一.厄介な出会い
木々の間から柔らかな木漏れ日が降り注ぐ。
時折風が葉を揺らし、小鳥の囀りを
乗せてくる。だが今、ハクアの目には
そのような春らしい情景など写っては
いなかった。
この春、周囲の大人たちの尽力もあり
無事にスカイジオ高学院に入学したハクア。
秋生まれの彼は現在十二歳。
将来優れた軍人になりたいと、己を磨くべく
決意を新たにしたばかりである。
だが、今の彼の研ぎ澄まされた神経は
希望どころか絶望が迫りくるのをひたと
感じ取っていた。
――――最悪だ。
ハクアはそう思いながら、学院内の暗い
回廊を息を切らし駆け回っていた。
「待て! ハクア・ニレ!
容赦はしないぞ!」
そう叫ぶ声が、彼の背後から足音とともに
追いかけてくる。
――――あいつ、もう来たか。
ハクアは歯を食いしばり、駆速度を上げた。
事の発端はわずか二、三十分前。
新入生としての晴れ晴れしいの入学式が
済んだ少し後の事である。
ハクアが学院内のある一室の扉を
ノックしたのがその始まりであった。
その扉には、ハクアの目を引くとある絵が
描かれた看板が提げられていた。
その絵は弓矢をひく人の手。
だがハクアが見慣れた、父や叔父が
弓矢を引く姿とは少し違った。
折り曲げられた指から突き出される矢は
一本ではなく、四本の指の間にそれぞれ
一本ずつ。計三本の弓矢が放たれようと
している瞬間を描いたものであった。
――――珍しいな。
ハクアはこの絵にしばし見とれ、すぐに
その絵の下の文字に気付いた。
「ARROW&BOWZ」
看板の絵と文字を見比べ、この場合は
BOW&ARROWSが正しいのではと
ハクアは不思議に思いながら辺りを見渡した。
ここは生徒たちがそれぞれに自主活動を行う
部屋が並んでいるエリアであった。
上級生達による新入生の勧誘に熱が入り、
ハクアは勿論、一年生達は皆勧誘チラシで
両手が一杯になっていた。
そしてハクアが今立ち止まっている
この部屋も上級生か誰かが自主活動を
行っている拠点だろう。
だが部屋から明かりは洩れているものの
勧誘する生徒の姿はあたりに見受けられ
なかった。
ハクアは勧誘に興味がないスタイルも面白いと
感じて話だけでも聞いてみようと思ったのだ。
そう思って扉をノックしたのが彼の誤りだった。
この場所は彼が期待したような場所では
決してなかったのだ。
「ようこそ! アロー&ボウズへ!」
威勢のいい出迎えの挨拶とともにポーズを
とったのは横並びになった三人の上級生達。
そのうち、真ん中で手を広げているのが
リーダーらしい。
その人物はにやりと笑い、口を開いた。
「俺は三年生のアロー。
君、ボウズに興味はあるかい?」
ハクアは気付いた。アロー&ボウズは何も
弓矢を意味するものではないのだと。
そして顔から血の気がさっとひくのを感じた。
ハクアが目にしているものは彼ら三人の
揃いに揃った、つるっつるに剃り上げた
ボウズ頭だったのだ。
「君、ちょっと伸びかけてるねえ。
だらしないよ?」
「まあ待てよ。気持ちはよくわかるよ。
それぐらい伸ばして一気に刈り取るのが
気持ちいいんだよね、すごくわかる。」
アローに続き両端の上級生もハクアに
声をかけてくる。どうやら既に彼らに同類と
思われているらしかった。
「あ、あの、僕、部屋を間違えたみたいです。
すみません」
ハクアは慌てて引き返そうとした。
――――刈ってたまるか。
ハクアは心の中で呟いた。
物心がついてより、ハクアは自分の髪を
好き勝手に出来たことはなかった。
が、興味はあった。
幼馴染で兄貴分のテンジャクみたいに、
髪をさらりと風に靡かせたいなあとか、
ミードみたいにツンツン立てるのも
悪くないなあとか。
だが憧れが芽となり草となり彼の頭皮に
伸びかけてくる頃、母のカズラが
「収穫どきね」などと称し、問答無用で
ちびっと生えた髪と男児の憧れを容赦なく
バリカンで刈り取っていくのである。
だからハクアは決めていた。
この春からは親元を離れて暮らすことになる。
それは彼にとって髪を伸ばす好機であり、
必ずやり遂げて見せる、と。
だからボウズ愛好家かなんだか知らないが、
連中の仲間になってこの好機を逃すものかと。
ハクアはぺこりと会釈しその場を立ち去ろうと
したが――――、
「お前、ひょっとしてハクア・ニレか?」
突如アローの口調が鋭いものに変わった。
ハクアは扉を開ける手を止め振り返った。
「そ、そうですけど……」
アローはハクアの返事を聞くや否や目を尖らせ
そして意地悪そうに口の端を上げた。
ハクアはぞくりとした。
そして、なんだか見覚えあるな、と。
「そうか、お前が……。
父がさんざん世話になったようだ。
俺の父は経済大臣コノクロ。
お前のお陰で、先日父さんは学院の理事を
降りる羽目になった。お陰で俺は学院で
好き勝手できなくなっちまった」
「コノクロ卿の息子!? ……!
だけど彼は自業自得だった!」
ハクアは言い返すも、アローの耳には
届いていないらしい。
彼はなおも自分の言い分を話そうとする。
「父さんが理事を辞めるまでは、
俺が学院のルールだった。
学院規則はあるがそんなもん知った
こっちゃない。
俺のルールを破るやつは全員坊主頭。
だけど今じゃそれが出来ない。
だから考えたんだ」
隣にいたアローの子分が頷いて続けた。
「この学院のルールを破るやつは全員坊主、
に変えたんだ」
「アロー様、あったまいい!」
反対の子分も合いの手を打つ。
「つまり風紀委員、的な?」
ハクアはぽかんと口を開いた。
すごく体育会系なノリだな、
と思ったのも束の間。
アローはきっとハクアを睨み付け、
「部屋を間違えたってどういうことだ!
看板見りゃわかるだろうがよ、
間違えたじゃ済まねえんだよ!
『間違いは正せ』!
学院規則にも書いてあらあ!
おう、お前ら、あいつを坊主にしろ!」
「へい!」
きっぱりとした返事の二名の手には
最新式のバリカンが。
ハクアの荷物にカズラがこっそり
入れていたのと同じ機種である。
ハクアは身の危険を感じ、
部屋から一目散に逃げ出した。
こうして彼の憧れの高学院生活の幕開けは
ずいぶん厄介なものとなってしまったのだ。




