遭遇
春だというのに、深緑の葉を茂らせて木々は光を遮っている。僅かではあるが、霧は薄っすらと白く揺蕩う。空気はひんやりとしていて少し肌寒い。
そして何より、目の前を歩いているのは相川光希なのだ。
勝手に天敵認定しているが、正直に言うと楓は光希が気にくわない。感情を写さない端正な顔を前だけに向け、光希は楓を見ない。
顔が良いだけでなく、光希は青波学園の首席という話だ。『無能』の楓には絶対に太刀打ちできない。どうせ楓は『無能』だと心で嘲笑っているのだろう。それが余計に悔しくて楓の一方的な毛嫌いに繋がっていた。
光希はただ足を動かし、森の奥に入っていく。
何の気配もしない不思議な森だ。楓はキョロキョロと辺りを見回すが、何一つ感じられない。気配を察知するのは得意な方なのだが、何かに邪魔されているようで感覚が上手く働かないみたいだ。
楓は何となくチラッと光希の横顔に目をやった。
無表情を直せば良いのに。
ふとそう思った。せめて笑っていればもっとモテる気がするのだ。もちろん、楓にはどうでも良い話ではある。
だが、学校で浮かべていたあの笑顔もどきも直ぐに消えてしまうような感じがした。
そう思いながらチラチラと光希を見ていたせいか、睨まれてしまった。
「何だ? さっきからこっちばかり見て」
「な、なわけねーだろ⁉︎ 自意識過剰だ!」
慌てて楓はぶんぶんと頭を振った。光希は殺人的に振り回されるポニーテールの攻撃圏内から一歩後ろに下がった。当たったら、結構痛いだろう。
ちなみに光希の目はどこか冷ややかで、完全に見ていた事がバレているようだ。楓はパクパクと口を動かし、とりあえず話を振ってみる。
「あー、その、なんだ、良子さんはなんでボクらを散歩に行かせたんだ?」
「むしろ俺がそれを知りたい。そもそも、なんで護衛なんだ?」
答えながらも光希の足は止まらない。一体どこに向かっているのだろうか。
「ボクに聞くな。ボクなんかどうして青波学園に入れられたのかも分からないし、どうして天宮なのかも分からないんだ」
光希は顔を陰らせた楓を見る。
「本当に、お前は天宮桜様の娘なのか?」
「知らない、何も」
素っ気なく楓は答えた。
そんな事、知っているわけがない。楓はあの孤児院に物心つく前に捨てられていたのだ。あったのは天宮楓という名前と眼鏡だけで、それ以外は何も無かった。
「……すまない、変な事を聞いた」
光希の無表情が本当にすまなさそうに見えたので楓は少しの間動きを止めた。光希と目が合う。何となく気まずくなって何かを話さなければいけない気がしてきた。
「……いや、別に。ボクはずっとそうだったから良いんだ。ボクも周りも何も知らない。大した問題じゃないよ」
光希は何かを言おうと口を開き、それを遮るように楓は口を開いた。
「お前も、護衛が嫌なんだろ?」
「そうだ。護衛なんて真っ平御免だ」
即答する光希。
楓はフッと口元に笑みを浮かべた。光希の黒い瞳が楓を捉える。
「ボクも護衛は嫌だ。お前も護衛はしたくない。でも、ボクらには拒否権がない。そうだよね?」
「ああ」
今更何の確認をしているのだと光希の目は言っている。別に楓自身光希に確認を求めたわけではなかった。
「なら、相川はボクを守らなくても良い。ボクも自分の身は自分で守る。……護衛なんか、認める気は無い」
「……なるほどな。俺もそれで良い」
すんなりと光希はその提案を受け入れた。楓はその答えに満足し、笑顔を見せる。
そうと決まれば、あまり護衛をどうこう考えなくても良い。何となく気楽になった。
「ところでどこに向かっているんだ?」
寒い空気に楓は肩を震わせ、光希に問う。話しながらも歩き続け、今では結構森の奥に足を踏み入れていると思う。
だいぶ霧が濃くなってきた。視界が白い揺らぎに狭められ、不安が楓の心に流れ込んでくる。深緑の葉が嗤うようにさざめいた。
「どこに向かってるんだよ。ちゃんと帰れるのか?」
「この森で俺は訓練を受けている。迷うわけがない」
「じゃあ、この霧は何なんだーーふごっ⁉︎」
光希は突然足を止めた。楓はそのまま光希の背中に顔から突っ込む。抗議しようと顔を上げたが、光希の真剣な表情に抗議を取りやめた。
「……何が起きてる?」
楓は顔を引き締め、鋭い視線を周囲に向ける。
「さっきから同じ所ばかりを歩かされている」
「そんなのずっとじゃん。だって森だし」
光希が顔をしかめた。
「だからそういう話じゃない! 文字通り同じ所をぐるぐるしてるんだよ」
「つまりどういう事なんだ?」
ピンと来ず、楓はキョトンとして光希の顔を見た。光希はくしゃっと頭をかき、答える。
「……結界に閉じ込められたんだよ」
「結界って、アレ? 五星結界みたいな?」
「ああ、効果は違うがほとんど同じだ」
楓はしばらく考え込む。それから首を傾げた。
「……それってやばいの?」
「……」
不覚にも光希は言葉を失った。
天宮楓は霊能力に関してはど素人のようだった。
「やばいだろ……、普通に考えて。結界に閉じ込められたという事は、誰かの意図があってそうなったわけだ。つまり、誰かが俺たちを結界に誘い込んだ」
「気づかなかったのか? そのー、結界に」
光希は軽く地面を蹴った。土塊が宙を舞う。
「この森は霊力のこもる森。それを逆手に取られたみたいだ。それに……、俺は結界系の術式はあまり得意じゃない。この結界は俺の力では解けない」
「ふうん……。ちなみに得意なのは?」
今は関係ないが、気になったものはしょうがない。光希は呟いた。
「戦闘用術式だ」
「なるほどなー」
それで木葉が光希は霊能力と武術を併せて真価を発揮すると言ったのだろう。
確かに、あの戦闘技術と霊能力を併用すれば、楓なんか片手で捻り潰せる。さすがは学年首席だ。
何故か楓はその事に感心し、1人で頷いた。それから思い出したように聞いてみる。
「ここを出るにはどうすれば良い?」
「術を解くしかない」
「出れないじゃん」
さっきの光希の言葉を思い出した楓は即座にそう言った。だが、場違いではあるけれど結界系の術が苦手というのは少し嬉しかった。要するに光希にも弱点があるという話だ。
とはいえ、今はそんな事を言っている場合ではない。何しろ結界に閉じ込められて出られないのだ。つまり帰れない。隣のイケメンと同じ空気を吸い続ける訳だ。
何としてでもここから脱出する方法を考えねば。
考えながら楓は無意識に腰の刀に触れた。
「あっ」
不意に思い付いた名案に楓は声を上げる。光希が無表情でこちらを見る。
「どうした?」
「思い付いたんだよ、ここから出る方法を」
ニヤッと楓は悪戯っぽく笑った。
霧はもう既に10メートル先の視界を奪っている。ピリピリとした空気が肌の上を掠めていった。
「この結界は術によるものなんだよね?」
「ああ、」
楓の質問の意図が読み取れなかった光希は適当に頷く。
「ボクの刀は術を斬る事ができる」
光希の目が見開かれた。
「そうか、それで結界の術を斬ればここから出られる!」
だが……、と光希は腕を組んで浮かない表情を浮かべる。その作戦には大きな問題点があるのだ。
「お前に、それはできないんじゃ……?」
楓は自嘲の笑みを浮かべて首を振る。霊力の無い楓に『緋凰』の本当の力を引き出す事はできない。それは昨日みのるが言ったように周知の事実。
「だから、相川、お前にこれを預ける」
そう言って楓は『緋凰』を鞘ごと光希に突き出した。光希は驚いた顔で楓と差し出された刀を交互に見る。自分の得物を他人に預ける大胆な事は中々できる事ではない。
「……本当に良いのか?」
「うん、ここから出る為なら」
楓はそう言ってきっぱりと頷いた。
光希が思っていたよりも天宮楓はしっかりしているみたいだ。
「分かった。これは俺が預かってやるよ」
光希は楓からの一時の信頼を受け取る。楓はその覚悟を決めた表情に少しだけ好感を持った。預けたのが光希で良かった、と何となくそう思った。
「頼んだぞ」
はっきりと声に出す。光希は唇の端を僅かに笑みの形に動かした。
楓の刀を受け取った光希は、楓の隣に並んで歩き始める。ひたひたと忍び寄る白い霧に警戒しながら、さっきまでよりも安心した気持ちで楓は歩く。それはおそらく、やるべき事の方向性が決まったからだろう。
「ここからどこに向かう?」
「とりあえず結界の端だ。これの規模が分かれば核となる術式を見つけられるはず」
やっぱり霊能力に精通した人間は違う。本当に色々な事をよく知っているし、簡単に打開策を見つけられる。
こうなる前はただの敵だと(勝手に)思っていたが、今は光希の姿が心強く見えた。
だから『緋凰』を託そうと思ったのだろうか。……自分の気持ちはよく分からない。
「⁉︎」
葉が小さく震えた。
突然足元が揺れたような気がする。
楓は周囲に意識を向けて鋭い視線をばら撒く。だが何もいない。
「何かあったか?」
「いや、なんか地面が揺れたような気がして」
「揺れた?何も感じなかったが……」
「ならきっとボクの勘違いだよ」
楓の小さな動きに目敏く気づいた光希が聞いてくる。どうやらさっきの揺れに光希は気がつかなかったようだ。それとも、楓の気のせいか。どちらにしても切羽詰まる危険は存在しないと判断して、2人は更に足を進めようとした。
地面が大きく揺れた。
何か巨大な物が地面に落ちた、そんなような音。揺れは足を伝わって、楓と光希の身体を震わせた。
「……感じたか、今の」
「ああ……、何かがこっちに向かってくる」
大きな揺れは森を震わせ、空気をも震わせて近づいてくる。
そして、とても大きな気配も。




