姫君の復活
「私の孫を紹介しよう。彼女の名は天宮楓。天宮桜の娘にして……、『神』の器だ」
ホールの人々全員に戦慄が走った。束の間の静寂がその場を支配する。
「『神』の器……?」
光希はその言葉を繰り返した。この場にいる夕姫達や涼も理解ができないという顔をしている。
光希の脳裏にかつてカレンが言った言葉が蘇った。カレンは『神を殺す』、そう言った。それを光希だと思って殺そうとしてきたわけだが、『神』などというものは存在しないと思って忘れていた。
まさか『神』が楓にいるとでも言うのか。
目に付くだけの本家当主達は驚愕していたものの、『神』という存在自体に驚いているようには見えない。
光希達の知らない所で何か大きな事が動いているのではないか、そんな嫌な予感を光希は感じた。
そしてあの楓の姿はあまりにも浮世離れして現実味がまるでない。だが、ハッとするほどに美しかった。
光希は楓から目を離せない。
「綺麗だね……、楓」
涼が呟く。夕姫は惚けたように頷いた。
「うん、……本当に、楓は天宮家の人なんだね」
近くにいた楓が急に遠くに感じられて、夕姫は寂しくなる。手が届かなくなる、そんな錯覚すら覚えてしまう。
「『神』って、一体何なんだ?」
夕馬が言うが、この場にはそれに答えられる人間は誰一人としていなかった。
楓は無表情を心がけて驚きを顔に出さない努力をしていた。
『神』の器。
そんな話は何も聞いていなかった。今にでも誰かを問い詰めたくなるが、今の楓にはそれをすることは許されない。
「木葉、天宮の姫君って一体何なんだ?当主とは違うのか?」
会場にやって来る直前、楓は木葉に問いかけた。
***
木葉は楓を偶に『天宮の姫』と呼ぶ。それには何か特別な意味があるのではないかと思いながらも、訊かないでいた。はぐらかされてしまいそうだったからだ。
だが、今なら、答えてくれるだろうか。
木葉は微笑んで答えた。
「当主とは……、違うわ。権限の上ではあまり変わらないけれど、その存在自体はその上をいく。天宮にはね、姫がいるの。ひとつの代には必ず天宮の力を持つ女が生まれる。それが姫と呼ばれる存在。姫が死ぬと、入れ替わるようにして他の姫が生まれる。だから姫だけは絶対に絶えない」
「どういう、こと……?」
薄ら寒い気配を足元に感じる。この続きを聞きたくない。本能は聞くことを拒んでいるが、楓は続きを求めてしまった。
「天宮の姫は崇拝の対象よ。姫は天宮の姫であることからは絶対に逃れられない。その枷からは逃れられない。当主のような権限もあるけれど、天宮の姫君には自由だけは与えられない」
木葉の言葉はまるで呪いだ。自分の生き方はそんなものに縛られているのか、という恐怖が楓の指先を冷たくする。
「ボクは、そんなものなのか……?」
木葉は唇を吊り上げる。
「ええ……。きっとあなたが天宮最後の姫君よ」
***
楓は手を握り締めて恐怖を押し殺した。
今の自分は周りからどう見られているのだろう。そう思うと、怖くて仕方がなかった。
姫君としてこの世に生を受けたのだと言われても、納得も何もできるわけがない。ましてや『神』の器であるということも。
楓がここに姿を見せた時に、天宮桜の名前がザワザワと聞こえた。顔も知らない母親もまた、同じ運命に縛られていたのだ。きっとその境遇を呪ったに違いない。生まれながらに自由になれないと知りながら生きるのは、きっととても辛い。
それでも……、今の楓には受け入れる以外の選択肢は用意されていなかった。
孤児院にいた自分を救った、そういう意図があったのでは無いにせよ、今の楓は救われている。その恩はある。
それに、今更逃げたとしても気が知れている。天宮家からは逃げられない。霊能力者ならまだしも『無能』の楓は霊能力者には勝てないのだ。
複雑に捻れ曲がった感情を潰して殺す。理不尽には慣れていた。
だからこれも、今更のことだ。
感情を映さない楓の瞳は、静かに凪いで人々を映していた。
……その姿こそが、天宮桜にそっくりであったことには楓は知る由もなかった。
「天宮の姫君の復活か……」
火影照喜は呟いた。
かつて天宮桜の姿を見たことがある。彼女の姿は驚くほど、今の天宮楓の姿によく似ていた。その容姿は眼鏡のせいか、普段は形を潜めているのだ。
やはり天宮楓が姫だったか……。
天宮家が隠していたと聞いた時から、そう思っていた。
天宮家の始祖は『神』という存在であったそうだ。その真偽は定かではないが、そうだということにしておこう。
天宮家の始祖は一部の人に、霊能力という力を授けた。なぜ、そうしたのかは分からない。ただ、あるのは結果だけだ。
そして、天宮家には姫が生まれるようになった。姫は圧倒的な力を持ち、人々の畏れを一身に受け取る存在である。だから、姫は姫のまま、天宮という檻を出ることは許されない。
天宮楓もまた、そういう存在だ。
『無能』というのは誰かが与えた皮でしかない。『無能』であれば、天宮の姫であることから逃げられると、誰かは思ったのかもしれない。
照喜の知る天宮の姫は天宮桜だ。とはいえ、会話などしたこともないし、それができる身分ではない。知っているのは、その異常な存在感と、力だけだ。
天宮桜は天宮としても破格の才能を持ち合わせていた。確か、彼女の能力は『未来視』だった筈だ。
……この歪みきった世界を修復できるのは天宮の姫だけだろう。
照喜は口元を歪めた。それは自嘲の表情だった。
とんだお伽話だ。
それを未だに可能性として捨て切れていない自分が滑稽に思えてくる。
しかし、誰も殺さなくていい世界をつくる為には、そんな奇跡にでも縋らなければいけなかった。
その為に、照喜は火影家を継ぐことを拒絶し、誰にも認知されることのない『九神』の陰に身を窶したのだから。
発表の戦慄は相川みのるにも及んでいた。
みのるは余裕ある笑みを完全に消失させ、遠くの楓の姿を茫然と眺めた。
御当主様は然るべき時まで楓が『神』の器だということを伏せておくつもりだと思っていた。
『神』の復活こそが歪んだ世界の修復に最も適した答えだ。
だが、それにはあまりにも多くのリスクが存在する。ましてやそれをまだ準備が整っていない内に発表するなど、楓を危険に曝すこと以外の何物でもない。
まだみのるに伏せられた情報が残っているのだ。
あくまで相川みのるは天宮家の『道具』に過ぎない。『道具』に与える情報など、ないのだろう。
遠い昔に割り切ったことが、今は少しもどかしい。みのるは無意識に手を握り締めていた。
「みのる、」
自分の名前を呼ぶ声にみのるは振り返った。そこでいつになく強張った顔をしていたことに気づき、微笑みを貼り付ける。
そこに立っていたのは、木葉だった。
黒いドレスに身を包み、真っ直ぐな黒髪が絹のように流れている。喪服のような色合いだが、それがとてもよく似合っていた。白い陶磁器の肌に黒が映える。特徴自体は楓と変わらないが、木葉にあったのは妖艶な美だった。
木葉は綺麗な指で漆器のような艶めきを持つ黒髪を耳にかける。
「……あの子が『神』の器だということは、元から発表する気だったの?」
木葉は肩を竦めた。その拍子に胸元の石が揺れる。
「私も知らなかったわ。だって、そうすることはとても非効率的だもの」
木葉にも言っていなかったのか。
下田木葉という少女は天宮健吾に仕えている。だが、その正体を誰も知らない。みのるでさえ。いつから天宮と共にあるのかも誰にも分からなかった。ただ、唯一言えるのは、下田木葉は歳を取らない、ということだけだ。
「あの子は、天宮最後の姫になるのだと思うわ」
「……そうだね。この哀しみを背負うのは楓が最後だ」
言いながら、憂いた表情を浮かべてしまう。楓が最後だ。……つまり、楓は救えない。
楓を、そして桜を、救いたかった。
みのるは光を浴びる蒼い少女を見た。そして、その景色はかつて見た全く同じ姿をした少女と重なる。
「どうかしら、楓の姿は?」
木葉が唇を笑みの形にしてみのるの顔を覗き込んだ。みのるは掠れた声で言う。
「……随分悪趣味だね」
本当は、木葉が天宮桜の御披露目と同じ衣装にこだわった理由など分かっていた。こんな風に登場すれば、誰も『無能』の天宮と楓を嘲ることなどできなくなる。むしろ、自らの上に降臨する姫君として歓迎すらするだろう。
「あなたなら理由は分かっているでしょうけど」
木葉は簡単にみのるの心を読んだように呟いた。
「別に喜んでも良いのに」
「そんなこと、できるわけがない。それを言うなら、あの姿は私の地雷でしかない」
木葉は無表情の楓に視線をやる。やはりあの佇まい、表情、天宮桜にあまりにもよく似ていた。
「今まであなたが守ってきた子の晴れ姿よ、喜んであげても良いと思うけど……」
「……」
みのるは心を刺した痛みに、微かに顔をしかめる。木葉は追い討ちをかけるようにもう一言付け加えた。
「……あなたがそれを喜べないのは、あの子はあなたが唯一愛した女の娘だから。そうよね?」
みのるは苦しそうに顔を歪める。
「……それは僕の、ただの片想いだ」
キリが悪かったので短めです
……とうとう相川みのると楓の関係が明らかに




