不穏な空気
突然の木葉からの連絡に、光希達はテラスに集められていた。まだ朝6時だと言うのに、木葉の連絡は切羽詰まった物であった。
「木葉、どうして私達を呼んだのか、説明してくれる?」
夏美は木葉の顔をジッと見つめる。真面目そうな顔をしているが、制服のリボンが結べていないのはおそらく慌てて部屋を出て来たからだ。
俯いた木葉は静かに告げた。
「……楓が、楓が消えたわ」
その場にいる全員が言葉を無くした。この木葉が楓の誘拐を許す筈が無い。その筈なのに……。
「……天宮が、消えた、だと?」
静寂の中、光希は呆然と呟いた。木葉は頷く。
「ええ、朝5時の時点ではもう既にいなかったわ。……私がいながらどうして……」
そう言う木葉の顔にはいつもの余裕が無く、焦燥感すら感じさせる。つまり、今回の件は完全に木葉の手を離れた物のようだ。
「……楓が消えたのはどこでだったか分かったりするかな?」
涼は腕を組んで顔を顰めた。木葉は悔しそうに首を振る。
「……わからないわ。でも、楓の靴が無かった。だから部屋を出たのは楓の意志よ」
「そうするとなると、楓はどうして部屋を出たんだろ?」
夕姫が全員の疑問を代弁する。ここにいる全員が同じ疑問を頭に浮かべた事だろう。
光希は窓から差し込む眩い光に目を細めた。完全に日が昇ったみたいだ。テラスの透明な空間には光が降って来ている。
「……もしかしたら、……小野寺さんが関係あるんじゃないか?」
どこか躊躇いがちに夕馬はそう口にした。それを聞いた木葉が血相を変える。
「それよっ!……それ以外、あり得ない」
落ち着かない足取りで木葉はカツカツと歩き回る。
「きっと、楓は何らかの理由で外に出て、そこで仁美に会ったんだわ。……そして仁美と闘って負けた」
「ちょっと待って、木葉。楓が負けるわけがないよ!」
涼がその推理に異を唱えた。光希も木葉の考えには納得がいっていなかった。あの楓がD組の仁美に負ける筈が無い。
「そうだよっ!楓はすっごく強いんだよ?負けるなんて考えられないよ!」
夕姫も拳を振り上げて主張する。
「……でも、あの子があの『研究』の残滓なら……、あり得るかもしれない」
顎に手を当てて夏美が呟いた。光希は夏美の顔をハッとして見る。涼もまた、思い当たったように黙り込んだ。
「そうかも、な……」
夕馬が不安そうに光希達に目をやった。
「……あの子の能力が楓に有利な物なのかも」
「……おそらくそれは正しいんじゃないかしら。例えば……、呪いみたいな類いのものだったりとか」
楓には霊力が無い。もし、仁美の能力がそう言ったものであったなら、楓はきっと為す術も無く倒されているだろう。霊力はそう言った術に対する抵抗力でもある。その為、霊力が無ければ身を守る事はまず出来ない。その力なら、D組並みの力でも大いに有効だ。という事は……。
「これは……、初めから天宮本人を狙ったもの……」
木葉が大きく頷いた。
「そうよ。これは十中八九、楓個人を狙ったもの。前のは光希が目的で、楓は光希をおびき寄せる為の餌だった……」
「でも、今回は違うって事だね」
涼は外に目を向けた。その行動に何の意味があるのか、光希には見て取れなかった。
「……でも、楓は本当に仁美と戦ったのかな?楓の元って言っても親友なんだよね?……楓が簡単に刀を抜くわけがないんじゃない?」
夕姫はまだ木葉の前提に疑問があるようだ。確かに光希もそう思った。だが、本当の所はどうなのだろう。
「……いいえ、楓は仁美を信用していなかった」
「天宮はきっと、敵対した小野寺を守る為に刃を向けたんだ。こちら側で守る為に」
光希は楓の性格を鑑みてそう予想した。言ってしまうと、それがおそらく真実だという確信があった。
「楓なら、きっとそうするね」
涼が同意を示す。
「……楓は何より、優しいから」
「うんうん!それなら納得だよ!ね?夕馬?」
夕馬も顔を明るくして笑う。楓が仁美を殺そうとした事が信じられていなかったようだ。もちろん、この場にいる誰もがそんな事を信じるわけがない。
「きっとこの件、小野寺さんもたぶん利用されただけだ。……小野寺さん、あの祭りの日に言ってたんだ、自分が俺達を裏切るって事を仄めかす感じで」
「そんな事言ってたの?」
夏美が目を瞬く。夕馬の顔が陰ったように見えた。
「……ああ、一緒にいられるのはこれが最後だって、えっと……、それから、主人には逆らえない、みたいな事を……」
夕姫の頭がぴょこんと動いた。遊ぶのに夢中だった夕姫は、その会話を聞いていなかったのだ。
「むうっ、そんな大事な事なら早く言ってよ〜!」
夕姫は派手な音を立てて夕馬の背中を思い切り叩く。夕馬はギロッと夕姫を睨んだが、それだけだった。
「それにしても、今日が休みで良かったね。気兼ねなく動けるよ」
「うん、テスト明けの自宅学習日。期末じゃなかったら、休みも無かったよね」
夏美はわざと明るくそう言った。夏美と涼の言葉に光希は動きを止めて考え込む。
「……それは、偶然なのか?……それとも……」
光希の呟きを拾った夕姫が反応をする。
「……偶然、なんじゃない?」
「なんで言い切れるんだよ、夕姫?」
夕姫は人差し指を立てて、小さく揺らした。
「だって、テスト週間は特に、私達がずっと楓の側にいたじゃん?仁美の能力が呪いの類いだとすると、それは私達には通じない。って事は、楓が一人になるのを待ってたって事なんじゃない?」
「……なるほど」
夕姫の推理に光希は感心し、納得の声を上げた。
「なんか夕姫、冴えてるね」
夏美が不思議そうに首を傾げた。その目は、いつもならトンチンカンな答えしか返って来ないのに、と語っている。
「失礼だなー、私はいつでも冴えてるし。って私の事何だと思ってんだぁぁ!」
きらーん、と夕姫はポーズを決めてから、打って変わって絶叫する。夏美がさらっと答えを言った。
「何って、ただのボケ専門だよ」
「な、何⁉︎私、実はあったまイイんだよっ!」
夕姫は自分の頭をポンポン自分で叩く。頭を叩くと馬鹿になるというのはどうなのか……。
「『私、別にボケてないし!……まぁ……前回の霊能理論のテストの点数は……』……あがっ⁉︎」
「それだけは言わないでっ!このバカヤロウっ!」
夕馬が夕姫に殴られて吹き飛んだ。
「な、な、な、私の心の声を言うんじゃなーいっ!」
夕馬が殴られた頰を押さえて立ち上がる。
「夕姫っ!痛いじゃねぇかっ⁉︎」
夕姫は夕馬の抗議を無視して大きな声で喋り始めた。
「『痛いじゃねぇか!コイツ、バカのくせに……まぁ、俺の前回の数学の点数……』」
「黙れっ!このバカっ!」
夕馬の蹴りが今度は夕姫を吹き飛ばす。夕姫は素晴らしい反射速度で立ち上がると、夕馬をビシッと指差した。
「やったな!コイツ!」
「なんだとっ⁉︎はっ、ちょっと外出ろよ」
「ふんっ、良いし?泣いて土下座するのは夕馬だからねっ!」
始まってしまった醜い争いに笹本兄妹を除く全員は苦笑いを浮かべた。この場の張り詰めた空気を解してくれたのは良かったのだが、そろそろ危険だ。
「ええ、ええ……なるほどね。ありがとう、そっちも更に調査を続けて」
いつのまにか誰かと電話をしていた木葉が、端末を耳から離した。
「夕姫、夕馬、今はそんな事をしている場合じゃないわよ」
木葉の鋭い言葉に、二人は背筋を伸ばして静かになった。再び緊張のような張り詰めた空気が流れ込んでくる。さっきの通話で木葉が何らかの情報を得たと考えるのが妥当だろう。
「何か……、わかったのかい?」
涼が木葉をいつになく鋭い眼で見る。木葉はゆっくりと頷いた。木葉は全員に聞こえるように、光希達の顔を見渡す。
「大体の調べがついたわ。まあ、私の情報網が優秀って事なのだけど、……今回の件で、犯人の可能性が最も高い男がいるのよ。知ってるかしら?白樹啓一という男を」
木葉はそこで言葉を切った。光希は記憶の中からその名前を探し出そうと努力する。だが、そんな名前の男は出て来なかった。要するに知らないのだ。聞いた事もない。しかし、木葉がそう言うのであれば有名な人なのかもしれない。そう思って光希は涼達の顔を窺った。
「……知らない、かな」
夏美がボソリと呟いた。この場において木葉に次いで情報収集能力が高い夏美が言うのだ、他の人は知らない筈だ。
「まあ、そうよね」
木葉はふうっと溜息をついた。顔にかかった髪の毛を耳にかけ、木葉は話を続ける。
「じゃあ今言うわ、白樹啓一は『異端の研究』をしていた張本人よ。あの事件の後、姿を眩まして、天宮家も独自捜査していたのだけれど、見つける事が出来なかったの。小野寺仁美も白樹に作られたと思われるわ」
光希は身体を僅かに強張らせた。木葉の言葉が事実なら、琴吹伊織を作ったのもその男だ。そして……光希自身も。
白樹啓一を倒す事が出来れば、終わる事の無い悲劇に終止符を打てる。贖罪には足りなくても、誰かを救う事が出来る筈だ。
指針を得た光希の瞳は無くしていた光を取り戻す。その顔を見た木葉が微かに微笑んだ。
「でも、その人ってさ、天宮家から逃げ続けてるって事なんでしょ?それって、ヤバイんじゃない?」
夕姫は口を挟んだ。木葉は待ってましたとばかりに大きく頷いた。
「白樹啓一のランクは最低でもSランク。元々の能力が高い上、知能も高い。そして、何より手駒が多い筈。それに、身体も弄ってる可能性が非常に高いわ」
「うわぁ……。それは、厳しいね」
夏美が顔を顰める。
「僕達の手に負えるかな?」
涼はなぜか光希を見てそう言った。それはまるで光希に本気を出せ、と言っているようだった。光希は目を逸らす。
白樹啓一が光希を作ったのなら、光希の本当の能力を知っているかもしれない。そうなると、青龍を喚び出す必要が出て来る事も無きにしもあらずだ。
『白樹か……、知らぬな』
突然頭の中で声が響いた。
『喚んでもいないのに、勝手に話すな』
光希も思念を返す。
『まあ、良いではないか』
『良くない』
即答すると、青龍から拗ねたような気配がした。
『其方、本当に無愛想だな。最近、天宮楓が近くにいるようになってから、丸くなってきたと思ったのだが……』
『……』
光希は沈黙する。青龍はその空気を読まずに勝手に話を締めた。
『……だが、取り敢えず我の力が必要な時は躊躇わずに喚び出せ』
『……ああ』
光希、復活(?)
久しぶりに青龍が出てきました




