信じること
「ごちそうさまでしたぁ!」
楓は元気よく手を合わせる。目の前には空っぽになった皿類諸々。綺麗さっぱりピカピカになっている。
「楓、早いー」
夏美はご飯を頰に詰め込んで言う。頰がリスのように動いていて、何かの小動物のようだ。
「私、まだもうちょい食べようかな〜」
と言って、人も少なくなった食べ物を頼むカウンターを物欲しそうに眺めるのは夕姫だ。
「あら、それなら私のこれ、あげるわよ」
木葉はまだ手をつけていない煮物のようなものを夕姫に差し出す。それを見た夕姫は目を輝かせ、じゅるりと唾をすすった。
「で、で、でも、いいの?」
夕姫は誘惑に抗おうとしつつも我慢できていない。木葉は苦笑する。
「いいわよ。私、もうお腹いっぱいだしね」
「やったぁ!あんがと、木葉!」
木葉の手から風のように皿が消えた。楓は夕姫の手を見る。もちろん皿は夕姫の手にあった。
「ほうひぃへふあ、かふぇでってあんふあひぃごふぁんたふえないんふぇへ?」
食べ物を口いっぱいに詰め込んだ夕姫が何やら喋っているが、理解不能だ。
「夕姫……」
「ふぁひ?」
「ご飯を口に入れて喋らふぁい!」
夏美はご飯を口に入れて夕姫を叱り始める。
「あのー、夏美?」
「ふぁひ?」
楓は苦笑いに口を引きつらせ、夏美に大事な事を伝える。
「それ、ちっとも説得力ないからね?」
「む……」
「注意してるあなたがやってるからね……。説得力皆無よ」
木葉ですら呆れたようにそう言った。ちょうどその時口に入っていた物を飲み込んだ夕姫が再び口を開く。
「そういえばさ、意外と楓ご飯食べないんだねー」
「うん?ボク?」
「そうそう」
「確かに!必要最低限、って感じだよね」
「そうかもしれないわね」
夕姫の言葉に夏美と木葉も同意を示す。
「そうかも、ボク、あんまり食べる事には興味無くってさ。なんかお腹が空かなければいいかなー、みたいな?」
「現実的だね、私も見習わなくちゃ!」
夕姫は拳を握って決意を語る。
「夕姫はちょっと食べすぎだからね、楓をちゃんと見習ってよ?」
夏美はニコニコと隣に座る夕姫の肩を叩く。夕姫はジロッと夏美を見返した。
「夏美もね。知ってるよ?夜な夜なお菓子を食べてる事」
「……な、なんのことかな、わたし、わかんないな……」
夏美の顔にダラダラと汗が浮かぶ。どうやら食べているのは本当のようだ。それで胸もデカイのか……、楓は勝手にそう思う。
(ボクも今日から夜食しようかな……)
「ちょっと、不健康な事考えちゃダメよ」
楓の思考を読んだように木葉が言う。楓は驚いて木葉を見ていた目を見開いた。
「ほんと、わかりやすいわねー」
「そう?」
楓は夏美と夕姫にも答えを求める。
「そーかも」
「かもだねー」
同意が返ってきた。楓は首を傾げる。
「そーかな?ボク、そんな自覚ないけどな」
「いや、逆に自覚あったらやってないでしょ」
意外にも夕姫に突っ込まれた。楓は少しだけムッとして、言い返す。
「いつもボケの奴に言われたくない」
「なんだって⁉︎いつも私がボケだって?違うよね⁉︎」
夕姫は夏美と木葉に助けを求めた。期待はあっさりと裏切られ、二人は苦笑いする。
「大丈夫、夕姫はいつもボケだよ」
「私も同意するわ」
夕姫はガクッと肩を落とす。
「いいもん、私はどうせボケですよ……。ハイハイ……」
夕姫は宙に向かってぶつぶつと言い始めてしまう。簡単に言うと、拗ねていた。
「なんか夕姫、拗ねちゃったよ?」
楓はそう言ってみるが、その元凶なのであまり大したことは言えない。木葉はその空気を断ち切るように立ち上がった。
「そろそろ部屋に帰る時間ね」
「そうだねー!」
楓はその流れに便乗して立ち上がり、トレーを持ち上げる。夕姫のあほ毛がぴょこんと動いた。
「確かに帰る時間だね!」
夕姫は突然元気にトレーを片付け始める。理由はよくわからないが、復活したようだった。
さっさとトレーを戻し、四人は寮の自分達の部屋に帰る事にする。食堂の中の人数はあまり変わっていなかった。元々少しズレた時間に来たのも理由だろう。人のピークはとっくに過ぎていた。
女子寮に帰るまでの間に何組かのカップルを目撃したが(女子寮と男子寮で分かれているのでイチャイチャする時間がここくらいしか無いのだろう)、それ以外には何にも会ったりすることはなく、楓と木葉は三階で夕姫たちと別れた。二人は同じ階の部屋なのだ。夕姫と夏美はルームメイトで、それで最初に仲良くなったらしい。確か、部屋番号は312だったと思う。
「楓、何ぼーっとしてるの。さっさと入りなさい」
木葉に言われて楓は思考を中断させた。明かりが灯った部屋に靴を脱いで上がる。楓は部屋に入ると一目散に自分の寝室に向かう。広くはないが快適な自分の部屋だ。
楓はクローゼットを勢いよく開ける。小気味よい音ともに扉が開いた。ほとんど何もかかっていない。スカスカ状態だ。楓はあまり服を持っていないのである。孤児院暮らしのせいだ。楓はクローゼットにかかっていた数少ない服を手に取る。部屋着に使っている緩めの服だ。
楓はぽいぽいぽいっと制服を脱ぎ捨てる。そしてさっさと部屋着に着替えた。
裸足でペタペタと歩いて居間に戻る。木葉はもう既に楽そうな部屋着に着替えていた。
「木葉、着替えるの早いねぇ」
「ふふふ、まあ、ね」
木葉はニコリと微笑む。
「ところで、悩みは晴れたみたいね」
「悩み……?何の事?」
楓は唐突すぎる木葉の言葉に戸惑い、目をパチクリさせる。
「……小野寺仁美」
木葉が顔から笑いを消し、小さな声で呟いた。
「……っ!」
楓は息を呑む。楓の顔から笑みが消えた。木葉には全部お見通しのようだった。
「全部、知ってるの?」
「6年くらい前の事よね。何となくだけは知ってるわ」
「なんで……?」
木葉はフッとミステリアスな笑みを浮かべる。
「さあね」
木葉だから、とそう考える事くらいでしか楓は自分を納得させる事ができなかった。木葉には自分の事は全部知り尽くされているのかもしれない。楓はそう思い、薄ら寒い感覚を覚えた。
「光希にでも話したの?」
「……あ、うん」
楓は木葉に黙っておくことを早々と諦め、大人しく話す。
「そう、どうして光希に話したの?」
楓の目を木葉の目が覗き込んだ。何を問われているのだろうか。木葉の黒い瞳は何かを見定めようとしているように見えた。楓はそれに意味もなく緊張感を感じた。
「……相川に全部話せって言われたんだよ」
木葉の目にニヤニヤ笑いが浮かんだ。どう言った意味なのかはあまり知りたくない気もする。
「光希の事、信頼してるのね」
楓は口元を緩ませる。
「そう、かもね。ボクには自分の気持ちがもうよくわからなくなってるけどね」
「良かったじゃない、あなたが人を信じれるようになったって事で。良い兆候よね」
木葉はそう言って笑顔を見せた。それに合わせて楓も表情が緩む。
「そうだと良いな」
突然木葉が再び表情を消した。不思議に思って楓は木葉の顔を見る。しかし、その意図は全く読み取れない。スッと木葉の白い指が楓の頰をなぞった。楓は息を飲もうとして失敗した。
「⁉︎」
「……でも、あなたには自覚が足りない。あなたは私達を統べる、『姫』であるという……」
木葉は呟くように口にする。その言葉はひどく頭に残った。木葉のいつもとは違う深みのあるトーンに、楓は非日常的なものを感じた。楓には木葉の言葉が何か大事な事であるのはわかる。だが、楓には何一つ理解できなかった。『姫』。それは一体……?
「木葉……?」
「あ、あら、ごめんなさい。変なこと言っちゃったわね」
いつもの木葉だった。戻ってきてくれた、そう安心する楓の元に木葉は戦略級に大きな爆弾を落とす。
「……ところで、あなたは光希と涼、どちらを選ぶの?」
「はい?……げ、げふんげふん⁉︎」
楓は変な風に息が詰まる。楓は咳き込んだ。それを楓によく伝わらなかったと解釈した木葉は言葉を重ねる。
「あの二人はあなたの婚約者候補なのだけれど……どうなの?」
「……」
楓は目を見開き、アホみたいに口を開けて絶句した。木葉はしまったというように口に手を当てる。
「……もしかして知らなかった?」
「知らないわっ⁉︎」
楓は拳を振り上げてぶんぶんと宙に向かって振り回した。
「相川と神林がボクの……」
楓はあまりにも信じられないので、口の中で何度か反芻する。それでも信じられないのは変わらなかったが。
「ええ、まあ、二人ともあなたに比べれば格が低すぎるのだけどね。実力とかによっても選ばれてるから。……だから、選ぶのは楓よ。後の二人には選択権はないわ」
「はひ……?」
ちょっと待て木葉さん、今なんてった?、とでも言いたい気分だ。しかし実際楓は思い切りちゃんと話を聞いていた。なんでも光希と涼の格が自分に比べて低すぎる? もっと信じられない。
楓は『無能』だというのに……。
楓は眉を寄せ、木葉に尋ねる。
「どういうこと……?」
「私にもよくわからないわ。私はそう聞いているだけだから」
木葉は含みのある微笑みを浮かべたままそう言った。こればかりはとても信じられなかった。絶対に木葉は何かを知っている。これは最早確信だった。
「で、でもさ、相川達はボクの護衛なんだろ?」
「そうよ。護衛をしつつ、婚約者候補よ」
苦し紛れに反論じみた事を言ってみる。楓は頑張ってその話がおかしいことを証明したいのだが、そういうわけにもいかないようだった。ふと、楓は恐ろしい可能性にぶち当たる。
もしも、今までの二人との全てが二人が自分の婚約者になるための行動であったら……?
楓は天宮家次期当主候補。そんな楓とくっつけば、二人は一躍大きな力を手に入れる事ができる。もしも、そうだったら……?
怖い。
楓は心の奥にその疑問を押し込める。そんな事を考えた事を忘れてしまうくらいに。だから木葉には絶対悟らせない。
また何もかもを信じられなくなりそうだった。
この日の夕方に光希と約束をしたばかりなのに、楓はそれをもう既に光希を信じられなくなっています。
……大丈夫か、この人




