木葉の真意と楓の決意
「じゃ、そろそろ帰るかぁ〜」
夕馬は頭の上で手を組む。夏美は無理矢理微笑んだ。
「そうだね。夕馬、頼んだよ」
「ああ、任せときなって!」
夕馬はドンッと胸を叩く。夕馬は自分の役割に自信を持っているようだ。確かに、夕姫と夕馬の能力は貴重かつ有用だ。だが、楓はそれを素直に喜ぶ事が出来ないでいた。
「……笹本、仁美ちゃんを頼んだよ」
不安を隠して楓は夕馬を見上げる。夕馬はしっかりと頷いた。それから夕馬は光希に視線を移動させた。楓もそれに合わせて光希を見る。光希はぼんやりと机を見つめているだけだった。
「帰りましょ」
木葉の声で全員は立ち上がった。
「また明日〜」
夕馬は楓達に手を振り、光希、涼と共にテラスから出て行く。取り残された楓、夕姫、夏美と木葉はそのまま沈黙する。
「……大丈夫かな、夕馬」
夕姫は心配そうに口にする。楓は夕馬を仁美の監視に付けると提案した木葉の表情を見ようとした。だが、橙色の逆光でその顔は見えなかった。
「きっと、大丈夫だよ。夕馬、強いでしょ?」
夏美はくるりと回って夕姫の顔を笑顔で覗き込む。夕姫は夏美を見て頷いた。
「うん、夏美達には敵わないけど、それなりに訓練を積んでる。ちょっとやそっとの事じゃ死なないよ」
私もいるしね、と夕姫は照れ臭そうに笑った。夏美はそれに安心したように息を吐く。
「私達も寮に帰ろ。光希達も帰っちゃったし」
夏美はそう言って楓達を促した。楓は木葉の背中をそっと叩く。
「帰ろ、木葉」
「そ、そうね」
木葉は我に帰って歩き出す。何やら考え事をしていたようだった。楓はガラス越しに空を見上げる。まだ明るいが、時期に最終下校時刻を告げるチャイムが鳴り響くだろう。
四人は一階に降りた。楓の鼻腔をいい匂いが擽ぐる。
「なんかいい匂いする〜」
夕姫は鼻をピクピクさせて、匂いを吸い込む。夏美も目を閉じて匂いを嗅ぐ。
「……もう夕食の準備をしているのかもしれないわね」
「あー、なるほど。確かに時間も遅くなってきたからね」
楓は木葉の言葉に納得の声を上げた。
「うわぁー!お腹すいたぁ!」
夕姫が両手を上に向けて、ひらひら動かす。楓も自分の腹が空腹を訴えているのを感じて、腹部に手を当てた。
「ボクもお腹空いたー」
「そうね、私も空いたわ。とりあえず寮に帰りましょ」
木葉は物欲しそうな表情で厨房の方向を見る。どうやらかなりお腹が空いているようだ。木葉は頭を振って、厨房から視線を離す。
「木葉、お腹すごい空いてるでしょ」
夏美が木葉をつつく。木葉は少し怒ったように頬を膨らませ、主張した。
「ち、違うわよ。……お腹は空いたけれど」
「木葉、可愛い〜」
どこぞの酔っ払いのように夕姫は木葉の肩に腕を絡める。木葉は驚いて動きを止めた。
「木葉、可愛いなー、おい〜」
ノリに乗っかって、楓も木葉のもう片方の肩に手をかける。木葉は今度こそ困り顔で固まった。
「いいねぇー、木葉」
夏美は珍しくにやにや笑いを浮かべて、木葉を見る。
「な、夏美!あなたねぇ⁉︎何楽しんでるのかしら⁉︎」
「え?楽しんでないよ?」
夏美はワザとらしく知らないフリをして肩をすくめる。しかし、ついには噴き出してしまった。
「ふっ、うふふ、ふふふ……」
「何笑ってるのよっ⁉︎」
ワイワイしながら歩いていると、寮に着くのはあっという間だった。
「またね〜」
「ああ、またー」
楓は夏美と夕姫に手を振り、木葉と共に部屋に向かう。木葉はすたすたと暗い部屋に入っていく。楓は自動で電気がついた後、遅れて中に入った。
バタンと後ろでドアが閉まった。楓は足を止める。不審に思った木葉がこちらを振り返った。
「どうしたの?楓」
「ねえ、木葉」
「何かしら?」
楓は木葉の目を真っ直ぐ捉える。
「……どういうつもり?どうしてあんな危険な役割を笹本だけに任せた?」
木葉は薄い笑みを口元に浮かべる。
「別に、大した意味はないわ。夕馬があの子を助けたそうにしてたからよ」
「それだけじゃない。そうだよね?」
楓は鋭く声を発する。木葉は視線を一瞬楓から離した。その動作で楓は確信する。木葉がまだ何かを隠しているという事に。
「それだけよ。なんでそう思うのかしら?」
木葉は微笑む。楓は背中がぞくりとするのを感じた。だが、木葉の迫力に呑まれないように楓は口を引き結ぶ。
「……何となくだよ。でもさ、仁美ちゃんの事をよく知ってるのはボクだ。それにあの子は……危険だ。だから……」
「……あなたがあの子を監視すれば良かった、とでも言いたいのね」
木葉の瞳が細められる。
「あ、ああ。そうだよ、ボクが」
「……あなただからよ」
「え?」
脈絡もない木葉の言葉に楓は戸惑う。それがさっきの問いの答えである事に楓は遅れて気づいた。
「どういう事?」
「あなたと光希だけは傷つけさせない。……それが私の任務よ」
楓は目を見開く。
「それってつまり、ボクと相川以外どうなってもいいって事……?」
木葉の答えを恐れ、楓は呟くように問いかける。木葉はふふふっと笑った。
「……何言ってるの。そんなわけないじゃない。でも、楓、あなたを不必要に危険に晒したくない。だからこその判断よ。それに、知ってるでしょ?夕馬はそんなに弱くない」
楓は恐れていた答えでは無かった事に安堵する。胸を撫で下ろして、緊張の塊を溶かす。
「そうだよね、そんな訳無いよね……。良かった」
そう言った楓の前で、木葉の口元は微かに妖しげな笑みを浮かべた。しかし、楓の目には入らなかった。
「……それじゃあさ、もう一つ、質問してもいい?」
楓は木葉に許可を求める。木葉は簡単に許可を出した。
「良いわよ。何でも聞いて」
楓はさっきの光希の様子を思い出す。虚ろな瞳で空を見つめる光希。光希の隠された闇。一音一音確かめるように口にする。
「……相川は何を隠してる?何に怯えてる?」
木葉の顔から表情が消えた。何かの逆鱗に触れてしまったのだろうか。怖くなって楓は制服のスカートの端を握りしめる。
「……光希は……、……それは光希に聞きなさい。私が答えて良い事じゃない」
木葉は長い黒髪を弄る。白く長い指に黒髪はくるくると巻き付き、はらりと解けた。
「……『異端の研究』って、何なんだよ……」
どこか口にするのを憚られる不吉な響き。名前だけでもどこか恐ろしかった。木葉は静かに告げる。
「……アレはとても恐ろしい『研究』。触れてはいけない禁忌を犯した物よ。歴史の陰で繰り返されてきた人の道から外れた物。……今になってまたその名前を聞くとは思わなかった」
そう言った木葉の瞳はあまりにも澄んでいて、それが楓には怖かった。
楓も関係あるのだろうか。それとも、光希が……?
もしも、そうだとしたら、光希があれだけ怯えているのも分かる気がした。いつもどこか危うい光希の、その危うさが表に出てきたようでもあった。光希が苦しんでいるのなら、助けたい。
楓は腰の刀に手を添える。
しばらくは光希の側から離れないようにしよう。そう決意する。
「今、何を決めたの?」
楓の心を読んだように木葉は楓の顔を覗き込んだ。楓は驚いて、足を滑らす。
「あわわわわっ⁉︎」
ドスンッ。重い音と共に楓は尻餅をついた。木葉はニヤニヤとしながら、しゃがんで楓と視線を合わせる。
「教えなさいよ〜」
「え、べ、別に、大した事じゃないし……」
楓は木葉から目を離し、そっぽを向く。すると木葉は楓の頰をツンツンつついて、答えを要求する。それが数分続き、楓は折れた。
「……しばらく相川の近くから離れないようにしようかな……、って……」
小さな声で言う。木葉はその答えに目を輝かせた。
「良い心がけだわ〜!この件、光希が一番危ないから」
木葉の何やら含んだ言い方に楓は首を傾げる。本当に木葉は不思議だ。何でも知っているような気がする。今回の件も木葉は深く知っているように思えた。
「……?相川が一番危ない?」
木葉の顔に影が落ちる。
「そう、光希は危ういのよ。いつも危ない一本道を渡っているようで……。いつ踏み外してもおかしくない。だから、あなたが光希を引き止めてあげなさい」
「うん、わかった」
楓はこくりと頷いた。楓が頷いたのを確認し、木葉は続ける。
「光希はね、大事な人の為なら自分だって殺せるから、……だから危ういの」
楓は瞬きをする。木葉の憂いを帯びた口調に惹きつけられる。木葉の瞳が楓を捉えた。
「……それは楓、あなたもよ。あなたも自分を殺せる。それも今までずっと殺してきたでしょ?光希も同じ。あなた達はよく似ている。あなた達は強すぎるのよ。強すぎるから自分を殺して自分の痛みに気づかない。でもきっと、二人なら自分を殺せなくなるわ」
「……?」
木葉の言っている事がよくわからない。だが、それが何かの核心を突いている事は直感でわかる。だから楓は木葉の言葉を心に刻み込んだ。
ボクと相川が似ている……?
本当にそうなのだろうか。光希はきっと楓よりもずっと強い。
きっとボクと相川は似てない。
楓はそう思った。
相変わらず木葉は謎発言が多いですね。そして、たまに可愛い……。
楓は光希に張り付いている事を決めたようです。涼は完全に放置です。涼、ちょっと勝ち目無いかも……。




