夢幻地獄
「楓さん!こちらに来ていらしたのね!」
唐突に夕姫を押し除けて亜美が突撃してきた。楓は苦笑いを浮かべ、亜美を見る。
「あ、ああ、まあ……」
「亜美様があなたにお見せしたいものがあるそうですよ」
今にも楓を取って殺しそうな目つきでカレンが解説をする。楓は顔を引きつらせた。
「楓さん、私の術も見ていただけないでしょうか?」
少し照れ臭そうに亜美は言う。
楓も亜美の術がどんなものなのかが気になったので、コクリと頷いた。
「では、皆さんにもお見せしましょう、霞浦の幻術を」
微笑んだ亜美は優雅に一礼すると、術式を展開し霊力を解き放った。
突然景色が塗り替えられる。
見渡せばそこは、白い砂浜にアクアマリンの海が広がり眩しい太陽が煌めく場所だった。
……つまりは南国ビーチという楽園。
「え、えっと、これは一体どういうことだ……⁉︎」
楓は景色と共に変わった自分の格好、校外教室で木葉に着せられた水着姿、に呆気に取られる。
ちなみに光希達は何ともテキトーな水着の作り込みである。
そして亜美はと言えば、スラリとした抜群のプロポーションを押し出した挑発的な水着。ただし、現実よりわずかに胸がカサ増ししている。
亜美は顔を上気させて楓をキラキラした目で見つめる。まるで捕食者に目をつけられた獲物のような恐怖を楓は抱いた。
亜美は顔ゆるゆるのまま、光希達に目をやった。ギクリと全員の肩が跳ねる。
「さあモブの皆様!そこら辺で戯れるのですわっ!」
「……は?」
ポカーン、と沈黙が流れた。亜美は動こうとしない光希達に痺れを切らす。
「どうして動きなさらないのかしらっ⁉︎」
「……いや……、そう言われても……」
夕姫が呆れ顔で呟く。
「あはは……、モブは幻術で作り出せば良いんじゃないかな……?」
涼が小さく手を挙げて亜美に進言する。亜美がなるほど、という納得の表情を見せた。
「あ、なるほど……。そうですわね」
どうやら完全に忘れていたようだ。
ポンコツお嬢様だな……。
楓は内心そう思った。
いくら素晴らしい南国ビーチでも、幻術で目の錯覚ののように生み出された景色でしかない。暖かい海風と焼けるような砂浜の暑さでさえ、ただの錯覚だ。
だが、その完成度はかなりのもので、現実と言われたらそのまま信じてしまいそうだ。それだけ亜美の術が優れているのである。
亜美はしばらくそうしてニマニマしていると、思い出したようにポンッと手を叩いた。
「では、景色を変えますわよ!」
亜美は目を閉じ、景色を再び塗り替える。
気温が急激に下がり、雪がちらつき始めた。暗闇に瞬くのはクリスマスの電飾。見事なクリスマスツリーがキラキラと輝いている。
そして楓の衣装はというと、赤と白のサンタさんだ。
「今夏だぞ……」
雪だるま姿の光希がボソリと言った。ちなみに夕姫達も同じく雪だるまだ。
楓はミニスカサンタさんの衣装が落ち着かなくてくるくる回る。
「あ、相川……。ボク……、その、サンタさんなんだけど……」
光希は楓のサンタ姿をまじまじと見つめてしまった。楓は恥ずかしさのあまり顔を真っ赤に茹で上がらせる。
亜美は楓とお揃いのミニスカサンタでデレデレだ。
カレンはテキトーなトナカイ衣装で深く溜息を吐き出した。
完全に幻術の使い方を間違えている……。
「昨日の夜、散々シミュレーションしてたのはこういう訳ですか……、亜美様」
昨夜、亜美が脳内で妄想していたのは、楓とやりたいイベントセレクションである。景色はきちんと作り込んだが、正直他の人間についてはあまり考えていなかった。
そのシミュレーションはセリフ付きだったもので、流石のカレンもドン引きするのを禁じ得なかったのである。
「そしてこれで最後ですわ!」
亜美はパチンと指を鳴らす。
寒さが遠ざかり、全員の服が制服に戻った。楓は次に何を着せられるのかと怯えていたため、拍子抜けする。
「えーっと、ここは?」
夕馬は年季の入った館の玄関を見渡す。一目で金持ちだと分かる品の良いかつ金のかかった調度品の数々が目に入る。
亜美は目を細めて微笑んだ。
「ここが私の、霞浦本家ですわ」
「亜美の……、家」
楓はポカンと辺りを眺めつつ繰り返す。
「ええ、これは幻術でしかありませんが、紛れもなく私が育った家ですのよ」
カレンは突然、亜美が腹の下で考えていることに気がついた。真っ青になってから拳を握る。
……ま、まさか、亜美様は天宮楓との仲を深めるつもりでしょうか⁉︎
さっきまでのビーチもクリスマスツリーもデートの定番スポット。そしてそこからの家!
さあぁぁっとカレンの顔は血の気を失っていく。
私の亜美様をそこまでさせるとは何たることか……。
元『ベガ』の暗殺者から尋常ではない殺気が漏れ出す。それに夕姫が身震いをした。
「えっと、カレン、大丈夫……?」
「ええ……、私は大いにすこぶる元気ですよ」
言っていることがおかしい。夕姫は顔を引きつらせ、隣の夕馬を見た。夕馬も全く同じ表情をしている。
「……怖いな」
コクコクと夕姫は頷いた。
「まあ……、それにしても霞浦の幻術はすごいね。まるで本当にここにいるみたいだよ」
涼が感心して辺りを眺める。光希はその言葉に同意を示した。
「ああ、見事だ。盛大に使い方を間違えている気がするが……」
「ていうか、亜美と楓って仲良かったの?」
涼が疑問に思うのは無理もない。初めの方は亜美は間違いなく楓を嫌っていた。それが今となってはアレだ。光希としても不可解極まりない。
それに、あの日の事を許した訳ではないのだ。
楓はきれいさっぱり忘れているようだが、光希はきちんと覚えている。亜美達が楓を、傷つけたあの事を。
「光希?」
涼が不思議そうに声をかける。いつの間にか表情が硬くなっていたようだ。光希は意識して表情を消し、何事も無かったかのように装った。
「何だ?」
涼はまだ少し怪訝そうな表情を残したまま首を振る。
「いや、何でもないよ」
楓はとても幸せな顔をする亜美に表情を緩ませた。やっている事はだいぶアレだが、自分が亜美の幸せに役立てているのは悪い気はしない。
「亜美、どうしてボクを許したんだ?」
言うつもりの無かった疑問がぽろっと口から漏れた。亜美はだらしない笑みを引っ込めると目を細めて微笑んだ。
「お忘れで? 私は貴女の強さに惹かれたのですよ。『無能』であるという事実さえも圧倒する貴女の強さに。この場にいる人間全て、そんな貴女だから側にいるのですわ。……あの時は、少し、動転していてきちんと言えませんでしたが……って、わ、私は一体何を口走っているのかしらっ⁉︎」
夢見心地で途中まで語っていたが、我に帰ってしまったらしい。亜美は突然下から真っ赤に染まってアワアワとし始める。
もう少し亜美の本音を聞きたかった楓としては結構残念だ。
「と、と、とにかく、ですわ! 私は貴女がっ!」
とうとう理性を失った亜美が爆弾発言をしようとした矢先、楓の感覚がチリっと何かを感じ取った。よく知った気配。それは攻撃の気配だった。
「亜美、一回黙るんだ」
「楓さん……?」
楓は光希の方を見る。光希は楓と目線を交わして頷いた。
「笹本!防御結界だ!今すぐ!」
光希が叫ぶ。一瞬キョトンとした夕姫と夕馬に同じ気配を感じ取った涼が言う。
「攻撃が来るよ」
弾かれたように夕姫と夕馬が反応する。二人は即座に術式を構築し、防御結界が展開された。
「みんな、いるね?」
「大丈夫だぞ!」
楓は全員が夕姫と夕馬の側に固まったことを確認し答える。
「霞浦さん、幻術を解くんだ」
夕馬の言葉に亜美は強く頷く。
そして亜美の館の景色が粉々に崩れた。
代わって視界を埋め尽くすのは炎。
「……亜美様、燃えてます」
「か、カレンっ⁉︎ どうなっているのっ⁉︎」
カレンが冷静に呟いた。現在の状況を簡単に説明すると、楓達は全員仲良くそろって火炙りになっていた。
「えー、どういうことだ?」
楓も冷静に首を傾げる。状況が全く掴めない。火炙りになっているにも関わらず夕姫と夕馬の顔は涼しいし、光希と涼も大して動揺していない。ムダに慌てているのは亜美だけだ。
突然炎が掻き消えた。防御結界が解け、楓達は狭い空間から解放される。
「はい! やっと戻って来ましたね、皆さん」
何事も無かったかのように爽やかな風が吹く草原で楓の前に立っていたのは火影照喜だった。
「どういうことですか……? 先生」
楓の問いに即座に照喜は答えをくれる。
「霞浦の幻術は、ただの幻術ではありません。現実とは少しだけズレた層を創り出し、そこに術者の描いた世界を投影するのです。つまり、こちらからは幻術をかけられている皆さんに何の干渉もできないというわけです」
「えーっと、つまり、ボク達を呼び戻す為にド派手な攻撃をしたってことですね?」
「はい、そうとも言います」
照喜は満面の笑みで頷く。先程の術式を放った日向はやれやれと頭を抱える。そんな様子の周りを無視して、教師らしく説明を続ける。
「まあそれはさておき、霞浦家のその幻術はとても高度なものなんですよ。中からも外からも破るのがとても難しく、外からでは幻術の層を見つけるのが非常に大変です」
「じゃあ、今回見つけられたのは……?」
夕姫が腕組みをした。
「あ、それはですね、消えた位置が分かっていたからです」
「「なるほど……」」
夕姫と夕馬が同時に納得の声を上げる。そこで黙って聞いていた涼が口を挟んだ。
「それで、僕達を呼んだ訳は何なのですか?」
「それはもちろん、術式訓練を切り上げるということをお伝えする為ですが、なかなか霞浦さんの『夢幻地獄』が見事なもので少しばかり派手になってしまいましたね〜」
照喜が口にした術式名に楓は顔を引きつらせた。確認を取る為に亜美に聞く。
「さっきのって……、『夢幻地獄』って言う術式なのか?」
亜美はとても快くコクリと首を動かした。
「ええ、霞浦家に伝わる秘術、『夢幻地獄』ですわよ」
「……つまりボク達は、地獄に閉じ込められていたのか……」
今更ながらとても恐ろしい。あの術式で投影する景色を変えれば簡単に人の精神を破壊するトンデモ地獄の完成だ。
……それをまさか自分の妄想の投影に使うとは。
亜美も結構、いや、相当頭のネジが緩んでいると見た。楓は遠い目をして溜息を吐き出すと、同じく遠い目をした光希と目が合った。
「ぶっ飛んでるな、色々」
「ああ……、あの術式にこんな使い方があるとは知らなかった」
光希にも驚愕だったようだ。亜美は周りからヤバイヤツ認定されているとは梅雨知らず、笑顔で立っているだけだ。
照喜が腕に手をやって腕時計を覗く。ポンと手を叩いて楓達の注意を引きつけた。
「はーい、それでは戻りましょうか、今日は夜会があるので、早めに切り上げますよ。また皆さん、夜会でお会いしましょう〜」
「……」
ニコニコと脳天気に笑いながら、照喜は建物の方へと行ってしまった。後に残された生徒達は呆気に取られてその後ろ姿を見送る。
「……まあ、帰ろうか」
呆れ果てた涼の言葉で楓達は歩き出した。
直前まで『霞浦亜美の暴走』というタイトルにしようか悩んでました
……作者がだいぶふざけました。亜美はもっとふざけてます(本人は至って真面目です)
次からは夜会編です
色々カミングアウトしそうな予感がします
 




