すれ違う心と心
楓はキョロキョロ辺りを見回した。その顔は険しく、決して楽しそうには見えない。それもそのはず、楓は人を、光希を探していたのだった。授業が終わった途端どこかへ姿を消してしまった光希。楓はそれがとても心配だった。
「……相川」
楓は小さく名前を呼ぶ。今光希を一人にしないと決めたのだ。初日に決意を折るのは悔しいではないか。
……だけど、それよりも相川が心配なんだ。
夕馬は危険を冒して仁美の真意を探りに行った。それなのに楓は今、側にいると決めた光希を見失ってしまっている。それでは楓の立つ瀬がない。
「うーん……」
楓は立ち止まって考える。
「うーん…………」
考える。
「うー、……むむむむむ……」
がくっ。
楓は肩を落とした。考えても光希がどこにいるかわからない。となると、取り敢えず行動してみるという選択肢しかない。
楓はパチンと自分の頰を叩き、再び歩き出した。
食堂を通り過ぎ、真っ直ぐ寮を目指す。まずは光希が自分の部屋に帰っていないかどうかの確認だ。
……どうやって確認しよう……。
楓は重大な事に気づく。女子は男子棟に入れない。
「まあいっか、外から入れば」
言っておくが、今楓が考えている事は紛れもなく不法侵入だ。風紀委員の身で盛大な校則違反をしようとしているが、そう、バレなければいいのである。ルールを破る人間お得意のバレなきゃいい精神で、楓は侵入の算段をつける。
とはいえ、心配なのはまだ日が高いという事だ。
だがまあそれはきっと何とかなるだろう。楓は楽観的に不安を掻き消した。
「よーし、頑張るぞー。えいえいおーっ」
小声で自分を鼓舞する。そんな風にして怪しい動きをしているうちに、楓は男子棟にたどり着いた。
「えーっと、相川の部屋が301だから……」
楓は携帯端末に表示させた男子棟の見取り図と現在位置を対応させていく。どうやら光希の部屋はもう少し右に行った所のようだ。
寮の部屋には各部屋ベランダが存在する。それは女子棟も男子棟も共通だ。そして、そこから中が見える!
楓はもう一度現在位置と光希の部屋のベランダを確認。
顎を引いて気合いを入れる。そして楓は近くの木に手を伸ばした。木がゆさっと揺れる。葉っぱが頭の上に降ってきて、楓の頭に刺さった。
「よいせっ!」
掛け声と共に楓は木の枝に飛び乗る。更に脚に力を入れ、三階のベランダに飛び移った。301号室は3という数字が付いているが、実は4階である。光希の部屋は後1階登らなくてはならない。
「ふんっ!」
もう一つ上のベランダに飛び移ろうとしたその時、楓は眼下に光希が歩いているのに気づいた。飛んだその瞬間に光希と目が合う。
「うわっ!」
驚いた楓はバランスを崩し、ベランダから放り出されるように宙に身体が浮く。
そして当たり前のように自由落下が始まった。
「天宮っ!」
ぼすんっ、という音と共に楓の身体は光希の腕に受け止められていた。
「……は、はひ……?」
楓は自分の目を見つめる光希の目を呆然と見つめ返す。
「あ、あいかわ……⁉︎」
楓の固まっていた思考が動き出す。もちろん楓の脳味噌は、今何が起きて何をしているのかの分析を始める。そうしてやっと理解する。
……相川にお姫様抱っこされてる……⁉︎
顔を真っ赤にした楓は思わずジタバタと手足を動かした。光希は慌てたように楓を下ろす。
「な、な、な、な、何で潰れてないんだっ⁉︎」
楓は光希に指を指して叫ぶ。光希はボソリと答えた。
「……身体強化だ」
「べ、別に助けてもらわなくても大丈夫だったんだからなっ⁉︎」
「……そうだな」
あっさりと肯定され、拍子抜けした楓の覇気が立ち消える。光希は光の無い目で楓を眺め、問いかける。
「……何をしてた?」
「……何をって、壁登ってただけだけど?」
はあっ、という溜息が聞こえた。
「……何故だ?」
「……そ、そのー、何となく?」
光希の目が細められる。楓は怒られるかと思って身体を竦めた。しかし、特に何も起こらない。
「……何となくで人は男子棟の壁には登らない」
「……だって、……お前を探してたんだよっ!」
楓は目を逸らしつつ怒鳴る。光希を探すためだけに校則破って侵入未遂しました、なんて言いたくない。
光希は目を見開いた。
「どうして……?」
「そりゃあ……、だって……、心配じゃん?……ここんとこ、元気無いし……」
視線を彷徨わせ、楓は指と指をつんつんする。光希の光無き瞳が僅かに和らいだ気がした。
「……ありがとう」
楓はハッと顔を上げる。だが、光希の目は光を写さないままだった。
「……それでさ、良かったら……、一緒にテスト勉強でもしない?……えっと、もうすぐテストだし……」
楓は木の下に放置していた鞄を拾って光希に見せる。光希は微かに顔を動かした。それが頷く動作だと楓が気づくのに時間がかかった。
「……どこでやる?」
光希に聞かれて楓は考える。ここはやっぱり……
「図書館でしょ!」
「……わかった」
突然、光希の手が楓の顔に伸びてきた。楓はその手をぽかんと見つめる。
「な、何⁉︎」
「……葉っぱ」
光希が手を動かすと、楓の頭からはらはらと木の葉が落ちてくる。楓は思わず手を頭に当てた。楓の頭にはもう木の葉は載っていなかった。
「ありがと」
楓はニコッと笑って光希を見上げる。それでも光希の瞳は光を写さなかった。楓は下がりそうになる口元を必死で保つ。
「じゃあ行こうっ!」
鞄を振り上げ、楓は歩き始める。その後を光希は静かについて来た。
何があったんだろう……、3年前に。
楓は唇を噛んだ。光希にはきっと見えていない。楓はそう思い、少し安心する。この顔を見られたくないからだ。ずり落ちた眼鏡を押し上げ、楓は後ろの光希の気配を感じながら足を動かした。
「……相川」
楓は呟く。そして楓は光希の方を振り返った。光希は楓から距離を置いて立ち止まる。楓はゆっくり歩いて光希に近づく。
「相川、」
楓は光希のすぐ近くでやっと立ち止まる。
「やっぱり……、教えて欲しいんだ。3年前に何があったのか……。相川が苦しんでいるなら、ボクはお前の力になりたい。守られてばかりじゃ嫌なんだ。ボクは、ボクは相川だって守りたい!相川を救いたい!」
楓は光希の目を強い光を放つ瞳で捉える。
光希の瞳が揺れた。光希の中で白い髪の少女の顔と楓の顔が重なる。光希は顔を歪め、楓から目を逸らした。
「……できない」
「っ!」
楓は目を見開く。傷ついた顔を光希に見せてしまったのに楓は気づかなかった。光希は辛そうに楓から目を逸らしている。
楓は無意識に光希に向かって手を伸ばす。
ぱしん。
乾いた音が遠くで聞こえた。楓は恐る恐る光希の顔を見る。光希の顔もまた、ひどく傷ついたような表情をしていた。
楓は光希に払われた手をそっと下ろす。それは明確な拒絶だった。
「そ、そんなつもりは……」
「ごめん」
楓は光希に背を向けた。このまま光希の前には立っていられなかった。楓は歯を食いしばって歩き出す。
光希は追いかけては来なかった。
しばらく歩いて立ち止まる。光希の視界からはもうとっくに離れた。楓はコンクリートの壁にもたれかかる。ひんやりとした感触が背中から伝わってきた。楓は腕を目に当てる。
「……嫌われちゃったな……」
あんなに話したくない事を聞こうとしたのが悪かったのだろう。光希にはきっと自分は必要ない。
だって、相川は強い……。
楓にはその苦しみを分かち合う資格すらないのだ。なぜなら楓は弱すぎるから。
ーーあなた達はよく似ている。あなた達は強すぎるのよ。
木葉の言葉が蘇る。楓は頭を振った。
そんなの嘘だ。ボクと相川は似てない。
「……どうしよう」
楓は腕を下ろす。涙は出なかった。とても悲しいのに。
楓は弱々しく微笑む。そして楓はその場を後にした。
光希は楓が行ってしまった方向をずっと眺めていた。光希は視線を地面に落とす。楓を傷つけてしまった。その事実が光希の心にのしかかる。
楓の顔と伊織の顔が本当によく似ていたのだ。あの必死な目を光希はよく覚えている。
だから、楓にはそんな記憶を見せたくない。伊織と同じエンドを迎えて欲しくない。
光希は楓の護衛だ。あの少女を守るのが光希の使命。それは揺るがない。
……それなのに、光希は一番守らなければならない人を傷つけた。あの手を振り払ってしまった。拒絶してしまった。
「……俺は」
光希は握りしめた掌に爪を食い込ませる。痛みすら今は感じられなかった。
な、な、な、な、何で潰れてないんだっ⁉︎
ーー言う事絶対間違ってる。
楓は久しぶりアホっぷりを見せてくれました。それにしても死んだ目の光希。いい加減立ち直って欲しいです……。
 




