楓の能力
みのるは不気味な微笑みを浮かべ、口を開いた。
「楓、みんなの相手をしてくれるかな?」
ぴしり。
空気が完全に凍りついた。
主にショックを受けているのは3年生だ。それもそのはず、彼らは『九神』トップレベルの2人と模擬戦をして貰いたかったのだ。間違っても『無能』の1年生ではない。
さわさわさわ……、と場違いな程爽やかに風が流れていく。
楓の頰は痙攣し、笑みとも似つかない表情になっている。
……分かってたけどさ、あり得んだろぉおおおおっ⁉︎
心の中で一生分絶叫し、怨みがましい目つきでヘラヘラ笑う無責任教師約2名を呪う。枕元に立って祟ってやりたいくらいだ。
青い顔でカクカクと震える楓にみのるは笑顔で追い打ちをかける。
「拒否権、無いからね」
地獄の宣告さながら楓の精神にクリティカルヒットした。
うぐぁあ、と頭を抱えてぶんぶんする。そして、我に帰った頃には、周囲の北極顔負けの冷たい視線が注がれていた。
コレはやるしかないのか……。
ほうっと溜息を吐き、楓は顔を引き締めた。
「分かりました。やれば良いんですね」
声が尖ってしまったのはしょうがない。
みのるは気にせずに頷いた。それから他の生徒達に向き直る。
「これから君達の純粋な戦闘能力を確認する。使用可能なのは身体強化のみ、術式の使用は不可だよ」
「ーーあの、身体強化はありなのですか?」
葉隠桐果は口を挟んだ。
楓を知らない人間からすれば当然の質問だ。霊能力を使えないから『無能』なのに、相手は霊力で身体強化しても良いというのはおかしな話である。
その質問は照喜が答えた。
「大丈夫ですよ。これでも彼女はSランク。実力は保証されてますよ」
「っ⁉︎」
驚愕に目を見開く桐果。
口を開いたり閉じたりした光神茜が照喜に食ってかかった。
「どういうことよそれっ⁉︎『無能』にSランクなんて取れるはずないわ!」
「いやー、どういうことって言われてもねぇー」
照喜は頰をかいて、みのるに助けを求める。みのるは微笑みを崩さずに、意地悪く沈黙する。照喜は更に困った顔をして、楓を見た。
いや、こっち見るな⁉︎
その適当な動作に楓は苦く顔を引きつらせる。その間に、茜の矛先は天宮清治に向けられていた。
「ちょっと!説明しなさいよ!どうせあんたの妹なんでしょっ!」
「……」
沈黙。
楓は思わず叫んだ。
「んなわけねぇだろっ⁉︎……あ、」
先輩達の前で叫んでしまった事に気づいた時には既に時遅し。
みのると照喜は顔を背けて肩を頻りに震わせている。木葉に至っては地面に頭を打ち付けているし、夏美達はもちろん、光希までも笑いを堪えきれていなかった。
「……光神……。天宮楓は断固として私の妹ではない!……こんな妹がいてたまるかっ⁉︎」
天宮清治の化けの皮が剥がれている。
茜はキョトンとして清治を眺めた。
「……ち、違うの⁉︎」
「断じて違う!私には妹などいないっ!そもそも顔からして違うだろうがっ⁉︎」
その通り。楓と清治の顔は全く似ていない。黒髪は同じだが、それだけだ。
遠い親戚ではあるはずだが、濃い血の繋がりは無い。
……というか、あの生徒会長の妹にされるのが我慢ならない。
清治の方も『無能』の妹はお断りだそうだし、楓としても願い下げである。
茜は楓と清治の顔を交互に見た。目を細めているせいで、正直とても目付きが悪い。
「た、確かに、……似てないわ」
ぽろっと茜が呟く。清治は満足そうに頷き、もう一度念を押す。
「私と天宮楓は兄妹ではない。きちんと覚えておいてくれ」
後ろでこくこくと楓は頭を上下に動かした。これを間違えられては困る。
「……まあ、そ、それじゃあ、模擬戦を始めようかな」
静かに笑い転げていたみのるの笑いの発作が治まったようだ。混乱に乗じて逃げる手はもう無い。楓は諦めの溜息を吐き、前に出た。
少し雲が出てきた。太陽の光が弱まり、涼しい風だけが草原を駆け抜ける。模擬戦をするには最適な気温だった。
みのるは照喜とコソコソと何やら相談し、それから口を開く。
「それじゃあ、初めは1年生から。一応の実力は事前に知っているから、それで割り振るよ。1戦目は、笹本の双子、夏美、美鈴、亜美、日向、の5人だ。銃の方は、実弾で良いよ。楓を本気で殺す気でやってね」
なんて恐ろしい事を万人を魅了する美しい笑顔で言うのだろう……。
サラッと言わないで欲しい、本気で殺す気でやってね、とか。
それにしてもみのるは実弾でやる気だ。本気で戦わせるつもりらしい。
掠りでもしたらどうするんだろう、そう思いつつも楓は何も言わない。流石に治癒能力は晒したくないのだが……。
つまりは楓にも手抜きしないようにさせる為か。
それなら楓も本気で叩きのめすだけだ。
楓は自分の唇がニヤリと笑みを作るのを止められなかった。
「すみません、それにしても人数多すぎじゃないですか?それに……、実弾なんて」
震える声で美鈴が聞く。
楓を気遣ってくれたのかもしれないが、その質問に意味はない。
みのるは意味深な微笑みを浮かべた。
「戦えば分かるよ」
美鈴の質問を完全に無視した答えだった。美鈴は困惑したまま拳銃を抜く。
既に、日向と呼ばれた紅月学園の生徒を含めた全員が武装を完了している。
楓は刀を抜いた。
赤みがかった刀身が煌めく。鏡のような鋼に景色が映り込んで消えた。
スッと楓の瞳が凪ぐ。
楓の纏う空気が一変した事に気づいた夏美達は武器を構えた。
楓を取り囲むように刃と銃口が向けられる。
唇をニヤリと吊り上げ、楓は口を開く。
「良いよ。……来なよ」
夏美の銃口が火を噴いた。今は銃は一つだけ。術を禁止されている為、魔弾銃は使えない。
まだ動こうとしない他の1年生達の中、夏美は引金を引く。
2発の内、1発は眉間、もう1発は太ももが照準されている。
夏美は本気で殺しに来ているのだ。
それなら楓も本気で返すのが道理。
楓は刀を振るい2発の弾丸を斬り刻んだ。
「なっ⁉︎ 斬った⁉︎ 構えてないのに⁉︎」
茜が声を上げ、楓の動きを凝視する。綾瀬渉は色の薄い唇を嬉しそうに笑みの形に動かした。
「……凄いね、あの子」
風間隼人は人知れず呟く。
今の一瞬の動きだけでも楓の戦闘能力が抜きん出ている事が分かる。
「あの動き、もう人間ではない……!」
「……。私も見るのは初めてだ」
桐果と清治は楓を目で追いながらも驚愕していた。
これだけの能力を持ちながら『無能』だというのは、なんて残念なのだろう。誰もがそう思った。
「夏美も凄いね……、あれ、本気で楓を殺しにかかってるよ」
「ええ、仲間であろうと本気を出せる所は素晴らしいけれど、……あれは私怨が入ってるわね……」
涼は木葉の言葉に乾いた笑い声を上げた。
「それは絶対当たってるね。……楓も楓で撃たれても普通に死ななさそうだから、余計に本気になってるよ」
「そうねぇ」
楓は地面を蹴り、全員の視界から消える。
空中に身体を踊らせ、狙いを絞る。
突然、慌てて楓の姿を探そうとした美鈴と亜美の二人が崩れ落ちた。
「っ⁉︎」
手刀を首筋に叩き込んだままの体勢で、楓は姿を現した。
「反応すらできなかった⁉︎」
日向は目を見開いて思わずそう言う。覚悟を決めた目で夕姫は姿勢を低くする。
『夕馬、援護して!』
『了解!』
短い思念のやり取りをし、夕姫は躊躇いなく爆発的な速度で走り出した。
楓は夕姫の振り下ろした刀を真っ直ぐに受け止める。
激しい風が合わさった刀から生じた。楓は遠くから向けられた殺気に気づき、飛び退る。その動作とほとんど同時に弾丸が楓の頭があった場所を貫いた。
「おっと……」
「負ける気は無いよっ!」
夕姫は楓の懐に飛び込もうと虎視眈々と機会を狙う。そして夕馬の援護射撃が楓をその場に釘付けにしている。
「荒木さんっ!」
夕馬が叫ぶ。
夏美は小さく頷き、楓の背後に回った。
「楓、死んで」
夏美の唇が小さく動く。模擬戦とは思えないほどの濃密な殺気が夏美の身体を包む。
夕姫と夕馬、夏美、そして日向も、に囲まれ、突きつけられた銃口から楓は逃げられないかのように思えた。
だが、夏美が拳銃の引金を引き、夕姫が刀を振り下ろすよりも早く、楓は動く。
「えっ⁉︎」
「きゃあっ!」
くるりと軽やかに身体を回し、夕姫と夏美の足を薙ぎ払う。驚愕に顔を染めたまま、呆気なく2人は地面に倒れ込む。
「油断したらダメだぞ」
楓は2人に声をかけ、背を向けた。
今回のルールは地面に身体がベッタリついたら負けというものだ。後ろから奇襲される心配はない。
さっさと終わらせるか。
夕馬に向かって駆ける。
銃は楓をぴったり照準しているが、弾丸は楓には届かない。
弾丸を弾き、楓はひらりと夕馬の後ろに音も無く移動。そして、刀の峰で夕馬の首を軽く叩いた。
「ぐ……⁉︎」
これで夕馬もノックアウト。残るは紅月学園の少女だ。楓は日向に目を向ける。
彼女の手には鉤爪を身につけ、鋭い刃を楓に向けている。見たところ、実力は夏美と同等かそれ以上。どちらにせよ、全力で叩き潰すだけだ。
楓は日向に向かって一直線に走る。上段から斬りおろし、本命の蹴りを入れようと動く。
だが、日向は後ろに一歩下がり、楓の行動を読み切ったように動いた。
ーー読まれたな、今の。
楓は予定していた刀の動きを突然切り替え、くるりと刀を回す。
日向が驚きを隠せずに目を見開く。
楓の蹴りが日向の意識を奪った。
「うぁ……」
ドサリと日向が崩れ落ち、楓だけが立っていた。
「これで良かったですか?」
いつもの癖で一度刀を振ってから鞘に納める。今の模擬戦は時間にして1分もかかっていなかった。
「ありがとう、楓。でも次からもうちょっとレベル高いからよろしくね」
「分かりましたー!」
みのるに元気良く返事をする。
それから、他の生徒達を見渡した。
……固まっている。
直ぐに彼らは通常の表情に戻ったが、それぞれ驚きは隠せていない。
「……本当にあなたは、『無能』なんですか?」
桐果の呟きがその場の全ての思いを表していた。
ふざけた会話です




