祭りの喧騒2
「……光希、何かあったの?楓と」
涼は暗い表情の光希に問いかける。光希の顔はあまりにも暗く、祭りで浮かれた空気すら凍りつかせてしまいそうだ。
「……天宮を……傷つけた」
「……!」
光希の顔に落ちた陰が深まる。
「……どういう事?」
返事はなかった。それきり光希は何も言わなくなってしまう。
元々、『異端の研究』が光希の心を蝕んでいたのだ。おそらく、その関係で光希は楓と何かがあった。そして、光希はあの時のように無表情で無口になってしまっている。
「……光希。もう、いいんじゃないかな。……伊織ちゃんだって、きっと光希がこうなるのを望んでない。むしろ、伊織は光希に、光希が笑っていて欲しいんだよ。その為に、あの子は……」
「……死んだんだ」
涼の言葉を遮り、割り込ませるように光希は掠れた声で呟いた。
涼は思わず目を伏せる。自分を責める光希は、あまりにも痛々しかった。今まで心の奥に鍵を掛けていたその事に、ーーあの少女、楓の元親友だと言う『異端の研究』の生み出した産物、小野寺仁美が現れ、枷が外れた。
「……光希?」
気がつけば光希はもう近くにはいない。後に残されたのは、立ち尽くす涼と戻ってきた祭りの喧騒だけだった。
「8時から花火〜?」
「やった!もうすぐじゃん!」
「後〜、20分くらい?」
「だね!」
会話をする女子グループが道を歩いて来る。華やかな彩り豊かな浴衣に身を包み、髪をアップにして簪を挿す彼女達は涼からは遠い世界の住人のように見えた。
こんな風に楓達が心から談笑する事はあるのだろうか。全員心に少なからず闇を抱え、生きる涼達にそんな何のしがらみもなく笑う日は来るのだろうか。こういう時は、本当に霊能力を持たない人々が純粋に羨ましい。
「……あ」
すれ違い様、その女子グループの一人と目が合う。涼は反射的にニコリと微笑んだ。桃色の浴衣に金色の簪の少女は頰を染めた。
「どうしたのよ……って、あっ」
「何々〜?……イケメン」
彼女達は涼を見てそう呟く。
「あのー、すみません。一緒に写真を撮って貰ってもいいですか?」
桃色の浴衣の少女が言う。どう断ろうか考えようとした矢先、誰かが涼の腕に手を絡ませた。
「涼、行きましょ?」
悪戯っぽく、というか、少し妖しげに木葉が微笑む。
「あ、うん。そうだね、木葉」
木葉の意図を直ぐに理解した涼は笑顔で頷く。そして浴衣の少女達に残念そうに見えるように微笑む。
「って言うわけで……、ごめんね」
「あ、い、いえっ!こちらこそ、無理言ってすみませんでしたっ」
桃色の浴衣の少女達は残念そうに肩を落とすと、涼と木葉に会釈して歩き出した。
「うー、残念」
「イケメンだったのになぁー」
「でも、あの子、すっごく美人だったね」
「お似合い〜」
そんな声が後ろから聞こえてくる。涼は苦笑いで木葉を見下ろした。
「あ、ありがとう。……ところで、手……」
「あ、そうねー」
木葉はニコニコしながらパッと手を離す。実は言うと、さっきから木葉の胸が腕に当たり、落ち着かなかったのである。
「何で絡まれてるのよ。慣れてるでしょ?」
木葉はそう言って涼を目を細めて見る。涼は笑って返した。
「いやあ、なんでかな?……それより、木葉は大丈夫なの?」
木葉はその言葉にげんなりとした表情をする。これはかなり色々あった感じだ。木葉は額に悩ましげに手を当てる。
「……何件あったか、もう忘れたわよ。ナンパしてくる命知らずもいたわ」
「わお、……それは命知らずだね。そんな人、いるんだ」
木葉の美貌は見る人に畏怖を与える程のものだ。その美しさは同性をも魅了する。だが、そのあまりにも美しすぎる容姿は人を寄せ付けない。そんな木葉をナンパするとはなかなかの根性だ。涼は見知らぬ誰かに感心する。
「それで、その人たちはどうしたの?」
「ちょっと殺気を出したら倒れたわ」
何気なしに木葉は肩を竦めた。だが、もちろんそんな風にスルーできるものではない。木葉の纏う濃密な殺気は涼と光希でさえ圧倒する。そもそも、涼達よりも木葉は強い筈だ。木葉の力全てを見た事は無いが、底知れない強さを秘めているのは感じられた。
三年前も、木葉は涼達を導いただけでなく、いつでも殺せるという動きすら見せた。今でこそ、涼も光希も夏美も強くはなっているが、木葉には敵うかどうか、おそらく敵わない。
「……そりゃあ倒れるよ。ノーマルでしょ?ナンパ」
「ええ、一応銃火器を携帯していたのだけど、明らかに素人よ」
涼は木葉の口から漏れた物騒な単語に反応する。
「え?そんなの持ってたの?」
「そう。黒服ピアスの男達だったわよ。明らかに胸の辺りに銃を仕込んでたわ」
耳を疑う台詞に涼は瞠目した。
「それって、ナンパじゃなくない?」
木葉はキョトンとした顔で首を傾げる。その動作すらどこか艶めかしい。
「そうなのかしら?『少しツラ貸せや』とか凄んで言われたのだけど……」
涼はガクッと頭を抱えた。木葉の世間知らずに驚きつつ、悩ましげに呟く。
「……木葉、それ、ナンパじゃない。立派なヤクザだよ……」
「あら?そうなの?知らなかったわ。ただのナンパかと……」
木葉は目を大きくする。
「……ヤクザって、とても弱いのね」
「……う、うん?まあ、ノーマルだからね?」
木葉の少しズレた感想に涼は戸惑うが、木葉は全く気にしていない。
「まあ、このまま立ち止まっているのも何だから、少し歩きましょうか」
「そうだね」
木葉は興味深く辺りを見回す。空はだいぶ暗くなってきて、人も少し増えたようだ。ふと、寮の事を思い出し、木葉に尋ねる。
「……そういえば、門限って大丈夫なの?」
「ええ、今日は特別。七夕祭りだからよ」
涼は空を見上げる。藍色の空に微かに見えるのは天の川だった。
「……七夕か。もうそんな時期なんだね」
「早いわね。……天の川に隔てられた二人の恋人が一年に一度出逢える日。それを祝うなんて、不思議だわ」
木葉は遠い目をして、涼と同じように上を見上げる。その言葉は、まるで木葉が人間ではないような視点から見ているようで、不思議な感覚がした。
「確かに。……でも、遥か昔から愛し合う二人がこうして毎年出逢うなんて、幸せだね」
木葉の瞳が僅かに揺れた。
「……そうね。何千年待っても会えない人もいるのに……」
「何千年?」
涼は空から目を離して木葉の顔を見る。木葉は微笑んで首を振った。
「何でも無いわ。ただ言ってみただけ。……ところで、あれは何かしら?」
木葉は屋台を指差す。その先にあるのは面を売る店だった。壁に沢山の面が掛けられている。キャラクター物から動物の面まで。
「お面だよ。顔に付けるやつ」
「そうなの」
木葉はふらふらと屋台に近づいていく。
「木葉?」
涼はその背中を追いかけた。人が邪魔でなかなか追いつけない。涼がそこにたどり着いた時には、木葉は面を物色している所だった。
「……妖狐ね。これは」
木葉の綺麗な指が狐の面に触れる。木葉の口元が微かに笑みを浮かべた。
「狐、好きなの?」
木葉は面をまじまじと眺める涼に向かって含み笑いをした。
「……そうね。好きかもしれないわ」
木葉はいそいそと財布から金を出し、狐の面を買う。木葉は面を頭につけ、くるりと斜めに回した。
「どう?」
「すごく似合うよ」
恐ろしいほど狐の面は木葉に似合っていた。木葉自身、目がツリ目気味なのもあり、本当に狐みたいだ。木葉はふふっと笑うと、今度は違う屋台に足を向けた。涼はその後を追う。
読めない木葉がこんな風に祭りを楽しんでいるのが不思議だ。木葉にもこんな一面があったのだと意外に思った。
「それ、ください」
木葉はリンゴ飴に手を出す。エプロンのおばさんは、笑顔でそれを二本手渡した。立って待っていた涼の所に戻ってくると、木葉はリンゴ飴の棒を振って涼に渡す。
「あげるわ。リンゴ飴なんて、初めて」
そう言いながら木葉は紅いリンゴ飴をペロリと舐めた。
涼は貰ったリンゴ飴を眺める。木葉に奢ってもらうのはこれが最初で最後だと思う。有り難く受け取っておこう。
木葉はリンゴ飴を眺める涼を置いて、ふらふらと再び歩き出してしまう。再び涼はその背中を追いかけた。
木葉はどんどん公園の端の方に歩いていく。人もまばらになり、光も少し遠くなる。
「……何が目的なのかな?」
涼は立ち止まって問いかける。木葉が意味もなく涼をここに連れてきた筈がない。
「……少し、お話ししましょ?」
木葉は微笑んだ。
涼は木葉に振り回されてます。
謎多き女、木葉……。
 




