火影
楓と光希はみのると別れ、既に遠くに行ってしまった生徒達を追いかける。遅れても大した問題は無いと判断した為、走りでは無く早歩きだ。
「さっきの話、本当なのかな?」
「あいつの言ったことだ、本当だろうな」
光希は溜息を吐く。
楓はハハッと乾いた笑い声を上げた。
「良い予感はしないな。まだあるのかよって感じだ」
「ああ、……お前は本当、迷惑ばかり押し付けられているな」
少しの哀しみを込めて光希は言う。その言外の意味を理解した楓はそっと笑った。
確かに、天宮家にはロクな事を押し付けられていない。まるで楓の気持ちはどうでも良いとでも言うように。そもそも、気にする気など当主には無いのだろう。
「もうこれはボクの運命かなー。結局ボクの意思はその選択には関係ないんだ。って言いつつ、相川もだろ?」
光希もその点に関しては同類だ。
少なくとも楓はそう思っている。
「……そうかもな。だが、お前ほどじゃない」
「そうかな?……まあでも、明日が勝負だな」
夜会でどんな反応があるのか、それが全てだ。その内容によっては……。
「夜会か……」
「やっぱりボク達にはどうしようもないな」
「それでも最悪だけは避けたい」
「うん、頑張ろ、ボク達に出来る範囲で」
「ああ」
光希は頷く。楓は目を細め、見えてきた建物を眺めた。扉の前で夏美達が待っている。それを見つけた楓は駆け出す。その後を光希も追いかけて来る。
「遅いぞー!二人とも!」
夕姫が叫ぶ。楓はごめんごめんと頭をかいた。
「何かあったの?」
夏美は心配そうにコテリと首を傾げ、楓と光希を見た。
「いや〜、道に迷っちゃってさ。相川が見つけてくれたんだよ」
そうだよな、と楓は光希に同意を求める。光希は表情を変えずに頷いた。
「……なんで列について行くだけで道に迷うのか理解できない」
「はあ⁉︎」
光希に余計な罪状までくっつけられ、楓は食ってかかる。これでは楓の心象がおかしくなるではないか。
「ボクはそんな事しないぞ!」
「あははは……。楓、やりそうだもん」
夕姫がヘラヘラ笑う。夕姫にまで誤解されてしまったようだ。全く心外だ。
「うぐぐぐ……」
悔しさに楓は光希を睨む。少しだけ光希の口元がニヤッと動くのが見えた。つまりは確信犯という事だ。
「まあまあ、そろそろ夕食の時間だし、行きましょうよ」
木葉が肩を震わせながら全員を促す。
もうとっくに他の生徒達は中に入ってしまったようだ。ここでずっとたむろしている訳にもいかず、楓達は建物の中に入る事にした。
「疲れたぁ〜」
夕姫は疲労感を顔に滲ませて言う。
「そうだね。僕も術無しでの戦闘訓練は少し疲れたよ」
涼があまり疲れてなさそうな顔で反応を返した。夕姫と同じく疲れた夕馬が、懐疑的な目で涼を見た。
「……そう言う割には疲れてなさそうなんだけど」
「まあ、涼はいつでもこんな顔だから」
夏美がふふっと笑う。
「そういえば、亜美とか美鈴は?」
楓はここにはいない同学年メンバーを思い出した。てっきり一緒に居るかと思ったのだが、そうでもないようだ。
「その二人なら先に行ったよ。亜美は急いでたみたいだけど」
「そうなんだ」
「うん。僕達も一回部屋に戻ろうか」
涼の提案に全員頷いた。
絨毯敷きの廊下を歩き、部屋に向かう。男子部屋と女子部屋は遠く離れた場所に配置されているが、しばらくは道は一緒だ。
洋風の階段を上がり、直ぐ側にあったランプの光に目を細める。
人はまだ五星学園の生徒ぐらいしかいない。明日になればもっと賑やかになるのだろうが、現状、とても静かだ。
「明日ってどれくらい人が来るのか?」
楓は夏美に聞く。夜会には何度か出席した事がある夏美なら、きっとちゃんと答えてくれる筈だ。
「うーん、一概には言えないんだけど、本家が大体50近くあるから……」
「ちょ、ちょっと待て、本家ってそんなにあるの⁉︎」
楓は驚いて目を見開く。20くらいだと思っていたが、そんなのは比ではない。
「ん?うん、そうだよ。だから、多分100人近くの人が来るんだと思う。それで、明日は午前に10本家会議をして、午後に総本家会議があるんだよー」
愛らしい笑顔で夏美は言うが、かなりのスケールだ。楓には想像もできない。
「荒木さん……、そんなヤバいやつに出るのか……」
夕馬が完全に変な方向を見ている。楓と同じように圧倒されているのだ。
「まあ、これでも荒木家当主だからね。出ないワケにはいかないんだよ」
「夏美はすごいよ。僕達と同じ歳なのにしっかりしてて」
涼は微笑む。夏美は照れたのか、手をパタパタと動かした。
「そんな事ないよー、えへへ……」
「あれ?ってことは夏美、明日は一日中いないって事?」
夕姫が戦闘訓練でボサボサになった髪を撫でながら聞く。夏美は残念そうに頷いた。
「そうなんだよね……。私も訓練受けたかったけど」
「そういえば、私も明日はいられないから」
思い出したように木葉が口を挟んだ。全員の術を見るのを楽しみにしていた楓としてはとても残念だ。
「……みんなの見たかったのにな〜、残念」
「なんかごめんね」
「いやいや、夏美にもやらなきゃいけない事があるんだからさ」
笑って夏美を安心させる。夏美はどこか曇りの残る表情で微笑んだ。
「そうだね。私も頑張るよ」
ガラス張りの渡り廊下を渡り、向こうの棟に移る。もう5時過ぎでも、空はまだ明るかった。
楓は辺りを見渡す。廊下の端に置かれた観葉植物が目に入った。相変わらずお洒落な内装だが、やはり人は誰もいない。
ーーその筈だ。
「日向〜!」
「ちょっ、な、何よ⁉︎近寄るなっ⁉︎」
人のいない廊下から悲鳴とも怒声とも似つかない叫び声が聞こえた。
「……何だ?」
光希が声の方に顔を向ける。
いつになく真剣な表情をした夏美が小さな声で告げた。
「これはアレだよ……。か弱い女の子がヤバい男に襲われてるんだよ!」
「……ほんと、それ?」
楓は疑いながらも夏美の顔を見る。夏美はキリッとしてもう一度言う。
「絶対に本当だよ。うん、間違いない」
無駄に自信満々だ。
涼が苦笑いで夏美に尋ねる。
「……で、どうする?」
「どうするって?もちろん止めに行くんだよ!みんな行くよ!」
「「おー!……おー?」」
夕姫と夕馬が元気に拳を突き上げてから首をひねる。ともあれ、か弱い女の子がヤバい男に襲われている現場に向かうにしては軽すぎる足取りの夏美を楓達は追いかける。
「久しぶりだね〜!もうずっと会ってないから寂しかったんだよ?」
「それでなんで今なワケ⁉︎ちょっと!バレたらマズイんでしょ⁉︎」
「大丈夫だよ〜」
「なんでそんなに自信満々なのよ⁉︎」
風向きが怪しくなってきた会話に夏美を追いかける全員の顔が渋くなる。それでもバタバタという足音がしないのは訓練の賜物か……。
「これに乗り込むの……?」
夕姫がボヤく。涼が引きつった微笑みを浮かべた。
「……ちょっと厳しいかな……」
そうこうしている内に、楓達は廊下を抜けてしまった。
「……」
「え……?」
そこで目に入った光景に、楓達は絶句した。
ーーあり得ない。
……女子生徒に詰め寄る男、それは楓達の担任であった。
「……せ、先生……」
夏美が呆然と呟く。
「……も、もしや、これ、禁断の恋?」
相変わらず逞しい夏美の妄想力だが、こればかりは強ち外れてはいないのかもしれない。
「ちょっと、本当に見られたじゃない⁉︎」
照喜に詰め寄られている少女が叫ぶ。照喜は彼女をまあまあと宥め、笑顔で楓達を指し示す。
「大丈夫だよ、この子達は僕の担任クラスの子達だよ?」
「はあっ⁉︎もっとマズイじゃないの⁉︎バカなの⁉︎」
少女の拳が良い音を立てて照喜の腹にのめり込む。冗談抜きで殺す気の拳だった。とても痛い筈なのに照喜はとても嬉しそうだ。
「日向に殴られて幸せですー。日向に殴られるのも久しぶりだ〜」
心底嬉しそうに笑う照喜の姿に少女の顔が毛虫を見るような目付きになる。そして、楓達はもはや引きつった微笑みを浮かべるだけだった。
「キモい……。一回死んできてよ!照兄っ!」
日向が足を振り上げ、照喜を蹴り飛ばす。面白いくらいに綺麗に照喜が吹き飛び、壁にぶつかる。そして……やっぱり照喜の顔は笑顔だった。名誉ある『九神』の陰とは思えない有様だ。
「てるにい……?」
楓は日向の言葉を繰り返した。日向がそれに気づき、ペコリと頭を下げた。
「すみません、うちのバカ兄貴が迷惑かけました」
「兄貴っ⁉︎って事は、担任の妹さんっ⁉︎」
夕姫が大騒ぎで目を見開く。日向は遠い目をして頷いた。
「改めまして、私は紅月学園一年A組の火影日向です。皆さんは青波学園一年A組の生徒さんで良いですか?」
「うん、同学年だし、敬語はいいよ」
ニコリと爽やかな笑みを浮かべて涼は言う。日向は涼から少し目を逸らして笑顔を見せた。
「分かった。よろしくね」
「ボク達も自己紹介した方がいいよね?」
楓は日向に尋ねる。日向は小さく頭を振った。
「えっと、大丈夫!私、多分みんなの名前分かるはず。あなたは天宮楓さんだよね?」
「すごい!覚えてるのか⁉︎」
自分自身、他の人の名前をきちんと覚えていない為、楓は日向に感嘆する。日向は頰を紅潮させて目を逸らす。
「そ、そんなにすごくないよ。天宮さんはーー」
「楓って呼んで」
「ーー楓は、模擬戦がすごかったからちゃんと覚えてるの」
何となく照れ臭くなり、楓は頭をかいた。
「ところで照兄!照兄の正体盛大にバレてるけど良いの?」
「だから大丈夫だって〜」
笑顔で戻ってきた照喜は日向の肩に手を乗せる。日向はそれを嫌な顔をしたものの、振り払うことはしなかった。
「ここにいるメンバーは『九神』と、『九神』候補とそれから天宮だよー?それで僕の正体はちょっと前にバラしちゃったよ」
頭を押さえて日向が大きな溜息を吐いた。
日向の口元がニヤリと歪む。
「ふうん、じゃあその他も色々言って良い事か〜」
照喜の顔が目に見えて青ざめた。
「ちょ、ちょっと、待とうか?色々って、何かな?」
夕馬が呆れながら呟く。
「なんか心当たりがありまくるみたいだぜ……」
「だなー」
楓も頷いて日向と照喜を観察する。さて、一体何が出て来る事やら。
日向はバッと照喜を指差し、全員に聞こえるように喧伝する。
「こいつはただのシスコンの生活能力ゼロのゴキブリ野郎だぁっ!」
楓達の目がゴミを見るような目付きになり、照喜に向く。照喜は笑顔で困惑するというなかなか器用な事をしていた。
「……う、嘘だよ?うん、僕が生活能力ゼロなワケ無いじゃないか……」
消え入りそうな語尾では説得力は皆無だ。日向は珍しく狼狽える兄の姿にニヤニヤ笑いを隠せない。
「どうせまた部屋をゴミ屋敷にでもしてるんでしょ?」
「ぎ、ぎくっ。な、なんで分かったのかな?」
あっさりと敗北を認めたのも驚きだが、それ以前にぎくっと自分で言う人間には初めて出会った。
楓達は担任のロクでなし加減に呆れ果て、白けた目を向けるのみ。
前回、白樹の研究所であった時も怪しかったのではあるのだが……。
「……でも、突然いなくなってこんな所で会うなんて思わなかった。一応、心配はしたんだからね!」
顔を真っ赤にした日向はそれだけ言って、踵を返そうとする。それを照喜がそっと止めて、囁く。
「……心配してくれてありがとう、日向」
「ふんっ、そんなの知らないし」
日向は少し嬉しそうにそっぽを向くと、今度こそ背を向けて行ってしまった。取り残された楓達は照喜をじっと見つめる。
「どうかした?」
「……いえ、なんでも」
夏美が目を逸らす。
「うちのうるさい妹が迷惑かけたね〜、ごめんごめん」
「……どちらかというか迷惑はそっちです」
「ん?」
「あ、いえ、なんでもありません」
夕姫が笑顔を顔に貼り付けた。
腕を動かして時計を見たのち、照喜は笑顔を消す。
「日向と僕の関係は秘密にしておいてくれるかな?……それに、日向は僕が『九神』の陰である事を知らないんだ」
さっきまでとは打って変わって哀愁を帯びた微笑みを浮かべる。
照喜が言いたいのは日向には自分の正体を明かさないで欲しいという事だった。
「良いんですか?」
楓は真っ直ぐ照喜の瞳を捉える。照喜の瞳には感情は映されていなかった。
「うん、そう決めてる」
担任のキャラが濃い……
そしてツッコミ不在。
……いつもか……。
 




