三十三.二本の矢
「ふむ。いい味だ」
その後自宅の庭に戻ってくると、
シルクスは冷静なもの言いとは
まるで裏腹に、何かに憑りつかれた様に
『ミャオミャオちゅるりん』を貪っている。
細長い袋に詰められた中身はペースト状に
なった魚のすり身らしい。
シルクスはあっという間に平らげて空に
なった袋を、それでもまだ足りぬという
具合にかじっていた。
ハクアはそんな光景を横目に、
ある一冊の分厚い本に目を通していた。
本には時折専門的かつ難儀な言葉が
出てくるらしく、ハクアはこれまた
分厚い辞書を片手にその本と格闘している。
「何を調べているの、ハクア兄」
いつの間にかハクアの傍に、
親戚の娘であり妹分のキキョウが
やって来ていた。
「……点数稼ぎを計画中」
ハクアは顔を上げずに答える。
キキョウはふうん、と言いながら
ハクアの隣に腰掛ける。
「点数稼ぎ?」
「うん。まあね。
ところでどうしたの?」
ハクアは彼女を特段追い返したい訳でもなく
単純に何か用なのだろうかと思って発した
言葉だったのだが、どうやらキキョウは
それが気に食わなかったらしい。
「用が無いなら来ちゃいけないの!?」
途端にむくれるキキョウ。
「いや、そういう訳じゃなくて……
どうしたの?」
いつもならばハクアのそっけない態度にも
キキョウは無邪気に怒り、それでも
遊んでくれとばかりにハクアの周りを
ぴょんぴょん飛び跳ねただろう。
だがこのときのキキョウは
いたく静かであった。
「ねえ、ハクア兄は好きな子いる?」
「えっ!?」
どこから湧いたのだとばかりに
突拍子な話題を切り出すキキョウ。
驚きに思わずハクアは持っていた辞書を
シルクス目掛け放り出した。
それは大猫の鼻を掠める。
「何をする!」
シルクスは鼻に皺を寄せて
ハクアをぎろりと睨む。
「ご、ごめん。つい。
な、何だって?」
ハクアはキキョウに向き直るも、
どうやら彼女までもが怒っている様だ。
というより呆れているのか。
キキョウは、もうっ! と
腰に両手を当てながら、
「キキョウは、ハクア兄に好きな人が
いるかどうか知りたいのよっ!」
と大声を出すのだった。
そのとき。
スパン! と勢い良く、彼らの背にある
障子が開けられた。
中から姿を現したのはカズラである。
「お、おばさま! こんにちは……!」
カズラの顔を見るなりキキョウは
ぺこりと頭を下げ、明後日の方向へと
逃げ出して行った。
じとり、と凍てつく視線でハクアを
見やる彼の母。
ハクアは投げ出した辞書を拾いつつ、
何だこの気まずい空気は、と額に
冷や汗を掻いていた。
「女の子を怒らせちゃだめじゃない」
開口一番に来たダメ出しによって、
ハクアはしどろもどろとなる。
「いや、あのその……」
「知ってる?
キキョウの名付け親は私なのよ。
私と同じ、花の名前の女の子」
「そ、そうなの……」
ハクアは動揺しながらも返答し、再び本を
開こうとする。
そんなハクアをカズラは一喝した。
「ちゃんとお聞きなさいよ!」
ハクアはびくりと跳ね上がる。
そのときシルクスが二人の間に入り、
「花の名を持つ乙女よ、そう怒るな。
おかわりを所望する」
とふんぞり返りつつ、空も空になった
『ミャオミャオちゅるりん』の袋を
ハクアに差し出すのであった。
ハクアの考えていた計画とは。
ハクアがコノクロ卿に目を付けられたことに
よって閉ざされた、スカイジオ高学院への
入学の扉を再び開くこと。
それを打開する為の一矢は既に放ってある。
学院理事の一人を務めるコノクロ卿の
足元を崩す作戦だ。
これはコノクロ卿の資金源である、
ラニッジ鉱山を毒騒ぎによって本格的な
閉山に追い込むことである。
この作戦は目下進行中であるがそれだけでは
心許なく、より無難な方法も採る方が良いと
テンジャクの意見。
つまりはもう一本、放つ矢が必要だ。
それは鉱山破壊という出来事で下がりに
下がりまくった、というよりも無鉄砲で
やんちゃなイメージが定着してしまった
ハクアの世間的評価を取り戻すことである。
その方法として、ハクアは国にとって何か
良い行動を出来ないかと考えていたのだ。
どこからか感謝状の一枚など貰える程にも
なれば、ついでにどなたかの推薦状にも
漕ぎ着けやしないかと。
具体的な案にまず思い付いたのはゴミ掃除。
河川や山奥にあるゴミ拾いを自主的に行い
アピールする狙いである。
だが上空から見た山川はそれほど汚れている
わけでもなく、また定期的に浄化活動を行う
人々がいて現在人手も足りているそう。
二つ目は、海辺の街や商船を度々襲撃する
海賊を打ちのめすこと。
だがこれは父であるビャッコにあっさりと
止められてしまった。
それは立派な軍人になってからやれ、と。
そして三つ目。これが一番的を得た方法の
ような気がハクアにはしていた。
それは、国治で役に立ちそうなアイデアを
片っ端から政府や軍の御偉方、その中でも
勿論コノクロ卿の息がかかっていない、
話の分かる人物に進言すること。
思い付いた事が例え頓珍漢だとしても、
何か行動して誰かに熱意を見せるべきだと
ハクアは思っていた。
それにこの時、空を飛べる技術はそうそう
無かったことから彼がシルクスに乗って
見た景色、つまり上空から得た情報は貴重で
あろうとそれなりの自信を持っていたのだ。
「よし、これだ!
あとは誰に言うか、だな。
ねえ母さん、父さんの知り合いに
俺の味方になってくれそうな官僚、
もしくは政治家って誰かいない?」
ハクアはぱん、と読んでいた本を閉じると
和服にタスキを締め、障子を箒ではたいて
いるカズラに声をかけた。
「そうね。
色々と派閥があって大変らしいけど、
何人かいるんじゃないかしら。
父さんが道場から帰ってきたら聞いて
みるといいわ」
そしてカズラはハクアの頭も箒でポフポフ
するなり、こう付け加えた。
「ねえ、あんた好きな子いるの? 誰?」
ハクアは埃でむせ返る振りをし、
そそくさとその場を立ち去るのであった。
次の日、高学院から毒の専門家であり、
ラニッジ鉱山の毒を調べていた教授の
ヴィヴィアンが、ハクアの元を訪ねてきた。
何やら確認したいことがあるらしい。
ビャッコ邸の座敷で開かれたその場には、
テンジャクとミードも同席していた。
ヴィヴィアンは聡明な雰囲気を持つ女性
であった。
頭から足の先まで皺皺であった助手の
アンスルとは全く正反対の、肩位に
切り揃えられた真っ直ぐの黒髪に、
綺麗に糊付けされた白衣。
背筋もぴん、と伸ばし、カズラに出された
番茶を飲む仕草も実に品の良いものだった。
「さて、ハクア君。
貴方が先日、ラニッジ鉱山で採取した水
ですが、あれは世にも大変珍しい毒です。
わたくしも時折噂は耳にするも、断じて
目にしたことはありませんでした」
「毒にも、珍しいものやそうでないもの、
様々あるんですね」
ハクアはヴィヴィアンに魅入るように
前のめりで彼女の話を聞いていたが、
やがてちらりと視線を向けられると途端に
背筋をしゃきんと伸ばした。
多分、両脇に座る兄貴分たちも
同様だったろう。
「世に珍しい毒は沢山あります。
隣国にあるカルデラに生える植物、
遠い海の底から噴出されるガス、
滝の一族の地の鉱石」
ハクアは最後の地名に反応した。
「滝の一族の地に行ったことがあるの
ですか? あそこは、そうそう余所者を
中に入れないって聞きます」
「観光客は多いですよ。
私も研究目的で度々訪れている。
主家の方々には中々お会い出来ませんが」
そう言い、ヴィヴィアンはことりと
湯呑みを茶托に置く。
「さて、ここから本題です。
貴方はこの毒を調べて、どうなさる
おつもりですか?」
「国中に知らせます。
コノクロの鉱山は危険だって」
ハクアの言葉に、ヴィヴィアンは
切れ長の目を僅かに見開いた。
「本当にコノクロ卿に刃向うのですか?
これが上手く行かなければ貴方の状況は
さらに悪いものになります。
それでも宜しいので?」
「このままじゃ高学院に入学できないし、
二人の父さんも……」
ハクアは歯切れ悪くもそこまでで言葉を
留めたが、どうやら事情を知っているのか
ヴィヴィアンに意図は伝わったらしい。
「……成程。貴方もコノクロ卿に目を
付けられましたか。
ですが、あの毒が人体に有害なレベルか
どうかはこれから判断する所です。
仮にもし無害であれば?
どちらにしろ、この結果には多くの人々が
注目し、多大な影響を及ぼすでしょう。
引き返すなら今のうちですが」
ハクアは両隣の二人を交互に見た。
二人とも意思は固く、ハクアにしっかりと
頷きを返す。
「もう僕達の気持ちは決まっています。
コノクロを引きずり下ろせるのならばやる
しかない。だけど教授は平気なのですか?
その、俺達に協力して大丈夫かなって」
「国一番の知識を誇る、尊い学びの場所。
それがスカイジオ高学院。
正義についてとやかく言う場所ではない。
私は手順にのっとり検査をするだけです」
悩む素振りなど全く見せず、ただ淡々と
そう告げるとヴィヴィアンはカズラに礼を
言い、ニレ邸を後にするのであった。




