宵の語り
「これ、天宮に」
光希はぶっきらぼうに楓に両手のグラスの内一つを楓に手渡す。楓はそれを受け取った。
「……ありがとう」
グラスに入った液体は窓から漏れてくる光に照らされてキラキラと眩しく揺れる。一見ジュースに見える。だが、この匂いは……。
人混みに揉まれて喉が渇いていたらしい光希はグラスを持ち上げた。
「ま、待てっ⁉︎相川、それはっ!」
楓が叫ぶよりも先に光希は液体を呷る。
「酒だっ!」
楓の声と同時に光希の身体がフラリと傾ぐ。楓は慌ててグラスを花壇に置いて光希に向かって走る。
「……あまみや?どうした?」
そう言う光希の顔は熱があるように朱が差している。
「お前、もしかして酒弱い?」
楓は立っているのも怪しい光希の腕を取り支えながら尋ねる。
「いや……、べつに……」
「悪い、聞いたボクがバカだった」
現にこうして一杯でフラフラしているのはそういうことだ。というか、酒を摑まされたのに気づかなかったのだろうか。
そう思ってしまってから、光希が楓を独りにしない為に急いでいたことに気づいて少し恥ずかしくなった。
とにかく、座らなければ。
酔っ払っている光希を半ば持ち上げ、楓は側のベンチに腰を下ろした。光希の頭が楓の肩に重みを預ける。
「……あ、相川」
自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。光希に聞こえていないか、それがとても心配だ。酔っ払っていない楓もまるで酔ってしまったかのように頰が朱くなっていた。
「……ん?なんだ?あまみや?」
まさか聞こえてるとは思わず、楓は肩をビクッとさせる。そっと楓に体重を預けている光希を見る。いつもの鋭さはなく、とろんとした目をした光希と目が合った。
「ありがとう、相川。これを取りに行ってくれたのはボクがあの会場に戻らなくても良いように、だったからだろ?」
「……ああ。あまみやを、あの場所に帰らせなくなかったんだ」
鈍いゆっくりとした話し方をする光希は初めてで、楓は余計にドキドキしてしまう。こんな光希は見たことがない。
「それと、おれが嫌だったから。……おれとあまみやは、あそこでは絶対隣にはいられない」
まるで光希が楓と一緒に居たいと言っているようではないか。楓は目を見開いたまま固まった。酒が入り、光希はいつもよりずっと素直になっている。いや、素直というか本音が漏れているのか……?
「……相川」
もう一度楓は呟いてみる。光希の頭ががくりと楓にもたれかかった。その呼吸はゆっくりとしていて、寝てしまったようだった。
眠る光希は警戒心の無い少年らしい顔をしていた。いつものどこか何かを諦めたような顔や悲哀を帯びた顔を見ていると気がつかない。光希はまだ、楓と同じ16歳の少年でしか無いのだ。
いつか、光希の背負っているものを知ることができるだろうか。
光希が楓をきちんと信頼してくれる日は来るだろうか。
でも今は、知ることができなくても、隣にいることくらいはできる筈だ。
楓は恐る恐る光希の頭に手を置いた。温もりが手から、身体から、伝わってくる。
自分から人に触れたいと思うなんて、この高校に来るまでは考えもしなかった。楓は『バケモノ』で嫌われていたし、楓自身も全てを諦めていた。
光希に出会ってからの自分はなんだかおかしい。ずっと欲張りになってしまった。ずっと弱くなってしまった気がする。でも代わりに、色々な感情を教えてもらった。
……他でも無いこの人に。
楓の口元がふわりと緩む。
楓からは見えていないが、光希も安心し切った表情を浮かべていた。
「……いおり」
光希が寝言を言った。誰かの名前だ。そしてそれを口にしたその声は大事な人を呼んでいるように聞こえた。
パッと楓は光希から手を離す。どうしてそうしたのか自分でも理解できない。身体を動かした楓の肩から光希の頭が落ちた。
「……」
光希の頭が楓の膝に乗っかる。これはもしや俗に言う膝枕というモノでは……?
何故か結果的に更に状況が悪化したような……。
まさか寝ている光希を捨てるわけにもいかず、楓は諦めの溜息を吐いた。
光希が起きるまでこうしていよう。
楓はそう思って目を閉じた。
***
「こんな所にいたんだ、夏美」
楓と光希がいる空中庭園の更に上。その光景が俯瞰できる場所に夏美は立っていた。柵にもたれかかり、下の様子を眺める。
その夏美に声をかけたのはスーツ姿の涼だった。
夏美は振り返る。
「よく見つけたね、涼」
「たまたまだよ。夏美は……、光希達を見てたの?」
一瞬の間の後、夏美は頷いた。
「……まあね、なんとなく、気になっちゃって……。そう言う涼は楓の様子でも見に来たの?」
涼は夏美の隣の柵に手を載せる。
「うーん、二人の様子を見に来たって方が正しいかな。楓が、天宮の姫だったのには驚いたよ」
「そうなの?涼なら気付いていると思ってた」
空を見上げると、星が綺麗に瞬いていた。涼は空を見上げる夏美につられて同じように顔を動かす。
「……確かに、天宮家があれだけ必死に守ってるんだ、楓が姫なんじゃないかっていうのは可能性としては考えてたよ。でも、天宮の姫はもう存在しないのかと思ってた」
「そうだね、天宮桜様が最後だと思ってた。力を持たない楓が姫であるわけがない、そう思ってた。……でも、気になるのは、天宮家の当主様が楓を『神の器』として紹介したこと」
夏美の視線が空から下でベンチに座っている楓へと移る。
「どういう意味なんだろう。『神』って、なんなんだろう」
涼には分からない。『神』も『姫』も。考えるベースにする知識でさえ、欠けていた。霊能力者というものが現れてから『姫』のいない代はこれが初めてだ。もちろん、そうでなくても天宮の姫の正体は知られていない。ただ、その存在が少し受け入れがたいだけだ。ましてやそれが天宮楓というのだから。
「……涼はさ、楓と光希のこと、どう思ってるの?」
どこか躊躇いがちに夏美が言った。大きな瞳が真っ直ぐに涼を見つめる。
夏美が訊いているのは涼の気持ちだ。楓が本当は好きなのではないか、と。
「楓は好きだよ。人としても女の子としても。でも、気づいたんだ。僕には楓の隣には一生かかっても立てないってね」
「それはどうして?」
夏美の瞳はその先を求めている。涼は半ば独白するように答えを続ける。
「僕にはあんなに強い意志は持てない。僕は弱いんだ。小野寺さんを助ける時もただ床に転がってることしか出来なかった」
「……それは私も同じだよ。光希と楓にまた助けられちゃった」
涼の後悔を和らげようと夏美は小さく口にする。涼はそっと微笑む。
「ありがとう。でも、僕は実力も意志の強さもずっと光希に劣ってるんだ。いつだって光希は僕の目標で、いつだって光希は僕のずっと先にいる。楓も同じだよ。……正直、家の人はまだ信じてないけど、楓の婚約者から降ろされてホッとしたんだ」
恥ずかしいことにね、と涼はバツの悪い笑みを浮かべた。夏美は黙ってその言葉の続きを待つ。
「楓が好きなのは変わらない。楓が泣いているのは見たくない。でも、この感情は恋愛感情じゃないんだ。普通の友達っていうのとも違う。僕にとって楓は、たぶん、光希と同じような存在なんだ」
涼は楓と眠る光希を優しい顔で見下ろした。お互い気づいてはいないけれど、そっくりな二人。いつも誰かの為にどれだけでも傷を背負い込む。その先にどんな未来が待っていたとしても、その意志だけは絶対に曲げないのだ。
「涼は、すごいね。私にはそんな風に思えないよ……。私はまだ、光希が好き。光希と一緒に居たい。……でも、光希の目には私は映っていない」
夏美は顔を悲痛に歪める。心の痛みに耐える為の表情だった。
「……」
何も言えずに涼は沈黙した。光希は、今もこれからも楓の為に身を削るだろう。その勘定に他の人間は入っていない。夏美のその気持ちが報われる日は絶対に来ないのだ。
「……ごめん、涼。こんなこと言ってもダメだね、私。私はもっと、強くならなきゃいけない……」
「うん、そうだね。僕もこのまま負けてられない」
夏美は微笑み、グッと拳を握る。
「えいえいおーっ!ほら、涼も!」
「え?……えいえいおー!」
遅れて涼も拳を空に突き上げる。夏美はもう悲痛な表情を隠してしまっていた。
涼はふと、夏美に訊こうと思っていたことを思い出す。
「夏美……、何かを僕達に隠してない?」
夏美は涼の顔を見る。
「私は何も隠してないよ。どうかしたの?」
涼は一瞬訝しむように目を細め、首を振った。
「何でもないよ。ごめん、変なことを訊いた」
その時、夏には少し肌寒い風が吹いた。夏美のドレスと髪がフワリと風を孕んで舞い上がった。
***
「光希にお酒を掴ませた誰かさん、ナイスだわ!」
眠る楓と光希、そしてそれを眺める夏美と涼。全てを眺める木葉は独りで誰かさんを褒める。
隣の陰から何かが湧いた。黒い何かはヒト型になる。
「アンタもなかなか悪趣味だな」
整った顔の男が口を開いた。木葉はその方向を見ずに嗤う。
「良いじゃない。それに、これは私が書いたシナリオじゃないわ」
「そうかい、まあオレには全くもって関係ないがな」
男は髪をかき揚げ、頬杖をつく。
「計画を夜会の後に決行することにして良かったわ。あれが見れただけでも収穫よ。あなたはちゃんと理解している?」
言外に木葉は計画を理解しているのかと確認する。男は即座に頷いた。
「ああ、あのお方直々に下された命だ、忘れるわけもない。明日、それで大丈夫だろ?」
「ええ」
「んで、アイツは誰だ?あの、短い髪の女だ」
男は夏美を指さした。木葉は意外に思って眉を上げる。
「あら、分かるの。あの子は『神』では無いわ。でも、確かに『姫』ではあるのよ」
「どうするんだ?その『姫』とやらを」
木葉は唇を吊り上げる。
「さあ、どうかしらねぇ」
フン、と鼻で男が笑い、男の姿が解けて消えた。後には木葉が残される。木葉は空に手をかざした。真っ直ぐな黒髪が冷たい風に靡く。
「桜、あなたはどこまで知っていたの?」
その問いかけに応える者はもういない。木葉の声は深い蒼に溶けていった。
最近は恋愛要素多めです
二人は進展したのか……?
光希は酒弱いです
次からは戦闘多めになります




