デートの続き
ーー楓と光希が男子棟横で出会った時と同じ時間。夕馬と仁美は街並みをゆっくりと歩いていた。
仁美は夕馬の目を見つめる。その表情からは何も読み取れない。だが、感情の無い透明な目は夕馬をしっかりと捉えていた。
「……わたしを、わたしに……、チャンスをくれて、ありがとう」
突然の言葉に夕馬は戸惑いを隠せない。そんな夕馬に想いを伝える為か、仁美はポツポツと語り始めた。
「……わたしは、人に造られた、本来存在するはずのない……人間。……そもそも、わたしは自分が本当に人間なのか、……わからない。……空っぽなの、わたしの心にはただ、空間が広がっている……」
仁美は胸にそっと手を当てた。その仕草は悲哀に満ちていて、その事を悲しんでいるように見えた。
「……わたしにあるのは、オリジナルのわたしの記憶だけ。感情もオリジナルのわたしを模倣した偽物……。笹本君が見たわたしの感情は全部嘘」
夕馬は、やはりガラスのような仁美の目から目を逸らせない。仁美が言っている事を否定したい、そう思う。
(……でも、俺は小野寺さんの事を知らないんだ)
仁美と過ごした時間はまだ数時間も経っていない。それだけで、仁美の言葉を否定するのは不可能だ。
「……でも、わたしが言いたいのは、そこじゃない。……わたしの言葉を信じてくれて、ありがとう。……本来なら、わたしみたいな人間の言葉は聞いちゃいけない。……主人には逆らえないように、術式を魂に刻まれている。……わたしも、そう」
仁美は視線をやっと逸らした。胸に当てられた手はいつのまにか握られ、それが彼女を縛る重りのように見えた。
「……彼らは必ず、……裏切る」
仁美はただそう小さな声で告げた。抽象化されたその言葉は、夕馬に正確な意味を伝えさせない。それはこの場に居ない誰かにその真意を知られない為のようにも見えた。しかし、夕馬にははっきりと聞こえた気がした、
『わたしは必ず、……裏切る』
と。
もちろん、確証は持てない。だが、夕馬はその解釈が正しいと訳もなくそう思った。
「……わたしはーー」
「ほら、行くぞ!」
夕馬は仁美が何かを言う前にそれを遮る。仁美が言おうとしたのが別れの挨拶だと気づいたからだ。ここで帰してしまえば、仁美を救う為にここにやって来た意味が無くなる。
仁美は瞬きをした。夕馬は、足を止めて引き返す寸前だった仁美の手を掴む。
「笹本君……?」
「良いから良いから〜、な?」
夕馬は人懐こい笑顔を仁美に向ける。仁美は口元を一ミリほど動かす。それは嬉しさを隠せていない動きだった。
「……ほら、君の感情は嘘じゃ無いだろ?」
「……え?」
仁美は夕馬に繋がれていない方の手を頰に当てる。そこで仁美は初めて自分がほんの僅かに微笑んでいる事に気付いた。
「俺は、小野寺さんの感情は嘘なんかじゃないと思うぜ」
夕馬は仁美の顔を見ずに言う。仁美の手が戸惑ったように揺れたのを夕馬は感じた。
「……わたしの感情は嘘、それは真実」
「だったらどうして君は笑ってるんだ?」
「……どうして……?」
答えを求めるように仁美は夕馬の目を見た。夕馬ははっきりと言い切る。
「君が人間だから」
「……そう、だと、良いな……」
そう言って夕馬の目から目を逸らした仁美の顔は微かに笑っていた。
「さーて、どこに行こう?」
夕馬はふらふらと売店が立ち並んだ公園に入っていく。何かのイベントでもあるのだろうか、そこはお祭りのように人で賑わっていた。色とりどりの店が並んでいる。ラインナップを見れば、それが祭りの屋台である事がわかった。
「今日、なんかあったっけな……?知ってる?」
仁美は屋台に目を釘付けにされつつ、首を振る。
「……知らない。……マツリ、初めて」
「あー、そっか。そうだよな」
夕馬は悩ましげに仁美の顔を横目に見る。仁美の顔はどことなく明るくて、夕馬は口元を綻ばせた。
「……あれ、何?」
仁美がとある屋台を指差した。気前の良さそうな中年の男が、何やら棒を必死に動かしていた。
「……小野寺さん?」
夕馬は隣の仁美がいつのまにか消えている事に気づく。慌てて前を向くと、仁美は屋台に張り付いていた。
「ちょ、ちょっと!」
夕馬は急いで仁美の隣に駆け寄る。仁美の目は一生懸命にくるくる回る棒と白い甘い匂いの雲を追いかけていた。
「……おじさん、あれ、欲しい」
仁美は綿菓子と彼女を隔てるプラスチックをつつく。すると、男はニカッと笑い、二本の綿菓子を突き出した。
「お代は一つ分で良いぞ!彼氏君と食べな!」
「……かれ、し?」
仁美は首を傾げて夕馬を見る。夕馬は一瞬動きを止めてから慌て始める。
「い、いやっ、違う!俺はこの人の彼氏じゃないっ!」
男の目がニヤニヤと眇められる。
「んじゃ、未来の彼氏君って事で」
「はあっ⁉︎」
手足をジタバタさせる夕馬を他所に、仁美は五百円玉をカウンターに乗せて、歩き出した。
「小野寺さんっ⁉︎」
夕馬は小走りで追いかける。その背中に男はニヤニヤしながら手を振った。
「またな〜、往生際の悪い彼氏君〜」
「ちげぇし!この綿あめオヤジっ!」
一瞬夕馬は男を振り返って叫ぶ。それを見て男はガハハハと笑い声を上げた。
豪快に笑い転げる男を尻目に夕馬は仁美の隣に追いつく。
「……ん」
仁美が綿菓子を持った片手を突き出した。反射的に夕馬はそれを受け取る。
「あ、ありがとう」
「……かれし、ふふふっ」
意味深に仁美が笑う。
「違うからなっ!って、なんでまた笑ってんだよっ⁉︎」
夕馬は反射的に反論するが、そこで仁美が笑っているという事実に気がついた。
「……って、小野寺さん、笑った」
「ん?」
仁美は不思議そうに瞬きする。
「……ほんと、だ……。……はむはむ」
仁美は綿飴を頬張った。そしてその目がキラリと光る。
「……おいしい」
夕馬も気づけば綿飴を半分ほど食べてしまっていた。甘党の夕馬としては、こういう物は大好物だ。
「あっ!あれやろーぜ!」
夕馬は射的を指差す。仁美はもふもふした物から顔を離した。
「……ん。射的」
屋台に駆け寄った夕馬は身を乗り出してねじり鉢巻の親父に声をかける。
「射的、やらせてくれ!」
「あいよ、にいちゃん。難しいぞ、これは」
そう言いながら、男は夕馬の二百円と交換でコルク銃を夕馬に手渡した。夕馬は銃身を指でなぞる。夕馬の顔が僅かに顰められた。が、それはすぐに消え失せる。
「見てろよ!あれに当てるぞ」
夕馬は銃を構えて、引き金を絞る。
ポンっという間抜けな音と共にコルクが飛び出した。コルクの弾は真ん中の縫いぐるみの脳天に命中する。クマはグラグラ揺れるとやがてポトリとビニールシートに落ちた。
「なっ⁉︎」
悠々と座っていた男はぽかんと口を開ける。
「ほらな、当たっただろー!」
「……すごい」
仁美は目を少し大きくして手を叩く。夕馬は鼻の下をかいて照れる素振りを見せた。そして夕馬は不審そうに首を傾げた男に向き直る。
「これ、銃身が歪んでる。そりゃあ当たらないワケだぜ」
男は夕馬が返した銃を見て、首を傾げる。別段歪んだところは見られない。
「歪んでる?」
「ああ、銃口の近くが数ミリ」
「す、数ミリ……⁉︎」
男はただ驚いて夕馬と銃を見比べる。
「ってわけで、これ、貰うからな」
夕馬は拾い上げたクマを男に見せ、背を向けて歩き出した。
「……笹本君、すごい。……得物は、銃、なの?」
仁美は夕馬に貰ったクマを抱きしめ、夕馬の顔を見上げる。
「ま、まあな。一応、狙撃の方を」
「狙撃……!すごい」
仁美は驚いたように呟く。ふと横を見た夕馬は、視界の端に写ったかき氷の屋台に目をつける。
「あー、えっと、ちょっとそこで待っててくれる?」
夕馬はベンチの前で立ち止まり、仁美に言う。
「……?何?」
夕馬の意図を読み取れず、仁美は首を傾げる。
「良いから、待ってろよ」
「……ん、わかった」
コクリと仁美が頷いたのを確認し、夕馬はベンチから離れた。
「かき氷〜」
夕馬はウキウキしながら屋台に向かう。きっと仁美はこれを食べた事が無いだろうと思い、夕馬は味一覧を眺める。やっぱりここは定番のイチゴだろう。
夕馬は二人分のかき氷を入手すると、綿菓子の棒をその近くで捨て、仁美のいるベンチに戻る。
「小野寺さーん!」
仁美を見つけ、声をかける。近くまでやって来た夕馬は仁美を見て沈黙した。
「……。……それは……?」
「……はとぽっぽ」
ベンチに座る仁美の頭に一羽のハトが鎮座している。
「いや、な、なんでそこに……?」
「……わたし、はとぽっぽ、好き」
仁美は脈絡も無くそう答えた。夕馬は目を点にして立ち尽くす。
「いや、なんでハトがそこにいるんだよ……?」
「……はとぽっぽ、嫌い?」
仁美に問いかけられ、夕馬は言葉に詰まった。
「……い、いや、別にき、嫌いじゃない。……はとぽっぽ」
はとぽっぽ〜




