騒ぎの後の静寂
食事が終わり、自由時間となっていた。
楓達女子は夏美の部屋に集まり、だらだらとした時間を過ごすことにした。なぜ夏美の部屋なのかというと、一年女子部屋の丁度真ん中辺りに位置しているからだ。
ーーだが如何せん、する事がない。
「なんかする事あるー?ヒマだあっ!」
夕姫が騒いで夏美のベッドに倒れ込む。夏美は首を回して部屋を見渡す。
「確かにする事無くてヒマだね……。美鈴ちゃんとか亜美は何か案とかある?」
美鈴は首を傾げた。その動きで少し眼鏡がズレる。
「えっと、無いです。ごめんなさい」
「敬語じゃなくて良いよー?ボク達同学年だしさ」
楓は床から椅子に座る美鈴に言う。美鈴は目を伏せた。
「これが私の喋り方なんです。直らなくて……」
「そういう事なんですのね。ちなみに私はこの話し方で通しておりますわ」
亜美が相槌を打つ。生粋のお嬢のようだ。
それはさて置き、暇な楓達はぼーっとその場で座っているだけだ。
「下田さん、貴女は何か良い考えは無いのです?私も暇すぎて死にそうですの」
木葉はとても面倒くさそうに手をヒラヒラさせた。
「そうねぇ……、はっ!みんなでお風呂でも行きましょうよ!魅惑の温泉へ!」
突然立ち上がった木葉は目をキラキラさせて、『魅惑』という言葉を無駄に強調する。
「み、魅惑って……」
美鈴が若干引いた顔をして木葉を見るが、もちろん本人は全く気にしていない。
亜美がチラリと楓を見た。楓はそのよく分からない視線に首を傾げる。亜美がキラリと目を輝かせた。
「素晴らしい考えですわ!行きましょう!今すぐ、行きましょう!」
頰を興奮に紅潮させて亜美は机をバンバン叩く。それを美鈴が困った顔をして眺める。
「まあ、確かにお風呂入ってなかったな。暇だし良いんじゃないかな」
楓はのんびりとそんな事を呟く。すると亜美が全力で食いついた。楓の手を両手でぐわしっと掴む。
「そ、そうですわよね!さ、行きましょ、楓さんっ!」
「あ、亜美?どうかした?」
呆気にとられて楓は両手を亜美にされるがままになっている。それを夏美が悟りきった瞳で眺め、一人で頷く。
「夏美⁉︎一体これ、どういうことだ⁉︎」
楓の問い掛け虚しく、夏美は口元に手を当てて上品に笑うだけだった。
夕姫が夏美を小突く。
「ん?」
「夏美はお風呂、どう?」
「もちろん行くよ!光希達も行かないかな?隣であればなお良しなんだけど」
発言が完全に怪しい。だが、夕姫はそれに気づかない。
「どーだろね、でも温泉なら楽しみかも!」
「ちょ、ちょっと皆さん⁉︎そこ誰も突っ込まないんですかっ⁉︎」
美鈴が突然叫ぶ。楓達は揃って首を傾げる。
「ツッコミ?」
「あ、はい、そうです!ツッコミです!ツッコミ!ボケしかいないんですかっ⁉︎」
美鈴の叫びに再び全員首を傾げた。
「……いつもこんなだから、ツッコミ不在と言ってもムダよ」
木葉がコソッと美鈴に耳打ちする。そこで美鈴は絶句した。
ーーこの世界はボケで廻っているのか⁉︎
美鈴が真っ青になっている間にもボケは展開されていく。
「ボクは断じてボケではないぞっ!」
「何言ってんの⁉︎楓はどこからどう見てもボケだ!このスーパーツッコミ役、夕姫様を見習うが良い!」
「違う違う!夕姫は間違いなくボケだよ!」
その台詞自体完全にボケであることに誰も気づかない。……要するに全員ボケか。
美鈴は自分の知らない世界にもはや圧倒されるだけだ。光希も天然でボケていそうだし、涼はただ笑っているだけ、そして夕馬はきっとボケだろう。美鈴はそこまで考えて思考を放棄した。
「みなさーん、……そろそろお風呂、行きませんか?」
憔悴しきってボソボソの声で美鈴が言う。
楓には何故美鈴がそんなにダメージを受けているのか分からないので、とりあえず反応する。
「行く行く!さてさて、行こうではないか!」
「行きますわよっ!」
「イェーイ!」
「うふ、ふふふ……」
妙にハイテンションな三人、及び怪しい笑いをする人約一名がいそいそと風呂に入る準備を始めた。
***
「温泉だぁー!」
楓はガラリと脱衣所の戸を開けて叫んだ。
贅沢に本格的な屋外温泉。
それは建物の一角に存在している。
楓は目を輝かせ、そのひんやりとした床に足を付けた。
「わおっ!広いっ!」
興奮した夕姫が外に出てくる。それからは夏美達も次々にやって来た。
「なかなか良いですわね」
亜美が腕組みをして頷く。その隣で桜木カレンが亜美とぶつかりそうな距離で立っていた。
「……なんでカレンがここに?」
今更ながら楓はカレンに尋ねる。カレンは亜美にくっつき、楓に鋭い視線を向けた。亜美はその様子には全く気づかず、楓をウットリと眺める。
「カレンもついていきたいと言ったからですわ。楓さん……」
「チッ」
どこかで舌打ちが聞こえたが、聞かなかった事にしよう。
手早く身体を洗った楓達は揃って露天風呂に身体を沈めた。
「ぷは〜、生き返る〜」
夏美がオヤジじみた台詞を吐く。いつもの彼女からは想像したくない姿である。カレンはベッタリと亜美に貼り付き、それはどこかのイソギンチャクのようだ。
「気持ちいいですね」
湯気に頰を上気させた美鈴がポワポワした声を出す。木葉は目を細め、リラックスしている様子だ。
「温泉なんて久しぶりだわ〜」
「ボク、入ったの初めてだ!」
楓は初めての温泉に感動していた。
普通の風呂とこんなにも違うのか。不便なのは少し視界が悪いということだけだが、それはほぼ気にならない。
「楓、初めてなんだ!」
夏美が笑う。楓も笑って頷いた。
「うん、初めて。初めてがみんなと一緒で良かったな」
「イエイ、イエイ!」
夕姫がバシャバシャと水を叩いて喜ぶ。
「こんな序列戦がどうとかってヤツが関係無かったらもっと良かったのになー」
「だね、私もそう思う」
木葉は溜息を吐いて空を見上げた。曇りない夜空が広がっている。
「……ところでさ、美鈴ちゃん立派なお胸してるねぇ〜」
怪しい笑いを浮かべた夕姫が手をワキワキさせて美鈴を捉えた。美鈴は両手で肩を抱き、捕食者から逃げようとする。
「ゆ、夕姫ちゃん⁉︎」
夕姫の目がギラリと光る。
「キャァアア!」
「……あ」
美鈴の悲鳴が夜空に響き渡った。
同時に盛大な水飛沫が立ち上る。水の粒がキラキラと光を反射しながら空に散った。
「わぶっ⁉︎あぶぶっ⁉︎っ⁉︎」
美鈴が手足をジタバタさせて目を白黒させている。
「美鈴⁉︎そんな浅い所で溺れるなっ⁉︎」
楓は美鈴の手を掴もうと手を伸ばす。その手が弾力のある何かに触れた。美鈴が溺れながら真っ赤になるという命懸けの反応をする。
そして美鈴を取り囲むように水が噴き上げられた。その勢いに楓は顔から温泉に突っ込む。
「……水源の力ね」
木葉が呆れ半分でボソリと言った。
楓はお湯から顔を出し、プルプルと水を振り落とす。
「み、みみみなさん⁉︎い、いい加減にして下さいねっ⁉︎」
温泉から立ち上がって説教しようとする美鈴はもちろん一糸纏わぬ全裸であった。
夕姫がこれでもかという程マジマジと美鈴を見つめる。
「相変わらず素晴らしいカラダ付きで……」
「夕姫!」
夏美がスコーンと夕姫の頭をぶっ叩く。
ついでに言うと楓も割とガン見してしまっていた。
美鈴の顔が茹でダコさながらに染まった。
「……」
沈黙が満ちる。
美鈴は慌ててお湯に口まで沈む。
「と、とにかく……、さわ、触らないで下さい、ね……」
完全に沈黙した美鈴に夏美は哀れみの目を向けた。いつもなら襲われていたのは夏美かもしれなかった。……とはいえ、報復が怖すぎて誰も手を出さなさそうだが。
***
「隣はすごい騒ぎだね……」
涼がのんびりと呟いた。夕馬はうんうんと首を動かす。光希は無表情だ。
まさか女子と時間が被るとは思わなかったが、光希達も温泉にやって来ていたのである。生徒会長諸々の人間が居るわけなので隣ほど騒げないが、それでもだいぶ静かで良い雰囲気だ。……そもそも騒ぐ人員が向こうにほぼ全員行ってしまっているからそんな事にはならない。
「明日って、何があるんだっけ?」
夕馬が深く息を吐く。
「また戦闘訓練だ」
光希は簡潔に答えた。涼は笑って補足をする。
「メインはたぶん、術式戦闘だね。今日とは違ってあまり身体は動かさないと思うよ」
「ってことは天宮はカンペキにヒマなのかー」
「確かに楓は暇かもしれないね。……まあ、それはそれで相川さんも何かえげつない事でも考えてるんじゃないかな」
光希の表情はとても微妙そうな顔に変わった。
「あの人ならやりそうだぜ……」
「ところで、何を話してたの?あの時」
涼の目が光希を捉えてスッと細められる。光希はその質問の意図をわざと読まずに聞き返す。
「何の話だ?」
「楓といなくなった時の話に決まっているじゃない」
あの話の中身を他言しても良いものか……。一瞬思案し、光希は当たり障りのない事だけを言う事にした。
「……前より強くなったと言われただけだ。あとはあいつのお巫山戯に付き合っただけだな……」
涼の瞳からは訝しむような光は消えなかったが、聞き出すのは諦めてくれたようだ。そのことに僅かばかりに安心する。
「それにしてもさ、光希と天宮の模擬戦凄かったぜ」
夕馬が空を見上げながら言った。憧れのような感情がその目の奥に見え隠れする。
「流石近接戦闘のスペシャリストだな」
光希と涼とでは得意とする距離が少しだけ異なる。光希は完全に近接だし、涼は中距離と近接の間だ。そう言う夕馬は完璧に遠距離だ。
「まだまだ天宮には勝てないけどな」
「楓、すごく楽しそうだったね。やっぱり光希が相手じゃなきゃダメかー」
涼が光希をつつく。光希は苦い表情を浮かべた。
「……どういう意味だよ」
「え?そのままだけど?」
これはダメだ。光希は涼のからかいを甘んじて受けることにした。反論してもロクな事がない。
「明日からも大変だなー」
夕馬は一人で頷いた。
***
風呂上がり。
夏美は髪を乾かしながら、チラリと視線を他所に向けた。
着替え終えた木葉が一瞬鋭い視線を周りに向ける。
その行動の意味が気になり、夏美はそのまま木葉を本人に気づかれないように観察する。
木葉の視線が夏美を通り過ぎる。木葉は耳に指を当て、口を小さく動かした。……まるで何かを呟いたように。
夏美は目を細める。
木葉は突然微笑んで楓達に宣言した。
「私、電話掛かってきていたみたいだから電話してくるわね」
……携帯端末を木葉は風呂から上がって一度も見ていない。だが、そんなことを知っている筈のない楓達は笑って頷き、木葉を送り出した。
「いってら〜!」
髪の毛ベタベタの夕姫が呑気に手を振る。木葉は笑って脱衣所から出て行ってしまった。
何故だか木葉が気になった。夏美は手早く荷物をまとめ、髪の毛ボサボサの楓に言う。
「私、ちょっと水飲みに行ってくるね。もし遅くなったら荷物持って戻っててほしいな」
「おっけい!任されたぞ」
陽気な楓が敬礼をしてみせた。夏美はクスリと笑い、木葉を追って脱衣所を出た。
廊下に出ると、木葉の姿は既に見当たらない。それでも夏美は焦らずに足を運んだ。
階段の所でヒラリと木葉のスカートが揺れるのが見えた。湯上りに再び制服を着ているのはいささか不思議ではあるが、そこまで大した理由はないだろう。
夏美は息を呑み、気配を消して木葉を追って階段を登る。
そこで木葉の姿が消えた。よく見れば階段から外のテラスに出る扉がほんの僅かに空いていた。
夏美はソロソロと扉に身体を滑り込ませる。
風が夏美の身体を通り過ぎた。
夜の静かな空気が流れている。木葉の姿は夏美の出てきた扉からは少し離れた所にあった。木葉は何やら会話をしているように口を動かしている。だが、その手に携帯端末が無いことから術による念話の一種だと判断する。
不意に風が凪いだ。
「ーー様、計画実行は明後日以降が良いかと。ええ、夜会は必ず無事に終わらせる必要があると思います。ーー」
風が止んだその時だけ、木葉の声が耳に入った。
木葉が敬語を使う相手は天宮家当主しかありえない。
だが……、木葉は天宮家当主を決して『ーー様』とは呼ばないのだった。
夏美は木葉に気づかれないようにそっと、元来た道を引き返した。
美鈴がツッコミです




