四十六.理由なき衰え
「……トージャを始祖とする滝の一族の主家。
彼らが何故に他よりも秀でて戦に強いのか、
その理由はあなた方はご存知で?」
女史の問いにハクアとビャッコは
首を横に振り、声を揃えて尋ねる。
「理由なんてあるのですか?」
「成る程、ご存じではないのですね。
以前私は、研究の一環で滝の一族の地を
度々訪れているとお話しましたね。
……もう二度と足を踏み入れませんが」
ヴィヴィアンは嫌悪感を露にしつつ、
口をへの字に曲げた。
「そこで以前耳にした噂話があります。
主家の長であるサルバト卿の武力が
すっかり衰えた事実は、既にご存じかと。
彼が武闘大会で大々的に負けたのは一度
ですが、その何年も前から公爵の威厳は
衰え始めていたそうです。
ですが公爵は体に異常や具合の悪い箇所が
ある訳ではなく、女遊びに盛んなご様子を
見ると普段の姿は元気そのもの。
しかしこれまで彼が半ば独裁路線で統治を
維持出来たのは、主家の圧倒的な武勲と
絶対的な権威のお蔭です。
公爵の理由なき衰えは民衆の猜疑心を煽り、
有ること無いこと勘繰るには充分でした。
そしてそこから飛び出した肝心の噂とは。
これは主家の秘密が暴かれたと言っても
過言ではないかと」
ビャッコが顔をしかめる。
「秘密ですと……?」
「ええ。
一族には、強者と認められた者のみが
口に出来るという酒が伝わっています。
それは十八歳になった戦士の祝いの式に。
その後は戦前にのみ振る舞われる貴重酒。
それを一度口に出来た者は立派な戦士と
みなされる上、一段と武力が増すそうです。
耳にした当初は私、とんだ眉唾物か或いは
験担ぎの縁起物かと思っておりましたが、
どうやら効果は本物のようです。
聞くと酒には珍しい獣の角を漬け込んで
いるそうで、それが強壮の源なのだとか。
これが恐らく件の金属有機体でしょう。
そして面白いことにその角が力を失い、
朽ち始めたと同時にサルバト公爵は
武功が立たなくなったそうで。
民衆の間では、こう噂されている様です。
サルバト卿は酒の管理特権で通常よりも
酒を多く摂取、むしろ独占していたに
違いないと。
主家が武功に優れるのは決して血脈の
お蔭ではなく、ただ金属有機体を浸した
強壮酒を過多に摂取していただけ。
恐らく真実に近いであろうこの噂は一族に
分裂の火種をしかと植え付けたのです」
そしてヴィヴィアンは蔑むようにふっと笑い、
話を纏めにかかる。
「角が枯れ始めたと騒ぎになったのは数年前。
強壮作用の弱まりに危機を感じた公爵は
酒で効果を得られぬならば直接人体に
組み込めとばかりに角の遺伝子を採取し、
そしてアンスルに人体改造エキスを
作らせたのでしょう」
静まり返る一同。
ややあってハクアは教授に訊ねる。
「そのエキスをサルバト卿自身が
打ったってことですか?」
だがそれには意外な答えが返ってきた。
「いいえ。お喋りな鎌男に聞きましたが
実際にエキスを打ったのは公爵の長男、
カール子爵の身体にだそうです」
ビャッコは驚き、真剣な表情に戻る。
「しかし、カール子爵は武道は好まず、
体力筋力も鍛えず、サルバト卿はすっかり
彼を見放していたと聞く。
その彼を強くしてどうするのでしょう?」
ヴィヴィアンはその疑問が来たかとばかりに
頷きを返すも、憂いがちに目を伏せる。
「悲しいか否か……
例えるならば、カール子爵は単なる器。
彼は組み換えられた遺伝子をその身体を
もって培養する器に過ぎないのです。
つまりサルバト卿が欲しくて堪らないのは
最初からその遺伝子を持って生まれた子。
研究の完成とは、その子の誕生をもって
初めて言えるのです。
公爵はもうお歳ですし、カール子爵には
その点位協力しろという考えでしょうね」
「カール子爵って子どもいるの?」
ハクアは尋ねる。するとヴィヴィアンは
当然の様にサラリと答えた。
「いいえ。いませんでした。
ですが、先日お生まれになったとか」
「は!?」
「えぇ!?」
これにはビャッコとリオネルは驚きに
顔を見合わせた。
「聞いていないぞ……
相手は誰です?」
「サルバト卿の側近の娘だとか。
大会で負け、公に弱い姿を曝してしまった
為に急きょ嫁取りしたものと思われます」
ヴィヴィアンの答えに
ビャッコはやや狼狽した。
同族であったとはいえ、主家とニレ家の間に
関わり合いなど殆どない。
その上あちらは分家であるビャッコ達を
軽んじているのは経験上よく知っていた。
だが嫡男が結婚し、跡継ぎが生まれたのなら
分家の我々に知らせるべきではなかろうかと
心中に苦い想いを抱くビャッコを見て、
リオネルも顔をしかめる。
だが二人が苦い顔をする理由には
もう一つ理由があった。
国の極秘事項であるゆえハクアと教授は
知らないが、カール子爵自身にすら存在を
隠している子どもが既に一人いるのだ。
一族の地を追い出され、身重と知るや否や
捜索をかけられたカール子爵の侍女であり
恋人であったミモザ。
だが本人の希望もあり一族には生存を隠し、
ジオリブ国内で極秘に赤子を産んだのだ。
未だ一歳にもなっていないだろう赤毛の子。
だが生後間もなくも意識のはっきりとした
その赤子の様子をビャッコは思い出す。
そしてさらには赤子の母であるミモザが
カールを指して言った言葉――。
――あの人は、私をだましていたのです。
ビャッコの胸に不安が募り、
彼はおそるおそる教授に尋ねた。
「カール子爵がそのエキスを打ったのは
いつ頃か分かりますか?」
「ええ。これもお喋り鎌男が言いました。
エキス自体が完成したのは二年ほど前。
どうやらその頃から実験を兼ねて何度か
彼の身体に打っていたそうですよ。
その頃からアンスルがコソコソしていたの
かと思うと全く反吐が出る」
ヴィヴィアンのつく溜め息に同調しつつも、
ビャッコの脳裏に浮かんだ人物は彼女の
元助手、アンスルではない。
カール子爵だ。
――ミモザと関係を持っていた頃、
すでにエキスを打っていたのか。
ならば二人の間生まれた娘、
フォルカはどうなるのだ?
ビャッコは胸が潰れそうな思いに駆られ
思わず両手で顔を覆う。
リオネルもビャッコの心境を察したらしく、
彼を心配そうにちらと見ては自分だけでも
態度に出さぬようにと背筋を伸ばすのであった。




