緋凰と清瀧
光希は腰の刀に手を当てた。
「あのー、真剣で模擬戦で本当に大丈夫なんですか?」
楓が心配そうな顔をしてみのるに問いかけた。
「大丈夫だよ、楓だって傷つけないようにできるでしょ?」
「まあ、それはそうですけど……」
「それに光希だってそんなに弱くないしね」
その言い方が気に食わなくて、光希はみのるを睨んだ。そんなにこの無能力者の少女は強いというのか。
光希は決して弱くない。むしろ、同年代で同じくらいの強さを持つ人は一人しか知らない。
天宮楓はヘラヘラとして光希の前に立っているだけだ。その姿からは強さを全く感じられなかった。
「光希、」
みのるに名前を呼ばれ、小さく頷く。
光希は腰に差していた日本刀を抜いた。しゃら、という小さな金属音が奏でられ、青みがかった刀身がきらりと光る。この光希の愛刀は少々特殊な物で、霊剣と呼ばれる物だ。光希の為に調整され、光希の霊力を効率よく攻撃に変じることができる。名は『清瀧』、高位の霊剣だ。おそらく、楓のものも同じような霊剣なのだろう。
楓も抜き身の刀をヒュンッと一振りさせた。
だが、構えずにダラリと持っている。
そんなので良いのかと言いたくなるが、今は勝つ事が最優先だ。
絶対に勝たなければならない。
護衛などもう二度と……。
光希は頭を振って目の前の模擬戦に集中する。
霊力を呼び覚まし、身体に満たしていく。馴れ親しんだ戦闘前のこの感覚に、心が躍る。鋭敏になっていく知覚は、木々の葉の擦れる音も風の動きも感じられる。森の気配は鮮明になり、時はゆっくりと流れ始めた。
楓を見据える。
その立ち姿には力みは一切なく、無駄がない。多くの修練を積んだ者の立ち姿だった。
光希は楓に刀を向けて構える。
「始め!」
みのるの声に反応し、光希は地面を強く蹴った。身体能力を強化した事によって、通常よりもずっと軽く動ける。一陣の風と駆け、まだ動かない楓に向かって斬撃を放つ。
普通の人ならそれだけで終わっていた。
だが、天宮楓は構えてすらいないその体勢から易々と光希の刀を受け止めた。その反応速度はとても素早く、反応も的確だ。
キンッ。
ぶつかり合った刀が甲高い金属音を奏でる。光希は後ろに跳び、楓の間合いから離れる。
ほんの僅か刀を合わせただけだったが、楓の力が純粋に光希の身体強化に匹敵する程のものである事が分かった。
みのるが簡単に勝てる相手ではないと言ったのが正しかったのを理解する。光希は霊力を更に活性化させ、身体能力を限界まで引き上げる。
そして、再び地面を強く蹴った。
空中を舞い、上から刀を振り下ろす。楓は軽く跳んでそれを躱し、空中の光希に右手を振るう。光希は刀でその力を受け流し、体勢を低くする。
だが、楓に隙は一向に見えてこない。低く体勢からの攻撃で楓を崩そうと、斬撃を放つ。右、左と左右からの連続して放たれる刃は普通の人が見る事のできる速度を超えていた。
「おっと……」
赤い刀身が煌めき、楓は初めてそれを刀を使って防御した。それでもやはり、その動きには余裕がだいぶあるようだった。
楓の姿が突然搔き消える。
(上か……っ!)
光希はちゃんと上を見て楓を探す時間は無いと判断し、気配を探す。そこを光希の胴を薙ぐ剣線が走った。
「っ!」
寸前で光希は刀を動かし、楓の神速の斬撃を辛うじて受けた。
「グゥッ!」
それでも衝撃に押され、光希の足が地面を滑る。楓はニヤリと口元を動かした。
「ふうん、それ、受けるんだ」
楓の身体から濃密な殺気が溢れ出した。一瞬、楓の瞳を金色の光が走ったように見えた。
(今までのは本気じゃなかったというのか⁉︎)
まだ力を隠していた楓に戦慄する。
(こいつ、本当に人間なのか?)
霊力を使わずに身体強化をした光希と拮抗、更には超える力と、人間を超えた速度での動き。ただ人間には到底見えない。
楓は嬉しそうに笑い、地面を蹴った。地面に穴が開く。さっきとは逆に、立ち尽くす光希に向かって楓が攻撃を仕掛ける。
「こんなに楽しいのは、久しぶりだよっ!」
ギィイインッ!
振動と衝撃が撒き散らされ、木々を揺らす。光希は足に力を入れ、吹き飛ばされないように地面を踏みしめた。
光希は刀を振るう。一撃一撃がとても重いはずのそれを楓は軽やかな動きで受け流し、舞うように流麗な剣線を描いて光希を襲う。
こんなにも強い少女を光希は知らない。
これが天才という物なのかもしれない。最年少で天宮家直属の戦闘部隊『九神』に選ばれた光希にそう言わしめるほど、天宮楓は強かった。
「くっ……」
楓の刀が浅く光希の頰を掠めた。パッと血が飛ぶ。
転がるようにして斬撃を避け、光希は高く跳躍する。楓の死角を突いて刀を振り下ろすが、やはり簡単に受け止められてしまう。
(それなら……!)
光希は刀を全力で振るい、勢いに乗せて蹴りを放つ。
「いいね、それ」
楓は唇を吊り上げ、光希の蹴りをわざわざ蹴りで受け止めた。光希はぶつかる寸前で足を引き、衝撃を和らげる。まともにぶつかれば、潰されるのは光希の方だ。
衝突の衝撃に煽られ、草が千切れ飛ぶ。
それと同時にもう一度楓の姿が視界から消えた。
(しまった⁉︎)
楓の死角を突いた蹴りが光希の背中を捉えた。
「がはっ……⁉︎」
肺から空気が吐き出され、光希の身体が地面に叩きつけられる。そして地面を転がった光希の喉元には楓の刀がピタリと突きつけられていた。
「勝負ありだね」
みのるの声が聞こえた。楓の身体を包んでいた濃密な殺気が霧散し、何も感じられなくなる。
「あ……、勝っちゃった」
今更楓はしまったというような顔をして光希を見た。光希は草と土が付いてしまった制服を払いながら、ゆっくりと立ち上がる。
「まあ、単純な剣技だけで楓に勝てる人は私の知る限りいないからね。どうだった?光希は」
楓は立ち上がった光希をチラチラと見ながら言う。
「すごく強かったです。流石先生の息子さんですね。久しぶりに本気で戦えました」
「それにしてもだいぶ遊んでたけど……」
楓はバレたか、と頭をかいた。
アレであの少女は遊んでいたというのか。
とんでもなく格上の相手と戦わされたような気がする。
「いやー、久しぶりに本気で戦えて、楽しかったんですもん。ついつい勝ちに行っちゃいました」
みのるは楓の言い分に笑う。それから笑みを消してこちらを向いた。
「これで分かっただろう? 光希が護衛する楓の実力は」
「……。こんなに強ければ護衛なんていらないだろ」
光希がそう言うと、楓も同調して首をブンブン動かした。
「その通りです、ボクには護衛なんか要りません!」
護衛を認めようとしない二人に、みのるは困った顔をする。
「でも、楓には一番にして最大の弱点があるんだ。楓は無能力者だ。霊力を持つ相手に襲われたら対処できないんだよ。いくら楓の刀が術式を斬る力を付与された霊剣でも、霊力のない楓にはその真価は引き出せない」
楓が悔しそうに下を向く。
無能力者でさえ無ければ、こんなにも強い少女が嘲笑される事も無かっただろうに。
「光希、楓をなんか術で攻撃してみて」
「は?」
突拍子も無いみのるの発言に光希はポカンとしてしまう。楓の顔を見れば、訳が分からなさそうな顔をしていた。
「『かまいたち』が良いかな」
「おい、ちょっと待て! こいつを殺す気か⁉︎」
『かまいたち』は初歩的な戦闘用術式だが、透明な空気の刃を放つ非常に殺傷能力の高いものだ。霊能力者には霊力を見る事ができる為さして脅威では無いが、無能力者にとっては非常に危険だ。
護衛はやりたくないが、学校が始まって早々クラスメイトを殺害した犯罪者にはなりたくない。
みのるは微笑んだ。
「大丈夫だよね? 楓」
「え、いや、それって、ちょっと間違ったら死んじゃうよーってヤツでは……」
「そうだよ。だから気をつけてね」
楓の顔が固まった。
「え? そのー」
楓と光希の戸惑いを完全に無視して、みのるはニコニコと光希に術式を発動するに指示を出す。
こうなればやるしかない。責任はみのるが取るはずだ。
光希は術式を展開する。
楓はゴクリと息を呑んで刀を真っ直ぐ構えた。
空気が歪み、風の刃が放たれる。
そして、楓の手が閃光のように閃いた。
金属音が五回響き、『かまいたち』が霧散する。光希は目を見開いた。
「全部弾いた……だと?」
見えない刃を難なく弾いた楓は刀を下ろした。
「どうやって……⁉︎」
「どうやって、って言ってもな……。なんか気配があったから刀をぶん回しただけだけど」
そのボケた解答に、光希は目を回す。
「こいつは一体何者だ⁉︎」
相変わらずニコニコしているみのるに、光希は詰め寄る。みのるは待ってましたとばかりに頷いた。
「何者って……、楓は先代当主の天宮桜様の娘だよ。育ちは五星の外の孤児院だよ。そして、私の弟子でもある。楓ほどの才能を持った子は見た事無いな」
「違う、そういう事じゃない」
「じゃあ何?」
光希が何を言おうとしているか分かっている筈なのに、みのるはとぼけてみせた。
「あの動き……、あれは、人間を超えている。あいつは一体何者なんだ?」
「さあ? 私は知らない。ただ、あの子はあの力故に更に孤独なんだよ。光希もそれをよく知っているだろう?」
「……」
光希は微かに顔を強張らせる。
あの孤独を知らない訳が無い。
「光希が護衛を嫌がる理由は分かってる。でも、こればかりは感情を挟んで動いてはいけない。今すぐこれを受け入れる必要は無い。それでも、光希が心の底からあの子を守りたい思うようになるはずだよ」
みのるは静かにそう言った。
そう思えるようになるとは思わないが、みのるが自分にこんな風に何かを頼むというのは初めてだった。
光希は何も答えずに無表情で黙り込んだ。
「ーーよし、決めた!お前の名前はポチだ!」
雰囲気ぶち壊しの声が聞こえた。
光希とみのるは声が聞こえた方を振り返る。
そこには、タヌキと会話、意思疎通ができているかどうかは不明だが、をしている楓の姿があった。そんなアホな光景に、先程までの重い空気はなし崩しに霧散した。
「……お前、何をやってるんだ?」
楓はにへらっと笑うと、タヌキを指差した。
「こいつの名前はポチだ!」
「……は?」
さあ、名前の由来を聞いてくれ、と言わんばかりに楓は両手を広げた。呆れつつ光希は楓の心の声に応える。
「で、なんでポチなんだ?」
楓は満面の笑みを浮かべて解説を始めた。
「タヌキっていうと、ポン太と名前をつけるのが妥当だろ?でも、それじゃあ面白くない。だから、ちょっと捻ってポチにしたんだ!」
どうだ、超名案だろう、とドヤ顔で胸を張る。
「……」
ポチって犬の名前だと思うんだが……。
ひねる方向を盛大に間違えていると光希は思った。
「先生ー、ポチ、いい感じですよねー!」
とても嬉しそうに楓はみのるに同意を求める。みのるはにこやかに答えた。
「そこはジュリエットでしょ」
ジュリエットはもはや動物の名前じゃない。
みのるがこんな子供っぽい会話にノリノリで参加している姿を光希は初めて見た。
楓はあくまでポチを譲らないらしい。しきりにポチポチ叫んでいる。タヌキは困ったように首を傾げた。
「ジュリエットはどう思う?」
みのるが哀れなタヌキ君に呼びかけると、ビクっと震えてタヌキは走り去っていった。
明らかにマトモではない二人に囲まれ、光希は溜息を吐く。
走り去ったタヌキとだけ話が通じる気がして、頭が痛い光希だった。
 




