廃線の罠
仁美は夕馬の手を握り、立ち上がった。
「ねぇ、なんかあの二人、いいカンジじゃない?」
夏美が隣の夕姫に耳打ちする。夕姫も険しい表情で頷いた。
「……夕馬に、春がやって来た……って、どうしようっ⁉︎」
夕姫は何やら頭を抱えてしまう。
「まあ、見守るってことでいいのかな?」
「うー、でも悔しいっ!」
夕姫は地面に八つ当たりして草をゲシゲシ踏み付ける。
「夕馬に先を越されたかもなんだけどっ⁉︎あああっ!なんかムカつく!」
「でも、私も……何も思わないわけじゃないけどね……」
夏美の身体から謎の闇オーラが放出された。夕姫はビクッと肩を震わせ、夏美を見る。しかし、夏美は依然として笑顔だった。
「な、夏美……?大丈夫?」
「うん、私は大丈夫だよ?」
あまり大丈夫そうには見えなかった。
光希はそんな二人の会話を聞きながら、仁美の様子を観察する。先程仁美が覗かせた感情は成りを潜め、仁美は人形のように戻っている。
本当に仁美を信じ切っていいのか。
その答えはまだ出ない。だが、光希にとって最優先なのは、楓の救出と白樹啓一の捕縛。ここで立ち止まっているわけにはいかないのだ。
「小野寺、天宮の居場所まで案内しろ」
光希の言葉に緩み始めていた空気に緊張感が戻る。烏が近くの木から飛び立った。涼は烏を目で追う。その烏は涼の使い魔のヨルだった。
仁美はコクリと頷いた。その顔は晴れやかで、さっきまでの陰が無い。楓を裏切ったまま死にたくないというのが心からの思いである事は信じてもいいかもしれない。
「……わかった」
仁美はくるりと身体を翻した。霊力が仁美の身体を強化する。光希は涼を見た。
「大丈夫、僕たちならできる」
「うん、私たちであの日の事件を終わらせる」
夏美が力強く言った。光希が木葉達を振り返ると、木葉はニヤリと、夕姫と夕馬はニッと笑顔を返してくる。
「ああ、俺達ならやれる」
最後に仁美が光希を見た。光希は彼女にそっと笑いかける。仁美は驚いたように瞬きをして、頷いた。
「……行くよ」
仁美は地面を蹴って駆け出す。仁美の茶色っぽい髪が太陽の光を纏ってふわりと広がった。その後ろ姿は吹っ切れたような清々しさがあった。
光希は一瞬眩しい光に目を細める。今ならきっと何かを変えられる、そんな気がした。
仁美は走って敷地の端まで向かう。光希達もその後を追った。まだ早めの時間の上、今日は学校が休み。外に出ている生徒はまるでいない。仁美の後を追いながらも周囲への警戒をしていた光希はその事に安堵した。もしも見られていたら、言うまでもなくとんでもない事になる。
仁美が塀を蹴る。脚に力が入り、跳躍した。ふわりと髪の毛が塀の外に消える。光希も仁美に倣って敷地の外に静かに着地した。
足を動かすと水が跳ねた。下を見れば、草の上には水滴が輝いている。もしかしたら、昨日の夜は雨が降ったのかもしれない。
……そんな事はどうでもいいのだが……
こんな朝から正規の出入口を通らずに敷地の外に出れば、嫌でもセキュリティに引っかかるような気がするのだ。だが、実際のところ仁美はこのルートで侵入したようだし、光希達も何かに見られたような感覚もない。しかし、何故この現象が起きているのか、というのは光希の頭から完全に吹っ飛んでいた。
「……」
仁美が後ろを振り返り、全員いる事を確認する。光希は口には出さず、進んでくれと訴えた。仁美はその意思を汲み取ったかのように走り出した。
「ところで、どこに向かってるの?」
涼が仁美に問いかける。仁美は足を止めずに小さく答えた。
「……白樹、啓一の、……隠れ家」
「もしかして、意外と近かったりする?」
「……たぶん」
涼が苦笑いする。
「灯台下暗しって感じかな?」
「そうかも……」
天宮家から逃げ切るとなると、そんな事はまず不可能だ。そんな中、白樹啓一は三年間逃げ続けている。白樹啓一は『異端の研究』を進めて来た危険人物。天宮家が探すのは当たり前だ。『九神』を使って探しても見つからないのは幾ら何でもおかしい。
光希は仁美の言葉から更に推測する。
隠れ家が青波学園に近いのに見つかっていない。この事実が指し示すのは、天宮がわざと白樹を野放しにしているという事。天宮が本気になればいつでも殺せるが、そうしなかったのには何か理由があるはずなのだ。
「そろそろ……止まる」
仁美が呟いた。光希は考えるのをやめて周りの景色に意識を向ける。今は通勤・通学ラッシュの時間で、眼下には人々が道を行き交っている。光希達は人通りの少ない、と言っても当たり前だが、屋根の上を走っている為、彼らに目撃される事は無い。
「それにしても、街のど真ん中にあるなんてな、驚きだぜ」
夕馬の背中に引っ掛けた銃が走っている振動で揺れている。一種の魔弾銃なのだろうが、光希はあまり詳しくない為、詳細はよく分からない。
「だよねー、あえて、っていうチョイスなのかなぁ?」
夕姫が下を確認した。やはり隠れ家らしき物は存在しない。
「降りる……よ」
仁美の姿がフッと消えた。路地裏に着地したのだ。光希は失速して、屋根から飛び降りる。その後に涼達が続いた。
仁美は地面のマンホールに手を掛ける。
「……もしかして、下水道?」
夏美がマンホールに顔を寄せる。仁美は答えた。
「少し……、違う。……正確には、廃線になった……地下鉄の線路の辺り」
「そうなんだ、意外と普通だね」
夏美が感想を漏らす。そこに夕姫と夕馬がツッコミを入れる。
「どこが普通なんだよっ⁉︎」
「どこが普通なの⁉︎」
夏美はキョトンとして首を傾げた。
「今までの任務で、泥の中に隠れた犯罪者がいたの。その人よりもだいぶマシだと思うよ?ねえ、光希?」
「あ、……まあな」
そういえばそんな奴もいたな、と思い出しながら頷く。
確か、逃走中に光希達を撒くために近くの泥に潜った男がいた。その男は夏美を暗殺しようとした過激派の人間ではあったが、実力的には精々Bランクくらいだった。そのおかげで、涼と光希も追跡に参加させられたのだ。
「泥から引き揚げるのが大変だったんだよね」
涼が苦笑いでそう言った。
「しかもパニクって死に掛けてたしね」
夏美がクスクスと肩を震わせて笑い声を上げる。夕姫と夕馬の二人は顔を引つらせて苦笑していた。光希は沈黙している木葉に視線を向ける。木葉は険しい表情で地面を見つめていた。
「……入るから、ついてきて」
仁美がぽっかり空いた空洞から顔を出す。
「光希、涼、先に行きなさい」
木葉が促す。道案内の仁美の後に続くべきは前衛の光希と涼。光希は暗闇に消えた仁美の後に、錆びついた梯子を降りた。
ぽちゃん、ぴちゃん……。
あちこちで水の滴る音がする。空気は夏とは思えないほど冷えていて、暗闇の水路を黒い水がうねっていた。カツンカツン、と後のメンバーも降りてくる。
「うわっ、寒っ」
夕姫の呟きが空間に増幅されて響く。夕姫は慌てて口を塞いだ。
光希は暗闇でも見えるように、視力を霊力で強化する。途端、黒くわだかまっていた景色がはっきりと見えるようになった。足元を何か小さい物がすり抜ける。薄汚れたネズミだ。この劣化具合を見ると、長い間放置されていた下水道なのだと分かった。
「……なかなか、劣化してるね」
音を響かせないように涼が囁く。
「そうだな、……罠が無いといいが」
「……まあ、きっとあるだろうけどね」
光希は軽く頷くと歩き出した。足音を立てずに静かに歩く仁美の顔が微かに歪んだのに、光希は気づく。だが、おそらく気のせいだろう。
下水道の水路沿いにしばらく歩くと、分かれ道が現れた。仁美は迷わず左を選ぶ。扉があったらしいひび割れた四角い穴を潜る。
「……線路か」
「ん……。この先にある」
仁美が闇の先を指差した。電車の音はその方向からは一切聞こえない。廃線なのだ。そして、足元の線路は見えない場所へと繋がっていた。
仁美は歩き出そうとして足を動かす。光希は仁美の前に手を出してそれを止めた。
「何……?」
光希は刀の柄に手を掛ける。
「何かが来る」
涼が光希の隣に立った。涼は暗闇を睨みつける。
「人、……だね」
光希の目にはその人数は確認できない。
「何人いる?」
「七人だ」
後ろから夕馬の声が聞こえた。この霊力が安定していない場で正確に把握できる能力に純粋に光希は感嘆する。
ただ、気になるのは霊力の乱れ。
強力な力が暴れているようだ。こちらに向かってくる七人が撒き散らしていると考えていいだろう。
「あの人達、強いよ……」
夏美の声色に緊張が混じる。
「光希と涼は前衛、夏美と夕姫は中衛、私と夕馬、それから仁美は後衛に着くわ。陣形を整えて」
木葉が鋭く指示を飛ばす。仁美だけが狼狽えたように瞬きをした。木葉の視線が仁美を鋭く射抜く。
「仁美、あなたは戦力外よ。黙って守られてなさい」
仁美の目が不安げに揺れた。木葉が微笑む。
「大丈夫、絶対に私たちが守り抜いてみせるわ」
仁美はコクリと頷いて、後ろに下がった。それに合わせ、全員が配置に着く。
「見えたぜ」
夕馬が呟く。その声に光希達は顔を引き締めた。
かつん。
7回同じ音を立てて、七人の虚ろな瞳の子供達が光希達の前に姿を現した。
「ところで、良いんですか、御当主様?」
佐藤和宏は電話に向かって呟いた。和宏が今いる場所は、光希達が飛び越えた壁の直ぐ側である。証拠隠滅の為にここに赴いたが、その前に電話がかかって来たのだった。
『なに、問題無かろう』
天宮家当主、天宮健吾の声が端末を通して聞こえてくる。和宏は楽しそうに唇を吊り上げる。
「ですが……、光希君達を行かせて良いんですか?大切な手駒なんじゃないですか?」
『下田木葉と相川光希さえ生きていれば他はどうなっても構わん。何よりも天宮楓が最優先だ』
口籠ることなく健吾は言い切った。
この人は人間を駒としか見ていない。それが面白くもあるのもまた事実だ。
「白樹啓一は最低でもSランクオーバー。少し彼らには荷が重いのでは?」
『相川光希達を行かせたくないのか?』
「いえいえ、むしろ……、楽しみですよ。彼らの力がどこまで通用するのか」
電話の向こうで健吾が微かに笑った気配があった。
「とはいえ……、朝っぱらから堂々と敷地を出て行くのには驚きましたよ。お陰で後始末が少し面倒だ」
健吾が溜息を吐いた。
『……後始末よりも、お前は相川光希達のサポートに付け。白樹啓一は殺して構わん。……触れてはならぬ物に、……天宮楓に手を出したからな』
「わかりました」
和宏は端末を降ろす。電話は既に切れていた。
「……面白くなりそうだ」
和宏は笑みを浮かべた。
あの人が動き出します……。
 




