あの日の続き
「誰だ?」
光希は人影に鋭く尋ねた。しかし、七つの人影はゆらゆらと揺れて近づいてくるだけで、答えが返ってこない。そして、代わりに返って来たのは光の嵐だった。
「避けてっ!」
涼が後ろに飛び退りながら警告する。光希の服の端が光の粒子に切り裂かれた。光の渦はそのまま全てを巻き込もうと直進する。
「光希、涼、離れて!」
夕姫が叫ぶ。その指示通りに光希と涼は壁際に避け、夕姫の為に空間を作った。
「夕馬っ!」
後ろを振り返らずに言った夕姫の言葉に夕馬は後方で頷く。
「「『破砕風』っ!」」
夕姫と夕馬が同時に術式名を口にする金色の光が乱舞するその空間に灰色の破壊の風が吹いた。金色の粒子は灰色に呑まれて煌めきを失っていく。
丁度目の前が灰色に塗り潰されたその時、木葉が弓を引いた。幾重にも分かれた紫電の矢が向こう側へと突き抜ける。
しかし、砂塵が晴れ始めた後から木葉の矢は真っ直ぐ木葉自身の身体を目掛けて戻ってくる。木葉はあまり驚かずに言う。
「あらあら戻って来ちゃったわね」
木葉はそれらを迎撃しようと弓を引く。だが、それよりも早く光希は紫色のその矢を全て、刀を振るって叩き落とした。無表情で術を放った相手に接近する。刀が蒼い光を纏って燃え上がる。光希はトンッと地面を軽く蹴って、跳んだ。刀を振り下ろそうと振りかぶる。
(……斬れない!)
「……っ!」
光希は目を見開く。振り下ろそうとした刀が不自然に止まった。
「光希っ!危ないっ!」
ガラ空きになった光希の胴に術を放とうとした人影に、夏美は何発も銃弾を撃ち込む。光希は地面を蹴って、初めの位置に戻った。
「ありがとう、助かった」
光希は前から目を離さずに言う。夏美は光希の方を必死で見ないようにしながら、頰を蕩けさせていた。
「光希!なんで斬らなかった⁉︎」
涼が咎めるように光希に問う。光希は顔を歪めた。涼はその顔にハッとして人影の正体を探ろうとする。
砂埃が完全に晴れた。
地面に横たわっているのは血溜まりで動かない少女だった。
夏美の顔が青ざめる。
他の人影の顔がやっと視認できるようになり、光希は彼らの顔を見る。全員、7、8歳の子供達だった。
あの時と同じ……。
光希は痛みを堪えるような顔になる。涼もまた、放心して立ち尽くしていた。
結局あの時と同じ、光景が繰り返されるのか。
また誰かを失うのでは無いか、という恐れが光希の中で鎌首をもたげた。
「お願い……、殺してあげて」
仁美の声が響いた。光希は驚いて顔を上げる。
「あの子達には……感情がない。人間、……としての機能を失ってる。……だから、殺してあげて」
同じ言葉を3年前にも聞いた。
「伊織……」
そう言った少女の名を口にする。そして同時に目的を思い出した。
「楓ちゃんを救う為には……あの子達を殺すしかない」
仁美がはっきりと言い切った。
そうだ。楓を救うのが光希の目的だ。
過去に囚われているわけにはいかない!
光希は刀を構えた。ふわりと少年が微かに宙に浮かび上がる。その10本の指先に光球が灯った。
刀が更に強く、蒼く燃え上がる。
知覚能力を強化した光希の中で時間がゆっくりになっていく。感覚は更に鋭くなる。
ゆっくりと光が放たれた。光球はその速さゆえに光線となり、光希の身体に迫る。
少年はおそらく、10本家の一つ、光神家の遺伝子を持っている。あの術式は『光陰矢射』のはず。
それなら……!
光希は構わず前に進んだ。光を全て見切って避ける。あの術式は曲がらない。ならば、後ろにいる木葉と夕馬が相殺してくれる!
光希は姿勢を低くして光の弾幕を突破。そして、光希をすり抜けた光を夕馬と木葉がそれぞれ迎撃する。光希の後ろで爆音が轟いた。
「はぁあああっ!」
『清瀧』が閃き、光神の遺伝子を持つ少年を薙いだ。鮮血が飛び散る。
飛び散った赤い血だけが、虚ろな目をした少年が生きていたのだと示す物だった。
自分が死ぬと知りながら、少年の顔には苦痛すら浮かばない。悲鳴すら上げない。その少年には心が無かった。ただ生ける屍であり、意思を持たぬ人形だった。
覚悟を決めた涼もまた、刀を振るい、人形を屠る。涼は呪詛を絡めた少女の腕を斬りとばす。血だけが跳ね、少女の動きは何ら変わりもなく涼を殺す事しかしようとしない。
「君は、……如月、だね」
如月家の力、呪詛を操る少女は涼の言葉を当然無視した。涼の動きが止まったところに無詠唱で『死滅呪』を発動させる。
「おっと……」
涼は緑青の光を微かに纏った刀で術式の根幹を斬り捨てた。
まともに食らえば即死は免れない程強力な死の呪詛。如月家の者でも扱える者は指折りだ。それを無詠唱で使いこなすこの少女が術者としてどれだけ強いのか、涼でも考えただけで背筋が凍る。
「ごめん」
涼は呟き、少女の胸を貫いた。刀から伝わる体重は驚くほど軽い。ろくに食事も与えられていない不健康な身体つきだった。少女は虚ろな瞳を見開いたまま、地面に力無く崩れ落ちた。
そこに一抹の罪悪感を感じ、涼は僅かに顔を歪めた。
「おりゃああっ!」
その隣を、大袈裟に叫びながら夕姫が逃げる。夕姫を追うのは水源家の力を持つ少年だ。少年から全てを凍りつかせる冷気が放たれる。
パキパキと嫌な音を立てて、地面と地下鉄の線路が凍っていく。
「うひゃっ!」
夕姫は足が凍らないように、ギリギリ凍る前に地面を蹴って飛び上がった。
「夕馬っ!」
「わかってる!」
二人の身体から霊力が溢れ出す。二つの光は混ざり合い、大きな力のうねりとなる。
「「『封爆』」」
夕姫が逃げながら誘導していた少年の周りを結界が形成された。そして、中で苛烈な爆発が起こった。
光希は思わず目を見開く。
夕姫と夕馬にしてはあまりにも凄惨すぎる術式だ。側から見ても、完全なるオーバーキルだった。
「私達の特性は広範囲術式。でも、それだと近接戦闘時に私達も含めて仲間まで無差別に攻撃しちゃう」
「だから、俺と夕姫で結界と『爆散』を組み合わせて作ったんだ、オリジナルの術式を」
『爆散』は光希の得意とする『烈火爆散』の広範囲版である。それをそのまま使っている為、あの狭い空間では威力が大きすぎるのだ。
「……でも、やっぱ、あんまり使いたくないかな。結構グロいし……」
夕姫は悩ましげに呟いた。
「油断はまだしちゃダメっ!後4人残ってるわ!」
木葉が警告を発する。その声に光希達は気を引き締め直し、それぞれ武器を構える。
「『第十五式、氷花の陣』っ!」
夏美が叫ぶと、4人の足元に青白く光る陣が現れた。さっきまで水を操る水源の因子を持つ少年がいた為使えなかった術式だ。
完成した陣からは蔓が伸びて足に絡みつく。そして、氷の花が陣を覆うように咲き乱れた。
圧倒的な氷の世界と沈黙がその場を支配する。
あの陣の効果範囲内ならば睫毛までも凍てつきそうな冷気だ。光希はそこに向かって、術式を放つ。
「『烈火爆散』」
燃え盛る紅の炎に、静止していた氷の世界が動き出す。炎と接した急激な温度変化に白い蒸気が立ち昇り、視界を奪う。
「なっ⁉︎」
光希の口から堪え切れない驚きが漏れた。
光希の放った炎が渦を巻いて収束し始めたのだ。『烈火爆散』にはそんな効果は無い。なら、この現象を引き起こしているのはあの中にいる誰かとしか考えられない。
「火影だっ!炎を扱う術式は使うなっ!」
光希はゆらりと火から出てきた少女を睨む。残りの三人は今の二つの術式で動かなくなっていた。
少女が両手を広げる。炎が更に激しく燃え上がり、空気中の酸素をどんどん奪っていく。それも普通の炎ではあり得ない速度で。
「うぅ……」
夏美が苦しそうに胸を押さえた。光希達の中では夏美が一番地面に近い。
灼熱に炙られ、光希の顔に煤がつく。汗が額から伝い落ちた。
しかし、一番炎に近く身長も低い少女は苦痛の表情を見せない。本当に大丈夫なのか、それとも……。
「このままだとマズイわよ。下手すれば全員酸素不足で死ぬわね……」
木葉がぶつぶつと何やら言っている。だが、あまりの熱に歪められ、何を言っているかは聞き取れなかった。
「どうっ、するっ?」
光希は大声で尋ねる。口を開けると喉が熱風に炙られて咳き込みそうになる。
「夕姫、夕馬」
「何?」
木葉が名前を呼ぶ。二人は木葉に目を向けて指示を待った。
「結界で、……ぐっ……、あの火を……、覆えるかしら?」
時折咳き込みながら木葉が言う。
「もちろん!げほんっ……、できるよ!」
「おう!」
夕姫と夕馬は目を合わせ、霊力を呼び覚ます。迫り来る炎に、二人は焦る事なく力を合わせていく。混ざり合った力は紅蓮の炎に向かう。二人は目を閉じた。
「「『封絶結界』!!」」
二人の瞳が炎の世界を映す。
半球状の結界が荒れ狂う炎を閉じ込めた。
だが、それだけでは火は消えない。そう思った時、木葉が鋭く叫んだ。
「今よっ!光希!涼!」
考えるより先に地面を蹴っていた。光希と涼は刀に霊力を激しく燃え滾らせ、一直線に向かっていく。
「光希っ!」
涼と一瞬視線を交わす。光希はそれだけで涼が何を言いたいのか理解した。
「『滅破斬り』!」
涼の刀が光を増す。
「『万滅破断』っ!」
光希の刀が更に眩く光を放つ。
そして蒼炎と緑炎が交差した。
結界と中に封じられた炎が二つの刃に断ち切られる。水蒸気と煙がジュウッと音を立てて霧散した。
「はあっ、はあっはあっ……」
涼が刀を地面に立て荒く息を吐く。高熱に晒されながら術式を扱うのはかなりの負担がかかる。涼もギリギリだったのだろう。
「……はあっ……」
光希は一息吐き、刀を鞘に納めた。予想はしていたが、かなりの消耗だ。疲労で地面に座り込みそうになる身体を抑える。
「光希っ!」
夏美が光希の側まで駆け寄って来た。大きな瞳を潤ませている。心配してくれていたのだろうか。
「……私達、今度は自分達の力で、勝てたよ……。ねぇ?」
「ああ、前よりも強くなれた」
「これで少しは近づけたんじゃ無いかな?」
涼が黒焦げになった地面を見ながらそう口にした。光希と夏美は頷く。
「そうだな……」
木葉が感傷に浸る三人に声を掛ける。
「強く……、なったわね」
木葉は優しく微笑んだ。
そういえば、木葉の全力は結局見れなかったと、今更思う。きっと、木葉は光希達の前では絶対に全力で戦う事は無いのだろう。
「小野寺さんっ!」
突然空気を切り裂いて響いた夕馬の必死な声に、全員振り返った。
そこにあったのは夕馬の腕に寄りかかる仁美の姿だった。仁美の顔は青ざめ、額には細かい汗が浮かんでいる。何かに耐えているように見えた。
「……大丈夫、だよ。笹本君……」
「大丈夫には見えないぞ⁉︎」
仁美は慌てる夕馬を振り切って、ふらりと立つ。その姿はとても危なっかしく、今にも折れそうだ。
「本当に大丈夫?」
夏美が問いかける。仁美はコクリと頷いた。
「大丈夫。……それよりも、早く、楓ちゃんを見つけなきゃ……、いけない」
「……そう、だな」
光希は煤けた地面の先に続く暗闇を睨んだ。
早く。
一刻も早く、楓を見つけなければ……。
「……ついてきて」
仁美が走り出す。光希は直ぐにその後を追いかけ始めた。




