涼の頼み
色々忙しくなってきたので投稿のペースが落ちるかもしれませんが、よろしくお願いします
涼は壁に拳を叩きつけそうになった。寸前で力を緩め、手を下ろす。
書斎から出ても怒りはまだ燻り続けていた。こんな事で怒るなんて自分らしく無い。それはわかっている。それでも、あの少女をモノのように言われたのは許せなかった。
涼は息を吐いて気持ちを落ち着けようとする。
僕は何も考えていない。何も感じていない……。
自分に言い聞かせる。ずっとそうして来た。自分は何も考えてはいけない。涼は神林家の道具でただの武器なのだから。
……怒りなど、感じてはいけないのだ。
ふうっ、と息をもう一度吐いて、気持ちを落ち着かせた。涼の表情は微笑みを微かに浮かべた物に変わる。いつもの表情だ。
涼はそのまま足を迷わず玄関に向ける。この家から一刻も早く立ち去りたい。途中、門で待っていた女とすれ違ったが、涼はにこりと笑顔で挨拶をした。女は何か奇妙な物を見るような目つきで涼を見た。それを無視して涼は女の前を通り過ぎた。
涼は洋館から出る。初めはじっくりと見ていた庭も意識には入らず、ただ足を動かして門を出た。振り返らずにそのまま歩き、しばらくして涼は立ち止まった。
車は引っ切り無しに橋の真ん中を通り続けていた。排気ガスの臭いが鼻をつく。涼は空を見上げた。雲の切れ間から僅かに光が漏れ出している。橋の欄干にもたれかかる。いっそこのまま川に飛び込んでしまおうか、などという考えが頭の中で弾けて消えた。生温い風が顔を撫でる。少しずつ太陽が顔を出していた。
「涼?」
弾かれたように涼は振り返る。殺気が身体から漏れ出した。抜き身のナイフのような眼光が涼の後ろに立った二人を突き刺した。
「り、涼……」
目を見開く二人の姿に涼は自分が何をしたのかを理解した。はっとして目つきを和らげ、殺気を消す。少し強張った頰を持ち上げる。
「ご、ごめん……夕姫、夕馬」
そんな涼を見て夕姫と夕馬は顔を和らげた。二人は似たような笑顔を浮かべた。
「大丈夫だよ、涼」
「ああ」
涼はその優しさに救われる。自然と刺々していた気持ちが綻ぶ。そこで涼は私服姿の笹本兄妹を始めてしっかりと見た。二人とも少ししっかりした服を身に纏っている。誰かと会ったのだろうか。そもそも二人はどうしてここにいるのだろう。
「……なんでここに?」
訝しむような声に二人はピクッと身動ぎをする。夕姫は目を逸らして視線を彷徨わせていた。涼はもう一押ししてみる。
「どうして僕がここにいるってわかったの?」
「えぇーっと、その、ね、あは、あははははー」
「……夕姫?」
突然カクカクとしながら笑い出した夕姫に苦笑いを向ける。夕馬はそんな夕姫の様子にやれやれと頭を振った。
「その、なんだ……、あいつ、涼が心配だったんだってよ」
「えっ?」
涼はキョトンとして夕馬を見た。誰かに心配されていたなんて驚きだった。それに、昨日の夕方から夕姫には合っていないはずだ。夕馬はふうっ、と息を吐く。
「俺の視覚を何度か覗き見してたんだよ。こっちはいい迷惑だっつーの」
「にゃっ⁉︎そ、それは言わないでよっ⁉︎夕馬⁉︎」
夕姫は顔を赤くして手をぶんぶん振る。呆れたように夕馬は言う。
「別に良いだろ、俺にはわかるし」
「ううー、でも、だってさ〜」
夕姫はぶーぶー何やら言っているが夕馬は完全にスルーしている。夕馬は涼の瞳を覗き込んだ。
「……でも、涼が心配なのは本当だ」
涼の瞳が揺れた。夕馬は静かに言葉を紡ぐ。
「昨日の涼、顔色があんまし良くなかっただろ。みんな気づいてたぞ。同時に心配してた」
「そうだったんだ……」
全く気づいていなかった。空気を読むのは得意なのに、気づけなかった。思えばそれほどに思い詰めていたのかもしれない。自分の心はよくわからないものだ。
「でも、どうしてここがわかったの?」
さっきはぐらかされそうになっていた問いをもう一度発する。少しの間夕馬の目線が行ったり来たりしていたが、夕馬は口を開いた。
「光希に吐かせたんだよ」
涼は片方の眉を上げた。光希にはどこに行くかは告げていないはずだ。
「光希?」
「うん、どこに行くかは聞いてないがあいつのあの顔を見ればわかる、ってさ」
夕姫が光希の言葉を再現した。涼は思わずフッと笑い声を漏らした。夕姫は不思議そうな表情をする。
「やっぱりあいつに隠し事は出来ないみたいだなー。で、それを夕姫と夕馬が聞いたんだね」
「うん、……迷惑、だったかな?」
夕姫は上目がちに涼を見る。涼は夕姫の頭をポンポンと叩いた。夕馬が驚いて目を見張る。
「ううん、ありがとう、夕姫」
「〜!」
夕姫も驚いたように固まってしまう。夕姫の頭から手を離した涼は額を伝う汗を拭った。晴れてきたので、気温が急上昇しているのだ。こんな所にいれば、汗をかくのも当たり前だ。
「ところでここ、暑過ぎない?どこか違うところにでも行く?」
涼はこの場の微妙な空気を変えるようにそんな提案をした。笹本兄妹は即座に頷いた。
「行く!」
「俺も暑いと思ってたんだよー。どっか行こうぜ」
夕馬は手を団扇のようにして扇いでいる。夕姫は心なしか少しだけグッタリしていた。
「そうだね」
涼は笑顔で頷く。家のある方向から背を向けて、歩き出す。確か、向こうの方に大きめの店があったと思う。とりあえずこの炎天下から脱出したいという一心で三人はそこを目指した。
「あぢー」
「あっつ……」
三人が歩き出したのを見計らったように空が晴れてきた。気がつけば空は快晴で、ギラギラした太陽が照りつけている。涼は額から零れる汗を拭いつつ、前に進む。後ろの汗だくの二人を時折振り返るが、やはり暑さにやられているようだ。早い所クーラーの効いた室内に入りたい。
「……やっと、着いた、よ」
三人は倒れこむようにして建物に入った。夕姫は顔を上げ、周りをキョロキョロと見渡す。突然何かに反応したように目を輝かせた。
「夕馬!涼!あれ!」
夕姫が指差したのはかき氷専門店。この暑さじゃ、冷たい物の一つは食べたくなるというものだ。涼も夕馬も即座に頷いた。
そして今は買ったかき氷をテーブルに乗せ、三人は座っていた。涼は目の前の色付きの氷の山に長いスプーンを突き刺す。シャク、という涼やかな音がして山が少し崩れた。氷を乗せたスプーンを口に運ぶ。甘さと冷たさが口の中に広がり、消えた。涼はちらりと目の前の夕姫と夕馬を見る。何故か二人は同じイチゴ味を選び、同じ至福の表情を浮かべていた。その様子に涼は口元を綻ばせる。
「涼って……本家に帰ってたんだよね?」
気づけば夕姫は顔から笑みを消して問いかけていた。涼もその言葉に笑顔が消える。
「……うん」
涼の静かな答えに夕姫はさらに尋ねてくる。
「神林家って、涼と仲良く無いの?」
「……うん、そうかもしれないね。僕はあの家にとっては『失敗作』だから」
夕姫は驚いて目を見開いた。夕馬はかき氷を食べる手を止める。
「Sランクの涼でも?」
涼はかき氷を口に含み、無くなるのを待つ。そして口を開いた。
「そうだよ。僕には神林としての完成した力がないんだ」
「……。あのお兄さんがいるのもその理由か」
夕馬の言葉に涼は心臓を抉られたような痛みを感じた。ズキズキと胸を刺す痛みを笑顔で隠す。 この感情は悟られるわけにはいかなかった。
「……うん。兄さんは優秀だからね」
「そっか……、その、用件はなんだったの?やっぱり、校外教室の事?」
夕姫はかき氷を一気に食べたキーンとした痛みに顔を顰め、涼に聞く。ここまで聞いたら嫌われてしまうだろうか、と夕姫は一瞬そう思った。涼はスプーンで溶け始めたかき氷をかき混ぜる。
「そうだよ。楓について、聞かれたんだ」
夕姫は手元のかき氷に視線を落とした。
「……実は私達も、さっき本家に帰ってたんだ」
涼はハッとして顔を上げた。夕姫と夕馬と目が合う。どうやらこの様子では二人とも楓について聞かれたみたいだ。
「私達のランクはもう家の方にも連絡が行ってたからアレなんだけど……、楓について聞かれたんだ」
「そう、俺達が天宮と仲良い事はもう知っているみたいだ」
涼は目を細めて二人を見つめる。
「……それで?」
夕姫はゴクリと息を呑んだ。それだけ今の涼には静かな迫力があった。
「「楓は何者なのかって、聞かれたんだ」」
同時に二人はそう言った。涼は目を閉じて顔に手を当てる。
「……やっぱりね」
手を下ろし、二人を見る。夕姫と夕馬はどこか緊張した面持ちで涼の質問を待っていた。
「何て答えたの?」
夕姫はスプーンをまだ残っているかき氷のカップに入れて膝に両手を下ろす。グッと夕姫はスカートを膝の所で握った。
「楓は大事な友達だから何も手を出さないで、って」
「ああ、アイツは悪い奴じゃない。優しい奴だってな」
涼は二人に向かって微笑んだ。
「二人ならそう言うと思ってたよ」
夕姫と夕馬は照れ臭そうに横を向く。それでも満更でも無さそうに顔が緩んでいた。
「ま、まあね、えへへ」
「ま、まあな」
照れるのもよく似ている。流石双子という所か。それとも二人が特殊な能力者だからだろうか。双子である二人の間に存在する強い繋がり。それは高いレベルで互いの感覚などを分かち合う。もはや『異能』と言ってもいいようなものだ。そしてきっとそれは二人がここまでよく似ていたからこそ発現した能力なのだろう。その割に喧嘩が絶えないのが不思議だ。
涼がそんな考察をしているとは夢にも思わない二人は、仲良くかき氷を頬張っている。涼はその様子を眺めながら涼はかき氷を食べる。そこで涼は不意に小野寺仁美の事を思い出した。この二人なら彼女について調べる事が出来るかもしれない。そう思い、涼は二人に問いかけた。
「……ところで、二人とも小野寺仁美っていう生徒、知ってる?」
「小野寺仁美?」
夕馬は首をひねる。あまり心当たりが無いようだ。涼は視線を隣にずらして夕姫の顔を見る。
「うーん……、あの子の事?楓が『仁美ちゃん』って呼んだ子?」
「あっ」
夕姫は自信なさげにそう言う。それに夕馬は思い出したように声を上げた。涼は頷く。
「そう、その子だよ」
夕姫はズズッとカップに残った甘い汁を飲み干し、それから首を傾げた。
「その子が何かあるの?」
「……うん。ちょっとあの子、気になるんだよね」
「ん?それって好きって事?」
キョトンとして夕馬が呟く。夕姫は驚いて目を見開いた。涼は苦笑してその誤解を解く。
「いやいや、そうじゃなくてさ、……怪しいんだよ、あの子」
夕姫は目に見えて安心する。安堵の息を吐いていた。夕馬はつまらなさそうに眉を下げた。
「なんだよー、そういう相談かと思ったじゃん」
「何言ってんの、夕馬」
パコンッ、と夕姫は夕馬の頭を叩く。すごく良い音がしたのだが、夕馬は大丈夫なのだろうか。心配気味に夕馬を見たが、夕馬はボヤきながら頭をさすっているだけだ。こう言った遣り取りはお互い慣れっこなのだろう。
「……それで、何が怪しいわけ?」
夕姫は夕馬を叩いた事など即座に忘れたかのように声をひそめて言う。涼はそれに合わせて声の音量を落とした。
「楓と知り合いみたいだけど、一体どういう事なのかが知りたいんだ。なんかただの関係じゃ無いみたいだ」
「なるほど……」
夕馬は相槌を打ち、腕を組む。
「神林家の諜報機関は?」
涼は申し訳なく思って目を伏せた。神林家で権力を持たない涼には諜報機関を動かす権限を持っていないのだ。
「……僕には動かせない。ごめん」
夕馬は慌てて手を振る。
「こちらこそ、ごめん。そういうつもりで言ったわけじゃ無いんだ」
「大丈夫、わかってるよ」
涼は笑顔を作ってみせた。夕姫はそんな涼を見てから口を開く。
「つまり、私達に調べて欲しいって事かな?」
夕姫は涼の意図を汲み取ってそう言った。涼は夕姫の目を真っ直ぐ見つめる。
「わかった。調べてみる。一つ、聞いても良いかな?どうして光希達に頼らなかったの?」
「それは……」
視線を溶けて殆ど残っていないカップに向ける。自分でもこの問いの答えがわからないのだ。ただ何となく、というのが一番今の心情に合っていた。
「どうしてかな?わからないんだ。でも、光希達も何か色々動いているみたいだから、ってのもあるかな」
「そうか……。まあ、でも俺達を頼ってくれたのはすごく嬉しいや」
鼻の下をかき、夕馬はぐるぐると何もないカップをかき混ぜる。これは照れていると取って良いだろう。
「それじゃあ、また調べてみるよ。涼も無理しないでね」
立ち上がりながら夕姫は笑った。涼も笑顔で返す。
「うん、頼んだよ」
三人は立ち上がり、カップ等を捨てに行く。そして、店を後にした。
珍しい涼視点の話はこれで終わりです。次からは楓に戻ります。




