姫君の夜会
遅くなりました……。次の投稿も一週間ほど開いてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします
楓は深く息を吐き出した。
本格的にパーティーが始まり、楓に向けられる視線がだいぶ和らいだのだ。
こんな風に見られたことは今まで一度もなかった。楓を見つめていた視線にあったのは畏怖。おそらくそれは天宮桜のせいなのだろうが、とても居心地が悪く怖かった。
「もう用は終わった。後は好きにしていて良い」
肩を強張らせていた楓の隣に立っていた老人、天宮健吾はこちらを見ずにそう言った。楓はまだ自分が『天宮の姫』という役であることを思い出し、できるだけ優雅に頭を下げる。
「はい……、御当主様」
そう言うと微妙な顔をされた。何か間違えただろうか。
「私はお前の祖父だ。……別の呼び方があるだろう?」
そういうことか。楓は納得して最適解を探す。しばらく悩んで小さな声で口にする。
「……お爺様?」
健吾はやはりこちらを見ずに頷いた。どうやら合格だったようだ。楓はぺこりと頭を下げ、その場を後にした。
緊張していたせいか、足を動かした途端、周りの喧騒が五感に入ってきた。
並べられた鶏肉の香り、フルーツやデザートの甘い匂い、そして空気に混じっているのは酒の匂いだろう。
普通の人よりもよく効く鼻で楓は充満するご馳走の匂いを嗅ぎ分ける。
『姫』だということを忘れてクンカクンカしていたところ、音楽が耳に入ってきた。
「なんだろ?」
ふらふらしながらその方向へ向かう。人が多いので、何が起こっているのかあまり見えないのだ。
「こんばんは、貴女が今代の姫君なのですね」
突然話しかけられて飛び上がりそうになった身体を根性で捻じ伏せる。楓は『姫』を意識して柔らかく微笑んでみた。
話しかけられたのは四十代か五十代程度の男だ。黒いスーツを着こなし、静かに立っていた。その面影をどこかで見たことがあるような気がする。
「はい……」
優雅に返事をしてみたものの、次に何を言えば良いのか分からない!
内心冷や汗タラタラで沈黙してしまった。しかし、その沈黙を男は別の意味で捉えたようだ。
「すみません、申し遅れました、私は神林家当主、神林信之と申します」
神林、つまり涼の父親だ。楓に声を掛けてきた理由が分からず、楓は警戒してしまう。それを察したのか、信之は愛想笑いを浮かべて口を開いた。
「涼がいつもお世話になっております。貴女のお話はかねがね、……霊力無しで相川に勝る程の実力だそうで」
『相川』の発音がとても冷たかった。言葉にも微かなトゲがある。その目は、楓を品定めしているようだった。
「いえ……、ボク、いえ、わたしは霊力が無くて、天宮の資格なんて……」
「しかし私には貴女が何か力を持っているように思えますが……」
楓を遮り、信之は言った。楓の心臓が嫌な音を立てる。
あのことをこの人は知っている……?
手足が少しずつ冷たくなっていく。楓の貼り付けた笑みが消え始める。
「すみません、天宮楓様はこれから用事があるので……」
不意に第三者の声が割って入った。その声に楓は安心感を覚え、遠ざかっていた気温が感覚に戻ってきた。
「相川……?」
用事など無い。だが、一先ず光希に合わせてこの状況からの脱出を試みる。楓は愛想笑いをもう一度貼り付け、頭を下げる。
「そうなんです、……なので、失礼しますね」
信之が光希を忌々しそうに睨んだが、光希はそれを完全に無視してのけた。
「天宮、行くぞ」
楓にしか聞こえないくらいの音量で光希が言った。楓は思わず顔を緩ませ、小さく頷く。
「ああ」
楓は光希について行く形で神林信之を置いて歩き出した。
後に残された信之は相川光希の背中に冷たい視線を向ける。
「姫君にふられてしまったようですね、神林さん」
水源泉はおっとりと微笑んだ。信之は険しくなっていた表情を消す。
「ええ、……本当に『無能』なのですね。霊力の気配を一切感じませんでした」
「元よりそう言ったではありませんか。私も一度彼女と直接お会いしましたから」
少しだけ、嘲るような色が泉の声に滲む。信之は不快を噛み殺すように唇を微かに歪めた。
「……ですが、彼女は何かを隠している」
「それは私も同感です。それにしても、あそこまで桜様にそっくりだとは思いませんでした」
「まさかあの時と全く同じ状況を再現するとは、天宮家もなかなかですね……」
天宮桜は神林信之と水源泉から見ると後輩にあたる。まだ二人が学生だった頃、霊能力者は公の存在では無かった。
泉は静かに夜会を眺めている天宮健吾をチラリと見た。
「ですが……、それを考えたのは天宮様では無いように思えます。……なにか、そう、もっと別の誰か、が故意にそうしたのでは無いか、と。私にはそちらの黒幕さんの方が恐ろしい。きっとその方は、私達をずっと良く知っている……」
「そんな人間が天宮家についていると?」
怪訝な、しかしどことなく軽い声で信之は問いかける。泉は微笑みを浮かべた。
「……天宮家についているかどうかは分かりませんよ」
楓は光希の背中を追っていた。助けてもらったお礼をまずは言わなくては。そう思ったが、光希に言うタイミングを捕まえられないでいた。
いつもと違うスーツ姿。その横顔に少しだけ、心臓が跳ねた。
人だかりにぶつかり、光希の足が止まる。楓はその動きに合わせ、光希を見上げた。
「……ありがとう、相川。さっきはすごく助かったよ」
光希はチラリと楓を見下ろし、落ち着かなさそうに目を逸らす。
「……まあな。眼鏡、無くても大丈夫なのか?」
楓はコクリと頷く。不思議なことに視界はハッキリクッキリしている。これならもう眼鏡は要らないかもしれない。
「なんか木葉にはこれはもう要らないだろう、って言われた。どういう意味かは、全く分からないけど」
「……そうか」
楓は慣れないヒールを動かして、背伸びをした。人だかりの向こうには何があるのだろうか。
「何やってるか分かるか?」
楓が訊くと光希は少し背伸びをして教えてくれた。
「ダンス、だな……、夏美と……、笹本もなぜか踊ってる」
光希が笹本と呼ぶのは夕姫の方だ。夕姫は踊れるのか……、謎の敗北感に襲われる。夏美はおそらく荒木家当主としての出席だろうから、社交も大事なのだろう。
「ボクは踊れないからなぁ……」
思ったよりも残念そうな声が出た。どうやら楓にも踊りたい願望があるみたいだ。不思議な引力に楓の視線が光希に吸い寄せられる。
楓よりも高い視線から遠くを見ていた光希が、こちらを向いた。楓は口を開く。
「……相川?」
「どうした?」
望みを言おうとする楓の頰に朱が差す。光希は不思議そうに楓の顔を見つめる。楓は迷って、目線を逸らし、それから勇気を出して声を出す。
「……えっと、ボクと……、その……、踊って、……欲しいなって……」
耳まで真っ赤になって光希の顔を見上げる。光希は目を見開き、そのまましばらく固まった。そして瞳を揺らして目を伏せた。
「……すまない、天宮。俺に……お前の手は取れない」
火照っていた顔が冷めてしまう。目を大きくしてショックを受ける楓に、光希は悲しそうな顔を見せる。
「……俺は、戦闘兵器として生み出された『相川』だ。……天宮の姫には仕えることはできても、対等であることはできない……」
「でも!ボクはそんなこと---」
光希が手を動かして楓の言葉を制した。ハッとして楓は自分の口を自分で塞ぐ。ここでは言ってはいけないことだった。それに、木葉にこの姿であまり喋ってはいけないと言われていたのを忘れていた。
沈黙して項垂れる楓の頭に光希はそっと手を置いた。
顔を上げる。
すぐに光希の手が楓から離れてしまった。もうちょっとこのままが良かった、なんて少しだけ心の底で思ってしまった。
「天宮、ちょっと来い」
「ん?どこに?」
楓の疑問に答えないまま、光希は人混みとは反対の方向に歩き出す。逸れないように楓はとりあえずその背中を追いかけた。
どうやら歩いているだけで目立っているようなので、できるだけ気配を殺して足を動かす。そして、それが癖になっている光希もまた同じようにそうしていた。
「会場から離れちゃうぞ?」
楓はどんどん会場を離れ、とうとう外へ足を踏み出した所で問いかけた。光希は振り返り言う。
「大丈夫だ、こっちで合ってる」
「そうなのかー」
間抜けな返事をし、再び歩き出した光希に並ぶ。
「疲れたな……」
「ああ、お前は……、自分が天宮の姫だと知っていたのか?」
「そんなわけ無いじゃないか、相川なら、知ってると思うよ。……ねえ、『神』ってさ、何なんだ?」
暗い空を見上げて楓は呟いた。
「いつか桜木が言っていたものと同じだと思うが……、俺にも全く分からない。ただ分かるのは、それが天宮家が全力で守護し、他の組織が血眼になって殺そうとする程のものだってことだけだ」
光希は淡々とそう口にする。
「……ボクは本当に、そんなものなのかな……」
楓の声は風に攫われて空に消えた。光希にはその不安だらけのか細い声が聞こえていた。
「そうだとしても、俺は、お前を守ると誓った。それだけは何があっても変わらない」
「相川……」
光希が突然立ち止まる。楓は不審に思って光希の顔を見上げ、それから前を見た。
「……綺麗だ」
楓の目の前に広がっていたのは小さな庭だった。
パーティー会場からはあまり離れていない場所、バルコニーのような所にひっそりと、紅い薔薇が咲き誇っていた。小さな噴水が窓から漏れる光に照らされている。
そして夜空に輝いているのは美しい星々だった。
「どうしたの?ここ」
思わず顔を綻ばせながら楓は訊く。光希は楓を見ずに答えた。
「……会場の警備のために周ってたら見つけたんだ。……それで天宮に、見せようと思って」
楓は目を大きくした。思わぬプレゼントだった。さっきまでは緊張やら何やらで冷たくなっていた心がじんわりと暖かくなる。
光希の顔を真っ直ぐ見て、楓は薔薇が咲いたような笑顔を浮かべた。
「ありがとう、相川」
楓が普段見せない女の子らしい表情に、光希の呼吸が一瞬おかしくなった。
茫然とその笑顔に魅入る。
髪を下ろし、眼鏡も掛けていないせいでもっと、楓が可愛く見えた。
……ずっとこの笑顔を見ていたい。
そう、思った。
沈黙する光希に、楓は首を傾げた。なにかおかしかっただろうか。
「相川?……なんかボク変なこと言ったかな?」
光希は我に帰って慌てて言う。
「ち、違う。……お前が、いつもと違って……その……」
楓は自分の姿を見下ろした。楓には似合わない美しいドレスと、ヒールのある靴。
「……やっぱり、こんな服、ボクには似合わないよね……」
「そうじゃないっ!むしろすごく似合ってて……可愛い……」
「⁉︎」
光希の発した言葉に驚いて楓は固まった。その意味を脳で理解した途端、楓の顔が耳まで真っ赤に染まった。
光希は暗闇に感謝する。もしかしたら今の光希の顔は、楓と同じように火照っているかもしれなかった。
「……可愛いって、初めて言われた……」
楓は思考停止気味の脳みそでそう思った。
光希が胸に手を当て、そっと楓の手を取った。視線が交錯する。
「……俺と、踊ってくれますか?姫、」
少し照れながら、そう言ってくれる。楓は小さく笑う。
「……ボクが仮に姫だとしたら……、相川はボクの、王子様だ」
光希の瞳が揺れた。言ってしまってから楓は恥ずかしくなって、添えられた光希の手をぎゅっと握る。
そして、隣の会場から、何曲目かの旋律が聴こえ始めた。
手を取った二人は誰もいない夜の庭で、足をゆっくりと動かし始める……。
無自覚に爆弾発言をバラまく二人。
……いつかキャラの人気投票をしてみたいと唐突に思いました。
 




