本当の再会
「いただきまーす」
小声でそう言い、楓と夏美は昼食を食べ始める。木葉はふらふらと昼食を取りに行ってしまった。
「ふぅ……」
「はぁ……」
木葉がいなくなった後のテーブルで楓と夏美は溜息を吐き出した。木葉があまりにも怖すぎて、ロクに呼吸もできなかった。
「木葉って、あんなんだったっけ?」
「うーん、私もよくわからないの。木葉に会ったのは三年前だけど、実際にこんな風に話すようになったのは今年になってから。やっぱり、不思議なんだよね、木葉は。掴み所がないっていうか……」
夏美は困ったように両手を頰に当てる。本当にわからないようだった。
「ボクにもわからないんだ。本当に掴めない。……木葉は掴ませない。だから少しだけ怖い」
「そうだね。でも、実力は確か。校外教室では逃げられたけど……」
夏美は拳を握る。校外教室の時に木葉と戦ったことを思い出しているのだろう。木葉がワザと負けた事に夏美はかなりの憤りを感じているようだった。
「……木葉は天宮に仕えてるんだよね?」
楓は夏美に確認する。どこかそれだけでない気がするのはなぜだろう。今までの行動の全てが天宮のためだとは思えない。
「たぶん、私はそう聞いてる」
「本当にそれだけ?」
楓は夏美の顔を覗き込む。夏美はそっと目を伏せた。
「……わからない。私はまだ学生だから荒木家当主と言っても手に入れられる情報にも限りがあるし……」
「そっか、夏美にもわからないならボクにはとてもわからないな……」
夏美は楓と目を合わせるように、楓の顔を見た。楓は驚いて瞬きをする。
「ところで、楓、なんかあった?」
「えっ?」
楓は首を傾げる。夏美は真剣な表情で続けた。
「……今日の楓、光希と涼を避けてない?」
楓の瞳が大きくなった。夏美はその表情を見て、やっぱり、という顔になる。
「別にそんな事ないよ」
楓は弁解しようとする。この事を悟られてしまった自分の迂闊さを呪う。夏美は目を細めた。
「……そんな事ある。私、見てたもん。……それはどうして?」
楓は夏美から目を逸らす。夏美は何かに気づいたように言葉を重ねた。
「あ、そ、そういう事じゃなくて、楓の力になれたらな、って事なの!」
どうやら夏美は、楓に自分が楓を問い詰めているように思われたと思ったようだ。確かにそうではあるが、目的の問題だろう。夏美は純粋に楓の力になりたいと考えているように見えた。
「……ありがとう、夏美。でも、ほんとに大した事じゃないんだ。だから、大丈夫。自分の事は自分でなんとかするよ」
楓はそう言って笑って見せる。夏美は視線を落とし、それから楓を見て笑った。
「うん、頑張ってね。でも、私、いつでも力になるから言ってね」
「ありがとう、夏美」
丁度その時、木葉がとてもいい笑顔で帰ってきた。怖いのは健在だった。
「あ、お帰り、木葉」
楓と夏美は会話を中断した。
「うふふふ、ただいま、二人とも」
不気味な笑い方に楓は血の気が引いていくのを感じる。これから絶対に木葉を怒らせないようにしよう、そう決意する。
「いただきます」
木葉は笑顔のまま手を合わせ、ご飯を食べ始める。心臓を鷲掴みにされたような恐怖。違う意味に聞こえてしまったのは楓だけだろうか(……コロスみたいな)。
そして他愛もない会話をしながら昼食を食べ終えた。
「さようなら」
楓は挨拶をしながらぺこりとし、サッサと荷物を纏める。一刻も早く帰るつもりだった。
「……天宮」
突然声をかけられて、楓の肩がびくりと跳ねる。楓はゆっくりと首を回した。
「っ!な、何?」
光希は楓の歯切れの悪い返事を聞き、眉を僅かに下げた。少し、傷つけてしまっただろうか。
「……いや、何でもない」
光希は楓から目を逸らし、そう言った。楓は光希と目を合わせないまま、にこりと笑う。
「じゃあ、またな」
「ああ、また」
楓は光希に後ろ手で手を振り、教室を出た。
「っ、はあっ」
楓は廊下に出た瞬間、詰めていた息を吐き出す。心臓もバクバクしていた。楓は胸に手を当てる。
鞄を持って歩き出す。どんどん足は早くなる。嘘をつきながらこれ以上光希の前に立っていられなかった。
気づけば楓の足は人気のない場所に向かっていた。人のいない道ばかりを選んで歩いていると、図書館に辿り着いていた。
まだ授業が終わったばかり。図書館にはあまり人がいなかった。楓はふらっと中に入っていく。本を借りる気はあまり無かったが、本をキョロキョロと眺めながら歩き回る。適当に本を手に取り、パラパラ捲ってみる。それでもやはり中身が頭の中に入ってこない。
「はぁ……」
楓は溜息をついて本を閉じた。再び歩き出す。少しずつ人が増えてきた。楓は人から逃げるように階段を登る。こんな所まで来た事はなかったな、と思いながら足を進めた。
ドアを開くと、そこは屋上だった。ヒュウッ、と風が吹き込んでくる。楓のスカートが翻った。暴れそうになる髪を手で押さえつつ、楓は屋上に身を踊らせる。誰もいない屋上は解放感があった。
「うわぁ……!」
楓は目を輝かせた。屋上から見る景色は格別だ。学校の敷地が見渡せる。教室棟より高くはないが、立地がいい。部活の光景が鮮明に見ることができた。動く色とりどりのユニフォーム。たまに走る閃光。武器の煌めきも目に入る。
「すごい……」
楓はもう一度感嘆の声を上げた。空を見上げると、黒い鳥が空を舞っていた。黒い鳥はフワリと旋回して、屋上に降り立つ。
「カラス……?」
綺麗な黒い羽根を持つカラスは、楓の隣までやってきた。楓はしゃがんでカラスと目線を合わせる。知的な輝きを持つ瞳が楓を見つめていた。そのまま居てもカラスがいなくなる気配はない。楓はカラスの隣に腰を下ろした。
「……どうしてボクはこんな風なんだろう……」
楓はカラスに向かって呟く。カラスが楓の言葉を理解しているわけがないのに、カラスは頷いたように見えた。まるで、聞いているよ、とでもいうように。
「ボクは、本当は……、人を信じる事ができる人になりたいんだ。……でも、できない。人を信じてるつもりでも信じきれない。……心のどこかではずっと疑ってるんだ。いつか裏切るんじゃないかって……。裏切られるのが怖いから信じられない、捨てられるのが怖いから信じられない。だって、信じなければ裏切られないから……。ふふっ、君に話してもわからないのにね、こんな話」
楓はそっと微笑む。弱気な表情を見せれるのは、もはやカラスにだけだった。カラスは整えられたような美しい翼をバサリとやる。飛んで行ってしまうかと思ったが、カラスはまだそこにいた。
「……ボクはみんなを信じたい。信じきれていないから、ちょっとのことで揺らいじゃうんだ。たぶんその原因は……」
「……六年前の事」
誰かが楓の言葉を継いだ。楓は弾かれたように声の方を振り返る。
「……っ!」
髪をなびかせながらそこに立っているのは、仁美だった。
「そうでしょ?楓ちゃん」
仁美は楓の方に歩いてくる。楓はスッと立ち上がり、警戒する。仁美はニコリとも笑わずに楓の側に立った。
「……私が楓ちゃんを裏切った、だからだよね?」
「……そう、かもしれないね。でも、どうしてここに?」
楓は訝しむように言う。仁美は指を顎に当て、首を傾げた。
「屋上に行く楓ちゃんの姿が見えたから、かな?……それにしても、久しぶりだね。三年ぶりだっけ?」
「そうだね。まさかここで会うとは……」
仁美が優秀なのは知っていたが、青波学園に来るほどだとは思っていなかった。仁美もきっと、『無能』がここに来るとは思っていなかったと思う。
「でも、楓ちゃんはやっぱり強いね。見てたよ、校外教室の戦いっぷり。すごかった。Sランクって言われても、楓ちゃんなら、って思った。私なんかじゃきっと太刀打ちできないよ」
感心しているように言っているのに、その言葉はとても薄っぺらく感じられる。楓は視線を和らげつつも、内心では警戒を強めた。
「……そんな事ないよ。でも仁美ちゃんもすごいよ。青波学園に入学するのって、本当はすごく難しい事なんだろ?……ボクがここに入れられたのは『天宮』だからってだけだったし」
楓は肩を竦める。仁美が何のために、どうしてここに来たのかが全く読めない。そして仁美の表情は人形のように全く動かない。
「……それでね、私が言いたかったのは……、六年間ずっと言いたかったのは……、あの時、私の命を救ってくれた楓ちゃんに私は感謝の言葉を言ってない。そして、私は感謝をしていない上に楓ちゃんを『バケモノ』と言って罵った。楓ちゃんを、親友を裏切った……。ずっと、ずっと、謝りたかった……」
仁美は楓を見た。その目は涙で潤んでいた。楓はその表情に言葉を出せなくなる。
「楓ちゃん、本当にごめんなさい。そして、私を救ってくれてありがとう」
「仁美ちゃん……」
楓は思わず手を伸ばす。だが、楓は首を振って、手を下ろした。
「……ごめん。ボクにはその言葉、信用できない」
仁美は目を大きくした。理解ができないとでも言うように。それでも、楓は前とは別人のようになってしまった仁美の言葉を信じる事がどうしてもできなかった。
「……楓ちゃん?どうして……?何を……?」
「……仁美ちゃんは、変わっちゃったんだね。前ならそんな風に絶対言わなかった」
楓は絞り出すように言う。大切だった人を疑うのは思っていたよりも辛かった。仁美は手を胸に当てて、楓の方を寂しそうに見る。しかし、今の楓にはそれが演技であることがすぐに見抜けてしまった。楓は視線を鋭くする。
「……仁美ちゃんは何の目的でここにいるの?」
仁美は視線を地面に落とした。
「楓ちゃんも、変わっちゃったんだね。あの頃の純粋に人を信じる力を失った……」
「もう六年経ったんだよ?ボクはその間に人を信じる力を失った。何度も裏切られたから」
仁美を強い意志を込めた目で見る。仁美の口が歪んだ。違う、笑みだ。仁美は今、笑っていた。
「……ふうん、そっか。私もね、変わったの。六年前のあの日から。私はあの時、決めたの。誰かに踏みつけられる存在じゃなくて、踏みつける側になってやる、って。だって、楓があれだけ人に踏みにじられていたんだもん。……誰だって、そうなりたくないのは当然だよ」
動揺を隠しきれず、楓は顔に滲ませた。仁美がそんな事を思っていたなんて、知らなかった。気づかなかった。
「ふふふ……。楓ちゃんはそれでもやっぱり芯は昔と全く変わっていないんだね。……いつまでも、愚かなまま」
「っ!」
自分でもわかっていた。それを他人から指摘されると、とても痛かった。
そうだ、ボクは愚かだ
自分を守る力すら無いのに、誰かを守ろうとしてしまう。それが愚かと呼ばずに何と呼ぶのだろうか。
だが、と楓は思う。本当に仁美はここまで歪んでしまったのだろうか。そう思ってしまうのは、やはり自分の甘さ故だろうか。
「……でもね、楓ちゃん。私が謝りたかったのはホント。これでもう、私が楓ちゃんに関わる必要はない」
「仁美ちゃん?」
楓はもう一度だけ、人形のような仁美の目に問いかける。仁美の目は何も変化を見せず、ただ光を反射しただけだった。
「……またね、楓ちゃん」
そして楓は屋上に取り残された。さっきまでいたカラスも、いつのまにか何処かへ行ってしまっていた。




