生。そうだろ?相川」
楓は光希の顔を見てニヤッと笑う。光希も顔を緩めて笑った。
「ああ、もちろんだ。天宮」
「大丈夫そうだね、なら頼むよ。五星の礎が破壊されれば、五星が保たない」
「はい、必ず守ります」
楓と光希は今一度視線を交わし、照喜とすれ違うようにして外へと駆け出した。
楓は目を見開いた。
激しい金属音と爆発音、そして魔獣達の咆哮が戦場に響き渡る。既に五星結界という今の人間にとっての生命線を護る為の戦いは始まっていた。
「……これは」
光希の緊張した声が聞こえる。戦いに慣れきった光希でも動揺を隠せないほどに激しい攻撃の応酬が繰り広げられているのだ。
楓には魔獣の名は分からない。だが、ライオンに翼を生やしたような怪物が暗い空を滑空し、地上に紅蓮の炎を降らす。地上には、龍のような怪物から、最早なんと言って良いか説明に苦しむ生物まで、余す所なく地表を覆っていた。
霊能力者達による戦闘は建物に近い所で行われ、遠くなれば広範囲術式で魔獣達は殲滅させられる。高レベルの霊能力者達が霊力を惜しまず全力で術式を放っているにも関わらず、この状況が続いているのは明らかに異様な光景だった。
「本当に、魔獣は減らないのか……」
茫然と呟く。このまま外界と隔てられたまま戦闘が続けば、不利になるのはこちら側だ。ここで本家当主や最高レベルの霊能力者達を失えば、五星が崩壊し、その後を守る人間がいなくなる。
そこまで考えが及び、楓の頬を汗が伝い落ちた。
「元凶を絶たないと文字通り未来はない……、か」
光希も同じ考えに至ったらしく、掠れた声を漏らした。
「そうみたいだ……。でも、こんな暗いんじゃ探せないな」
とりあえず結構効く夜目で楓は辺りを見渡してみるが、それらしいモノはない。そもそも、どういう形をしているか分からないのだから全く意味のない行動だ。
「まあ、命令通り魔獣を狩るしかない」
「ああ、ついでに元凶の魔獣生産マシーンに出会えたらいいなー」
「魔獣生産マシーンって……」
相変わらず適当極まりないネーミングに、光希が微妙に顔を引きつらせる。楓は首を傾げて光希を見たが、もう既に光希の関心はそこには無かった。
「行くか、相川」
「ああ」
楓は光希と共に闇へと飛び込む。夜の底で白刃が煌めく。
「『死滅呪』」
横で誰かが術式を呟くのが聞こえた。ハッと隣を見る。刀を振り抜いた状態でそこに立っていたのは一年上の先輩、如月唯斗だった。大きな魔獣が血を吹き上げ、地響きを立て崩れ落ちる。傷はあまり深くなかったにも関わらず、魔獣は完全に沈黙していた。それは如月家が得意とする呪詛によるものだからである。その中でも最も高い致死性を持つ術式が『死滅呪』だった。
「君達も、ここに来たんだね」
唯斗は刀からどす黒い血を振り落としながら言う。その顔は余裕とは言い難く、疲労を滲ませていた。かなり長い間戦っているのは確かだろう。本来なら、魔獣はこんなゴキブリのようにワンサカ湧いてくるものではない為、こんなに連戦しまくるという経験は殆どの人間が欠いている。楓自身は少し身に覚えがあるくらいだ。
「はい、先輩はどれくらいここで戦ってるんですか?」
「そうだな……、もう覚えてない、かな。でも、会長達はもっと戦闘時間が長いと思う。そろそろ、霊力が尽きるんじゃないかな……」
霊能力者の力、つまり霊力は自身の身体から生産されている。無能力者と霊能力者の違いは、霊力を生産できるかどうかという一点で分けられるのだ。当然ながら術式が大規模になればなるほど霊力は多く消費される。霊力が尽きれば、たとえ霊能力者だろうとただの人間になってしまう。おそらく楓と光希が前線に送り込まれたのは長く戦っている人員を休養させる為なのだ。
「ちなみに相川は霊力を切らしたことは……?」
「ない」
即答だ。入学当初の霊力保持量検査も判定不能の量を叩き出していたし、光希の主な戦い方は術式ではなく刀によるものなので滅多にそんな事は起こらない。
ただ、その簡潔な答えを聞いた唯斗の方は、遠い目をして心をあらぬ所へ飛ばしていた。
「……そんな人いるんだ……。霊力切れを起こしたこと無いなんて……」
しばらく視線を彷徨わせていたが、唯斗はすぐに自分を立ち直らせた。こんな事をして時間を無駄にできない。
「それなら心強い。会長達を頼むよ」
「分かりました!」
力強い光を浮かべて楓達を見た唯斗に笑顔を見せ、楓と光希はさらに遠くへと足を進めた。術式の流れ弾を回避しつつ、最前線へと向かう。
「っ!」
そして後もう少しで指示された場所に着くという所で、楓と光希は何頭もの魔獣に取り囲まれる。獰猛な唸り声と地面を抉る爪の音が二人を囲む。蛇のような魔獣の開いた口からチラチラと紅い炎がちらついていた。どうやらここで初戦開始といったところか。
身の内から湧き上がる高揚感に楓の口元が思わず弧を描く。
「背中を頼む」
「こちらこそよろしくな」
光希と背中合わせに立ち、二人は同時に手を刀に滑らせる。涼やかな金属音が掻き鳴らされた。そして同時に地を蹴る。
楓の身体が軽やかに宙を舞った。暗闇の中で微かに見て取れるその紅い刃が踊る。
今までに感じたことのない高揚だった。誰かに己の背中を預け、敵を屠る。そんな体験は初めてだった。
走ってくる獅子の形をした魔獣を真正面から斬り捨て、その剣線は流れを変えることなく次の魔獣へと襲いかかる。
「はああっ!」
体勢を低くし、爪を掻い潜る。草を巻き上げながら下からの斬撃を放つ。魔獣の腹が裂け、血が噴き出す。魔獣が倒れる寸前を滑り抜け、楓は再び元の位置に戻る。
「グガァアッ!」
咆哮の衝撃に楓の髪が棚引いた。牙が並ぶ口から紅い炎が見え、楓はその口腔を睨みつける。楓が避ければ後ろの光希の邪魔になってしまう。それならば……。
「相川っ!」
叫ぶ。光希は蒼炎を纏わせた刀を振り抜き、楓の顔を見て頷く。紅い炎が放たれるその瞬間、楓と光希はすれ違いそれぞれ別の魔獣と対峙した。光希は目の前に障壁を展開して炎を受け止める。そのまま『かまいたち』を放ち、首を両断。すぐに、刀を一閃して数匹同時に消滅させる。
「これで最後だ、天宮」
「ああ」
包囲網の最後の一匹、最大の魔獣を前に楓と光希は肩を並べて刀を構えた。
「ガルルルッ……!」
暗くても分かる程に逆立った剛毛を持つ魔獣の筋肉が躍動する。今にも飛びかかろうと低い唸り声を上げている。その赤い瞳には明確な敵意と殺意が浮かんでいた。二人の刀が白銀と紺碧の弧を描く。二つの剣線は寸分の狂いもなく飛び上がった魔獣を切り裂いた。
「こんな感じは……、初めてだ」
光希は刀を握る手を見つめる。お互いの考えが手に取るように分かる。こんな感覚は初めてだった。小気味よく楓の動きと自分の動きが重なる無駄のない連携。最早高揚感すら覚えた。本当の意味で誰かに背中を預けたのはこれが初めてだ。それがこうまで安心できるとは思ってもみなかった。
「相川、なんかボク達良い感じだな」
笑顔で楓は言った。
「俺も、そう思った」
「相川とならずっと戦っていられるよ」
光希は頷く。まだまだ狩らねばならない魔獣は大量にいる。楓と光希は目の前を遮る魔獣を斬り裂き、戦闘の激しい最前線へと走り出した。
遅くなりました
背中合わせって良いですよね
実は初めての共闘です




