揺れる心
「……少し、お話ししましょ?」
そう微笑んで木葉は言った。涼は静かに尋ねる。
「……なんの話かな?」
木葉は笑い声を上げた。そしてその目が細められる。
「何、って、わかっているでしょう?」
涼は木葉の言葉を待った。木葉が何を話そうとしているかは確かにわかっている。だが、それを自分が口にするのは気が引けた。涼が答えない事を確認した木葉は答えを口にする。
「……楓についてよ」
涼は静かに頷いた。考えていたのと全く同じ答えだ。そもそも、木葉がそれ以外の用件で涼一人を呼び出すなんてあり得ない。
「そうだと思ったよ。それ以外の事で君が動くはずが無い。そうだよね?」
木葉は小さく顎を引いて肯定を示した。
「ええ、それが私の任務だしね」
生温い風が吹いた。風は涼の頰を撫で、木葉の髪を攫っていく。
「ところで涼、あなた、最初は命令に背こうとしていたわよね?」
涼は微かに自分の心臓の鼓動が速くなるのを感じる。これはただの確認。木葉はその事を知っている。それがわかっているのに、涼は心に走った微かな動揺を抑える事が出来なかった。
「……うん。本家の言いなりになって天宮家に取り入るのは嫌だった。天宮家に近づくのも」
「……でも、変わった」
木葉が言葉を挟み、涼は更に続ける。
「うん。……楓は僕が思っていた人物とは程遠い。楓はとても優しかった。それはもう、優しすぎるくらいに。そして僕は楓の事を調べた」
涼は翳りのある笑みを浮かべた。
「驚いたよ。あんな境遇であんなにも真っ直ぐで優しいんだから……」
「そうね。あの強さは誰かを守る為に掴んだ物。それも、彼女を虐げた者さえ守る為に」
木葉は伏せていた目を上げる。涼と目がしっかり合った。
「あなたにそれは出来る?」
「無理だよ、僕には出来ない」
木葉の問いかけに涼は即答する。一族を見返したいと思う涼と、純粋に誰かを守る為に力を磨いた楓には大きな違いがある。もしも、楓と同じ境遇だったら……。そう考えると、少し恐ろしい。
「ええ、私にも無理」
木葉も首を振る。
「……でも、だからあなたは楓に惹かれた」
涼は優しく微笑んだ。木葉は本当に何でも知っている。
「うん、そうだね。だから僕は楓に惹かれたんだ。あの光希すら必死になって守ろうとしている理由がわかったよ」
涼は三年前に命を救ってもらった、白い髪に紅い瞳の少女を思い出す。光希を救って命を落としたというあの少女もまた、とても優しかった。
目線を地面に落とす。もう暗くて地面はよく見えなくなっていた。
「……でも、光希は琴吹伊織を楓に見ている。そして楓自身、伊織ちゃんによく似ている。自分を削って人を守ろうとする。……本当は光希だって、あの二人と同じなんだけどね」
木葉は感心したように頰に手を当てた。
「ふぅん、気づいてたのね。楓も光希もお互いが似た者同士だとは思ってないみたいね。むしろ全く反対だと思い込んでいる……」
涼は笑った。似ている二人がお互いの事を勘違いしているのは、側から見てもわかってしまうほどだ。
「あははっ。そうだね。そこまでソックリだよ」
「ほんと、見ていてて飽きないわ」
木葉は軽く肩を竦める。しかし、その次の瞬間、木葉の顔からは笑顔が消えていた。
「……でも、こうして話題を逸らそうとしても無駄よ」
木葉の軌道修正に、涼の顔からもまた、笑顔が消える。さりげなく話題を逸らそうとしていたのがバレていたようだ。やはり木葉相手に舌戦は部が悪い。
「バレてたんだ」
「ええ、もちろん。私が何の仕事をしているか知ってる?」
答えに詰まる。木葉は意味深な笑みを浮かべた。
「知らない」
「まあ、そうよね。むしろ知ってたら困るわよ。……答えは、うーん、そうね……。ひ、み、つ、とでも言っておこうかしら?」
適当な返事に少し脱力する。端から教える気は無いようだった。多少なりとも興味はあるが、話題を逸らす作戦が失敗に終わった今、涼にできるのは木葉の真意を探る事のみだ。
「それで、木葉の目的は何なのかな?」
木葉はさも面白いとでも言うように声を上げて笑う。しかし、一切その目は笑っていなかった。
「目的?私はただ、天宮家の為に動く駒。私の行動も目的も、天宮の為に他ならないわ」
木葉は言葉には嘘は見受けられない。心からの言葉だと、涼は思った。涼達の知らないほど天宮家に仕える彼女が、天宮家を裏切る事は無い。
「……話が大分逸れたわね。話を戻すわ」
木葉はそう言って目を細めた。無意識に涼は息を呑む。
「涼、あなたは楓に惹かれている。そうよね?」
涼は頷く。どこかその顔は硬い。
「私もあの子に肩入れしすぎていると言われたわ」
誰に、とは木葉は言わない。おそらく天宮家の御当主様に言われたのだろう。
「でもね……」
木葉は静かに足を踏み出した。音が全くしない。涼は思わず足を後ろに動かした。しかし、もう目の前に木葉がいる。逃げる事は出来ない。
「……っ」
木葉は白く美しい芸術品のような人差し指が、スッと涼の胸から首の近くまでを撫でる。涼にはその指が自分を殺す鋭利な刃物のように感じられた。
「……でも、それは恋?……それとも、憧れ?」
涼は目を見開いた。木葉の黒い瞳が真っ直ぐ涼の目を射抜く。
「……わからないわよね。知ってるわ」
堪らず涼は目を伏せた。こんな質問で揺らぐほど、この気持ちは脆かったのか。そんな筈は無い。もし、ただの憧れならば、涼は楓を抱き締めようとは思わなかっただろうから。
「僕は……」
木葉が涼の言葉を遮る。
「それは正直に言うと、あまり関係無いわ。……問題なのは、あなたに楓の隣に立つだけの力と格が無いという事」
グサリと言葉が胸に刺さった。一瞬息が出来なくなる。棘は刺さったまま抜けそうに無い。
そう言われてしまえば、涼には反論する術がない。全力を尽くして今の立ち位置にいる涼と、涼達にすら力を隠しながら同じ立ち位置にいる光希。その差は歴然としている。
「生半可な覚悟であの子に近づけば、死ぬわよ」
涼の背中を冷たい何かが走った。木葉の目は真剣そのものだ。冗談だとは到底言えない。涼ですら命を落とす程の何かがあるという事を、木葉は言っているのである。
「……どういう意味……?」
「ねえ、あの子の事、もっと知りたいと思わない?」
涼の問いには答えず、木葉は更に顔を近づける。
「……知りたい」
木葉は顔を離した。その口元が確かに釣り上がるのが見えた。
「この話を他言しないと誓うなら、話せる事を話すわ」
「誓うよ」
涼は自分の意思で判断するよりも先に答えていた。木葉は満足そうに頷くと、空を仰いだ。涼も釣られて空を見上げる。もう花火は始まっていた。夜空に咲く大輪の花が眩しく散る。木葉はそれら全てに背を向けて、涼の顔を見た。
「あの子はね、特別なの。私達の大事な姫君。そして私達最大の切り札。……だから、私はあの子を護る為に何でもする」
「……姫君?」
時代錯誤な言葉に涼は戸惑う。この時代に姫などという身分は無い。つまりは比喩的な意味なのだろう。
「そう。私が今言えるのはこれだけ。でも、わかるわよね?あなたが楓と釣り合う事も守り抜く事も出来無いという事を……」
木葉の冷たい瞳が涼を静かに見ていた。
木葉はこう言っているのだ。楓から手を引け、と。
「……できないよ」
木葉の顔色は変わらない。初めからその答えを知ってるかのようだった。
「そう言うと思ってたわ。……でも、さっき言った事を忘れないで」
涼は小さく頷いた。
「さあ、花火はあと少し。それまで楽しみましょ」
木葉は笑顔を見せて、花火を見つめた。涼は一瞬躊躇った後、踵を返した。
しかし、涼の心の中ではずっと木葉の問いかけが渦巻いていた。
……それは恋?……それともただの憧れ?
振り払おうとしても離れてくれない。
本当にただの憧れなら……、そう考えると怖かった。
木葉は一人、花火を眺めた。涼の背中はすぐに闇に消えた。
「ふぅっ」
小さく溜息をつく。
「叶わないと知りながら、それでも飛ぶのね……」
楓と涼が結ばれる事はあり得ない。涼も薄々気づいているだろう。しかし、涼はそれでも傷つく方を選んでしまったのだった。
「……精々頑張りなさい」
木葉が色々な事を話してます。雲を掴むような話ですけどね。
涼は大丈夫なのでしょうか?
 




