風紀委員のお仕事 その二
楓は光希にその位置を聞きながら、その地点に向かった。人通りの多い道を光希と歩くと、やはり人が勝手に道を作る。歩きやすいのは大いに結構なのだが、微妙な気分になるのもまた事実。しかし、そんな事をいちいち思っていてはキリが無いので、意図的に忘れる事にした。
「あっ!風紀委員さんですね?」
道の前から女子生徒が走って来た。楓は首を傾げ、光希に視線を向ける。光希は肩を竦めただけだ。
「何かあったんですか?」
楓は肩で息をするその少女に事務的な質問をする。少女はその問いに激しく頭を振った。
「……実はあそこですごいケンカがあって」
少女は彼女がやって来た方向を指差した。
「ぎゃあああ」
「オラァァ!」
……。何かが起きているのは確かなようだ。
楓は少女の言葉に頷いた。
「わかりました。風紀委員として止めて来ますね」
楓は光希に向かって頷き、光希も頷き返した。
「相川、行くぞ」
「そうだな」
ダッと楓は地面を蹴った。全力疾走なんてするわけがないが、少し早めに走る。チラリと隣を見れば、光希も楓に並走していた。
「一体アレは何が起きてるんだ?」
「どうやらこの学校、色々ありみたいだからな。俺にはわからん」
「ですよねー。ボクもわかんないし」
なんて会話をしていたら、もうその場に着いていた。
「夕馬っ!今日という今日は許さないんだからぁぁあ!」
なぜかとても聞き覚えのある怒鳴り声が……。
「だからこれはお前のせいだって、言ってるだろ⁉︎バカ夕姫!」
「そんなの知らないつーの!私に聞くな、バカ!」
「……アイツらか」
「夕姫と夕馬じゃん……」
楓と光希は全く同じタイミングで溜息をついた。やれやれと肩を竦め、楓はその場に出て行こうとして、やめた。ちょうどどこからか飛んできた雷撃を躱す。雷撃はパリパリという嫌な音を立てて木にぶち当たる。木の一部が黒焦げになったのは……忘れよう。
「……これくらいの霊力量ならギリギリセーフなんだがな。それは二人の技量の成果か……」
光希は遠い目をして他人事のようにこの状況を眺める。楓はぼーっと立っている光希を軽く叩いた。
「?なんだ?」
「なんだ、じゃなくて止めなきゃだろ?」
「そうだな。で、どうする?」
質問に質問で返され、楓は戸惑う。
「……うーん、ボクに聞かれてもなぁ……」
「じゃあ、ちょっと俺が止めてくる」
「はいはーい、よろしく!」
光希がこの面倒くさい状況の収拾に当たってくれるらしいので、楓は高みの見物を決め込む。歩き出した光希にピラピラと手を振った。
「凍れ」
光希は呟いた。ピシリと地面が光希を中心に凍り始める。真夏の暑さが光希によって氷点下まで下がる。術式は省略していた。
「ほへぇ……」
楓は感嘆の溜息を吐いた。真夏が真冬に塗り替えられていく光景はとても美しく神秘的だった。
「相川君、カッコイイ〜!」
「キャアアアア〜!」
黄色い歓声が後ろから聞こえる。ちらりと振り返って見ると、楓の後ろは大量の人で溢れかえっていた。いつの間に騒ぎが伝わったんだろう、楓はその事がとても気になった。
(もしかして相川ファンクラブでもあるんじゃないか……?)
楓はそんな恐ろしい考えを振り払おうとする。が、現実として相川ファンクラブは非合法に存在しているのだった。ちなみに、神林 verもある。……実にどうでもいい話だが。
「なっ⁉︎相川⁉︎」
「えっ⁉︎光希⁉︎」
足が突然凍りついた笹本兄妹は全く同じ表情で光希を見た。その弾みで発動していた術式の照準が狂い、楓とギャラリーの方へ向かってくる。
「よいしょっと」
楓は抜刀して飛び上がる。フッと息を吐き、術式を刀を一閃して斬る。楓は軽く地面に着地すると、刀を収めた。
緊迫していた空気が、楓のその動作で溶ける。
「……アレが『無能』……⁉︎」
「Sランクってのは本当みたいだな……」
いつもとは全然違う雰囲気に楓は落ち着かない。楓は助けを求めるように光希を見た。
光希は術式を解く。その瞬間、氷が水になり蒸発していく。真夏の太陽の下では水の跡も残らない。その派手な演出で、大衆の意識が楓から少し逸れた。
楓は、実はすごくバクバクしていた心臓を押さえ、小さく息を吐き出す。
「お疲れ様、相川」
「ああ、お前もな」
楓と光希は笹本兄妹に向き直った。派手な仲裁が終わったため、周りの人集りは崩れ始めている。楓はその事を感じ、安堵した。こんな目で見られるのは初めてで、とても居心地が悪かったのだ。
「……さて、夕姫、笹本、喧嘩の理由を聞かせてもらおうか?」
楓はニコリと笑って二人に尋ねた。夕姫と夕馬はギクリとして冷や汗タラタラで笑顔を浮かべる。
「えっと……、夕姫が俺の制服を破った」
夕馬はジャケットの裾をヒラヒラと振ってみせた。確かにバリッと破れている。楓はじっとその破れ目を眺め、それから夕姫の顔を見る。夕姫は微妙に顔を引きつらせ、視線を逸らす。が、光希と目が合ってしまい、諦める。
「 べ、別にそんなつもりは無かったんだよ!夕馬がなんかぶつかってきてさ!」
「なんかとはなんだよ、なんかとか!俺は好きで夕姫とぶつかったわけじゃない!」
「えー?何でそうなるの!私はホントにぶつかられたんだよ⁉︎」
「はぁ?何言ってんだよ!なんでぶつかっただけで制服が破れるんだよ⁉︎」
「そ、そんなの知らないし!大体、ぶつかってくる夕馬が悪いの!」
「知るかよ!意味わかんねぇよ⁉︎」
むむむ、と笹本兄妹は再び睨み合いを始めてしまう。この二人には状況説明能力が無いような気もする。というか、喧嘩の理由がいつもかなりどうでもいい事なんだろうが。二人とも兄妹喧嘩が好きなのだろう、と楓は勝手に解釈する。楓は隣の光希を見た。光希も同じように楓を見る。
「……やれやれ、って感じだな」
「相変わらず、だな」
楓と光希は小さく笑い声をもらした。その間にも笹本兄妹の間に流れる空気は悪化していく。
「……やるか?」
「ふん、いいぜ?」
ばっと二人は距離を取る。文字通り一触即発だ。
「二人ともー?風紀委員の前だけど?」
楓は慌てて声をかけるが、返事はない。
「どうやら聞こえていないみたいだな……」
光希は苦笑いでそう言った。楓は眉を寄せる。
「むー、大丈夫かな?あの人達」
「さあ?」
適当な返事に、楓は膨れる。
「じゃあ、どうすればいいんだよー?」
「あれ?楓、どうしたの?」
ちょうど目の前から涼が歩いてくるのを楓は発見した。自分が頰を膨らませていた事を忘れていた楓は、涼に頰を突然つつかれて思わず息をぷしゅぅーと吐き出す。それを見た涼は爽やかに笑った。
「はははっ、楓は可愛いね」
「な、な、な、な、な……⁉︎」
「可愛いね」という言葉が頭の中をぐるぐると駆け回る。楓は赤くなった頰を手で押さえた。一瞬光希の方から殺気が放たれたような気がしたが、気のせいだと思う。
「やあ、光希」
「……何のつもりだ、涼」
光希は涼を睨む。涼は「わあ怖い怖い」と両手を挙げるが、態度を変える気はなさそうだった。
「別に何のつもりでも無いよ。ただ、未来の婚約者に挨拶しただけさ」
「……ほざけ。俺はアイツの護衛だ。その役目をお前にやるわけにはいかない」
「さあ、どうかな?」
涼はニコリと余裕たっぷりに笑った。光希はそれを険悪な目で見る。
「なんで涼がここに⁉︎」
涼がここにいる事に今さっき気づいた夕姫は、夕馬を殴ろうとしていた手を慌てて引っ込める。
「夕姫、僕はたまたまここを通りかかっただけだよ。夕馬とまた喧嘩してたでしょ」
涼は笑顔で夕姫に問いかける。夕姫は頭をかいて、照れ臭そうに頷く。
「いやー、まあ、そうだね。あははは」
どうやら涼がやってきた事によって夕姫と夕馬の荒ぶっていた空気も息を潜めたようだ。喧嘩ムードは一気に消失した。これも涼の爽やかさあっての事だろうと、楓は思う。その予想は当たらずとも遠からず、というのが真実なのだが、楓は全く気づかない。
チャイムがどこからか聞こえてきた。
「もう時間だな」
光希は少し赤みがかかってきた空を見上げる。楓はその声に時計を見た。もう帰る時間だ。
「じゃ、帰ろっか」
「うん!帰ろー!」
「そうだな」
「そうだねー」
「帰ろうぜ」
楓達はそうしてその場を後にした。
 




