波乱の予感
楓は白い部屋で目を覚ました。
「ここ、どこだろ……?」
身体の痛みはもう引いて、ずっと身体を動かしていなかった痛みを感じる。楓は上半身を白いベッドから起こし、適当に手を伸ばす。
目が見えなくて、ごそごそとやっている内にお目当ての物が指に触れた。楓は安心し、眼鏡を掴んで掛ける。
途端にボヤけていた世界がクリアになった。
そして、楓はここがどこかの病院の病室である事に気付く。それと同時に今まであった事を思い出した。
完全に人である事を否定された。
白樹はおそらく正しい。あいつは楓の血を抜き、分析した。それは確信を持って言える。
楓は自分の手に視線を落とした。
手を握る。開く。
だが、信じると決めたから、バケモノであろうが関係ない。
それに、涼達は楓を救う為に真実、命を懸けた。
『無能』のバケモノの為に。
楓もやっと、信じるという事の本当の意味がわかった気がする。無条件に心を預ける事の意味が。
それが楓が手に入れた戦う理由。信じた者達を守る為に戦うのだ。それ以外の理由など要らない。
……仁美は、どうしてるのかな。
楓は仁美の顔を思い浮かべる。白樹が死んだ今、もう彼女を縛る物は何も無い。
今度こそ、幸せに生きて欲しい。
完全に同じ仁美ではなくても、そう思う。あの仁美も、今の仁美の中で生きていると信じているから。
楓は視線を外に向ける。
青い空が目に映った。陽射しが眩しい。窓の僅かな隙間からまだ涼しい風が流れ込んでくる。
だから、きっと今は朝だ。
あの戦闘でかなり出血して骨も数本折れたようだったから、その痛みが引くまで寝ていたという事は、結構長く寝ていた筈だ。
光希達は大丈夫だろうか。
涼や夕姫は結構重傷を負っていた。死んでしまう事は無いだろうが、治るのにはきっと時間がかかる。
楓は思わず険しい表情を作り、窓の外を睨んだ。
「……!」
楓は部屋のドアの前に人の気配を感じ、警戒する。磨りガラスから人影が見えたが、誰かわからない。
ドアが開いた。
白衣の女と目が合う。女は一度驚いた表情を浮かべ、それからホッとしたように微笑んだ。
「やっと起きたのね、天宮楓さん」
セミロングの髪を揺らして女は楓の隣に置いてあった椅子に腰掛けた。
「初めまして、私は鳩羽真紀。あなたの担当医をしているの」
にこり。真紀は優しい笑顔を見せる。だが、あまり初めから信用しないようにしよう、と楓は心に決めた。
「あ……えっと、どれくらい寝てましたか?」
楓はとりあえず質問してみる。真紀は眉間に皺を寄せて考える素振りを見せた。
「そうねぇ……、3日間くらいかしら」
「そ、そんなに⁉︎」
長く寝ていたとは思うが、それ程の時間昏睡していたとは思わなかった。楓は驚いて目をパチパチさせる。
「それで、傷の状態を見せてもらいたいんだけど、いいかしら?」
マズイ。楓は内心冷や汗を流す。傷が完治したのがバレたら……。無意識に楓の手が傷があった場所に向かう。
真紀はそんな楓の心中を察したように、微笑んだ。
「大丈夫よ、私はあなたがここに来てから毎日傷の状態を見ているわ。……あなたの傷がほぼ完治している事も知ってる」
「っ!」
楓は目を見開く。
「……知っているんですか?ボクの……」
真紀は頷いた。
「今ではもう、だいぶ広まってしまっているわね、その噂。……天宮の『無能』の自己治癒能力」
「……なんで……」
楓の口から疑問が溢れる。
広まるような事はしたか?
ーーいや、していない。
意味のない自問自答をする。そんなのが全員にバレたら終わりだ。
「確か、校外教室で天宮さんが戦った時の映像が出回っているのよ。……そしてそれが解析された」
楓は思い出す。あの魔獣と戦った時、確かに楓は傷を負った。頰の擦り傷が一瞬で治ったのに気づかれたのだ。
「……まあ、そんなに気に病むことはないわ。まだ噂の段階よ。私自身、あなたを診るまで信じられなかった」
そう言われても、楓の顔は硬い。
真紀は楓の恐怖心に勘付き、その話を打ち切った。
「とりあえず、あなたの傷、見せてくれないかしら?」
楓は無言で頷いた。
真紀は楓の肋骨に触れ、感触を確かめる。
「綺麗にくっついている……」
そう呟くと、真紀は手を楓の腹部の方へ動かした。
「包帯はもう要らないわね」
真紀は楓の腹部に巻かれている包帯を馴れた手つきで外していく。楓は成されるがままに、自分の身体を見下ろしていた。
「最後に足を診るわよ」
楓の足を真紀はサラッと眺め、傷が完全に無くなった事を確認すると、笑みを浮かべた。
「はい、完治〜!今夜寝泊まりしたら退院ね」
楓は嬉しそうな真紀を見ても、素直に喜ぶ事ができなかった。真紀が不思議そうに楓の顔を覗き込む。
「どうしたの?」
楓は小さな声で言う。
「……怖く、ないんですか?」
「何が?」
キョトンとした表情を真紀はする。
「ボクのこの能力ですよ。明らかに不自然じゃないですか」
真紀は手を動かした。楓は目を瞑る。
ポン、と真紀の手が楓の頭に乗っかった。
「何言ってるの、私の仕事は患者を治す事よ。患者が早く治って動けるようになったら嬉しいじゃないの。……それにはあなたが何者であろうと関係ない」
その言葉に楓はハッとする。
待っていた言葉だった。
「鳩羽さん……」
真紀は微笑んで、楓の頭をぽんぽんとやって手を離す。
「……ところで、毎日相川光希君があなたの面会に来てるんだけど、あなたの彼氏?」
「は、はぁあっ⁉︎なわけねぇだろっ⁉︎」
叫び声を上げてしまい、楓は自分の口を押さえた。真紀は目を細める。
「うーん、どう考えてもそうとしか見えないのにね〜」
「ち、違う!相川はボクの、ただの護衛で……」
楓の声が勢いを無くして尻すぼみになった。
今の関係があるのも光希が楓の護衛という立ち位置であるからこそ。
……もしも、光希が護衛の任を解かれたら、楓の側にいる理由はなくなる。
それは……。
楓が黙り込んでしまったのを見て、真紀は立ち上がった。
「それじゃあね、一晩安静にしているのよ」
ガラリとドアを開けて、真紀は外に出て行ってしまう。途端に、病室は広く、静かになった。
もしも光希が自分の隣からいなくなったら……。
そんな事、考えたことも無かった。
楓の顔が陰る。
その時、コンコン、とドアを叩く音が耳に入った。楓は我に返って返事を返す。
「はい?」
ガラッと勢いよくドアが開く。
「天宮……⁉︎」
光希が驚いた表情でそこに立っていた。楓は目を大きくして光希の顔を見つめる。
「相川……!」
光希はしばらくそこで立ち尽くしたままでいた。
窓から風が入ってきた。白いカーテンが煽られて広がる。蝉の鳴き声がどこか遠くから聞こえた。
光希が瞬きをする。
止まった時間がゆっくりと動き出した。
光希は楓の方に歩いてくる。そして楓の隣に膝をつく。
「……良かった」
「あ、えっと、ボク結構寝てたみたいだな?」
光希は無言で楓の瞳を覗き込む。その奥に揺れている感情が垣間見える。
「なんであんな無茶なことしたんだよ⁉︎あんなに傷ついて、あんなにボロボロになって……!」
光希が感情を剥き出しにして言う。楓は無理矢理作った笑顔を消した。
「……守りたかったんだ。相川も、みんなも。ボクにはただ立ってることしかできなかったけど……。ボクが救いを求めた代償なんだよ、これは」
楓は呟く。
「ボクが願わなければ良かったんだ、救われたいなんて。願わなければ、誰も傷つかなかった。誰もあんな所に来ることも、ボクを助けようとすることもなかったんだ。もっと平和に生きることができた筈なんだ」
「……だが、それにはお前自身が入っていない。お前はただ一人で誰にも救われることなく、終わってしまう。それでも良いのか?」
「いいよ、もしそれが叶うなら、だけど」
もう後戻りできないのはわかっている。
光希は楓が言った答えを聞いて、どこか辛そうな雰囲気を漂わせた。
「……本当はそんな事、思っていないんだろ?」
「何言ってるの?これがボクの本心だよ?」
なぜか楓は焦ってそう口にする。
「ばか、ならどうしてそんな辛そうな顔をしてるんだよ?」
楓は自分の顔に手をやった。自分が今どんな顔をしているのか全くわからない。光希には見えているのだろうか、楓の本心が。
「ボクは……」
「……誰かに救って貰いたかったんだろ?」
楓は顔を歪める。
「……そう、かもしれないね。だから、あの時、相川の声が聞こえて、叫んだんだ。……ほんとに嬉しかった」
光希は楓から僅かに顔を逸らした。
「ボクさ、わかった気がするんだ、信じるってことの意味が」
「そうか……」
光希はそう言って頷いただけだった。それだけの動作に色々な思いが混ざっているのを感じて、楓は光希の顔を見つめる。やっとそこで光希が椅子に座らずに床に膝をついている事に気づいた。
「ところでさ、あのー、座ってよ。ちょっと居心地悪いから、ね?」
「あ、ああ……、悪い」
光希は楓に促されるままに椅子に腰掛ける。さっきまで下にあった光希の顔がぐっと近づいた。
「いやー、それにしても色々あったな、1学期!なんかもうボク、二回も誘拐されちゃったし、あはは、あは」
明るく笑ってみせるが、光希の顔は更に険しくなった。方向転換に失敗したな、と思い、楓は他の話題を考える。
「夏休みは、きっと平和だよなー?」
「どうだろうな……」
光希は何故か、はぁ、と溜息を吐いた。
「え?なんかあるの?」
キョトンとして楓は身を乗り出す。
ごんっ。
光希の頭とぶつかった。楓は頰を赤らめて、謝る。
「ご、ごめん」
「別に……、いい」
微妙な間が空き、微妙な空気が流れる。その流れを断ち切るように、光希は楓に尋ねた。
「傷はもう大丈夫なのか?」
楓はニッと笑って、腹をぽんぽんと叩く。
「完治したよ!元気100倍、100パーセント!……あれ?なんか違う?」
真剣にあの有名な台詞の間違いについて考え始めた楓を見て、光希は本当に楓が元気になった事を知る。
「何にせよ、お前が死ななくて良かった。……あんなに血を流して倒れたんだ、このまま目を開けないんじゃないかと思った」
「大丈夫だよ、ボクはそんなにヤワじゃない。丈夫なのが取り柄だし!」
楓はそう言って、両腕を上げて下ろす。これはたぶん照れ隠しだ。光希が自分の事を心配してくれていたのが分かって、嬉しかった。
「んで、夏休み、なんかあるの?」
固まっていた光希に尋ねると、光希は驚いて瞬きをした。
「それが……、結構厄介な行事があるんだ。五星学園交流会、五星学園の生徒会なんかから成る選抜メンバーが各学園から集められて交流を深めるっていう趣旨の物なんだが……」
光希の言葉はとても歯切れが悪い。「生徒会なんか」が、ということは、風紀委員会も関係がある……?
「あれ?じゃ、もしかしてボク達に大いに関係ある?」
光希は気が進まなさそうに、頷いた。
「ああ、五星学園交流、といっても実質その中身は本家交流だ。本家同士が会合する一年に一度の重要な行事、そして、そこでは家同士の優劣も決まる」
楓はうげぇ、と顔を顰める。
絶対に楽しくはないだろうな、と思い、光希の顔をチラッと見る。
その上、楓と光希には風当たりが強そうだ。
相川家はあまり好かれている雰囲気ではないし、そもそも楓に至っては無能力者であり、治癒能力がバレかけている。
「……最悪だな」
呻くように楓は言った。
光希は目を楓と合わせた。
「全くだ」
これで4章は終わりです。
……次もなんだか波乱の予感?
 




