三十.希望へ羽ばたく翼
ハクアが立ち去った後の料理屋で
シュウが思い出したように打ち明けた。
「そうそう。そうやねん、最近の研究で
面白いことがわかってきたんや。
ニレの木の移動したルートがどうも
気になって長年調べとったんやけど。
グリップスが現れたロゼナの南東の岩
あったやろ? あの下には海底火山が
あると判ったんや。おそらくそここそ
始祖トージャ達が見た、銀に光る山。
さらに面白いことにその地中深くには
巨大なマグマ溜まりが広がってるんや。
それを辿っていくと、まるで何かの道に
なっているかのように色んな場所へと
辿り着く。まずは滝の一族の地、それから
今現在ニレが根を降ろしているティガール。
さらにそこから伸びるのはな……。
旧コノクロの私有山で現在ウェルズ本社が
建つラニッジ鉱山やとさ」
「ラニッジ鉱山? コノクロ卿が銀の花を
採掘していた場所ね?」
ジーンの言葉にシュウはこくりと頷く。
「銀の花っていう名前は、結晶の形が
美しい花やったからその名が付けられた
そうでな。飾り物になる見た目にそぐわず
色んな部品や機械に活用される物質なわけ
やけど。ラニッジ鉱山はそれが採取出来て
なおかつ幻と呼ばれる古代細菌まで
見つかっている不思議な場所や」
「ハクアの愛猫シルクスもそこにいたよね」
軍の新入りだった頃にスカイがかつて駐在
していた場所でもあり、ハクアと初めて
出会った場所でもある。スカイは懐かしそうに
目を細めて思い出にしばし浸った。
「あの場所にはまだまだ不思議なことが
ある気がするんやけど……。
あの山と銀の生物達は何らかの深い
繋がりがある気がするんや。
だってな、驚くなよ。
グリップスの刀の素材を調べたらな、
なんと銀の花が僅かに検出されたんや」
グリップスの角代わりとなっている刀は
唯一、翼人に対抗できる武器である。
「もしかしたら、銀の花に何か化合物を
加えることで刀は複製出来るかもしれん」
「!? それを使って刀を作れば……!」
「やけど、今市場に出回ってる人工のじゃ
あかん。やけどラニッジ鉱山は閉鎖されて
上にでっかいビル建っとるし、どうかな」
「現存のは?」
「時計会社、鉄道、製鋼……、とにかく国中
からかき集めるしかないやろな。
ウェルズ社と王宮、互いの権利が入り
乱れてる場所ばっかりやけど。
肝は、二者が協力できるかどうかやな」
「だけど、なんかすごいわね。
誰かが、協力しろって言っているような。
なんだか大地が歴史を動かしているような」
「そうやな。だけど刀で全てが解決するとは
思えん。フォルカの境遇を思うとな。
何か翼をなくす薬とか出来ればいいんやけど。
ヴィヴィアン学長に頼んでみよかな」
シュウは欠伸をしながら小型電話を取り出した。
ハクアはロゼナの海を見渡す私邸へと
のんびり歩いていた。空を見上げると
雲ひとつない夜空に星が瞬いている。
―――ここではまだ星が見えるんだな。
ウェルズ派の土地、ラニッジ鉱山や
スイレン近郊では企業ビルが建ち並び
ネオンやビル光が夜更けまで煌々と輝く。
長閑さが残る郊外にあってもその光は
届き、街を照らしていた。そのうちに
空の星はいつしか拗ねてしまい街に
光を届けなくなってしまった。
ハクアがロゼナに移り住んだ理由には
故郷スイレンにいるとあまりにミード派に
近くなりすぎることもあった。
ハクアの知っていた国や街は減っていく。
それでも、姿は見えなくても。
そこにある大事なものを紡いでいかなくては。
夜空の星を見上げ、ハクアはそう感じた。
「おかえり。待ってたのよ」
玄関先にぽつりと一人の少女が座っている。
十代の反抗期真っ只中であるフォルカは
ハクアの腕にこつん、と拳を入れた。
彼女の背からは細く縮こまらせた翼が
姿を覗かせている。ハクアがそれに視線を
移したことに気付いたのか、フォルカは
翼をさらに窮屈そうに畳み込んだ。
ハクアはその翼をしばし眺める。
「肩凝らない? もっと広げなよ。
……家の中で暴れまわらないなら。
今日はミミさんも来てるの?」
フォルカは、自分が翼人の頭カールの子
だという事実を既に知っていた。母ミミの
本当の名も知っていたが、これに関しては
周囲で度々議論が起こる内容であった。
「ママは最近仕事が忙しいの。
寄宿学校の子が問題起こしてばかりで
そっちにかかりっきり。
……ねえ。この翼、切りたいよ」
「グリップスしか切れないし多分嫌がる。
はい、手出して」
ハクアはシュウから預かった検査機器を
フォルカの腕に巻いた。血圧を測るのと
よく似た物で、血中の金属有機体濃度を
調べる装置である。
「こないだより上がっているな」
「……誰が一番強い?」
フォルカは執心な目をハクアに向けた。
「少し前まで母さんだったけど今は俺だよ」
「……」
「ねえハクア」
「ん?」
「ハクアにもうすぐ、男の子の
赤ちゃん生まれるね」
「うん、男の子らしいね」
「上の子の名前……、なんだっけ」
「リリス。正確にはアマリリスだよ」
「そう、アマリリス。
いいね、花の名前で」
ハクアは顔を綻ばせた。
「母さんとエラの妥協点だよ。
花の名前と楽曲の名前なんだって」
「次の子こそ髪の毛銀色だといいね」
「うーん、どうだろうね」
「……ねぇ知ってる?
私のママ、髪の毛染めてるんだよ?
パパ達翼人から姿を隠すために。
ほんとは黒じゃないよ」
「そう。何色なの?」
父ビャッコから聞いたことがある。
彼女の母の髪色は、元は茶色であったことを。
だがそんなハクアの現実感を塗り潰すように
フォルカはワクワクとしながらこう告げた。
「詳しくは知らないけど、銀色かもよ。
ママの本当の名前はミモザ、花の名前。
だから私にもローズの血が流れているん
じゃないかしらって思ってる」
違うよ、とハクアは咄嗟に言いそうになる。
だがフォルカの気持ちを察して押し黙った。
そうである証拠もないし、
そうでない証拠もない。
ただ、ローズの遺伝子が濃い人間は皆
揃いに揃って銀色の髪を持っていた。
だからと言って必死で否定すれば
自分の自信の無さを露呈するだけだ。
分かっていた。
自身の第一子であるリリスは
その血を受け継ぎがらも
その髪は完全な銀色ではなかった。
分かっていた。
フォルカの翼には銀の角が生えている。
通常の翼人には見られない兆候であり
それがいずれシルクス並に強い
金属有機体濃度を示すことも。
遺伝子操作の末生まれた並外れた能力。
それは祝福の上で自身が持つ能力を
いずれはるかに上回るであろう。
彼女の背から生える翼はまさに
その象徴であり、だが同時に
彼女の抱える悩みそのものであった。
彼女は翼を気にする度に、自分には
ローズの血が流れている可能性に
幻想と期待を抱いた。
自身が強いのは遺伝子操作のせいではない。
自身もきっとローズの子孫だからなのだと。
それはきっと彼女にとって必要なことであり
ハクアはそこに決して立ち入らなかった。
いつの日か自分の強さはこの少女に抜かれる。
そのときの為に心が易々と折られないように
戦々恐々としながらも、自分を父か兄の様に
慕ってくれるこの少女に笑顔を向けることで
ハクアは必死にプライドを守っていた。
そんなことも知らないであろう彼女は
自分と同じく金属有機体がその身に流れ
さらに自身の憧れのローズの血が流れる
ハクアを、その孤独からときに独占欲を
にじませる程に彼に懐いていた。
フォルカはハクアの腕にしがみつきながら
家の中へと付いて入っていく。
「テンジャク国王とミード社長、どちらも
男の子を自分の所に欲しがると思う。
だってリリスって、髪の色は茶色だし
歌って踊ってばっかりでどう考えても
戦いの役には立たないから」
―――この頃。二者間の対立が激化し暴動の
鎮圧に騎士会が活躍する度、世論からは
こういった声が上がるようになった。
『国王とウェルズ社長の戦いが起きたら、
勝つのはハクア卿が味方した方だ』
そしてその言葉に踊らされたのか
彼らは元から懸念していたのか。
両者からハクアの元へ幾度となく使者が
やってきては味方に付けと言い、その都度
ハクアはどちらの味方にもならぬ、と
これを追い返していた。
だが先日、騎士会と二者の側近達によって
大きな会議が開かれたとき、その議論が
再び勃発し、やきもきする周囲の前で
フォルカが放った一言がこうだった。
「じゃあ、ハクアの子ども一人ずつを
双方に預けたらいいんじゃない?
中立でいる証っていうことで。
もうすぐ二人目生まれる訳だし」
フォルカはそう言うなり、ハクアを
ちらと見、くしゃりと笑った。
周囲はその光景にしばし凍ったが
その代替案は誰も思い付かず場の空気は
決断をハクアに委ねるのみとなった。
その後のハクアの一言がこの国の未来と
ハクアの家族に変化をもたらすこととなり
母のカズラを噴火させる羽目となった。
なぜなら―――。
「フォルカが思い付いたならそれでいいよ」
ハクアは静かにそう答えた。
理由は判らずもただ従うしかなかった。
それが尊敬する両親を怒らせ
愛する妻を悲しませることになっても。
そのうちにあれこれと議論が膨らみ
上の子リリスはウェルズ社の機関で
下の子は王宮の機関で幼少期の教育を
受け、その後高学院を出た後は双方の下で
それぞれ子が働くことに議論はまとまった。
その間、ハクアの意思は固まったように
動かず、フォルカはそれを微笑んで
ただ見守っていたのである。
翌朝になり、街の景色は一変していた。
雲ひとつない空は真っ暗な雲で覆われ
まるで夜明けが失われたかのようだ。
ロゼナに嵐が近づいてくる。
この暑い季節ならば毎度のことだ。
だがこんなに闇に包まれるのは滅多にない。
―――そういえばリリスが産まれた日も
こんな闇空だったな。
ハクアは少年の頃に父から耳にした
自分達の祖先の伝承を思い出していた。
かつて始祖達の前にニレの木が現れた
ときも闇空だったということを。
―――祝福なのかな。それとも怒ってる?
昼前になり、王宮から使いがやって来た。
ハクアの血を引く子の誕生を
彼の隣で今か今かと待ちわびている。
やがてシルクスが娘のリリスを仔猫のように
咥えてやってきた。大猫の首にはサテンと
スパンコールの首飾りが取り付けられている。
「リリスが作ってくれた。器用な子だ。
くたびれたのか寝てしまったぞ」
リリスはむにゃむにゃと何か言いながら
寝ぼけてハクアの膝にもたれかかる。
リリスの髪は生まれた頃から母親似の
亜麻色であった。だが一本だけ薄灰色に
光る髪筋が内側でひっそりと伸びている。
代々受け継がれ、ようやくハクアの代で
結ばれたニレの実の力は衰えつつある。
リリスの髪を見てハクアはそう感じていた。
ハクアの焦りと反対に妻のエラは安堵し
リリスの髪の一筋に誰かが能力への希望を
見出ださないよう、また戦士の宿命から
遠ざける為に日々髪を隠させ、娘に武器を
一切触らせるなとハクアに懇願していた。
―――男の子なら銀の髪がたとえないと
してもそうはいかないだろうな。
ハクアは息子と刀を打ち合う日を
楽しみに思いながら顔を綻ばせる。
そして亜麻色の隙間からちらと見えていた
銀の髪筋をハクアは王宮の者に悟られぬよう
リリスの頭を撫で、そっと内側へと直す。
やがて聞こえてくる子の産声。
その周りで歓声が湧いている。
男の子だ、と性別を伝える声に混じり
銀の髪が立派だ、という声も聞こえた。
ハクアがほっとしたのと同時に子達の
将来を案じて悔しさを滲ませたとき。
頭の中に、別の声が響いてきた。
聞き覚えのある、ニレの木の声だ。
―――良かった。
―――何が良かった、なんだい?
―――希望が見えてきた。
―――希望? 男の子が?
リリスは違うの?
―――どちらも希望だよ。
僕の実の力は全てじゃないんだもの。
僕は、好きな人達を別々にしてしまった。
もうそんなことはしたくない。
きっと君達ならひとつに出来る。
―――君『達』?
ハクアは尋ねたがもう声は聞こえなかった。
数日後、テンジャクとミードがそれぞれ別の
時間にハクアの元を訪れ、赤子の誕生祝いの
品を手渡しにやってきた。その後、ミードに
手を引かれリリスが教育施設へ出掛けていく。
「ねぇミードおじちゃん。
テンジャクおじちゃんのこと嫌いなの?
なんで? さっき面白い玩具くれたよ?
ミードおじちゃんも遊んでたんだって」
そう言ってリリスは服のポケットから
知恵の輪らしき玩具を取り出した。
「ミードおじちゃんが解くの
上手だったって聞いたよ」
その様子を庭先の影からでフォルカが
くすくすと笑い眺めている。
双方の様子を交互に見やってハクアは
咄嗟に浮かんだ疑問をこそりと口にした。
「……まさか、フォルカが言わせた?」
フォルカは否定も肯定もせず
ただハクアの目を見つめた。
「少しだけ、嫉妬もあった」
ぽつりと口にした彼女の言葉。
「頭の中で、時々女の人が泣いているの。
感じるのは、嫉妬、悲しみ、憎しみ。
……それから後悔」
ハクアは、その人物は誰なのだろうと
しばし思案した。フォルカにシンクロ
しうる、嫉妬と憎しみを抱えた女性。
突如、頭の中にとある人物のイメージが
浮かんだ。きっと綺麗な身なりをしていて
眉目は秀麗だったのだろう、と彼女の話を
聞いたときに浮かんだイメージ。
ローズの恋敵でありトージャを裏切り
他の男と子どもを為した女、アゲハ。
だが百年以上も前にいた人物の声がなぜ
今になってフォルカに聞こえるのだろう。
フォルカはハクアの察しと疑問に気付いた
だろうが、それでもそのまま話を続けた。
「彼女、トージャが好きだったって。
でも憎くて憎くて仕方なかったって。
愛し方が下手だったって。
私は彼女の意思みたいなものを
強く引いているのだと思う。
時折、羨ましくて憎くなることもある」
誰が羨ましく、憎くなるのだろう。
フォルカはその人物の名を口にはしなかった。
翼が生えた仲間はこの地に誰一人いない。
その上孤高の強さを誇るフォルカは誰より
孤独だったのかもしれない。
ハクアはフォルカの手を強く握った。
「その気持ちは誰にだって生まれうる物だ。
それを、どうするかはフォルカ次第。
アゲハは可哀想に、後悔した。
……君は、どうするの?」
そうフォルカに言った自身の言葉で
ハクアは気付いた。何者でいるかは
受け継いだ力に決められるものではない。
自身が強く信じねばハクア自身も
いずれその力に飲み込まれるだけ。
ハクアは銀の力が弱いであろう
娘のリリスを見てこくりと頷いた。
「フォルカ。
君の力は俺より強くなる。
今よりももっと。
それでも、信じる心の方が
いつだって強い。
僕も負けちゃいないさ。
やるべきことが山詰みだしね」
ハクアはにこりと笑い、
フォルカはこくりと頷いた。
「私は、かつてローズが持っていた
潔さと強さにとても憧れた。
彼女と私には何の繋がりもないん
だろうなってことは薄々わかってる。
だけどそんな私だって彼女を目指す
ことなら出来るでしょう?」
少女は美しい翼を広げバサリと宙に浮いた。
「パパに会いに行ってみようと思う。
和平交渉が結べないかって話をしに。
今からでも皆がひとつになれるように」
ハクアはニヤリと悪戯な笑いを浮かべた。
「フォルカが不在となると僕は
子ども達とタッグを組もうかな。
頑固な幼馴染二人を内側から
攻めてみることにするよ」
「私達なら出来る。
心の中に強さがあるから」
ハクアとフォルカは互いの拳を
突き合わせ信頼の挨拶を交わした。
そのとき。どこからともなく誰の声とも
判別つかない不思議な声が聞こえてきた。
―――これでようやく、みんながひとつになれる。
負の感情などまるでない、穏やかな声だった。
最終話で折角なのでイラストを付けました。父親の元へ赴くフォルカ。その手伝いに仲間も来てくれたようです。
イラストの一部は「人智の境界」作者Iz様より頂きました。Iz様には作品を通し、大変お世話になりました。
この話を持ちまして、この作品「風雲の場所」は完結となります。
お読みくださった皆様、ご支援くださった皆様、ありがとうございました。




