下した決定
楓はテーブルに視線を落とす。そんな事をしてもこの重い空気からは逃げられない。そんな事は分かっている。だが、そうせずにはいられなかった。
全ての原因はさっきの会話。仁美の正体についての話だった。楓には『異端の研究』が何なのかを知らない。『許されざる研究』がどういうものを指すのかよく分からない。しかし、それは光希達を動揺させるのには充分だった。
楓は目を少しだけ上に向ける。そこには沈黙する光希、涼、夏美、夕姫、そして木葉の姿があった。光希は何かを噛み締めているような表情で、何処か蒼ざめた顔色をしている。そんな光希を見るのは初めてだ。いつも飄々としている木葉ですら、顔色はあまり良くなかった。
さっき、夕姫が夕馬の会話を見せてくれた時、その中の会話で仁美は天宮、相川、神林、荒木の四家がその『研究』を潰したと言っていた。つまり、光希達はその事件の当事者だ。
楓はテーブルを小刻みに指で叩く。カツカツという音がテラスで木霊した。傾き出した太陽の光が楓の顔に影をつける。楓の顔は何かを堪えているように歪んでいた。
……仁美は死んでいたのだ、三年前に。
それだけが真実として楓の胸に沈み込む。仁美の事なんて、忘れた筈だった。自分を、裏切った少女を、楓は忘れようとしたのだ。……何よりも、自分を守る為に。
「……仁美ちゃんは一体、何なんだ?」
問いが口から溢れる。光希は両手で頭を掻きむしった。光希は楓の問いに答えずに吐露する。白い髪で紅玉の瞳をした少女が記憶の中で寂しそうに笑う。
「……俺の、俺のせいだ。俺が小野寺仁美を殺したんだ……」
光希の瞳がぐらぐらと揺れている。いつも静かに傍観しているような静かな瞳が今は、死んでいた。三年前にあったという事件。光希をここまで動揺させるもの。その正体を知りたいと楓は激しく願う。
「違うっ!……これは光希の所為じゃない!これは……」
涼が叫ぶように声を荒らげる。その声に夕姫は驚いて目を見開いた。夏美も静かにゆらりと立ち上がる。
「……私達にはどうしようもない事だよ⁉︎自分を責めないでっ!光希!」
夏美は悲痛な表情で死んだ目をした光希を叱咤する。
「そうよ。……あなたにあの時出来たことは何も無い」
木葉の鋭い視線が光希を刺す。だが、光希はピクリとも動かなかった。
楓と夕姫は訳が分からずにただその場に座っている事しか出来なかった。夕姫は悔しそうに唇を噛む。その手は拳に握られ、震えていた。
再び六人は沈黙する。その沈黙が耳に痛い。楓は耳を塞いだ。
「夕姫っ⁉︎」
沈黙を破って飛び込んで来たのは、息急き切った夕馬だった。焦りに息を弾ませ、夕馬はつかつかとこちらに向かって歩いてきた。
夕馬は暗い表情をする光希達を視線に留めて、目を見張る。きっと光希がこんな表情をするとは思わなかったのだろう。
夕馬は楓達が座るテーブルの椅子の内、一つだけ残された空席に腰を下ろす。そして、ゴクリと生唾を飲み込んで口を開いた。
「……三年前、何があったのか、話してほしい」
ハッと楓は顔を上げる。楓も口を揃えた。
「……お願いだ。ボクにも教えて欲しいんだ。……ボクだって、無関係じゃない」
夏美と涼は光希に視線で問いかける。光希はそれに反応を返さない。気づいていないのかもしれない。見兼ねた涼は意を決して話し始めた。
「……あれは三年前の12月の事だった。僕達は光希がある少ー」
「俺はある事件の調査をしていた」
涼が何かを言うのを遮り、光希は告げた。夏美、涼、木葉の三人は表情を動かす。まるで何のつもりだ、と尋ねるように。光希はその三人の表情を視界に入れずに話し続ける。
「……それが『異端の研究』に関係するものだった」
「『異端の研究』って、一体、何なの?」
楓は口を挟む。夕姫も夕馬もそれは知っているようで、知らないのは楓だけだった。それに答えたのは夏美だった。夏美は暗い笑みを浮かべて静かに口を動かす。
「……人の遺伝子などを好き勝手弄くり回して特殊な霊能力者を作るという悍ましい研究だよ。もちろん、そんな事は許されてない。だから、私達が研究所ごと潰した」
「……そこで戦闘になったんだ。人格破綻した、子供達とね。……きっとその中に、小野寺さんも居たんだ」
涼は苦しげに吐き出す。そこで何を見て何を知ったのか、それは光希達は話そうとはしてくれない。それが楓には悔しかった。ぎりっと歯軋りする。話してくれないのは、きっと楓がまだ信用に足らないからだ。それが楓には分かって、それがとても悔しい。
「……どういう、事?それってつまり、光希達が小野寺って子を殺したって事?」
声に微かな恐怖を滲ませ、夕姫は光希達を見る。光希は小さく頷いた。
「……ああ、俺達が、殺した」
楓は唇を噛んだ。光希を睨む。
「仁美ちゃんを殺したのは……、相川達なんだね……」
光希は怒りが込められた楓の言葉と視線に抵抗の意思も無しにただ頷いた。その腑抜けた態度に楓は怒りが更に膨れ上がるのを感じた。
「なんだよっ……。仁美ちゃんは事故で死んだんじゃ無かったの⁉︎相川っ、何で……」
「……どうしてあなたが怒っているの?」
冷たい声に楓は息を止めた。すぐに苦しくなって呼吸を再開する。木葉が静かに楓を見つめていた。
「……そ、そうだね……。なんで、ボク、相川に怒ってるんだろう……。誰のせいでもないのに。……ごめん、相川、取り乱したボクが悪かった……」
「……」
光希は何も答えない。楓はどうしようもなく後ろめたくなる。そして、楓は荒ぶっていた感情を静かに制した。
「……今話すべきはそこじゃない。仁美ちゃんを救うかどうかだ……」
その言葉に全員がハッとする。全員、本来の目的を忘れていた。
「そうだね……。あの子を信じるかどうかだね」
夏美は頰に手を当てる。夕馬が机に手を置いた。
「……俺はあの子を信じたい。あの涙を嘘だとは思わないんだ」
夕姫も力強く頷いた。
「私も信じたい。夕馬の感情の所為もあるけど、でも何より私が信じたいから」
楓も二人に同意を示そうと声を出そうとした。
「ボクも仁美ちゃんを信じ……」
続きが言えない。信じられない、と心の奥が下した結論に楓は気づいてしまった。信じる事の重さ。楓はそれをよく知っている。
……だから、信じる、と言えなかった。
楓はその事に絶望する。自分はここまで駄目になっていたのだと思うと、辛かった。仁美の言葉が頭に蘇る。
『楓ちゃんは変わっちゃったんだね。あの頃の純粋に人を信じる力を失った……』
楓は頭を押さえる。
ボクは……、それでもやっぱり、失った物を取り戻したい。
楓は確かな意思を秘めてもう一度口を開く。
「……ボクは仁美ちゃんを、信じる。仁美ちゃんを救いたい」
夏美はフッと優しく笑った。
「楓はやっぱり、優しいね。……楓が言うなら、私もその子を信じてみる。あの涙を嘘だとは言わせない」
涼も静かに頷いた。
「僕も信じるよ、楓が信じるなら。それに、これは僕達が決着をつけなければならない事。そうだよね?光希」
光希は答えなかった。
「……」
涼は光希に何かを囁く。光希の瞳に光が戻った。
「……俺も、手伝う。俺がケジメをつける」
「……違うよ、光希。ボク達で、だ」
楓は光希に笑ってみせる。光希は不意を突かれたようにキョトンとし、表情を和らげた。
「そうだな、天宮。俺達で、あの子を救い、決着をつける」
「うん」
涼も嬉しそうに返事をする。だが、ただ一人、木葉だけは険しい表情のままだった。
「……その話、本当に信じるの?あの子はヒトの手で作られたモノ。あれが真実であるという証拠は無いわ」
纏まりかけた空気に水を差す発言。しかし、誰もがそれもまた正しい事が分かっていた為、反論できない。
「で、でもさ、やっぱり、助けてって言った言葉と涙は本当な気がするんだ。たぶんだけど、小野寺は何か俺達に伝えようとしてた。でも、何かしらの理由があってその内容を言う事が出来なかった気がするんだよ」
夕馬はそう言って、仁美を弁護する。木葉は鋭く夕馬を睨んだ。夕馬はひっと息を呑む。
「……それなら、あなただけでもうしばらく様子を探りなさい。……何故だか、とても嫌な感じがするの」
木葉は目を伏せた。楓の方を何故か見る。楓は首を傾げた。木葉は小さく微笑んで、何でもないと首を振る。
「……わかった。しばらく俺が様子を見る」
「夕馬⁉︎」
夕姫が驚きに声を上げる。
「また何かあったらさっきみたいに夕姫に繋げて貰う。それでいいだろ?」
「ええ。しばらくはそうして」
「わかった」
勝手に話が決まってしまう。楓は戸惑って他の人の顔を見るが、木葉の決定なら、と全員納得しているようだった。夕姫だけは少し不服そうな表情が浮かんでいたが。だが、それなら、楓が食い下がる理由はない。そうして楓は肩の力を抜いた。
「夕馬、頼んだ」
「おう」
夕馬は親指をピッと上げてみせた。楓は笑みを浮かべる。
「これで決まりだな」
「そうだね」
全員動揺しています。光希は思ったよりも色々と引きずっていたようです。木葉だけは相変わらずですが、他は大丈夫じゃなさそう……?




