三十四.血の繋がり
スイレンの街では南からやってきた
嵐が激しく吹き荒れていた。
強風が葉を揺らす音なのか、雨風が
バラバラと打ち付ける音なのか
もはや誰にも区別が付かない。
毎年、ある時期になるとジオリブ国に
嵐がやってくるのは常であったが、
今まで殆ど郊外で過ごしてきたハクアには
中心街における嵐の影響は他人事に過ぎず、
これまで何が起きているのか考えたことは
なかった。だが、今回は違う。
「鉄道は運転を見合わせているな。
再開は明日の朝という所か」
自宅でビャッコが外の様子を
窺いながら呟いた。
邸宅の中の電灯は、先程から不安定に
ちらちらと点いたり消えたりを
繰り返している。
「ヘビ川は氾濫するのかな」
ハクアはビャッコに尋ねた。
近所の小川でさえ、泥水と化した濁流が
まるで何かに急かされるように轟々と
流れてゆく様を彼は今朝見たばかり。
その流れは幾多の川と交わり、益々水量を
増しながらやがてヘビ川へとたどり着く。
「恐らくな。
堤防は年々嵐によって劣化している。
修繕しても打倒される様子に、
国王はもはや匙を投げているからな」
「そのことで俺、いいことを考えたんだ。
誰か話のわかってくれる人に
それを提案出来るといいんだけど」
「ああ、先日母さんが何やら話していたな。
近々、私の先輩と食事を共にする予定だが
息子さんを連れて来られるそうだ。
お前も来るか?
理解のある方だから、お前のどんな話も
聞くだけ聞いてくださるだろう」
最後の一文にハクアはピクリと反応した。
彼の父は、ハクアの思い付きを本気で役に
立つものとは想像だにしていないらしい。
だが、まだ子どもだしそりゃそうか、と
ハクアは諦め気味にため息をつきつつ、
「じゃあ、そのときに話すよ」
とビャッコの提案に従った。
外ではさすがの雨風が応えるのか、
先刻からラウルスがきゅんきゅんと
鳴き声を上げていた。ハクアは外を覗く。
珍獣二匹はすでにずぶ濡れである。
「……中に入れてあげる?」
ハクアは家主であるビャッコに訊ねた。
「ふむ」
ビャッコも同意見らしかった。
ラウルスは隣のロウガ宅に、
シルクスはビャッコ宅に引き入れられた。
シルクスは何故かカズラによく懐いており、
彼女にシャンプーまで許した上、
ドライヤーまでかけてもらっていた。
「そういえば君、僕を一目見てすぐ
ニレ家の者だって判ったよね。なんで?」
ブロー後、まったりと畳で寝そべる
大猫にハクアは尋ねた。
部屋の隅に付けた扇風機の微風で、
洗い立てのシャンプーの匂いが大猫
からハクアの鼻に漂ってくる。
「匂いでわかるのだ。トージャの血は勿論、
その血が通う弟と、その子孫はな」
ハクアはシルクスと同様に
自身もごろりと横に転がった。
「弟ってアキニス様だね。
この地にニレ家を起こした人だ。
でも弟ならトージャ様の血って
入ってないんじゃないの?」
シルクスは目を瞑り、大きな欠伸をした。
「いや、トージャの血は入っている」
「どういうこと?」
ハクアは怪訝な顔をした。
兄弟ならば同じ血が通うとか、
血を分け合ったとか、そういった表現に
なるはずだと思ったからである。
『その血が通う』なんて表現、
親子関係じゃないとおかしいのではないかと
ハクアは違和感を感じざるを得なかった。
だがシルクスは当然だという風に、
だが眠たげにむにゃりと返す。
「弟アキニスは、兄トージャの血を
飲んだからさ」
「!?」
予想外な答えにハクアは驚いた。
空で雷撃がぴしゃりと鳴る。
雨風の音も強まり、外は益々と騒々しい。
しかしハクアとシルクスが寝そべる
部屋の中では沈黙が続いていた。
ハクアはしばし考えていた。
血を飲んだ、とはどういうことだ。
美味かったのか?
アキニスは変わった嗜好を持っていたか、
はたまたもっと悪い出来事に起因するのか。
どういう訳でそうなったのかと、
シルクスから答えを聞く前にハクアは
ある程度の覚悟をしておきたかった。
少しばかり胸中に畏怖を感じていたのは、
街を襲う嵐のせいなのか、否か。
だが、彼が頭を整理している間に大猫は
すやすやと眠りに入ってしまった。
ハクアはもやもやした思いを抱えながらも
やがて同じく眠りこけてしまったのである。
嵐が去って、翌日。
ハクアはシルクスに乗って、上空から
見えるヘビ川をなぞるように飛んでいた。
川沿いの街並みは泥水に浸されており、
先日『ミャオミャオちゅるりん』を貰った
店の辺りも同じ様子だった。
店の周りでは、人々が家屋の中から
バケツ等で泥水を汲みだしている。
幸いこの街は石造りの建物が多いことから、
木造のそれに比べると家屋へのダメージは
少ないように見えた。
だが人々の顔には疲労の色が滲んでいる。
ハクアは店の前に降り立ち、シルクスを
ニレ邸へと返すと水出し作業を手伝った。
よくよく見れば、水辺と化した町中に
軍人の姿もちらほら見える。
王は此度の水害に際し我関せずであったが、
気の利いた軍部の人間が独自に
部隊を差配したのだろうか。
「どこの部隊ですか?」
ハクアは近くにいた軍人に声を掛けた。
「沿岸警備第二中隊だ。
少佐の上官、そのまた偉く上官からの
お達しによりここを手伝っている。
毎年のことだから、皆手慣れたもんさ」
沿岸警備隊と言えば海賊の相手や隣国
からの密輸船対策等で忙しいだろう。
その上、国王がわざとらしく無視を
決め込む事案に独自で踏み出すとは、
中々剛胆かつ、熱心な上官もいたものだな。
ハクアはそう感心した。
「その、偉く上官っていう方の名前は?」
「アジュール中将さ。我が軍の英雄だ」
「アジュール中将……」
ハクアはその名を覚えておこうと、
頭の中でもう一度繰り返した。
いつか会えたらと思っていたその人物は、
意外にもすぐにハクアの前に姿を現した。
「アジュール・ウェラだ。
よろしくな、ハクア君」
「長男のスカイです。
ハクア坊ちゃん、お元気そうで!
ビャッコ大将も、お近づきになれて
嬉しゅうございます!!」
中心街の、とある料理店にて。
ビャッコが先日ハクアに言っていた
共に食事をするという彼の先輩こそが
アジュール中将であった。
そしてラニッジ鉱山の駐屯所で出会った
若き軍人、スカイこそが彼の息子だった、
ということらしい。
その日ビャッコが食事会に選んだ場所は
各々の手でぐるぐると円卓が回り、
その卓上には香辛料をまとった油の香り
漂う数々の料理が並ぶ店。
ピリリと料理に舌鼓を打ちたい所であったが
予想外の繋がりにハクアの頭の中は今、
円卓の如くぐるぐると目まぐるしく
回っていたのであった。




