それぞれの想い
楓は夏美、夕姫の二人と共に歩いていた。楓の両手にはいつのまにかリンゴ飴と綿菓子が握られている。……どちらももう後少ししか残っていないが。
「花火、キレーだね〜」
夕姫は空を見上げて、目を輝かせた。楓も空を見て瞳に煌めく花を映す。
どーんっ。大きな衝撃が花火が打ち上がる度に伝わってくる。そして、夜空に大輪の花を咲かせ、パラパラと散る。
その一瞬の美しさに楓は心を奪われた。昔の人が花火を愛したというのはこういう事なのだろう。力強く藍の空に咲き誇り、儚く散っていく。その美しさは人を虜にする。何度でも見たい、ずっと見ていたい、でも叶わない。だから花火は美しいのだ。
楓が花火を見たのは今日が初めてだ。本を読んだりして知ってはいたが、実物は今まで見た事が無かった。初めての花火は煌めいて見えた。だが、楓の心は軽くはならない。
誰かが足りない気がするのだ。この隣に居るはずの人がいない。
……そう、光希がいないのだ。
この花火を光希と見たかった。そう思う自分がいる。この願いはきっと贅沢な物。こんな事を願ってしまった自分は、すごく欲張りだ。
「楓、どうかした?」
夏美が心配そうに楓の顔を覗き込む。楓は笑顔で首を振った。
「ううん、何でもない。ただ、花火がすっごく綺麗だからさ、見惚れてたんだ」
夏美はホッと顔を緩める。結構心配してくれていたみたいだ。
「そっか、なら良かった。……ほんと、花火、綺麗だからね」
夏美は視線を空に戻して言う。その顔は言葉の割に少し寂しそうだった。楓と同じように、何かが足りないと感じているように見えた。
「……光希と、……見たかったな」
夏美の囁き声のような独り言は花火の音に掻き消された。
「小野寺さん、花火は初めて?」
夕馬の問いかけに仁美はコクリと頷いた。それでも仁美の目は花火を追うのをやめない。それだけ花火が気に入ったのだろう。
「……きれい」
仁美の口から吐息のような呟きが漏れる。夕馬はそんな仁美を優しく見守っていた。
仁美は目一杯に見開いたガラスの瞳に花火を映し、微かに笑みを浮かべている。
夕馬にはその光景がとても嬉しかった。仁美には多くの感情があるのがどんどん分かっていく。本人は偽物だと言うが、夕馬にはそれが信じられない。
「……だって君は笑えるんだから」
「……何?」
仁美が夕馬の顔を見て瞬きする。夕馬はぽんっと仁美の頭に手を当てて、ニヤリと笑ってみせた。
「いや、何でもないぜ」
「……そっか……」
仁美はどこか残念そうに首を傾げる。しかし、同時にその顔は嬉しそうだった。
「……笹本君は、……優しい、ね」
「えっ?」
夕馬は花火を見る仁美の横顔を二度見した。
「今日は、……本当に……、ありがとう」
これで最後だと言うように、仁美はゆっくりと口に出した。
「……本当に、……楽しかった。楽しかったの……久しぶり。……だから、ありがとう」
仁美は言葉を重ねた。戸惑いを隠せずに呆然と仁美の顔を見ている夕馬に諭すように。
「どういう……?」
仁美はそっと胸に手を当てて目を閉じた。
「……きっと、わたしが、一緒に居られるのは、これで……終わり」
「……なんで?……どうしてなんだ?」
夕馬は仁美の真意を読もうとして、仁美の顔を見つめる。しかし、仁美の顔は完全に感情を移さなくなっていた。
「……これ以上は、言えない」
「小野寺さん……?」
仁美は夕馬に背を向けて歩き出す。夕馬はその背中を追いかける事がなぜか出来なかった。
とうとう仁美の姿は人混みに消えた。取り残された夕馬は、ただその場に立ち尽くした。
今度は会う時はもうあんな風に話す事など出来ないかもしれない。
そんな不安が胸を刺す。もう、花火は夕馬の目には入らなくなっていた。
光希は人気の少ない屋台の外れで一人、歩いていた。その顔は暗く、暗闇の中でもその気配はわかるほどだった。
ーーどうして今になって、あの研究が再び現れたのか。
それだけが気になっていた。意図的に忘れようとしてきたあの出来事が、今になって悪夢のように目の前に蘇った。
「……い、おり」
長い間呼ぶ事の無かった名を口に出してみる。声が掠れた。その名前を呼ぶ機械が錆びついてしまったかのようにうまく言えない。
その事実が光希の心を苛んだ。
自分を救った少女を死なせ、守るべき人を傷つけてしまった自分は一体何なのだろう。
後悔ばかりが頭の中をぐるぐる回る。
ふと空を見上げると、空いっぱいの花火が目に映った。光希は目を見開く。
花火にすら気づかない程、自分に余裕が無くなっている事に気づく。光希はただ花火の美しさを感じる為に頭を努めて空っぽにする。
緑青の光が花開く。その隣で散るのは金色の光の粒と白銀の光。そして紅の花が空に咲いた。
この光景を楓が見たら何と言うのか、気になった。きっと満面の笑顔で綺麗だと呟くのだろう。そして光希は……。
思考がプツリと途切れた。
どうしてここで楓を思い出しているのか。どうして楓が隣にいない事がこんなにも気になるのか。答えは出ない。それに知りたくない。
「あっ!いたいた、光希!」
誰かがこちらに向かって走って来る。その正体は考えなくてもわかる。あのシルエットは夏美のものだ。
夏美はふうっと息を吐くと、光希を見て笑顔を浮かべた。
「やっと見つけたよ。みんな、呼んでるよ、光希の事」
「そうか……」
光希はボソリと答えた。感情が籠らない言葉は冷たく聞こえてしまったかもしれない。夏美の笑顔が一瞬曇る。だが、それはすぐに影を潜めた。
「……花火、終わっちゃったね」
夏美は沈黙した夜空に向かって嘆息する。どうやらさっきので最後のようだった。
「……ああ」
夏美の言葉に光希は頷く。
「お祭りなんて、いつぶりなんだろう?一度くらいは行ったことがある気がするんだ」
夏美は何も言わなくなってしまった光希に話しかける。
「……その時はね、今日みたいに楽しくは無かったかな。だって、みんないなかったんだもん」
ふふふっ、と夏美は肩を震わせた。光希はその顔をぼんやりと見つめる。
「……あのね、光希」
夏美は俯いて光希との距離を縮めた。
「答えは……、決まった?」
光希は一瞬足を止めた。夏美はその動作に気づかない。
……正直なところ、忘れてしまっていた。
ずっと『異端の研究』に囚われていて、考える余裕が無かった。それは言い訳だ。それもわかっている。そして、光希の答えは初めから決まっていた。
だが、夏美はきっと忘れずにずっと光希の答えを待っていたのだ、期待して。
それがわかっているから、光希は容易に答えを口にする事が出来ない。
「……光希、お願い。教えて欲しいの」
夏美は必死な表情で光希の顔を見上げていた。そんな顔をされれば、答えないという選択肢は潰されたも同然だった。光希は夏美の顔を真っ直ぐ見つめる。
夏美は頰を赤らめて目を伏せた。長いまつ毛が揺れている。答えを聞くのは相当な覚悟が必要だったに違いない。だから光希も覚悟を決める。
「……俺は……」
夏美の肩が揺れた。
「……お前の気持ちには答えてやれない……」
夏美は瞳を大きく見開いた。それは泣かないようにする為の仕草だった。
「……すまない」
光希は夏美から目を逸らした。
「……いいよ」
夏美は苦しそうに微笑んでいた。元からその答えを知っていたのだ。夏美はきっと、初めから光希が彼女を見ていなかった事を悟っていた。
「……でも、一つだけ、聞いてもいい?」
夏美は震える声で光希に尋ねる。光希は小さく頷いた。
「……光希が、その答えを出したのは……、……楓が好きだから?」
すぐに言葉が出てこない。
「……わからない」
やっと光希が口に出来たのはそれだけだった。
「そっか……」
夏美はどこかホッとしたように表情を僅かに緩める。
「また、……いつか、光希が私の事を好きになる時が来たら……。……いつでも、いつまでも待つから」
夏美はそう言って笑った。
「光希達、帰ってきたよー!」
楓の隣で夕姫がぴょんぴょん飛び跳ねる。光希と夏美の間の距離がいつもより大きいのが気になった。いつもなら、夏美が光希にベッタリとくっついているのだが……。何らかの心境の変化でもあったのだろうと、楓は勝手に解釈する。
「あれ?笹本、仁美ちゃんは?」
夕馬と一緒に居たはずの仁美の姿が見えない。
「……一足先に帰ったぜ」
夕馬は硬い表情を浮かべていた。こっちでも何かがあったのかと楓は心の中で首を捻る。
「ただいま、楓」
涼も帰ってきた。そして、少し後に木葉が同じ方向から帰って来る。
二人も何かあった……? もはや色々ありすぎてわからない。
何やら全員何かしらあったようだ。
楓には全くよくわからないが、たぶん自分にはあまり関係無い筈だ。そう思って、楓はそっとそれらの事から目を逸らした。
「楽しかったぁ!」
楓は満面の笑みで全員を見る。満面笑顔の夕姫を除いたメンバーはそれぞれ、ぎこちないながらも笑ってみせた。
「楽しかったのは良いのだけれど……、来週テストよ」
「……」
楓は笑顔のまま固まって綿菓子とリンゴ飴の棒を同時に落とした。
「楓、棒、落ちたよ」
そう指摘する夕姫の手からはお菓子がパラパラと落ちている。
「夕姫だって、お菓子、落ちてるぞ」
楓は満面の笑みのまま指摘する。夕姫は引き攣った笑いで木葉を見た。
「……な、何でそんな事、言うかな⁉︎」
「そ、そうだよ!」
楓も夕姫と一緒に木葉に向かって抗議した。木葉はコテリと首を傾げる。
「……あら、何か問題だったかしら?」
「「大問題だよっ!」」
楓と夕姫の声が重なった。
長い1日がやっと終わりました。
次からは怒涛の戦闘シーンが始まります。




